私は何も悪いことはしていないわよ――白薔薇の無垢な毒
明日は、皇太子殿下の婚約者を決める園遊会。
シャロンは明日のために用意したドレスをまとい、装飾品から髪形まで整えて、鏡の前に立った。くるりと一周回ると、白くて細い足首の周りで、薄い生地のスカートが軽やかにフワッと広がる。
季節にぴったりの爽やかな装いはとても趣味が良い。
そしてそのドレスを纏う自身の姿は、抜群に可愛らしい。シャロンは鏡の中の自身の姿に満足した。
明日のために、主だった貴族の家では、娘の支度に大騒ぎをしている頃だろう。
少女用のドレスの注文が殺到して、この一ヶ月、貴婦人達のドレスの受注を、一時止めていると噂に聞いた。少女用とはいえ、どの家も大変に凝ったドレスを仕立てさせるため、手間は大人のドレスと変わらない。
馬鹿らしい話だと思い、シャロンは微笑んだ。
明日、選ばれるのはシャロンに決まっているのに、なんて無駄なことをするのかと不思議に思っているのだ。
「シャロン様、素晴らしいです。このお姿を見たら、王太子殿下はシャロン様しか目に入らなくなります。絶対ですわ」
シャロン付きの侍女のナンシーは、シャロンの姿を少し離れて見回すと、賞賛の言葉を掛けた。他の侍女達も、手にブラシやリボンを持ったまま、溜息をついている。
「こちらのリボンを袖に付けたらいかがでしょう。もっとかわいらしくなりますわ」
侍女の一人が、淡いピンクのリボンをチョウチョ結びにして、袖の絞られている場所に付けた。
少し甘さが加わり、バランスが更に良くなった。まるで、シャロン自身が、綺麗に包装されたプレゼントの様に見える。
シャロンは満足して、もう一度自分の姿を眺めた。
そこにシャロンの飼い猫のチチがやって来て、足元に体をこすりつけて来た。
チチの茶色の毛が、白い絹の靴下に付いた。
「まあ、チチ。今日はお嬢様にまとわりついたら駄目よ。誰なの、この子を部屋に入れたのは」
新参の使用人が、「自分がドアを開けた時に滑り込んだ」と言うと、ナンシーが全員に向かって注意した。
「明日のための衣装に、いたずらでもされたら大変よ。今日は絶対に衣装部屋に入れないように」
シャロンがドレスのスカートを持ち上げて、靴の様子を確かめると、ナンシーがその前にしゃがみこんだ。
「後で毛を払っておきますね。お支度の確認は、これでお終いにしましょう」
着替え終わったシャロンは、衣装部屋から出て、お気に入りの一人掛けソファに深くもたれ込んだ。目を瞑ってうとうとしていたら、膝の上にチチが飛び乗って来た。
チチの頭を撫でながら、明日の園遊会の様子を想像すると、自然に唇の両端が持ち上がっていく。
物心ついてから、人の集まる場でのシャロンは、注目の的だった。
人々はそのかわいらしさと、無邪気さと、天使のような微笑みに魅了される。そしていつもシャロンがその場の中心になる。しかも明日は、あの完璧なドレス姿で、園遊会に出席するのだ。
王太子殿下の婚約者に選ばれることは、シャロンの中では既に決定事項だった。
立ち上がろうと体を起こすと、チチが落ちそうになって慌てたのか、シャロンの腕に爪を立てた。
白い腕に赤い線がスッと浮かぶ。床に落ちて立ち上がったチチを、シャロンは蹴りつけた。ギャッと叫んで部屋の隅に転がったチチは、素早く逃げて行った。
シャロンの飼い猫は、チチで三匹目だ。
一匹目は六歳のころにもらった白猫のメイ。メイはある日、シャロンの飼っていたカナリアを食い殺してしまった。部屋の中で放して、肩に乗せて遊んでいた時の事だ。
窓枠に止まったカナリアに、素早く飛び掛かり、一噛みするとカナリアは動かなくなった。
いつもかわいらしく甘えてくるメイの、驚くほど野性的で獰猛な姿。カナリアを食べて満足気に血の付いた前足を舐めるメイを見て、シャロンはゾクッと産毛が逆立つような快感を覚えていた。
次の日、園遊会の会場でシャロンはたくさんの人から賞賛を受けていた。
いつもと違い、今回は同じ年頃の子息たちが、不器用に周りを取り囲んでいる。
今までの社交は、親に連れられての参加で、こんな風に子供同士で直接交流することは少なかった。
女の子達も周囲に集まり、シャロンの周りはとても華やいでいる。
大人達が、やはりシャロン嬢が本命かな、とひそひそと言い合っているのが、漏れ聞こえてくる。
父親のテイル侯爵が呼びに来た。
