壱:悪魔召喚
その日、俺は妙に疲れてしまい、シャワーを浴びてすぐに眠ってしまった。
泥のように寝て、気が付いたら翌日の昼を過ぎていた。
「やべ、寝すぎた……!」
仕事に遅刻する、と焦った直後、退職届を出して退職日まで有給消化が認められたことを思い出す。
「……そうだ、俺、もう無職だった……」
溜め息を吐いて、床に落ちていた古い本に目を留める。
昨日訪れた不思議な店で、美人な店主に押し付けられた本。
「何の本なんだろう……日本語じゃないな」
表紙に掛れた文字が読めない。知っている言語ではなさそうだ。
革のような質感の硬い表紙を捲る。
「……あれ? 悪魔、召喚……対価……?」
知らない文字なのに、何故か意味がわかってしまった。
本を開くと、左側にはびっしりと文字が、右側には大きな手形と魔法陣のような図が記されている。
「……復讐、手、手形に、置く……?」
復讐のために、悪魔を召喚するのだろうか。
俺の脳裏に、遠藤の勝ち誇った嫌な笑みが浮かぶ。
何故か知らないはずの字が読めてしまう不気味さと、好奇心。
ほんの少しだけ、好奇心が勝ってしまった。
俺は右側のページの手形に、自分の右手を重ねた。
刹那。
かっと光が迸り、目が眩んだ。
「っ! なっ?」
驚いて顔を上げて、更に絶句する。
目の前に、黒いスーツを着た男が立っていたのだ。
百九十センチ近くありそうなすらりとした長身に黒髪、不健康そうな青白い肌と、血を吸ったような紅い眼をしていて、銀縁の眼鏡を掛けている。
イケメン、というより美人という表現がしっくりくるくらい、とにかく滅茶苦茶綺麗な顔をしている。
その男は、俺を見てすっと優美な仕草で一礼した。
「お初にお目に掛ります。私は悪魔のアラストルと申します」
「あ、悪魔……?」
「ええ。おや? もしや知らずに私を召喚したのですか?」
「は、はい……本当に、悪魔を召喚したのか……?」
玄関のドアも、窓も、鍵は掛かっている。この男が俺が本に手を置いた瞬間にフラッシュを焚いて突然現れるなんて不可能だ。そもそも俺が住んでいるマンションは四階で、そう簡単に入り込める場所ではない。
「ええ、本当ですよ。紛れもない現実です……さて、私は無駄なことが嫌いなので、早速本題に移りましょう」
彼はそう言うや、ぱっと手品のように何かを出した。
テレビのクイズ番組とかでよくみるパネル、フリップのようだ。
「まずは簡単に、プランのご説明をいたします」
「ぷ、プラン?」
「はい。ご主人様は、復讐がしたくて私を呼び出したものと存じます。その復讐プランです」
眼鏡のブリッジ部分を押し上げながらそう言うと、彼はフリップを捲った。
捲ったフリップはすっと消える。魔法だろうか。悪魔だもんな。
既に俺は目の前の男が悪魔であると信じ切っていた。
いや、これを疑う方が難しい。
それに、なんていうかこのアラストルとかいう自称悪魔、纏っているオーラみたいなのが凄いんだよな。とても俺と同じ人間だとは思えない。
「まずはプランA、スタンダードプランです」
そう言って示したフリップを見て、俺は思わずひゅっと息を呑んだ。
何だろう、物凄い既視感。
俺が普段作っていたプレゼン資料と同じような構図をしているのだ。
本は読めない字で書かれていたが、フリップはちゃんと日本語で書かれている。
「対価は寿命五十年、復讐対象を事故に遭わせて殺害、もしくは脊椎損傷させて寝たきり状態になるようにします」
おお、流石は悪魔、言うことがエグい。
「次に、プランB、プレミアムプラン。対価は寿命八十年。復讐対象を不治の病に掛け、長期間の苦痛を与えた上で命を奪います」
対価寿命八十年って、もしも俺がそれを選んだら俺即死じゃん。
そう思いつつ、口を挟める雰囲気ではないので、無言で続きを聞く。
「次はプランC、お手軽プラン。対価は寿命十年、復讐対象を社会的にどん底へ陥れます。基本はこの三プランから選んでいただく形になります」
最後にフリップを捲ると、それぞれのプランの対価と効果が一覧になった表になっていた。
なるほどわかりやすい。
が、悪魔との契約って、こんな保険の契約みたいな感じで説明されるのか。
あまりに意外で固まっていると、アラストルは目を瞬いた。
「何かご不明な点がおありでしょうか?」
「あ、いや、不明点っていうか……寿命がどんなに短くても十年は短くなるんだなって思うと、踏ん切りがつかないというか……」
そもそも、ここでいう寿命って、俺はそもそもあと何年あるのかもわからない。
実は数年後に死ぬ運命にあって、お手軽プランを選んだ瞬間に死ぬ、なんてことになったりしたら流石に嫌だ。
「まぁ、人間の寿命は長くて百年、日本人男性の平均寿命でも八十一年程ですからねぇ」
俺の思考を読んだのか、それはそうだろうと言いたげに頷いて、彼はふっと手を軽く振った。
そこへ、別のフリップが現れる。
「そんなご主人様には、こちらをご提案させていただきます」
どん、と俺の前に出したフリップには、「カスタムプラン」と書かれていた。
「カスタムプラン……こちらは、ご自身で対価を決められます。それに応じて、こちらができる復讐の提案をする流れになります」
「へぇ……じゃあ、例えば寿命一年だったら?」
「一年程度ですと、せいぜい一日に何度か転ばせたりタンスの角に足の小指をぶつけさせたりするくらいですね」
一年でそれか、割に合わな過ぎるだろ。
と思っていると、彼はフリップを一枚捲った。
「寿命では困るということでしたら、他に影を頂くことで対応も可能ですよ」
「影?」
「ええ。影は魂の一部とされていますからね。ああ、影を頂いても寿命が縮むことはありませんのでご安心ください」
「じゃあ、影を取られたら俺はどうなるんだ?」
何も変わらないなら、こちらはノーリスクで復讐を遂げられるということになる。
悪魔相手にそんな美味しい話はないだろうと思いつつ、回答を待つと、彼はさらりと真顔で答えた。
「人間が影を奪われると、光が当たっても足元には影ができなくなり、鏡や写真にも映らなくなります」
「鏡にも写真にも映らないっ?」
それじゃあ幽霊みたいな扱いになってしまう。鏡や写真に映らないなんて、今の時代じゃあとんでもなく不便だ。
「ええ、ですので、現代の人間はあまり影を対価には差し出しませんね。残りの寿命が短く、寿命と併せて影を差し出す方は稀にいらっしゃいますが……」
いやいや、どちらにしても割に合わないだろ。
そんな俺の考えが顔に出たのか、アラストルは俺を見て小さく嘆息した。
そしてそのフリップを消すと、にやりと笑う。
「ご不満のようですので、もう一つご提案いたしましょう」
その笑みに、なんだか嫌な予感がした。
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