新・私のエッセイ~ 第36弾 ~ 田舎の小学校も、悪くない♪
ぼくの母校・・・
矢板市立川崎小学校は、北関東の田舎の小学校だ。
少し前に「閉校」となり、
155年にも及ぶ、明治以来の長い歴史に幕を下ろした。
ぼくらがいたころの木造校舎は、1986年に取り壊されて、いまは、小学校のグラウンドだった場所に、賃貸のアパートが何軒もひしめいている。
ぼくらが遊んだ砂の校庭も、いまは、固く冷たいコンクリートに覆われてしまった。
現物としての校舎は永久に失われてしまったけれども、写真は手元にあるから、いつでもなつかしい思い出の数々をよみがえらせることができる。
ぼくの自宅は、実は、矢板東小学校のほうが、距離的には若干近い。
「学区」の関係で、ちょっと遠い、川崎小学校へ通うことになったわけだが・・・
本当によかったと思う。
学校生活全般が、
井上陽水さんの名曲『少年時代』の世界そのものだったからだ。
校舎といい、教室といい、校庭といい、児童といい、教師といい・・・通学路といい、行事といい・・・
あの歌詞のノスタルジックな世界だったんですよ。
東小学校周辺は、住宅街ばかりなので、
うちらの小学校みたいな「ノスタルジー」というものは、みじんも感じられない。
同じ矢板市内ながら、どちらかといえば、「都会」っていう雰囲気。
児童の質も、「山の手」って感じでね。
ぼくらから見ると、どこかスカしてる感じの児童が多かった気がする。
たぶんに「偏見」なんだろうけどね。
美絵子ちゃんが転校していった、埼玉県の某小学校もいつぞや実際に見てきたけど・・・
矢板東小と似た雰囲気の、鉄筋コンクリートの、立派な都会の小学校だった。
東小よりも、ずっと大きかったな。
まぁ・・・
東京みたいな、砂ぼこり防止のためのコンクリートやラバーマットの校庭ではなく、砂だったけどね。
もちろん、凶悪事件が多い昨今だから、門は厳重に閉じられていて、植え込みなどで中がほとんど見えないように工夫されていた。
「ここで美絵子ちゃんは学校生活を送っていたのか。田舎の木造校舎時代とは、いろんな場面場面で、さぞかしガラリと雰囲気が変わってしまっていたんだろうなぁ・・・。」
そう感じた。
都会的な学校には、もちろん都会なりの良さがあるだろう。
でもね、
一度、あの「ノスタルジー」を味わってしまったら、きっと生涯、忘れられないような気がするんだ❤️
・・・そういった意味でも、ぼくらは恵まれていたのかもしれないね。
m(_ _)m