「そろそろ王太子殿下に挨拶に行こうか。いいかな?」
「はい、お父様」
「友達がたくさんできたみたいだね。よかった。仲良くしていたかい」
「はい、皆さんとても素敵な方たちです」
きちんとした受け答えをするシャロンに、テイル侯爵は誇らし気だ。そして娘に向かって腕を差し出した。
父親のエスコートで、シャロンが王太子の元に向かうと、他の方向から、一組の親子がサムエル殿下に近付いて来るのが見えた。
「お父様、あの方たちの次にご挨拶させていただきましょう。だから少しゆっくり歩いてくださいね」
「おお、あれはベルディ侯爵だな。それならあの娘はリネット嬢だろう。先を譲っていいのかい?」
「ええ、気持ちを落ち着けたいので、少し待つくらいの方がいいです」
少し離れて、ベルディ侯爵の娘がサムエル殿下に挨拶する様子を、二人で見ていた。リネット嬢はぶっきらぼうな挨拶をしただけで、全く話も弾んでいない。
サムエル殿下も困ったような顔で応対している。ベルディ侯爵も困ったのだろう。早々に娘を後ろに引っ込めて、自身が話し相手を務めている。
彼らが下がった後、テイル侯爵たちはサムエル殿下の前に進み出た。
父に紹介された後、シャロンは自慢の笑顔で挨拶をした。
さらさらした金色の髪を掻き上げて、シャロンに向かい合ったサムエル殿下は、掴みどころのない茫洋とした目をしている。
「サムエル殿下。あちらでお茶をいかがですか。お疲れの事でしょう」
その言葉に驚いたように、彼はシャロンを見つめた後、感慨深げな大人びた表情を浮かべた。
その様子を見て、シャロンは満足げに微笑んだ。一歩下がって見守っていたテイル侯爵も、同じように満足げな微笑みを浮かべている。
挨拶を待つ令嬢達のため、サムエル殿下は残念そうに誘いを断ったが、シャロンはしっかりと手ごたえを感じていた。
ところが数日後に、その園遊会が仕切り直しになるという知らせが入った。
王太子殿下が高熱を出して、園遊会の記憶がおぼろ気になってしまったらしい。
その代わりに再度、園遊会を開くことになったという。次回は規模を小さくして、より招待客を絞ったものになる。もちろんシャロンは、そこに招待された。
二回目の園遊会の会場には、小動物が沢山放たれている。そういった趣向の園遊会のようだ。
シャロンはサムエル殿下の様子を少し離れて観察していた。
前回の園遊会で知り合った子達が周囲を取り巻いている。これだけ人を集めていれば目立つはずだ。
思った通りサムエル殿下がやって来て一緒に楽しく遊ぶことが出来た。サムエル殿下がシャロンを見る目はまぶしげで、好意がはっきりと感じられる。
シャロンはサムエル殿下の元に近寄り、サムエル殿下が抱いていたウサギと、自分の抱いていたウサギを交換してもらった。
王子は嬉しそうに頬を赤らめ、シャロンをのぼせ上ったような表情で見ている。
(ほらね。王子だって他の人たちと同じよ)
その後もまた周囲を人に囲まれ、シャロンは交流に忙しかった。
そうして少し目を離した隙に、サムエル殿下は離れた場所で、リネット嬢と話をしていた。
私の元に来ないで、何をしているのかしらと不思議に思ったので、「ちょっと失礼するわね」と言って人垣を抜け出し、サムエル殿下とリネット嬢のいる近くまで行ってみた。二人はとても仲良さげに笑いながら話をしている。
これはまずいと、女の勘がささやく。
シャロンはウサギを追立て、二人の間に割り込んで行った。
「まあ、綺麗なリボンね」
リネット嬢が手に乗せているリスを見てそう言ったのは、そのリボンが普通の物には見えなかったからだ。王家の紋章が織り込まれた豪奢なリボン。
聞いてみると、やはり王家の特注品で、しかも王妃の手作り。つまり特別な品なのだ。
「私のウサギにもください」とサムエル殿下に言ってみたが、もうないのだと断られた。
だから、後でリネット嬢に声を掛けた。どう考えても、そのリボンはシャロンの物なのだ。
「そのリス、可愛らしいわね。見せてもらえない?」
「ええ、いいですよ」
「かわいい。ねえ、私のウサギにもこのリボンが似合いそうだから、少し貸していただけないかしら」
彼女はリスの首からリボンを外し、差し出してきた。
シャロンはリボンをウサギの首に結びつけてみた。色合いはあつらえたようにぴったりだったが、少し短かったので、首をきつく締めないと結べない。ウサギはジタバタした。
