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ハイリの存在証明  作者: 黒津ケイ


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25/25

◇エピローグ2

 旭の後始末


 ◇ 2025年 1月某日


「あーーーもう、めっちゃしんどい。勘弁してほしいわ……」


 自室でひとり、椅子にもたれて天を仰ぐ。

 その膝の上には、しっぽをふりふりさせたシバが遠慮もなくどかっと乗ってきて、テレビに向かって唸っている。

 ずしりとした重みが太ももにのしかかり、息まで詰まりそうになる。あっち行き、と言いたいけど、そんな気力すら残っていない。

 視線を落とせば、透きとおった水色の瞳がこちらを見返してくる。

 清流の底みたいに澄んだ瞳。背筋をぴんと伸ばした姿は、思わず息を呑むほど凛々しい。

 ……けれど、耳の先はぴくぴく揺れていて、どうしても可愛げを隠せてへん。首に下げた俺の目と同じ色の虎目石が、またいい味を出してる。


 凛々しさは俺に似とるな。うん、さすがや。

 ――可愛いのも、まあ……仕方ないわ。


 ……って、これ自体はまだええ。

 シバが乗ってくるのは、むしろささやかな癒しや。

 ……ほんまの「しんどい」は、別にある。

 垂れ流しにしていた動画から、ニュースが耳に入ってきた。

「今日未明、東京都内のアパートで男性の遺体が見つかりました。

 ××区の一室で、この部屋に住む無職の佐藤蓮さん(二十一)が倒れているのを大家が発見し、午前5時ごろ通報しました。

 室内からは強い異臭がしていて、警視庁によりますと遺体に目立った外傷はなく、死亡から一週間ほどが経過しているとみられ──」

『俺、今頃発見されたの!? 遅くない!?』

 ニュースにかぶせるような佐藤の声が、耳の奥にずぶりと突き刺さる。

 旭はちらりと視線を落とす。床に座ってテレビを凝視しているその姿が、いよいよ腹立たしい。

 しんどい原因、これや。これ。このくそボケ。


 こいつ、あの後も、ずっとついて来とったんや。

 三城に気遣わせたらあかんから新幹線乗ってからは言わんかったけど……。

 ここまでくると「ついて来る」やなくて、「憑いて来る」のほうが正しいかもしれん。


 ――憑かれてる、やなくて、こいつせいで疲れてる。


 どっか行け言うても行かんし、あろうことか『俺、寂しい……ひとりにしないで……』とか抜かして、図々しくまとわりついてくる始末。……おまえ、俺のこと怖がってたくせに。

