魔王、惚れさせてみた。
「ま、魔王……だと……!?」
騎士団長が、かすれた声でうめくように言った。
「ワーハッハッハ! 驚くことなかれ! なぜならば、うぬらは今死ぬからな!」
魔王――その言葉に嘘はないと、【アナライズ】がなくても直感でわかる。
この圧迫感。この緊張感。
全身の穴という穴から汗が噴き出しそうになる。
――勝てない。
ここにいる人間がどう足掻いたとしても、勝機はないだろう。
そう思わせるほどに、あの吸血鬼魔王の放つプレッシャーは凄まじかった。
「魔王だから何? 早くかかってきなさいよ」
だが、ここには女神がいた。
「弱そうなくせに吠えるなぁ。いいだろう! 妾はうぬから殺すことにした!」
魔王は掌をスフィへ向ける。
「【爆血】!!」
一筋の、血の線のようなものがスフィめがけて走った。
――死ぬ。
本能がそう叫ぶほど、その一撃には濃密な魔力が込められていた。
「【ワームホール】」
スフィが短く告げる。
次の瞬間、空間そのものがぐにゃりと歪んだ。
血の線はスフィを外れ、別の場所に開いた“穴”へ吸い込まれ――
――なぜか、魔王自身の背後から飛び出した。
「なっ――!」
鼓膜が破れそうな轟音。
続いて、夜を裂くような爆発。
立ちこめる煙の中から、右腕を失った魔王が姿を現した。
どうやら、とっさに腕でガードしたらしい。
「妾に何をした! 人間!」
「空間に入口と出口を設定しただけよ。それと――」
スフィは、吸血鬼に向けて掌を掲げる。
「時空の女神・スフィ。それが私の名前よ」
魔力が込められていく。
吸血鬼は、初めて覚える感覚に戸惑っていた。
――こんな感覚は初めてだ。なんなのだ、妾は何に恐怖している。
右腕を失った恐怖か? いや、こんなもの【血術】でどうとでもなる。
問題は、目の前の時空の女神だ。
怖い、怖い。
圧力がある。圧迫感がある。
生物としての“格”そのものが違うような――
「――ふぎゃ」
その瞬間、女神がぱたりと倒れた。
「え、おい。なにやってんの? かっこよかったんだけど」
隣にいた、冴えなさそうな男が呆れたように言う。
魔の王には状況がすぐに理解できた。
彼女は、魔力切れを起こしていたのだ。
最高神にレベルを1まで戻されたことで大幅に減った魔力量。
それに対して、身体はまだ“昔の感覚”のまま。
薄々違和感はあったが、レンに褒められたい一心で、限界以上に“頑張って”しまった。
チャンス――そう判断した吸血鬼は、そこら中に転がる騎士たちの血を【吸血】する。
みるみるうちに右腕が再生し、さっきまでの恐怖心はどこかへと消えた。
「結局人間は妾に屈するしかないのだ! ワーハッハッハ! さて、次に……」
刹那、騎士団長の体が吹き飛んだ。
「ぐわぁっ――!」
スキルの発動は、レンの眼にはまったく見えなかった。
騎士団長は失神こそ免れなかったものの、その腕の中で獣人の少女を守っていた。
だが、その腕力も限界に達し、少女は地面に転がり落ちてしまう。
「おおー! 美味しそうな血がおるではないか! どれ、味見してやろう」
獣人の少女は「ひっ」と小さく声をあげ、その場から逃げ出そうと必死に足を動かす。
だが、翼を持つ吸血鬼から逃げ切れるはずもない。
あっという間に追いつかれ、地面に押し倒され、馬乗りにされてしまった。
「いやぁ……たすけて……」
「観念するがよい人間! では、いただきま~す!」
尖った牙が、月明かりを反射してギラリと光る。
それが少女の首元へ迫った、そのとき――
「待て、ロリババ吸血鬼」
ザッ、と焼けた土を踏みしめる音が響いた。
「その子の血を吸いたければ、僕を倒してからにしろ」