「やっぱり、とっても似合うわ。毛色とぴったり。さすが、サムエル殿下が下さったウサギだわ」
「毛色にぴったりと合いますね」
そう言って少し考えてから続けた。
「首に巻くより耳に巻いたほうが、かわいいかもしれませんね。試してみられては?」
首のリボンを解き、耳に巻いてみる。こっちの方が確かに可愛らしいし、リボンが映える。
「ありがとう。本当にそうだわ。サムエル殿下にお見せしたいから、これいただくわね」
サムエル殿下にはその日お会いできなかったけれど、後日お見せできるように、綺麗に保管することにした。
ウサギはポシェットになり、綺麗な青いリボンは、その毛色によく映える素敵な縁飾りになった。
その後しばらくして、サムエル殿下は留学することになった。
婚約者の公式な発表は無かったが、周囲はシャロンの持つウサギのポシェットを見て理解した。王家側からは、それに対して、肯定の言葉も否定の言葉もない。全く沈黙を貫いている。
そのため暗黙の了解で、シャロンは周囲から、サムエル殿下の婚約者候補として扱われるようになった。
本来婚約者となったなら、厳しい王太子妃教育が行われるはずなのだが、中途半端な立ち位置のシャロンには、何の制約も義務もない。
彼女の周囲はそのことを危惧したが、本人は何の問題も感じてはいなかった。
「私が王に王太子妃教育に関して確認しよう」
侯爵がそう言い出したが、シャロンはそれを止めた。
「お父様、まだ私が正式に選ばれているわけでもありません。先走ったら、顰蹙を買います」
「それも、そうだが、大丈夫なのかな?」
「家庭教師からしっかりと教えを受けています。淑女としてのたしなみは十分身に付いていますわ。それに社交は私の得意分野です。知識はサムエル殿下が戻られてからでも学べます」
「そうか。そうだな」
サムエル殿下の婚約に関して、王家は彼の帰国まで凍結すると発表し、それ以降一切何もしていない。下手な口出しはまずいかもしれない。
侯爵は納得した。
シャロンは侯爵の様子を見てほっとした。真面目に勉強するのは苦手だし、勉強の必要があるとも思えなかった。
自分は自分のままで充分なのに、これ以上何が必要だと言うのだろう。シャロンには理解できない。
年ごとに華やかさを増すシャロンの周囲には、若い男性達が群がるようになった。王太子の婚約者候補であっても、未だ婚約者と決まっているわけではない。
彼女の周りはいつも賑わっていた。
恋のお相手も何人か入れ替わっていった。
恋と言っても、一対一の真剣な付き合いではない。
崇拝者の群れに囲まれていて、その中で、お気に入りが替わって行くだけの事だ。
それでも若い男性たちは、彼女の寵愛を競い合い、その中で争い事が頻発するようになる。
年齢が上がるに従い、その争いは、大きく深刻なものになって行った。
シャロンが15歳のある時、夜会でのエスコートをめぐり、特に強くシャロンに惹かれていたレイド伯爵家子息マーカスと、同じく彼女に執着していたバーチ伯爵家子息ハリスとのトラブルが決闘にまで発展しそうになった。
「シャロン嬢。お願いです。ハリスを止めてください。マーカス様は近衛騎士団に入団予定されています。とてもハリスが立ち向かえる相手ではありません」
ハリスの姉のマーガレット嬢が、シャロンの腕に取りすがった。
「まあ、どうしたらいいのかしら」
「マーカス様をエスコート役に御指名ください。そうすれば争わずに済むはずです」
「そうね。では今から二人の元に行きましょう」
二人と取り巻きの少女たちは、言い争っている男たちの元に向かった。
争っている二人の男はシャロンたちが寄ってくると、一旦諍い合うのを止めたので、周囲で見守っていた者たちは安堵した様子だった。
「二人共、争うのは止めて。エスコートはハリス様にお願いするわ。マーガレット嬢から頼まれたの」
マーガレット嬢が、ヒッと声を漏らした。
マーカスの目が吊り上がり、それまでの比ではないほど険悪な雰囲気が辺りを取り巻く。
「姉に仲介を頼むとは見下げ果てた男だ。お前なんかに譲れるか」
結局そのまま決闘になり、ハリスは死んだ。マーカスはあまりに些細な諍いでの決闘を咎められ、伯爵家を追い出されることになった。
マーガレット嬢はそのまま修道院に入り、バーチ伯爵家は領地に引っ込んでしまった。
この顛末に、周囲の者達は密かに噂をした。