 俺、こいつに付きまとわれる覚えなんか一つもないんやけどな。

 いまや佐藤、堂々とテレビ見とる。悪霊のくせにくつろぐなや。

『あースナック食いてー」

 平然とぼやく佐藤に、思わず頭を抱えたくなる。

 ……まあ、幽霊になったら使える小技も色々あるんやけど。こいつにわざわざ懇切丁寧に教えてやる気は、さらさらあらへん。


『とっきーも、見つけられやんかったら、ずっとそのままやったんや。ちゃんと反省しとき』

 ――なーんて言うてる俺が、一番反省せなあかん立場なんやけどな。


 それはさておき、とっきー。たしか引っ越したとか言うてたな。

 ……まあ、そらそうやろ。事故物件の隣やなんて、誰だってごめんや。

 帰り際に「職場に持っていくのは、お詫びは虎屋の羊羹か、それとも地方の土産か」って真剣に悩んどったのは、ちょっとおもろかったな。

 あの顔は、まさしく『憑き物落ちた』って感じやったな。俺も、少しだけ安心したわ。

 け、ど、俺の憑き物は落ちてへん。


『結局、舞ちゃんが悪い人に操られてる思ったから……俺、かっこつけて三城さんに身体返したんですよ。なのに、あんな終わりだなんて、返し損じゃないですか……』

 子どもみたいにしゃくり上げる声で訴える佐藤。

 シバは低く唸り続け、その視線を外そうとしない。

 この期に及んで、まだそんなこと言うか。

「そもそも、おまえの身体やないやろ、ちょっと見た目ええ身体手に入れたからって調子乗るなや」

 まず舞にナンパした時点で論外やし、とっきーの美貌を借りてそれをやったってのがまた腹立つ。舞のこと見張っててよかったわ。そのおかげではよ解決できたしな。

 ほんま、こいつ性根が腐ってる。

 ……けど。

『おまえのせいやろ』って言われたら、否定は……できやんけどな。


 胸の奥で小さく舌打ちする。

 佐藤を責めてるつもりが、結局、矛先の先に自分が立ってる気がしてならんかった。


 ……はい、この話はここまで。これ以上突っ込まれたら、俺がしんどい。

 せやから別の話をする。

 そもそもの始まりは、たまたま見た一本の動画やった。

 画面にぼかしは入ってたけど、俺の可愛い、可愛い妹──舞の姿が映ってた。それだけで嫌な予感がして、急いで地元行きの新幹線に飛び乗った。それ以前から、妙に幽霊増えてたしな。

 そして、駅に着いてみれば、そこはまるで地獄絵図。

 幽霊だらけで、冗談抜きで足元が見えんかった。まるで御堂筋線とか都内の満員電車みたいな有様や。……それはいつもや。

 幽霊同士は互いが認識できやんからええけど、俺は目閉じようが全部見える。

 元から閉じてるやろって? うるさい。話進まんやろ。

 ホーム前に人だかりができてるみたいに、真っ白に霞んで視界すら奪われる。

 あの時は正直、視てるだけで吐きそうなくらいしんどかった。

 ……舞のこともあってな。

 三年前くらいから、舞がいじめられてたん知ってたんや。けど、俺はとっくに家追い出されてるし、舞も必死で隠そうとするから、どうにもできんかった。


 今になって思えば──巫女はずっと、舞の目を通してああいう光景を見せられ続けてきたんやろ。人間がいつまで経っても変わらんのに、嫌気がさしても不思議やない。

 ……それに、俺は前から思っとった。

 あの巫女も、ほんまは濡れ衣着せられただけちゃうかって思う。

 確証はない。けど、記録をどれだけ探しても「巫女が具体的に何をして封印されたか」なんて一行も残っとらんかった。

 それなのに、代々神職の娘の中に封じ込められてきた……。正直、俺でもよう分からん話や。


 ……けど、これは舞には言うたらあかん。

 本人すら知らんことやからな。


 だからって、全部許されるわけやない。

 理解はできても、肯定はできん。

 だってあいつ、「シアワセ」動画を通して、鏡の術で何人か間接的に殺してもうとるんや。

 最初は、きっと特定の人間にだけ害を及ぼしてたんやろうけど……。

 巫女の心の奥まで、俺には分からん。

 けどもし俺やったら。

「こんな動画に引っかかる馬鹿ども、死んでしまえ」くらい、思ってても不思議やない。

 ……いくら加害者でも馬鹿でも

 他にも犠牲者がおると知ったら、繊細なとっきーはどうなるやろ。発狂するに決まってる。

 ……黙っとこ。


 巫女のほうはと言うと、とっくに精神、壊れかけてたんやろな。

 ……そんな中、とっきーが巻き込まれてしまった。理由は分からん。けど、理不尽なもんやったことだけは確かや。

 あの帰りの新幹線、とっきーはスマホを絶対に自分へ向けようとせんかった。

 ──今になって思えば、あれが答えやったんやろな。

 推測になるけど、巫女の術は、なにも手鏡だけがきっかけやなかったんや。自分の姿を映すもんやったら、なんでもええ。水たまりでも、ガラス窓でも、電源落としたスマホの黒い画面でも。

 ほんま、人騒がせにもほどがある。


 じゃあ、天影鏡ってなにかって言ったら……昔話に出てくる真実を映す鏡みたいなもんや。

 副作用を気にせんのやったら、そこらの手鏡でも代用はできる。……せやけど、本物はもっとタチが悪い。

 ほな、なんで巫女はそれを探しとったんやろな。今になって。 早く解放されたかったのか。それとも、事件を終わらせるために、わざとあんな動きをしたんか。

 今考えられるのは、そのどっちか。


 ……いや、答えは一つか?


