01.祝福された子
前話にて、主人公がネグリジェ姿で目覚める二日前。
「場所は?」
「西門から南西の方角、橋を渡りすぐの場所です。
今は兵を西門に集め、警戒態勢で待機させております。」
村の中央に建てられた屋敷の廊下を、男装の麗人と執事服に身を包む初老の男が足早に進む。
「すぐに兵を下げてください。」
男装の麗人は多く見積もっても十代後半といった顔立ちだが、長い金の髪を編んで纏め、上流階級を思わせる服を着こなし、どこまでも先を見通すような、鋭く澄んだ緑の眼と、いつでも抜き放てるよう帯剣した様はひとかどの武人をすら思わせる。
「は、しかしそれでは…!
帝国の罠、もしくは何らかの攻撃の可能性もありますが」
「本来そういった目的のものや霊子災害は通常は霊子が中心から外に向かう流れを作ります。
ですが今回は内向きです。
それが、西門から離れたこの場所でも確認出来るほど強く渦巻いている。
この様な例は、少なくとも私は二つしか知らない。」
「二つ…まさか」
彼女は、思い至ったのであろう執事にこれ以上の説明は不要と、屋敷を出て馬舎へと歩みを進める。
「お、お待ちくださいアゥラネル様!
どちらへ!」
「確認しに向かいます」
「なりません!
兵を下げ、あなた一人が向かう理由は何だと言うのです!」
「先程伝えましたねロアール。
過去二度起きた、霊子が内向きに集う大規模な異常現象。
それはどちらも、大きな歴史の転換点でした。
私は此度のそれをこの眼で見届け、対処した場合、若しくは対処出来ぬと判断した場合、すぐに中央へ詳細に報告せねばなりません。」
「貴女の身に…」
言いかけた執事、ロアールは歯噛みする。
彼は彼女が産まれて今に至るまでを見守ってきた。
よく人の言葉を聞き、正しきを行うべく努力を怠らない聡明な子だった。
だが一度こうと決めた事だけは、どれだけ言葉を重ねて止めようと、聞き入れてくれた事などついぞ一度たりとも無かった。
そして残念な事に、その行動によりどれだけ彼女自身が危険な目に合おうと、その判断が間違いで在ったと断ずる事が出来る過去の事例もまた、一つも無かった。
「ならばせめて、このロアールにお供を」
「ええ、貴男ほど心強い供などいません。
お願いします。」
二人は馬に飛び乗り、西門を目指す。
正午であるにも関わらず薄暗い西の空には、光の粒子が積乱雲の様に渦巻いていた。
霊子が外側から中心へと向かう作用は、視覚的には人が魔法を発動する際などに、手元に一瞬だけ見ることが出来る。
だが発生してから一時間近くもの長い時間、空に渦巻く程の大量の霊子が集められる事によって起こる事象は何であろうか。
過去に起きたと記録されている二つの事例は、到底魔法が一つ発動する程度の物ではなく、どちらもそれ相応の霊子反応を持つ“存在”の顕現である。
一つは救いを、一つは破壊を齎したと言われているが、今回この二つとは明確に違う点が二つある。
それは、前触れもなく突然起きた事である点、そして人里の近く、何もない場所で起きている点。
過去の二つには相応の理由が事前にあり、相応の整えられた状況と場所で、相応の役者を揃えて漸く起きた奇跡である。
よって今回、何が原因で何が目的で、結果何が顕れるのか見当も付かない。
もしこれにより顕れた存在が、人類に敵対するものであったなら、敵意はなくとも意志もなく、ただ人に世界に害を成すものであったなら、敵国の罠であった方がずっと生易しい程の悲惨な未来が待つのだろう。
言い伝えに在るような、この事態に対応出来うる“英雄”に匹敵する実力者は、果たして今の世代の王国、帝国、いや、この世界に居るのだろうか。
少なくともアゥラネルには、その英雄と肩を並べる実力者であると自称出来る様な自信はない。
肉体に内包する霊子量が少ない者、一般の民や兵にとって此度の様な現象は、内巻きの霊子の奔流に飲み込まれ、その場に居るだけで命すら危ういものであると言われている。
内巻きに霊子が流れているということは、その中心が周囲の霊子を吸い込んでいるという、見た通りの状態だからだ。
だからこそ一番生存の可能性がある自身が単身確認に乗り出した訳だが、精々今自分に出来る事は、民には有事に備え荷物を纏め、いつでも東門から王都方面へ避難出来るよう伝えておくこと。
あとは一般の兵を──
「アゥラネル様!あれを!」
「そんな…」
どう対処するべきかを考えている内に、気付けば目的地まで残り100メートル程。
その地点からですらはっきりと視認出来る。
草原の草を巻き上げて積乱雲の如く渦巻く霊子は、早くも既に縮小を始めており、その中心は地表からほんの10メートルも離れていない空中に浮かんでいた。
「あれは、棺…?」
馬を走らせながら目を凝らせば、収束した霊子がこの世界の棺に似たものを縦向きに形成していた。
人が入る程の大きさの直方体。
死者を弔う白を基調としたその棺には、銀で細やかな装飾が施されており、その棺に絡みつくように大量の鎖が地面から伸びている。
その棺の中心には
「あの紋章は…どこかで」
しかしそれを確認する間も、経過を上に報告する間もすらないという現状に、アゥラネルは歯噛みする。
棺までおよそ50メートルの位置、これ以上近付くのは危険と判断し馬の脚を止め、いつでも踵を返せるよう手綱を握る手に力を込めるが、震えてしまっておりしっかりと握れているかどうか、感覚が不鮮明である。