「マーガレット嬢は、マーカス様を選んで欲しいとお願いしたそうよ。何でまたハリス様を選んだのかしら。しかもわざわざマーガレット嬢から頼まれた、なんて付け加えて」
この噂は、目立たないよう、水面下でささやかれた。
十五歳ともなれば、いつも男性の取り巻きに囲まれているシャロンを、非難の目で見る者も現れ始めていた。
だが、王家は何も言わない。
つまり、これでいいという事だろう。貴族たちはそう捉えていた。それならば、下手な批判などできない。
テイル侯爵家では、彼女が十二歳になった頃に注意を促した。それに対してシャロンは答えた。
「いつも十人近い貴公子たちに囲まれているけど、誰かと特別な付き合いをしているわけではないわ。女性たちも男性たちも勝手に寄って来るのだもの」
それはその通りだった。
娘がかわいい侯爵は、仕方が無い事だと思ってしまった。
実際にシャロンはかわいい。見たら誰もが近寄って、その微笑みと、可愛らしい声を聞きたくなる。
まだ無垢な年なのだから、もう数年様子を見ようと思っていた。
妻が早くに亡くなったため、どうしてもシャロンには甘くなってしまう。
だが、シャロンは素晴らしい娘なのだ。年の離れた弟のミシェルも姉にべったりだった。
そうして目を瞑っている内に彼女は十五歳になり、悲劇が起こってしまった。
侯爵家では、これを負い目に思い、バーチ伯爵家にお悔やみを送った。丁寧な謝礼が届いたが、交流は一切断られてしまった。
シャロン自身は、どんなトラブルにも全く無頓着だった。将来の王妃である自分が何をしようと、それは正しいのだと思っている。
彼女の自信が周囲を黙らせていった。
翌年十六歳になったサムエル殿下が帰国した。
帰国祝い用に、シャロンは豪華なドレスを仕立てた。ドレスを仕立てる職人たちは、光栄だと喜び、非常に良い仕事をしてくれたし、着付けをする侍女たちの騒ぎようもすごかった。
十六歳になったシャロンは、相変わらずこの国で一番美しく華やかな令嬢として知られている。それはあの十一歳のころから少しも変わっていない。
誰もが、今日のこの日、サムエル殿下に手を取られるシャロンを見に来ているのだ。
会場入りされたサムエル殿下に、シャロンは父にエスコートされてゆっくりと近付いた。
周囲の者たちは、その前の道をあけてく。自然にサムエル殿下に向かって道が出来上がって行くのだ。
シャロンを目にしたサムエル殿下は、にっこりと微笑んだ後、じっと見つめている。
そして挨拶の言葉を掛けてくださった。
私はとっておきの微笑みを返す。男性達が白薔薇の天使と褒めそやす微笑み。
周囲の者達が、ホウッとため息をつくのが聞こえる。今日はこの特別な微笑みを控えていたから、余計に効果が大きいのだろう。
ところが不思議な事が起こった。
サムエル殿下がファーストダンスをリネット嬢に申し込んだのだ。
唖然として、身動きが出来なかったが、それを周囲に気取られてはいけない。
シャロンは父に合図して、少し輪の外側に移動した。
「シャロン。これは何かのまちがいだろう。後でもう一度サムエル殿下に話し掛けに行こう」
父の言葉に頷き、シャロンは大人しくその機会を待った。いつもの夜会では必らず貴族たちに囲まれていたが、この時は誰も傍に寄ってこようとしない。
二人の周囲にぽっかりと空間が空いているので、妙な具合に目立ってしまう。 人々は、何事かを耳打ちし合いつつ、彼女を横目で盗み見ていた。
少しして、サムエル殿下が一人になったタイミングで二人は近付き、話し掛ける事が出来た。周囲からの視線が、シャロン親子に集中しているのが感じられた。
シャロンは自慢の微笑みを、もう一度浮かべた。
「サムエル殿下。お久しぶりです。私の事を覚えていらっしゃいますか?」
「先ほどご挨拶しましたね。シャロン嬢? 夜会をお楽しみください」
サムエル殿下は礼儀正しく受け答えをして、そっけなく踵を返した。
その際に一瞬見た、彼の冷たい目。
シャロンは悟った。
サムエル殿下は、完璧にシャロンを拒絶している。理由はまるで分からないので、シャロンは珍しく少し混乱した。
「お父様、体調がすぐれないので、今日はお暇しましょう」
侯爵は娘をいたわりながら、その場を離れた。
「お前はサムエル殿下の婚約者候補の筆頭なのだから、何らかの話があるかもしれない。王にご挨拶をしておかねば」