 考えても、巫女が消えた今。真相は霧の中や。

 ──思い返せば、もしかしたら、なんかの拍子に三城の目ぇ借りてもうて、そこに情が移ったんかもしれん。

 今はそうとしか推測できん。

 ……罪な男やなあ。


 一応、見られてる気ぃしたんで、とっきー気絶させて視界ふさいだ。対策したつもりやった。

 あとで突っ込まれたらどうしよう……と内心びくついてたけど、結局、何も言われんで済んだ。まあ、気づいてる可能性は高いけどな。

 それに、鏡を偽物にすり替えたり、大体のことは先回りして潰してきたんや。おかげで何日も徹夜続きやったけどな。


 ……それでも、灰里が殴られるのは間に合わんかった。


 結局ほとんど意味はなかった。気がする。

 まあ、あのときもそうやし、このときもそうやし──結局、一事が万事や。しゃあない言うたら、しゃあないんやけどな!


『あーーーっ! パソコンの秘蔵フォルダ消してない! やばい!終わった! どうしよ!』

「うるさいわ、ボケ!」

『死んだら自動でデータ消去する機能あったらなあ……!』

「転生より先にそっち願うなや!」


 ……ああもう。このうるさいの、無理やり浄霊してまおか。

 けど、そもそもこうなったんは──俺のせいやしなあ。


 ……笑ってる場合やない。

 胸の奥が、急に重たくなる。

 ……分かっとる。元をたどれば、悪いんは俺や。

 数年前、舞と……封印された巫女が可哀想になって、目ぇ覚まさせてもうた。

 そのせいで、親父から「二度と家に戻ってくるな」言われて……。

 ──これ以上は言わん。言うもんか。絶対にな。


 胸の奥でそう決めて、わざと口の端をゆがめる。

「……で、その秘蔵フォルダに何入ってたん?」

 重たさを押し隠すように、軽口へ逃げた。

『そういや、あの死神……まさか俺の部屋でゴソゴソしてないよな……?』

「……はあ?」

 息が詰まる。しばし言葉が出んかった。

「前も言ってたな。それって……灰里のことか?」

 ──死神、なあ……。

『い、いやだって、あいつの周りやべえじゃん……。はっきり視えなかったけど……なんか、こう……』

 情けない声で佐藤が言葉を濁す。

 ……なんや。こいつも視えとったんかい。

 まあ、死神ではない。──少なくとも、俺の知る死神じゃない。


 ◇


 思い返すのは、新大阪行きの新幹線に乗ったときのこと。

 あれが、初めて『三人』に出会った場所やった。

 一目見た瞬間から、灰里は他の人間や幽霊とは違ってた。

 直感でわかる。──本来なら、関わったらあかんやつや。

 けど、その目を覆っていたのは、灰里と同じ姿をした『黒髪』の幽霊。

 不思議なことに、灰里が三城を見るときだけ、その手はわずかな隙間を作っていた。

 そんな幽霊、今まで一度も見たことがなかった。

 とっきーの話もあって、最初はこいつらも巫女の被害者なんかと思った。


 ……けど、全然違った。


 人から離れようとしない幽霊なんて、珍しくはない。

 一緒にいたいからやったり、こっちが視えるから寂しさでまとわりついたり──大半は執着や。

 けど、あの黒髪は違った。

 そもそも「同じ顔」ってところからして、引っかかってた。

 灰里が意地を張るたびに、悲しそうに顔を歪めて。

 そして──灰里が気絶しているあいだも、目は覆わないけど片時もそばを離れんかった。

 まるで見守るように、ずっと心配そうに寄り添っていた。


「……おまえも、身体を乗っ取られたんか?」

 問いかけると、黒髪は少し悲しそうに眉を寄せ、小さく首を横に振った。


