女神、マジに惚れさせてみた。
レイナ・ソラリスは夢を見ていた。
それは、この国の少女なら誰もが一度は見る――
白馬に乗った王子様が、自分を迎えに来てくれるような、お伽噺みたいな夢だった。
「ねぇ、どうしてお外に出ちゃダメなの?」
そう父に尋ねたのは、いつのことだったか。
レイナは王家の血を引く姫だった。
窓の外で遊ぶ子どもたちが、ずっと羨ましかった。
それに比べ、自分は剣の修行と礼儀作法の勉強ばかり。
本当は、全部脱ぎ捨てて外に飛び出してしまいたい。
でも、家がそれを許してくれない。
――ずっと、縛られてばかりの人生だった。
「お父様、私のことはいいです」
「そういうわけにはいかん。いつ異世界人が襲ってくるかわからん」
レイナにとって父は、尊敬と嫉妬が入り混じった存在だった。
若い頃、この世界へ【転移】してきて、数々の試練をくぐり抜け、大魔王を封印した英雄。
その旅の中には、ちゃんと“恋”もあったらしい。
そして、その“恋の相手”こそが今の母だと知ったときの、あのむず痒さと言ったらない。
「はぁ、私も恋ぐらい――」
「今フラグを立てるなあああああ!!!!」
「ふ、ふらぐ?」
時々、父はこの世界の言葉ではない単語を平然と口にする。
そんなことをしている間にも、【神界転移】の準備は着々と進んでいた。
淡く水色に輝く巨大な魔法陣。その中央に、時空の女神が静かに立っている。
その表情はどこか虚ろで――それなのに、目を離せないほど美しい。
まるで、この世界に未練を残しているかのようだった。
レイナは昨日、剣の神が話しているのを偶然聞いてしまっていた。
「時空の女神が惚れてしまっていた」と。
あんな“神様”でも、恋をするんだ。
その事実に、レイナの胸は少しだけ弾んだ。
けれど、剣の神の口ぶりから、それが許されざることなのだと察する。
だからこそ、レイナは女神に妙な親近感を覚えてしまった。
――もし、自分にもそういう相手ができたら、どうするんだろう。
お互い好きで好きでたまらないのに、立場がそれを許さなくて。
「きゃあっ!」
想像しただけで、頬が真っ赤になった。
「どうしたレイナ! 異世界人の精神攻撃か!?」
そうしたらきっと、なにが何でも会いに行くだろう。
恋を邪魔するなんて許せない! 殺してやる!
「殺してやる!」
思わず、口に出ていた。
「うわあああ! うちのレイナが何者かに侵されている!」
深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
……いたら、の話だ。
まず、自分なんかを好きになってくれる男なんて、そうそう――
その瞬間、鋭い破砕音が教会の静寂を引き裂いた。
舞い散るガラス片が光を反射し、青白い輝きが床に散る。
誰かが息を呑み、ざわめきが広がる。
今は儀式の最中――しかも神々が関わる聖なる場。
本来、侵入者などありえない。
徹夜で警備を張り巡らせた父の顔を思い出し、レイナは息を呑んだ。
そして、その侵入者は、まるで散歩にでも来たような調子で言った。
「時空の女神・スフィを攫いに来た。
えーと、どこいる?」
一瞬、目が合った。
電流が走る。
かつて雷魔術への耐性訓練で受けた衝撃――それの倍以上の感覚が、全身を貫いた。
レイナの喉が、ひゅっと音を立てる。
――あれ、この胸の高鳴りは?
――
――死ぬところだった。
「時空の女神・スフィを攫いに来た。
えーと、どこいる?」
レンは教壇の上に、奇跡的に着地していた。
周囲を見渡せば、兵士、兵士、兵士、王様っぽい人、姫騎士っぽい人――そして。
「レン……?」
背後から、小さな声が聞こえる。
「いた」
痺れる足を動かして教壇を降りる。
魔法陣の上を踏み、スフィの前に立つと、その手を取った。
「攫いに来たよ」
スフィは、何かを言いかけたように唇を震わせ、困惑した瞳でレンを見つめた。
ステンドグラスの細かな破片が、まだ宙を漂っていた。
それらは光を受けてきらめき、女神と侵入者のまわりを包み込む。
まるで世界に二人しかいないような――そんな錯覚を覚えるほどに。
「レン・コバヤシィ! まだ懲りぬか!」
アルディウスが、怒声とともに剣を抜いた。
「走れる?」
レンは短く囁き、スフィの手を握ったまま走り出す。
光の粒が、二人の後を追うように舞った。
しかし、アルディウスは圧倒的な速さで先回りし、鋭く剣の切っ先を向けてきた。
「いい加減にしろ! スフィには重要な役目がある!
