第二話
「なんて失礼な! ハジメは犬なんだから、少しハチ公を見習ったら?」
ハジメの言葉にアリスはありありと批判的な物言いを感じてしまったのだ。
そんなイラついて出たアリスの言葉にハジメは、ぼそっと「またか」とハジメはつぶやいた。ハジメにとって、ハチ公は迷惑な話だからだ。これ以上、アリスに言わせないため、次に言うであろう言葉を口に出す。
「渋谷駅で飼い主を待ち続けたっていう伝説の忠犬を見習えって、言うんでしょ?」
「……わかってんじゃん」
当然ながら、サポートロボットは知らないことを瞬時にインターネットで調べる機能がある。もちろん、アリスもこの機能があることは知っている。
けど、ここだけの話、ハジメはそんな機能を使わずとも、ハチ公のことは大変よく知っている。というより、無理矢理覚えさせられた、というのがハジメの心情である。何しろ、何かある度に話すからだ。
「だったら、少しぐらいハチ公みたいなこと、できない?」
「む〜り〜。だって、初期設定以外、できるわけないもん」
この話は終わりと言わんばかりに、ハジメは元いた水色のソファークッションに行こうとしている。
この部屋の床には、枕みたいな物からソファーみたいな大きい物など大小様々な物が置かれている。これらはアリスの趣味であろうか、青い四角い物、黄色い星、白い丸、オレンジの丸、キャラクター物などカラフルに集まっている。
それらをハジメは小さなクッションから順々に階段のようによじ登って渡って行った。そして、元いた水色のソファークッションに着いたとき、アリスの声が響く。
「あ、そうだ! 昨日、新商品のエア・ド・チーズケーキを見つけたんだ! 飲み物、どうしよう。ん〜、コーヒー。……いやいや、いつも飲んでいるからカフェ・オ・レ。……あ、紅茶もいいかも。う〜ん」
アリスはウキウキと悩みながら飲み物を決めると、たちまちにアリスの周りにコーヒー独特の香ばしい匂いが広がっていく。
そんな変わり身の早いアリスをハジメは呆れて見つめるのみだった。
アリスは大きいカップに満たしたコーヒーをゆっくりと飲んだ。
目の前の机の上には真っ白な皿があり、今はフォークのみが寂しくからんとしている。実は、エア・ド・チーズケーキが乗っていた皿だったのだが、予想以上のおいしさに、あっという間に食べてしまったのだ。
そんなとき、アリスの耳に着信音が入り、視界に『緊急通知指令』というメッセージが飛び込んだ。これはAVRという機能によるものだ。
AVR――それは、目の前の視覚に変化を与える技術:augmentation virtual reality(通称:AVR)のことだ。通常、AVRは髪飾りやイヤリング、イヤーカフといった顔周りに身につける物をデバイスとして微弱な電流を脳に流し、AVR上で表現された仮想世界を見せている。アリスの場合、両耳の縁にそれぞれ三つのリング状のイヤーカフから仮想世界を見せている。
「あれ、緊急通知指令? もしかして、ついに」
アリスはちょっと期待した。当然、『緊急通知指令』はオーテッドからである。緊急性ある表題にアリスは、RPGみたいな仕事でも来たのかと急いでメッセージを開いた。すると、想像以上の内容にアリスはガッカリした。それはあまりにもいつも通りの内容過ぎて、期待ハズレだからだ。
とはいえ、これは任務。いつか来るRPGみたいな仕事のため、アリスは気分を入れ直してメッセージの中身を確認する。
* 名前:アオキ・ヒュウガ
* 年齢:36
* 死因:滑落による強打
* コメント
突発的な事故で心停止したため、緊急のデジタル変換を希望
ちなみに、名前表記も『アリス・クロニスター』のように名前が先の場合と、『アオキ・ヒュウガ』のように苗字が先の場合があり、AVRが発達したおかげで文化の一つとして受け入れられているのだ。
読み終えると、アリスはハジメに向かって話しかける。
「ハジメ、仕事だって」
「仕事って、まさか!!!」
「緊急のデジタル変換だって」
「………………」
ハジメは氷のように固まってしまった。さっきまで体温ある会話をしていたことがウソのように止まったのだ。
「お〜い、ハジメ。聞いている?」
何も言ってこないハジメにアリスは不審に思い、ハジメの体を指で突っついた。すると、息を吹き返したかのようにハジメは弾丸ごとく、捲し立てるように話し出した。
「もちろん、ノーマルだよね。どこぞのマニアックが金にものを言わせて緊急にしたんでしょ? 金は偉大だよね。ノーマルなら待たないといけない事も緊急にできちゃうもんね。いや〜、金はスゴイね。うん。今の時代ならありえる! そうだ! そうにちがいない! きっとそうだ!」
「……ハジメ、さっきから何言っているの? 緊急のデジタル変換って、決まってんじゃん。心停止状態。明日来いだって」
「………………」
ハジメは何も言うことなく、死刑台に上がる人のような悲壮感を漂わせているのみだった。
そんなハジメの反応にアリスは、ロボットらしからぬ噛み合わなさを感じた。いつもなら、「わかった」と終わるはずだからだ。そんな状態だから、アリスは故障していると感じ、もう一度、ハジメの体を指で突っついて話しかける。
「ねえ、ハジメ? 本当にわかっている?」
「…………ヤダ。ぜっっっっったい、ヤダ! だって、死んだ人間のデジタル変換、面倒だもん」
「え〜? ……断る理由ない」
「………………」
アリスの言葉にハジメは言い返せず、震え上がった。そして、また氷のように固まってしまった。
「も~」
今までのハジメから仮病だと気がついたアリスは遠慮なくハジメの前足を持ち上げ、上下にブンブンと振り回した。ロボットとはいっても、ハジメはそんなに重くもなく、小型犬と一緒といった具合なのだ。
「お〜い、ハジメ。ロボなんだから一ヵ月フルでやっても平気でしょう。この前、メンテしたおっちゃんが支障ないって言っていたし」
「……アリス、仕事になったら起こして」
ハジメは何を言っても無駄と観念し、すぐさま休止モードにした。そして、アリスの前には顔の表情マッピングが消えた耳から胴体だけとなった。
「うわ、顔なし! まあいいや。さっさと明日の準備しよう」
アリスはポイっとハジメがいたクッションに置き、ずっと流れている映像をそっちのけで探し、目的の物を見つけた。それは、口が広いナチュラルテイストな素材のカゴで、ハジメが入っても余裕ある大きさであった。