 ……なんや、ちゃうんか。

 なら、なんのためにつきまとっとるんや。

 考え込む俺をよそに、黒髪はただ、じっと灰里のそばに佇んでいる。

「……喋られへんのか?」

 もう一度問うと、黒髪はまた、静かに首を横に振った。

「なんで喋らんの? 俺はエスパーでもなんでもないで」

 返事の代わりに返ってくるのは、沈黙と視線だけ。


 ただ……俺は、うすうす気づいてしまっていたんや。

 ──あの保険証を見た瞬間に。


「……朔くん、やな」

『……』


 答えは返らん。

 ただ、黒髪の幽霊は静かにこちらを見上げるばかり。

 ──と思った、そのとき。

『……ハイリには、言わないで』

 やっとこぼれたその声は、どこか悲しそうに震えていた。

 ……胸ん中に氷水ぶちまけられたみたいや。冷たさだけが広がっていく。

 その目に浮かんでいたものが何だったのか……俺には、最後まで言い切ることができやんかった。


 ……ここから先は、全部俺の推測になってしまうんやけどな。

 灰里は自分で「灰里」名乗ってはいるけど……ほんまは、自分のこと「朔」やと思い込んでるんちゃうかなって……。


 何があったんか……聞き出したい。

 けど言わん以上、その理由を確かめることはできん。

 それに俺には、踏み込む資格がないように思えてならんかった。


 ……ただ。灰里が殴りかかってきた、あの朝のこと。

 そのとき『黒髪』が、どこか嬉しそうにしていたのは、今も強く胸に残っている。


 別れたあと、灰里が結局どこへ行ったのか。俺には分からん。

 けど……あいつらならまた、どこかで現れる気がする。


 ◇


「なあ、動画変えてもいい?」

 佐藤は幽体のまま、モニターに手を伸ばし、勝手に別の動画を再生し始めた。


 ……いつの間にそんな芸当覚えたんや。

 こいつ、幽霊に適性ありすぎや。

 まあ、三城は真面目すぎてあかん。幽霊になるにも、不器用やったんやろな。


 まあ、佐藤は元から社会で生きとったわけでもないらしいし……そういうもんなんかもしれん。

 けどなあ、ニートしてたくせに、なんでそんなに寂しがるんかは俺には分からんわ。


 それにしても……これからが大変や。


 三城みたいな幽霊なんて、多分いくらでもおる。

 加害者みたいな連中は助ける必要あらへん。けど──理不尽な理由で命を落とした奴らくらいは、せめて俺が後始末せなあかんやろ。


 そして佐藤を見た瞬間、ふっと閃きがよぎった。

 口の端がゆっくりと持ち上がり、にやりと笑みが喉の奥でこぼれる。

 ……俺のところに居座る気なら、こいつ、とことんこき使ったろ。

 それくらいは罪滅ぼしにしてもろたらええわ。

 俺の便利屋代わりくらいには、なってもらうで。


 俺と、悪霊になりたての元ニート。なんともまあ、ろくでもないコンビや。

 けど、それでええのかもしれん。

 理不尽に命を落とし、誰にも気づかれず彷徨う魂が、この世にはまだようさんおる。

 そいつらの『存在証明』の後始末を、誰かがやらなあかんのやったら。


 ……結局、俺たちがやらなしゃあないわ。


 俺は、無理やり口角を上げて、ヘラヘラと笑ってみせた。




 ……それにしても、おかしなことばかりや。


 そもそも、なんであの時、繁忙期の新幹線の予約が、あんなにあっさり取れたんやろな。




 ……ところで、俺。


 なんであの時、初対面のあいつらを、家に泊めようなんて思ったんやろな……。



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