第8話 違和感の正体
勝敗は決した。戦いの熱狂からゆっくりと目覚めてきた。無意識に頭の中から排除していた外界の情報が、五感を通して頭の中に染み込んでくる。短剣で肉を切り裂いた感触、服に付いた返り血の血生臭さ、そして、死の恐怖と命を奪ったことに対する罪悪感。
体が徐々に震え始めて立っていられなくなり、地面に胃の内容物をぶちまけた後、そのまま俯せに倒れ込んだ。吐瀉物の臭いまで混ざってますます気分が悪くなり、意識が朦朧としてきた。
「ヒロアキ、じっとしているんだよっ。今、私がそっちに行って――うっ!?」
極度の興奮で麻痺していた痛覚が戻ってきたのだろう。オレのことを心配したアンヌは短剣を投げ捨てて、オレのそばまで駆け寄ろうとしたが、その直前に左肩に矢が突き刺さっている痛みで顔を歪めてその場にしゃがみ込んだ。
何をやっているんだよアンヌ。お前の方が重傷じゃないか。まずは自分のことを心配しろよ。朦朧とする意識の中でぼんやりとそんなことを考えていると、誰かがオレの腕を掴んで立ち上がらせた。
「随分と無茶をしたな。いきなりこっちに突っ込んで来たからヒヤヒヤしたぞ。だが、助かったよ。ありがとう。とにかく、後始末は私がやっておくから、馬車でゆっくり休んでいてくれ」
護衛は立ち上がらせたオレにそう言って馬車に乗せた後、今度はアンヌの左肩の手当てを始めた。手当てを受けているアンヌを見て、ようやく気分が落ち着いてきたオレは、妙な違和感の正体にやっと気が付いた。
この『ヒロイック・オンライン』というゲームは、とにかく徹底的なまでにリアリティを重視しているが、それでもいくつかのゲームバランスの調整及び表現の自主規制を行っている。
例えば、プレイヤーが町から町へ移動する際に通行する街道などは、まだゲームに慣れていないプレイヤーが無制限にモンスターに襲われたりしないように、そういった場所は運営が安全なエリアとして設定している。
他にも、過度な暴力的かつ残酷な表現は運営が自主的に控えていたりするのだが、それは年齢制限を受けてプレイヤー人口が減少しないようにするためだ。
じゃあ目の前のこの状況は、戦闘中のあの断末魔は、戦闘後のこの血生臭さは、一体何なんだ。そもそも、安全なエリアとして設定されているはずの街道で、どうして戦闘が発生したんだ。
さらによくよく考えてみれば、アンヌといい護衛といい、それにさっきまで戦っていたゴブリン達も、ゲームバランスを崩壊させかねないほどに強過ぎる。
プレイヤーが主役の世界でNPCが強過ぎるのも、雑魚モンスターのゴブリンがそんなNPCを途中まで圧倒していたのも、ゲームとしては明らかに不自然だ。――そう、ゲームとしては、だ。
「よし、左肩の怪我の手当てはこれくらいでいいだろう。御者の方は――駄目だ、死んでいる。矢が左胸に突き刺さっているから、ほぼ即死だったのだろうな。護衛の私がいながら、何という有り様だ、くそっ!」
護衛が仰向けになって地面に横たわっている御者の遺体のそばで、目を閉じて歯を食いしばり、血管が浮かび上がるほど拳を強く握りしめた。アンヌと行商人も暗い表情になって俯いた。
その後、護衛がボロボロの体に鞭を打って、御者の遺体を馬車の中へ運ぼうとしているのを見ながら、オレは唐突に頭の中に浮かんだとある考えに戦慄した。――この世界は、ゲームの世界ではない。これは全て現実だ。現実の世界なんだ。
次回11月6日に公開予定です。
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