陸:悪魔の魔法
アラストルが帰って来たのは、俺が自宅マンションに戻ってから三時間後だった。
剣呑な表情で室内に入るなり、彼は重々しく嘆息した。
「厄介なことになりました」
「厄介?」
「調査の結果、遠藤の周りに悪魔の気配を察知することはできませんでした」
「それは、どういうことなんだ?」
悪魔の事情は俺には俺にはよくわからない。
目を瞬く俺に、アラストルはゆっくりと口を開く。
「私の魔法を阻害した悪魔の正体が掴めなかった、ということです」
「じゃあ、俺の依頼した復讐は?」
「契約上、一定の効果が出なければそれは遂行とは認められませんので、私の魔法が阻害されたとあれば、何度でも実行することになりますが……今のままでは何度やっても同じでしょう」
アラストルは苛立った様子だ。どうやら、自身の魔法が邪魔されてプライドが傷ついたらしい。
「……冥界悪魔協会に所属している悪魔は、自分が契約している人間の安全を最優先とします。当然、場合によっては競合が発生します」
安全が最優先、競合が発生、なんだか聞き覚えのある言葉だ。
しかしながら状況はまったく理解できない。
「競合が発生した場合は、どうなるんだ?」
「悪魔の実力勝負、ということになります」
「実力、勝負……?」
「人間界において、悪魔が人間を傷付けることは冥界契約法によって禁止されていますが、悪魔同士の場合はその限りではありません。ただし、悪魔が人間界で魔法を行使するには、契約者の許可が必要となります」
「えっと……要は、アラストルが、俺の許可の下で魔法を使って、その魔法を邪魔している他の悪魔と戦う、ってこと?」
「そうなります」
あっさりと肯定されて拍子抜けするが、アラストルの紅い瞳が、とても鋭い光を帯びていることに気が付いた。
「……アラストル?」
「……どこのどなたかは存じませんが、私の経歴に傷はつけさせませんよ。絶対にね」
彼はそう言って、凄絶に笑う。
ああ、コイツはやっぱり悪魔なんだ、と、本能が畏怖に震えるのがわかった。
何だろう。彼は何かした訳じゃなく、笑っただけなのに、赤黒いオーラが見えた気がした。それは、人間では絶対にありえないもモノ。
「……暁人、どうか、魔法の使用許可を」
「え、何の魔法?」
つい反射的に尋ねた俺に、アラストルは凄みのある笑みを浮かべたまま答える。
「私の魔法を妨害している悪魔を、ぶちのめす魔法です」
「ぶ、ぶちのめす……」
アラストルの綺麗な顔と気品ある雰囲気からはかけ離れた言葉に、思わずオウム返しで呟く。
まぁ、悪魔と悪魔の戦いなら、いいのかな。よくわからないけど。
「い、いいけど……」
「ありがとうございます。では、参りましょうか」
言うや、彼は俺の襟首を引っ掴むと、窓を開けて虚空へ飛び出した。
「ちょっと待て、ここは四階ぃぃぃっ?」
落下する、と思った直後、ふわりと謎の浮遊感に見舞われる。
「……あれ?」
痛くない、と思って目を開けると、アラストルと、彼に襟首を掴まれた状態の俺は、空中に留まっていた。
「悪魔ですから、魔法を使わずともこのくらいはできますよ」
ふっと嘲るように笑って、彼はそのまま重力を無視して足取り軽く歩いて行く。
「人に見られたらどうするんだよ!」
「ご心配には及びません。今は姿を透過しておりますので、普通の人間には我々の姿は視認できませんから」
そういうものなのか、と妙に納得してしまった。
つまり、空を飛んだり姿を消したり、そういうのは魔法を使わずにできるのか。便利だな。
そんなことを考えたのも束の間、アラストルは俺の襟首を掴んだまま、空中を進んでいき、やがて会社入ったビルに到着した。
直線で行けるとこんなに速く行けるのか、と密かに感動する俺だが、それを口にする間もなく、アラストルは窓に張り付くように中を見た。
俺が辞める前と何一つ変わらないオフィスには、小坂先輩や遠藤を始め、多くの社員が席に就いて仕事をしていた。
俺がいなくなっても、何も変わらない。
その事実が俺の胸に刺さる。
「念のため確認ですが、遠藤は三列目の通路側に座っている男ですね?」
「ああ、そうだけど……」
「暁人、魔法の使用許可を」
「何の魔法?」
「遠藤を呼び出します」
「呼び出す……?」
それだけならいいか、と思って許可を出すと、アラストルは右手で窓に触れ何かを呟いた。
そして、手を放すと上昇して、ビルの屋上に俺諸共舞い降りる。
「……何をしたんだ?」
「呼び出しただけですよ」
アラストルはにっこりと微笑むが、なんだか寒気がした。
と、数分後、息を切らせた遠藤が屋上にやって来た。
「山崎……!」
遠藤は俺を見て愕然としている。
それから、俺の隣に立つアラストルを見て、忌々し気に舌打ちした。
「……まさか、お前も悪魔と契約していたとはな……!」
その一言で、奴もまた、悪魔と契約したのだと確信する。
「マモン!」
遠藤は虚空に向かって呼びかけた。
直後、陽炎のように空気が揺らぎ、そこに一人の青年が姿を現した。
見た目は二十代前半くらいで、生え際が黒い金髪、深紅の瞳、服装は着崩したスーツ姿で、先の尖った革靴を履いている。
なんていうか、安っぽいホストのような男だ。
その男の顔を見て、アラストルが心底嫌そうな顔で吐き捨てる。
「……貴方でしたか。私の邪魔をしたのは」
一方で、遠藤にマモンと呼ばれたその男は、アラストルを見るなりぱっと表情を明るくした。
「アラぽん! 超久しぶりじゃん! 元気だったー?」
アラぽん、この超インテリ系のアラストルをそんなあだ名で呼ぶとは。
マモンとやらは、恐れ知らずな悪魔らしい。
「……知り合いだったのか?」
「ええ、彼は強欲拡張マーケティング部所属のマモン。私と同じ、冥界悪魔協会に所属する悪魔です」
強欲拡張マーケティング部。
なんだろう、この人間界臭い響きは。
アラストルが所属しているのは、確か復讐支援サービス部だっけ。
「その人間がアラぽんの契約者? なんか地味だねぇ。あ、俺に何か用だった?」
飄々とした態度で尋ねてくるマモンだが、一瞬、目の奥に鋭い光が視えた気がした。
「貴方が私の魔法に干渉したようなので、ぶちのめしに来た次第ですよ。覚悟はよろしいですか?」
アラストルが一歩前に出る。
その瞬間、「魔法の使用許可を」と聞こえたので、俺は「許可する」と即答したのだった。
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