表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハイリの存在証明  作者: 黒津ケイ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/25

◇第18話

 ◇


 三城は、巫女の安堵した顔について考えていた。

 勝ち誇りでも嘲りでもない。だが、その意味を測りかねて、胸の奥がざわついた。

「どうしたの? もう終わったでしょ?……さっさと封印しなさい」

 押さえ込まれた巫女は、もう抗う様子もなかった。ただ身体を委ねるように横たわり、旭に押さえられている。

 その唇には、かすかな笑みとも、諦めともつかぬ色が浮かんでいた。

 だが旭は、それを無理やり抑え込むでもなく、逃さない程度に押さえつけているだけだった。

「……落ち着け。おまえと話がしたいんや。なんでこんなことしたん……?」

 怒りではない。どうしようもないほど真剣な響きが、その声に宿っていた。

 だが、なぜ今、話など──? 俺には理解できなかった。

「さっき言ったじゃない。聞いてなかったの?」

「そうやない」

「……しつこい。だから人間って嫌い」

 旭は押さえ込んだまま、巫女の瞳を真正面から見据えていた。

 二人のやりとりは俺の知らない場所で進んでいく。理解が追いつかないまま、ただ胸の奥だけがざわついていた。

「……おまえ、ずっと何を見てきたんや。何を感じて、こんなことしたん」

 問いかけというより、掘り返すスコップのようだった。答えを無理やり引きずり出そうとしているように見えるのに、不思議と責める響きはなかった。

「見てたのは、あなたたち人間の醜さ。……理不尽と嘘と、そればかり。それ以上、聞いてどうするの?」

「言いたくなかったらそれでも構わんけど、言ってくれな何もわからん。俺は神でもなければ全知全能でもない」

 旭の声は、責めるでも同情するでもなく、ただ真剣だった。

「ふん……なんで察せないの? あなたの妹のことなのに」

 一瞬、場の空気が止まった。

 灰里は拳を握りしめたまま、一歩も動かない。

 爪が掌に食い込んでいる。怒りか、それとも別の感情か――俺の胸までざわつかせた。

「……舞は隠そうとするし、おまえはいじっぱりやし……なんもわからんに決まってるやろ」

 俺は知っている。この男が本当に「察していない」なんてことはない。まして妹のこととなれば。

 ――わかっていながら、それでも言葉にさせようとしているのか。

 かくいう俺は、何があったか予想はできても、断定できるほどの材料を持ち合わせていない。

「だったら一生わからないままでいなさいよ。私は言いたくない。……だから、さっさと封印してよ!」

 一瞬、声が幼く震えた。かつて普通の少女だった頃の面影が、そこに滲んでいた。

 旭は何を思ったのか、押さえていた手をゆっくりと手を放す。顔はこちらからみえない。巫女もまた、逃げる素振りもなく、玉砂利に膝を沈めて座った。痛みを受け入れるように、ただ静かに。

