第四話
自分をジッと見つめる視線に気がつき、アリスは我に返った。『死体』という存在自体、ゲームやファンタジーなどの世界としか認識していなかったからであり、どうしても現実として認識できずにいたのだ。
そして、アリスは改めて任務と心得、待っている視線に向かって近づいた。
「はじめまして。オーテッド・データ関門士のアリス・クロニスターです。こちらはサポートロボットのハジメです」
アリスに紹介されたハジメは、儀式的に「よろしく」とあいさつしつつも、目線はずっとベッドの人物に注目していた。見えている頭や顔の部分だけでも怪我をしており、治療した跡があったからだ。
――医者の説明通り、簡単に終わらないな。
そんなハジメの様子もぼんやりとベッドの隣で立って見つめる女性がいた。この女性は事前に医者からオーテッドから担当者が来ることを知らされていた。そして、知らされた通りにオーテッドの徽章入りのジャケットを着た人物、そのサポートロボットが目の前にいる。とはいえ、万が一のことがあればキッチリと対応しなければという気迫がこの女性には感じさせる。というより、脅迫までの痛々しさと言っていい。それは、今から発せられる言葉にも感じさせられる。
「妻のアオキ・ヒナです。お願いするのは夫のヒュウガです。あの…………」
ヒナは纏っている気迫が空回りするかのように、言葉が出てこない状態だったのだ。
そんなヒナをアリスは静かに見つめている。
――無理もない。いきなり、こんな状態を見せられたら、パニックにもなるよ。
「大丈夫です。話は医者から伺っていますから。それよりも、奥様、お疲れが見えています。どうぞ、おかけになってください」
アリスはその場でハジメが入っているカゴを床に置き、手近な椅子を引っ張ってはヒナに座るように促すのだが、どことなくふらついていることに気がついた。
――これは、さっさと作業に入ったほうがいいかも。
「今からデジタル変換作業に入りますが、その前段階として、こちらでも状態を把握したいので、ご主人様をスキャンしてもよろしいですか?」
「え? ……あ、どうぞ」
その言葉を合図にアリスは床に置いたカゴからハジメを出しては胴あたりを両手でつかみ、寝ているアオキ・ヒュウガが見える位置まで持ち上げた。
「ハジメ、お願い」
「はいよ」
ハジメは顔から下の胴体から小さく開閉してスコープを出した。そして、スコープから光を照射して頭から足までをスキャンし、得た情報を語り出す。
「医者の話通り、生命維持装置で生きているといったところだね。発見状況から滑落という見立て、怪我の状態から見ても頷ける。胸を強く打ち、全身に渡り多数骨折している分、頭の怪我が少ない。この状態ならデータ生命体にデジタル変換は何とかできそうだけど、一部欠損している部分があるから、全部そのままには難しいかな」
「…………」
ハジメの話にヒナは不安そうな表情をしているが、口に出すことはなかった。というのは、どう表現すべきかわからないから黙っていよう、という様子がアリスにも見て取れたからだ。そこでアリスはヒナの不安を代弁するように質問を始めた。
「ハジメ、欠損しているところは?」
「神経が切れているのは当然として、特質箇所は視覚野だね。頭の怪我が少ないと言っても、視覚野辺りから中心に強い衝撃の跡があるから。いや、衝撃で視覚野を中心に脳の細胞が壊れたといってもいいかもしれない。細胞は……」
「ハジメ、そんなことはいいから、何とかできる範囲?」
「僕の方で壊れたところを含め全て読み込み、一つ一つパズルのピースのように繋ぎ直せば、ある程度戻るはず。あとはここの病院の技師が調整するから生活に支障はないと思うよ」
ハジメの内容を理解できただろうか、ヒナは変わらず不安そうなままだ。
アリスはそんなヒナの表情に気にしつつも準備を続けるため、両手で持ち上げていたハジメをベッドに寝ているヒュウガの顔の横に置いた。続けざま、アリスはさっき床に置いたカゴから硬質フレームを出しては電源を入れる。
アリスが持っている硬質フレームは、3800年現在ではあまり見かけないタイプの端末である。それは光の方が軽く、利便性が高いためだ。が、機密性、正確性、精密性と多くの性能を求める場合、硬質フレームが優れていることが多いため、未だに現役で活躍する場合もあるのだ。
「それでは準備に入らせていただきます。まず、最初にご主人様をデータ生命体リストに登録します。ご主人様の文身はどちらにありますか?」
「左手の甲です」
アリスは硬質フレームからデータ生命体登録を表示させると、徐に左手辺りの布団の一部をめくって左手を出し、硬質フレームの表示画面に左手の甲を触れさせた。
すぐさま硬質フレームの表示画面が登録完了と変わっていた。
「これで登録完了です。次に、ご主人様をハジメと接続させ、デジタル変換できる状態にしていきます。変換したデータはこのフレームに保存していきます。万が一の場合も万全な体勢になっていますので、ご安心ください」
アリスは、また置いたカゴから手のひらサイズの小箱を出して開けた。中身はシールみたいなパッチで、アリスはその中のブドウ一粒大サイズの白い丸いパッチを一枚出し、さっき出した左手の甲に貼り、元通りに布団を直していく。それだけでなく、アリスはヒュウガの布団一部をめくり、右手と両足首を出していった。出した右手と両足首はさっきしたこと同じように小箱からパッチを出し、右手の甲、両足の甲に貼り、元通りに布団を戻した。続けざま、アリスは顔の左右こめかみにも同じパッチを貼っていく。そして、小箱にパッチがないことをアリスが確認すると、持ってきたカゴにしまった。
「準備が終わりました。これからデジタル変換の作業に入ります。ハジメ、お願い」
「はいよ」
ここで一つ、このアオキ・ヒュウガみたいな心停止状態なら生命維持装置がなくてもデジタル変換ができるのでは、と思っている人もいるかもしれない。
けど、実際は今のように生命維持装置をつけて行なうのが3800年現在の一般的なやり方であり、理由がある。それは腐敗を防ぐためである。時間が経つほど身体中の細胞が壊れていくため、生命維持装置で一時的に防いでいるのだ。
また、アリスはこめかみだけでなく、手の甲と足の甲にパッチをつけたのも、理由がある。それは、サポートスーツに違和感なく入ることができ、スムーズに移行訓練が可能になるからである。そのため、頭の中だけでなく、隅々の身体の四肢の神経までデジタル変換する必要があるのだ。
ここで出てくるサポートスーツとは、細部まで人間の動きや形を再現した人型の機械で、データ生命体がソフトウェアとしてインストールすることで、生きている人たちと変わらない動作をサポートしているのだ。