剣の神、げきおこ。
今日は一気に三話投稿します。
シミひとつない天井が目に映る。
左右には、猫耳をぴくぴく動かしながら寝息を立てる獣人と、腹を出して豪快に寝ている吸血鬼。
昨日は“全員で川の字になって寝よう”なんて話になった。
理由は単純――ベッドがひとつしかなかったからだ。
上体を起こす。
「……トイレ」
寝ぼけた声を漏らしながら、寝室を出る。
薄明かりの廊下を歩き、扉を開けては首を傾げる。
「どこだっけ……ムダに広いなぁ」
ぼやきながら階段を降り、一階のリビングへ足を向けた。
すると――
月光を背に、女神がひとり佇んでいた。
「……レン?」
振り返ったスフィの目元は少し赤い。
声もかすれていて、泣いたあとのようだった。
「どうした?」
その一言が、思わず口をついて出る。
いつもより弱々しい彼女の横顔に、なぜだか目が離せなかった。
「なにも。寝れなかっただけ」
「……そうか」
それだけ言って、レンはゆっくりと台所へ向かった。
棚から茶葉を取り出し、マグカップを二つ並べる。
湯気の代わりに、水面だけが静かに揺れた。
「こういう時【炎魔術】とかつかえたらな」
小さく呟く。
色々思うが、スキルで一番役に立つのは炎系だと思ってる。
「冷たいままだけど、ほら」
マグカップを一つ渡す。
女神は驚いたような表情を見せ、それを受け取る。
「……ありがとう。優しいのね」
「少し気になっただけだ」
「そう」
なにがあった? などと普通に聞いてもいいのかな。
レンはそう戸惑ってしまう。
しかし、沈黙を破ったのはスフィの方だった。
「もしも、の話なんだけど。
ある少女が死ぬ予定で、だけどある人に救われて。それについてっちゃって。でも世界にとっては少女が死ぬほうが都合は良くて……。少女はどうしたらいいのかな。
な、なんて。こんな事言われてもわかんないよね」
目線を一瞬こっちに向け、すぐに伏せる。
「ごめんね」
レンは考える。
「世界を取るか、一人を取るかってこと?」
「……うん」
「そんなの一択だろ」
ビシッと一本指を立てて言ってやった。
「どっちも取れる方法を考える!」
すると、スフィは少しして吹き出した。
「あはは! バカみたい」
「バカじゃない」
「バカじゃない? じゃあ、証明してみて」
「証明? どうやって?」
「私が死にそうになった時、私が死ななきゃいけない理由も含めて、救ってみて」
「はっ。簡単だね」
目を見開く。
「ほんと? じゃあ私もレンにそうしてあげる。
はい、これ」
スフィは飲み終わったマグカップをレンに渡す。
「先、寝室行ってるね。少し楽になった、ありがとう」
「ああ」
そこで急激に尿意が迫ってくる。
「う! やば――」
――そうだ。おしっこしに来たんだった。
――
「なにこれ」
朝起きたら、家の庭にモアイが生えていた。
「我名は剣神・アルディウス!
これは何たる運命か、我らがアイドル時空の女神・スフィ! それとそれを奪いし憎き異世界人!」
なんと、置物だと思ったモアイは喋るのである。
異世界、すごい――。
――
スフィの説明によれば、剣の神アルディウスは「時空の女神を連れ戻しに来た」とのことだった。
「なんだ、このむさ苦しい男は」
とりあえず新居の来客用の部屋に通し、話を聞くことにする。
ルーシェが真っ先に噛みついた。
それにアルディウスは目を見開く。
「き、貴様は魔王の一人、ルーシェヴィア・アルカナ・クリムではないか!
それを家に招きこむ異世界人――レン・コバヤシ! 貴様はやはり不穏だ!」
「おお! 妾のことを知っておるのか! しかし勉強不足だ!
いまは魔王ではなくて……だーりんの愛人なのだ」
自分で言って、ぽっと頬を赤らめる。
「なっ!?」
剣の神がさらに目を剥いた。
「あ、あ、あ、愛人だと!? けしからん! けしからんぞ! うおおおおぉぉぉ!!」
人の家で大暴れするその様子は、とても“神”には見えなかった。
ミーニャは、軽蔑が混じった目で彼を見ていた。
「ちょっと、お兄様……やめてくれる?」
時空の女神が口を開く。
「お兄様? スフィの兄なのか?」
レンが問うと、スフィは肩をすくめた。
「腹違いのね。年はまったく違うけど、それでも兄だわ」
「スフィ! スフィ! なぜそのような汚らわしい異世界人などに――!」
その瞬間、二つの鋭い視線がアルディウスに突き刺さる。
「お兄様、レンは汚らわしくなどありません。発言の撤回を」
「殺すぞゴリラボディ。妾は怒っている」
ミーニャも、目線だけでしっかり不快感を示していた。
一瞬、剣の神がたじろぐ。
「ど、どうしたスフィ……なにかされたのだろう、この異世界人に――やはり許せん!