 今は割り込むべきではない――それだけは直感していた。だからこそ、彼らの言葉の意味を噛みしめるように耳を澄ませるしかなかった。

 彼は彼女と同じ高さで視線を合わせ、静かに言葉を継いだ。

「……封印したいんやない」

 低く、しかしはっきりと言葉を選ぶように続ける。

「おまえのやったことは許されることちゃう。でも今まで辛かったんやろ。せやから……せめて、おまえが背負ってきた痛みごと、ちゃんと終わりにしたいんや」

 舞の身体から解き放つ――旭の言葉は、そういう意味なのだと俺は直感した。

 巫女はしばらく目を伏せたまま、答えなかった。

 境内を渡る夜風の音だけが、長い間を埋めていく。

 けれどその肩がわずかに震えている。

「……っ、ずっと辛かったの……!」

 かすれた声。さっきまでの余裕や冷たさはどこにもなかった。

「……嫌だった。何もできないまま、この子の目を通して全てを見続けるなんて……!」

 言葉は次第に崩れていき、嗚咽が言葉を溶かしていった。

 やがて、声にならない泣き声だけが境内に響く。

 その姿は、もう“災いの巫女”ではなかった。

 ただ、あまりにも幼く、あまりにも無力な、一人の少女だった。


 ◇


 長い沈黙の時間が流れた。

 冷えた夜気の中、嗚咽の音が少しずつ細り、やがて呼吸に紛れて消えていく。

 残ったのは、境内の静けさと、涙で濡れた巫女の頬だけだった。

 その目は赤く腫れているのに、どこか落ち着いた色を帯びているように見えた。

「……その……巻き込んでごめんなさい」

 言い訳でも懺悔でもなかった。ただ、かつて普通の少女だった頃の声が、ふと零れ落ちただけだった。

「……あなたたちに理不尽を背負わせたのは、間違いだった。私だって、望んでたわけじゃなかったのに」

 その言葉に、胸の奥がひどくざわついた。

 俺は数日間、望まない理不尽に引きずり込まれてきた。

 なのに今、謝られてしまったら、俺はどうすればいい。怒りを吐き出すこともできず、赦す器量もないまま――それでも、その謝罪が俺の中のどこかを揺らしていた。苛立ちの奥に、どうしようもなく理解してしまう自分がいる。

 思わず口を開きかけて、すぐに閉じた。言いたいことは喉まで込み上げているのに、声にならない。

「……急に謝られても困る。けど、今更責める気にもなれない。……少しは、楽になったんだろ」

 なんとか捻り出した言葉を紡ぐと、俺は口を噤んだ。

 巫女は返事をしなかった。ただ、ゆっくりと視線を落とし、静かに目を伏せた。

 それだけで十分だった。


「……もう大丈夫か?」

 旭のその声には怒りも焦りもなく、ただ確かな決意だけがあった。

「ちょっと待って。……あと一つだけ、聞かせて」

 巫女が顔を上げた。視線は、ずっと沈黙を貫いている灰里へと向かう。

 赤く腫れた目の奥には、強さではなく、消える前に残された者へ縋るようなかすかな弱さが揺れていた。

「……彼に、一つだけ……聞きたいことがある」

 震える声で、言葉を探すように続ける。

「さっき……“生きる理由ができた”って言ってたけど……もし、それもなくなったら……あなたは、どうするの?」

「わからない」

 彼は迷いなく言い切った。

 それは投げやりでも逃げでもなく、本当にそうなのだろう。

 ……そんな簡単に答えが見つかるはずもない。俺だって、ずっと考えてきたわけじゃない。

「──でも、それでも、無理やり生きる理由を見つけて、精々生きるしかないんだろう」

 静かに告げた灰里の声は、乾いているのに、不思議と温かさを含んでいた。

 諦念なのか。それとも、まだ続けようとする意志なのか。俺には判断がつかなかった。けれど、俺自身がその答えに縋りたいと思ってしまったのも事実だった。

「そっか……。それで十分なのかもしれないね」

 巫女は小さく笑った。掠れた声は、もう泣き腫らした目を隠そうともしない、ありのままの少女のものだった。

 力を失った肩がようやく落ちて、長いあいだ張りつめていた糸が切れたように見えた。

 彼女にとっては、その言葉ひとつで十分だったのだろう。

「もう心残り、ないか」

 旭の声は低く、けれど確かめるように柔らかかった。

 巫女は短く息を吐き、ゆっくりと頷いた。涙はもう流れていない。

 その横顔には、不思議なほど穏やかな光が宿っていた。

 旭は静かに天影鏡を持ち上げた。銀の光が境内を照らし、玉砂利の粒まで白く浮かび上がる。

 巫女はその光に目を細め、かすかに微笑んだ。

「……ありがとう」

 その声は、諦めでも恨みでもなく、やっと安らぎに触れた者の声だった。

 風が頬を撫でた。ひどく冷たいのに、妙に心地よかった。俺自身の肩からも、何かが落ちた気がした。救われたなんて言葉は信じたくなかったのに、身体は勝手にそう感じていた。

 灯籠の炎が揺れ、舞の身体から緊張の気配がほどけていく。

 ただ、深い眠りに落ちるように、彼女はゆっくりと目を閉じた。

 俺の目には何も映らなかった。けれど肌を刺す夜気がふっと和らぎ、解き放たれたものが確かにあったと、身体の奥が告げていた。

 境内の空気がひとつ軽くなり、夜気に静けさだけが残った。


「……あーあ。死に損なった」

 まただ。こいつはいつも、そういう言い方しかしない。……それでも、その言葉に救われたのは俺も同じだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