轟々と鳴る風と渦巻く霊子の光に、嫌な汗が背中を伝う。
その時ふと、耳にでなく心に、幼い少年の様な声が聞こえた。
『大丈夫だよ』
頬の横を通り過ぎたひと塊の霊子の光。
その霊子が、まるで語りかけて来るようにゆっくりと目の前を漂い、棺へと吸い込まれていった。
「今の、声は…」
「声ですか?このロアールには何も─」
その瞬間、空気が弾け飛ぶような炸裂音が響き、風の音、二人の会話、周囲全ての音がかき消される。
収束した霊子が作り上げた棺は、音と供に光となって爆散した。
その中から顕れたものは案の定、霊子測量者でもないアゥラネルであっても怖気がする程の密度の、人の形をした霊子。
それが爆発の衝撃により作られたクレーター、霊子の光が舞い散るその壇上へと、ゆっくりと降りてくる。
正直に言えば、アゥラネルはその幻想的な光景が怖かった。
己の義務感や正義感などなければと思う程には、この場から逃げ出したい気持ちを歯を食いしばって抑え込んでいた。
しかし何故か、ゆっくりと降りてくる人型の光が頭を、腕を、胴を、脚を、紺色の髪を、御伽噺に描かれる様な美しい装飾の、白銀色をしたドレス状の鎧を作り上げていく様に、言いようのない安心感を覚え──
「アゥラネル様!!」
彼女は、ロアールの制止の声を振り切り、馬を降りてクレーターの中心へ駆け出していた。
『大丈夫だよ』
あの霊子から聞こえてきた声のせいだろうか。
その意味を理解したとは言えない。
はっきり言えば、何もわからない。
わからないが、幼い頃暗闇からようやく抜け出して、母に抱き締められた時の様な暖かさを感じ、それに縋るように、降りてくる“彼女”に手を伸ばす。
「危険です!お嬢様!!」
気が付けばアゥラネルは、何故か溢れ出る涙を拭うこともせず、“彼女”を抱きしめていた。
理由は、やはりわからない。
わからないが、それでも言える。
馬を降り駆け寄ってきたロアールに向けて、彼女にしてはとても珍しく、理屈も理論もなく、ただ安心させるように告げる。
「大丈夫、大丈夫なのです、ロアール。
この子は、この人は…」
「アゥラネル様…」
この日起きた霊子事象は特に被害もなく、“謎の現象”としてアゥラネルから王国に伝達された。
結果そこから産み落とされた“彼女”の存在は秘匿されたまま。
『見えているかい、リシュト・ラウレリアド。
君にとって、“今回の”彼女が祝福であることを祈るよ。
きっともう、これが最後だからね。』
王国と帝国の国境、最北端に位置する村、アイウス。
その西門から、一つの小さな霊子の塊が、空へと向けて消えて行く。
幼い少年のような声が、誰も居ない西門の空に響く。
『もう、残された時間は少ない。
彼の遺した道も消えてしまう。
ねえ、祝福された子。
僕に出来ることは一つだけだ。
きっと、たどり着いてね。』
──二日後──
村の中心に位置する大きな屋敷の書斎。
アゥラネルが座る席には大量の書類が積まれており、尋常ではないスピードで目を通しては必要項目へペンを走らせ、机の空いたスペースへ積んでいく。
「“彼女”が目覚めたのですね。」
手を止めぬまま問い掛けたアゥラネルに、一昨日の事象により顕れた“彼女”についての報告書類を手にした、席の隣に立つ執事ロアールが返答する。
「ええ、オーギン医師からは、受け答えもはっきりしていると。
ただ、現在の状況が飲み込めず、困惑している様子であると報告を受けております。
今は食事を与え一人にさせておりますが、医師は、ここからはアゥラネル様の判断を仰ぎたいと。
いかが致しますか。」
「そうですね、私も彼女とは一度話をしてみたいと思っていたのです。
会いに行きましょう、すぐ行きましょう。」
「まぁ…そうでしょうね」
会話を終えるや否や、書斎に広げた書類を纏め始めたアゥラネルを見て、ロアールは嘆息する。
二日前、“彼女”を馬に乗せ屋敷まで運ぶと、侍女たちに着替えさせ医者を呼び、すぐに中央への報告と執務に取りかかってくれたのはいいが、それから今に至るまで仕事中もずっとそわそわしっぱなしであった。
口を開けば彼女の様子を確認したい、見に行くべきかと問われ、先程もその会話をしたと窘めれば、では今はどうかと聞かれる始末。
冷静を保とうとしているようだが、どうもあの顕現した少女の事になると、主人のIQが極端に下がっているようにしか思えず、かつ敵国の何らかの罠の可能性を頭から拭えない執事としては、もやもやとした二日間を過ごしていた。
主人が言うように安心していい存在なのか、見定めなくてはいけない。
彼女の身に何かがあっては、恩義あるアゥラネルの両親に申し訳が立たな
「あちょっ、おもまっ、お待ちくださいアゥラネル様!」
アゥラネルは有能である。
どれだけの速度で片付けた書類であっても、雑な仕事は絶対にせず、二重のチェックすら絶対不要な域である。
だが、では今も大丈夫だとは到底思えない。
何故なら
「ぬんぶっ!」
ないもん。
開ける前の扉に頭から突っ込んでぶつかるとか、幼少の頃から一度もした事ないもんアゥラネル様。
凄い音がして侍女引いてるもん。
「駄目かもしれないなこれは…。」
額に手を当て天井を仰ぎ見るという、粉骨砕身執事として働いてきた20年の中で初めての動作をしている事に気付かぬ程、ロアールも困惑していた。