ならば決闘だ! 俺と決闘しろ! レン・コバヤシ!」
気づけば、話は決闘にまで発展していた。
「おお! 決闘か! 血生臭くて妾は好きだぞ!」
「やんないですよ」
「ならばレン・コバヤシ! 行くぞ!」
アルディウスは腰の剣を抜き放ち、「やあぁぁあ!」と、その場で素振りを始めた。
やめてください、迷惑です。
――
王都の外れ。
見渡す限りの平野の、ぽつんと開けた真ん中で、レンとアルディウスは向かい合う。
「この勝負に勝ったら、スフィを返してもらう」
「本当にやるんですか?」
少し離れた場所で、スフィ、ルーシェ、ミーニャがこちらを見守っている。
一人はあきれ顔で。一人は決闘に興奮し。一人は不安そうに。
アルディウス
レベル:160
スキル:――表示なし
レンは、ウィンドウにスキル欄が出ていないことに気づき、眉をひそめた。
「何を今更ッ! 男ならもっとシャキッとしろ! 外道!!」
どうやら、この決闘から逃れる道はなさそうだ。
――なら。
レンは掌に魔力を集中させる。
全身から血が抜けていくような感覚が、一気に押し寄せた。
「じゃあいいか! 妾の合図でスタートだ!」
ルーシェが腕を上げ、アルディウスは剣の柄を握り直す。
「スタートだ!!」
その合図と同時に、剣の神へ向けて一筋の血が走った。
【爆血】
スキル【血術】の派生技。
そして【愛人契約】によってコピーした、ルーシェの技だ。
「【血術】だとッ!? だが――」
アルディウスはそれをあっさりと剣の腹で弾き、直後、彼の真後ろで爆発が起こる。
一瞬、体がふわりと浮いたような感覚に襲われた。
――貧血症状か。
攻撃力は高い。だが、代償も重い。
払っているのは魔力だけではない。自分の血だ。
「斬る!」
十メートルは離れていたはずの距離が、一瞬でゼロになる。
――見えない。
「【血術】!」
レンは反射的に、血の壁を前に展開した。
しかし、その防御も虚しく粉砕され、身体ごと吹き飛ばされる。
「いっ!」
ゴロゴロと草の上を転がり、仰向けに倒れ込む。
すぐに起き上がろうとするが、体にまったく力が入らない。
完全に血が抜けきっている。
頭はぼうっとし、視界はぐらぐら揺れる。
しんどい。顔に突き刺さる太陽光さえ、痛い。
「そんなものか、レン・コバヤシ。【血術】など汚らわしいものを使いよって」
アルディウスが、立ったままレンの胴をまたぐ。
剣の切っ先が、喉仏へと押し当てられた。
赤い血が、つっと首筋を伝う。
「なんの術を使って女神、魔王、獣人を手中に収めた」
「……ぁ」
声を出したくても、血が足りず喉に力が入らない。
「――貴様、忌まわしき術を使っているな。
【血術】など、本来は吸血鬼にしか扱えぬスキル。それを異世界人が使うなど理解できぬ」
アルディウスの握る手に、ぎゅっと力がこもる。
「首を落とし、そこの魔王を斬り、獣人を保護させ、スフィを連れ帰る」
――忌まわしき術。
所詮、【ラブ・ザ・ハンド】とは、人の心を弄ぶようなスキルにすぎない。
「断罪だ」
剣が動く。
切っ先がレンの首へ食い込みかけた、その瞬間――
雷が走った。
それは比喩などではない。
甲高い音とともに剣が弾かれ、アルディウスの体がびくりと痺れたように揺らぐ。
雷光をまとった小さな影が、一直線に飛び込んできていた。
ダガーを握りしめた、獣人の少女だ。
獲物を確実に仕留めるための、迷いのない踏み込み。
その一太刀はアルディウスの首元へ届き――しかし、直前で弾かれる。
「お兄ちゃんは死なせない! 絶対!」
「き、君は……」
「もう家族を、わたしから奪わないで!」
殺意に似た感情が、剣の神へと向けられる。
アルディウスの顔に、困惑の色が浮かぶ。
しばし迷うような素振りを見せたあと、低く言った。
「どうやら、その獣人との関係だけは本物のようだ。
だが、決闘は決闘だ。スフィは連れて行く」
その言葉と同時に、剣の神の姿がかき消える。
小さな悲鳴とともに、スフィが地面に崩れ落ちた。
どうやら、剣の腹で殴って気絶させたらしい。
「魔王。動けば殺す」
アルディウスは剣先をルーシェへ向け、鋭い殺気をぶつける。
「安心せい、妾はその女神とやらに情などない」
「そうか、だがお前はいつか殺す」
冷たい宣告を残し、アルディウスは気絶したスフィを小脇に抱えて背を向けた。
「お姉ちゃん!」
ミーニャの叫びが、平野に響く。
レンは、その背中を見つめていた。
――完敗だった。
何もできなかった。
何もさせてもらえなかった。
スキルのひとつも持たないはずの男に、チートじみたスキルを使っても、指一本触れられなかった。
レンは、血の味を噛み締めるように、唇に歯を立てる。
「待て……! 僕はまだ、スフィに――」
アルディウスの姿が完全に消えた瞬間、視界が真っ暗になった。
レンの意識はそこで途切れた。
時空の女神・スフィ
状態:???
好感度???/100