ここで貴様のような奴に渡すわけにはいかんのだ!」
「役目?」
「そうだ! 命と引き換えに、大魔王を倒す異世界人を召喚する!
この上なく光栄な役目だ!」
――命と引き換えに。
それはつまり、「死」を意味していた。
そこで、ようやく理解する。
あの夜、スフィが泣いていた理由を。
そして、あの問いかけの本当の意味を。
握っていた手が、そっと振りほどかれる。
「わ、私――行かなきゃ」
その瞳は震えていた。
その握りしめた拳は震えていた。
その足は震えていた。
数日だけれど、レンは彼女を理解していた。
王都を歩きながら見せた笑顔。
冒険者ギルドで、Fランクに不満をこぼしていた姿。
騎士団長に怒られて、ふてくされた横顔。
ミーニャに優しく手を差し伸べたときの、あの穏やかな微笑み。
豪邸を買ったときに呆れていた、あの表情。
あの夜に、僕にしか見せたことのない表情。
――神でありながら。
それはどこにでもいる、ひとりの女の子だった。
レンに黒い感情が湧き出てくる。
その感情の名前は知らない。
ただ、一人の女の子の死を望む、こいつらの顔をよく覚えときたかった。
「ならば全員覚えておけ。僕が大魔王を殺す」
教会内に、静かな声が響く。
「何回大魔王が復活し、何回その度召喚術者が死んだのか。
それが何年続いてるのかは知らない」
怒りを抑え込む。
「どれだけ魔王が、大魔王が強いのかも知らない。
この世界にどんな国があって、どんな大陸があるのかも知らない」
――ああ、だけど。
「だけどさ! どんな壮大な背景があったとしても!
一人の女の子を縛って、物みたいに扱って、その気持ちも知らずに『世界のために死んでください』なんてダメだろ!!」
何いってんだ。
「一人も死ぬなとか、犠牲は出すなとか、綺麗事言ってるのはわかる!
そういう世界じゃない……だけど、じゃあ僕が!」
涙を大量に流しながら言う。
言ってやる。
スフィを殺そうとした、腰抜けのお前らに!
そして、自分を殺そうとしたスフィに!
「――じゃあ僕が救ってやる!
スフィと、この世界をだ!!」
スフィの瞳が大きく見開かれる。
淀んでいた光の奥に、一筋の輝きが差し込む。
止まっていた時計の針が、急に動き出したかのようだった。
押さえ込んでいた感情が、一気に溢れ出す。
胸が苦しくて、呼吸がうまくできない。
アルディウスの顔が歪む。
「貴様! なにも知らぬ異界の者のくせに!!」
アルディウスは受け入れられなかった。
この男が言いたいことを、受け入れられなかった。
対抗したくなった。
自分の太刀筋も追えてなさそうな男に。
大々的に、王がいるこの場で「世界と女を救う」だなんて、劇の主役みたいなこの男を。
――俺は、なにもできないのに!
「――ぁぁぁああああ!!」
感情をぶつけるように、アルディウスは剣を振りかぶる。
いつだって、彼は“傍観者”だった。
大魔王の【瘴気】に触れられないから――
異世界人に任せるしかないから――そう言い訳して、なにもしてこなかった。
――否、それは言い訳だ。
本当は違う。
この男のように、死ぬしかない時空の女神に寄り添って。
その声をちゃんと聞いて。
それを叶えるために動くことだって、できたはずだ。
それをしなかった。
自分が、弱かったからだ。
剣先が、レンの首に届かんとした瞬間――澄んだ金属音が教会内に響いた。
「異世界人! 助太刀いたす!」
可憐なポニーテールが揺れる。
白銀の鎧に身を包み、日本刀のような剣がきらりと光る。
凛とした碧眼が、剣の神を真っ直ぐに見据えていた。
「な――レイナ殿!」
教会内にざわめきが走る。
王女であり姫騎士であるレイナ・ソラリスが、剣の神に刃を向けていた。
誰も、予想していなかった事態だ。
「これは命令だッ!」
澄んだ声が、石造りの天井に響き渡る。
「誰もこの異世界人と女神の――
恋をする男女の中を切り裂くなぁああああ!!