「……なんだ。妾、男の血は好かん。
それか、何――妾に勝てるとでも?」
「勝てる」
男は、一片の迷いもなく言い切った。
「ク、クククク……! 滑稽だ! たしかに他の者らよりは強いようではあるが……妾と比べれば雑魚だ!」
言い終えるや否や、吸血鬼は【爆血】を叩き込んだ。
レンはもろに直撃を受け、四肢こそ吹き飛ばなかったが、体ごと向かいの家にめり込んだ。
――死んだ。
吸血鬼は本気でそう確信した。
「これで邪魔はいなくなった! さぁ、その美味しそうな血を――」
「待て、ロリババ吸血鬼」
血まみれの男が、腕を組みながら、ザッと土を踏んで立っていた。
「なっ! まさか生きているだと!? ありえない! 【爆血】を受けて立っていられるなど――」
「――僕には神をも屈服させる【手】がある」
レンは淡々と続ける。
「一度神を屈服させた時、アホみたいにレベルが上がった」
「なにが言いたい! 人間!」
「一度屈服させた対象には効果がないのかな? と思い、馬車の中で暇だったから寝ている間にもう一度屈服させてみた」
そしたらさ、と興奮気味に声を上げる。
「もう一回できた! レベルも上がった! やったぁ!」
吸血鬼は悟った。
――こいつはアホだ。
「飽きる頃には、僕は500というレベルに到達していた」
「バ、バカな! 500!? ありえない!」
目を見開く。
じゃあ――目の前の、この冴えない男は。
――世界一の化物ってことじゃんか。
「なので、この拳でお前を殴る。ほら、500レベルパンチだぞ」
レンはゆっくりと歩み寄ってくる。
恐怖で顔が歪む。
本能が逃げろと叫ぶ。
失禁しそう――というか、もうしている。
プレッシャーで押しつぶされそうだ。
なんだ。なんなんだ。
人間――侮っていた。
男の拳が、やけにゆっくりと近づいてくる。
時間が引き延ばされたように遅い。
ああ、そうか。死ぬ直前だからか。
スローになった世界の中で、妾は考える。
生まれてすぐに両親を失い、その後ずっと一人だった。
だから強くなれば、この孤独もいつか消えると思っていた。
力を持てば、分かち合える者が現れると。
しかし現実はどうだ。
繰り返される殺戮。下僕と呼べる存在もいない。孤独は埋まらない。
大魔王とやらに「君、魔王ね」と言われたことぐらいしか、嬉しかった記憶がない。
――来世があったら、恋人……ほしいなぁ。
自分で口にして、初めて気づく。
妾は、恋がしたかったのだ――
ぴとっと、肌と肌が触れ合う。
「作戦、せいこー」
ニヤッと、不敵に笑う男がいた。
その瞬間、電撃のような衝撃が全身を駆け抜けた。
身体の芯まで突き刺さるほど強く、その余韻だけで意識がくらくらしそうになる。
あ、お花畑が見える。
いや、ここがお花畑なんだ。
わはは。え? わーい。
魔の王、吸血鬼――ルーシェヴィア・アルカナ・クリムは、こうして初恋を体験した。
――
もちろん、レベル500になったなんて真っ赤な嘘だ。
【ラブ・ザ・ハンド】の効果は、重ねがけなんてできない。
さっきのは、その場しのぎのハッタリでしかない。
普通にアバラはイっている。アバラ以外も、だいぶイっている。
「え……? なによこれ」
スフィが目を覚まし、最初に見た光景は――
「すやすやねてて可愛いなぁ、わらわのだーりん、末永くよろしく~」
レンが魔王に膝枕されている場面だった。
「あ、スフィ起きた? 早速なんだけど【治癒魔法】かけてくれない?」
次の瞬間、時空の女神は、自分の恋する男に飛び蹴りをお見舞いした。
ルーシェヴィア・アルカナ・クリム
状態:初恋
好感度:100/100