侯爵はそう言い、王の元にご挨拶に向かった。
「本日は、サムエル殿下の御帰国おめでとうございます。夜会が始まったばかりで非常に申し訳ないのですが、娘の体調がすぐれません。残念ながら本日はこれで退出させていただこうと思います」
侯爵と一緒にシャロンは王の返答を待った。
「ああ、今日は参席してくれてありがとう」
シャロンは王の顔を見上げた。その目もサムエル殿下とよく似た冷たい色をしている。
これは駄目だとシャロンは、父の袖を軽く引いた。
侯爵は呆然と王を見ていたが、それで我に返ったようだ。
「まあ、体を大事にね。シャロン嬢」
王の横に座る王妃は労りの言葉を掛けてくれたが、それ以上の関心は全く感じられなかった。
「いったいこれはどういう事なんだろう。なぜなんだ」
「わかりませんわ」
帰りの馬車の中で、二人はずっと黙っていた。
侯爵にはまるで訳が分からないようだった。それはシャロンも同じだが、二人の拒絶の強さは、はっきりと分かった。これでは、王太子妃どころか、貴族令嬢として、この国で生きていくことすら難しくなる。
余りに早く帰宅した主人たちを迎え、屋敷の者たちは慌てた。
シャロンはすぐに部屋に戻り、そのまま家に引きこもった。
その数日後、サムエル殿下の婚約者の名が発表された。
お相手はリネット嬢だった。
シャロンは泣いてみせた。
引きこもっている間に、シャロンはあの時のサムエル殿下の冷たい目を、何度も思い出していた。
今まで、シャロンの魅力を拒絶するものは誰もいなかった。それが、あの目。
あまりにショックだったが、凄く刺激的でもあった。
白猫のメイが、カナリヤを食い殺した時と同様の、ゾクッとする快感が背筋を走り抜ける。
シャロンは人生で初めて、他人に本当の興味を覚えた。
「私は誰かの陰謀によって、陥れられたのだと思います」
シャロンは涙をハンカチで押さえながら、父のテイル侯爵に向かって告げた。
「それはベルディ侯爵家のことか? ウサギやリボンの事で、話が食い違っているようだが」
「さあ、わかりません。お父様、婚約祝いのパーティーで、様子を探っていただけませんか。私はその夜会には出席できません。どんな卑劣な嫌がらせをされるか、わかったものではありませんから」
一人で夜会に出席したテイル侯爵は、王からシャロンを社交界に受け入れないと告げられて帰宅した。
肩を落とし、頬は一晩でげっそりとやつれている。
「シャロン。王に、お前がリネット嬢からリボンを奪ったと言われた。それは本当なのか? もしそうなら、我が家は王家を象徴する品を盗んだ罪に問われてもおかしくない。だが、これまで何も言われてはこなかったのに、なぜ今になって?」
シャロンは、これは完全に自分の負けだと頭を切り替えた。
王家はテイル侯爵家を潰したくはないようだ。だがシャロンは排斥したいのだろう。だから今まで放置した。理由は分からないけど、おそらく、そう。
自分が生き残る道は……
隣国の伯爵家に嫁した叔母は子供に恵まれず、シャロンが娘になってくれれば嬉しいのに、とよく言っていた。
「お父様。そんな嘘に騙されてはいけません。私は無実ですわ」
「それならば、すぐにでも冤罪を晴らすよう、私が王に働きかけよう」
「駄目です。今の状況では何をしても無駄でしょう。これ以上テイル侯爵家の立場を悪化させないために、私と縁を切ってください」
「馬鹿な。お前は何も悪くないのに」
「いいえ、今この国に正義は有りませんわ。弟のミシェルの為にも、私がいてはいけないのです。私を隣国の叔母さまの所にやって。お願い」
シャロンの涙に、テイル侯爵は項垂れた。それから、少し離れて乳母のスカートにつかまっている幼いミシェルを見て、涙を流した。
それからすぐ、シャロンはテイル侯爵家から除籍され、隣国の叔母の養女として引きとられて行った。
その馬車の中で、付き従った侍女二人は彼女の不遇を思って泣いたが、シャロンは窓の外を眺めて微笑んだ。
隣国の王太子殿下は十七歳のはず。婚約者が既にいるそうだけど、問題はないわ、とシャロンは考えた。
これまで、彼女の微笑みに靡かなかったのは、サムエル殿下以外にいない。
「またお会いしたいわね。サムエル殿下」
FIN
※サムエル殿下から見た短編を投稿しています。対になります。ぜひそちらも読んでください。
タイトル「一日だけ巻き戻った王は、破滅を回避できるか」