殺すぞぉぉぉおおおおお!!!!」
女性のものとは思えない野太い咆哮。
その気迫に、教会内の空気が一瞬で凍りつく。
誰もが声を出すのを、呼吸を拒んだ。
「うぇえええ! レ、レイナ! え、えええ!?」
ただ一人、王だけが情けない悲鳴を上げている。
「同意見だ! そこの冒険者――異世界人には一度命を救われた。
彼には、不思議な力がある」
椅子に座っていた騎士団長が、静かに手を挙げて言った。
一触即発。
神に味方するか、王家に味方するか――兵士たちの心が揺れ動く。
そのとき、ドタバタと慌ただしい足音が鳴り、兵士が教会へ駆け込んできた。
「ほ、報告があります! 城を警備する兵が、一人漏れなく――き、気持ちよく眠っています!!」
「なにぃ!? 一体どういうことだ! 徹夜で組んだのにぃいい!」
王の叫びがこだまする。
「起きた兵に話を聞くと、『血を吸われた! でも気持ちよくて眠ってました』などと!」
レンの口元が、くいっと上がる。
彼は、目の前の女神に手を差し出した。
「走れる?」
今度は、スフィがその手を強く握る。
レンもまた、二度と離さないとばかりに握り返す。
「はいっ!」
「行け!! 異世界人!!」
レイナの号令と同時に、レンとスフィは一気に走り出す。
報告兵の横を駆け抜け、教会の外へ。
城の廊下を走り抜け、道中で倒れて眠っている兵士たちを飛び越えていく。
――こんなことしたら、もうこの王都にはいられないな。
さらに走り抜けると、中庭のような開けた場所に出た。
――ここなら、飛べる。
「【愛人契約:召喚ルーシェ】!」
足元に、短く魔法陣が浮かび上がる。
そこから、翼の生えた小柄な少女が飛び出してきた。
「作戦成功だ! そしてルーシェもナイスだ!」
「だろう!? 久々に生き血が吸えたから妾も満足だ!」
ルーシェがちらりとスフィに視線を向ける。
「おい女神とやら! 帰ったら言いたいことが沢山あるから、死にたくなければちゃんと妾の足に捕まってろ!」
「え――」
その瞬間、ルーシェの翼が大きく広がる。
巻き起こる風に乗り、三人の体が宙へと浮かび上がった。
スフィが小さく悲鳴を上げる。
だがすぐに、それは笑い声へと変わる。
「来る時、こうやってガラス割ってきたの!?」
「ああ! 死ぬかと思った!」
見下ろせば、夜の王都の灯りが一望できた。
だが、高所が大の苦手なレンには、とても下を見る勇気はない。
「あはは! バカみたい!」
レンもつられて笑う。
「バカじゃない! ちゃんと証明しただろ!」
――あの夜の約束を。
「それはそうとして、バカなものはバカ!
それにまだ達成してないでしょ、大魔王を倒すの」
「絶対倒す!」
不思議と、その言葉だけは胸の奥に沁みた。
不可能だと思っていたはずなのに。
今は――世界の誰よりも信じたくなる言葉だった。
――
「大魔王様」
地下深く、湿った空気が漂うどこか。
「――」
「準備が整いました」
禍々しい霧が立ちこめている。
それは人間が【瘴気】と呼ぶものだった。
「ですが、本当にいいのでしょうか」
「――」
「わかりました、では開始します」
声の主は暗闇へと溶けていく。
静かに、誰かが笑った。
その笑みは、混沌への扉を開く合図のようだった。
――その日。
時空の女神、剣の神、最高神を除くすべての神々が――
消滅した。
――
ガタ、ゴト。
馬車が揺れる。
窓の外には、乾いた風に揺れる丈の低い草。
その向こうには、地平線まで続く赤茶けた荒野が広がっている。
ところどころに転がる岩塊が、夕陽を浴びて鈍く光っていた。
「あ、あの。どこまで向かえばいいんですかね」
馬車の御者が声をかけてきた。
だが、乗客はそれを無視する。
「――男の匂いがする」
「は、はぁ?」
「男のぉおお!!! すんごいぃいいい!!! あたしぃいいい!!! もうぬれ――」
彼女の持つスキルは【ラブ・ザ・ハンド】。
触れただけで相手を惚れさすことのできる効果を持つ。
彼女の名は、ヴァレン。
一応、世界最高レベルである。
ヴァレン
レベル:609
スキル:【ラブ・ザ・ハンド】
一章完結しました。
まだ不慣れな文字で申し訳ありません。
視点がぶれてしまっているところがあります。
この先書くかどうかは、お読みくださった皆様の声を聞いて決めます。
面白かったらブックマーク、評価、感想ドシドシ送ってください。
特に「ここがわかんなかった」「こういう表現は違う」などの指摘感想はドシドシ送ってください。学びになります。
それと同じく「ここがマジおもろい」「もっとこういうの書いてくれや」「女ァ!」などの感想は励みになり、次章も書いちゃうかもです。
目標として、総合評価一万ポイントで確定書こうと思ってます。
よろしくお願いします。




