第3話 白亜の砂浜で
最初は潮の匂いだった。次は湿った砂の感触、その次は肌を焼かれる痛み。意識が浮上するにつれ、感覚が一つ一つ甦ってくる。そして、次第に誰かがオレを呼ぶ声が聞こえてくるようになってきた。聞き覚えのある声だ。誰だろう。声に導かれるかのようにオレはゆっくりと目を開けた。
「あ、起きた起きた。お兄さん、大丈夫かい。自分の名前は言える?」
赤毛の三つ編みとそばかすが印象的な少女――アンヌが、オレの顔を上から見下ろしていた。激しい頭痛に襲われながらも何とか上半身だけは起こして、少女の問いに答えようと口を開いたところで、オレは固まってしまった。
思い出せない。ゲームを始めてからずっと使い続けていたプレイヤー名が、記憶から抜け落ちてしまっている。プレイヤー名だけではない。現実世界での自分の名前と顔も思い出せなくなっている。
「――分からない。思い出せない」
オレは絞り出すようにそう答えると、アンヌは腕を組み、難しそうな顔をして黙り込んでしまった。
アンヌの次の言葉を待っている間、オレはここがどこなのかを確認しようと周囲を見渡した。目の前には太陽の光を反射して煌めいている大海原が、背後には青々とした森林が、左右には白亜の砂浜が広がっていて、青と白と緑の美しいコントラストを描いている。
「その様子だと、転生したばかりみたいだね。――よし、決めた。お兄さん、私と一緒にアンカラッドって町に行かないかい。その町の開拓者ギルドに事情を話して色々と調べてもらったら、お兄さんのことがもしかしたら分かるかもしれないよ。ギルドは転生した人間の情報を収集・管理する組織でもあるからね。――『流れ星の子』かどうかも、それではっきりする」
転生したばかりみたい、か。そういえば、プレイヤーは転生したばかりの人間という設定だったな。それにアンカラッドというのは『ヒロイック・オンライン』に登場する最初の町の名前だ。それにしても、『流れ星の子』とは何のことだろうか。
「ありがとう、本当に助かるよ。そうそう、それとオレの名前のことなんだけど、とりあえずヒロアキって呼んでくれないか?」
オレは尊敬する今は亡き父親の名前を借りながら、ゆっくりと立ち上がって空を見上げた。『ヒロイック・オンライン』の舞台、異世界『ミッドヘイム』の象徴の一つ、巨大な鈍色の満月が青空で異様な存在感を放っていた。
やはりか、思った通りだ。ここが『ヒロイック・オンライン』の世界なのはもう間違いない。ということは、まさかとは思うが、今のこの状況がメインイベントなのだろうか。
「ヒロアキね、分かったわ。私の名前はアンヌ。よろしくね、ヒロアキ。アンカラッドには私の仲間もいるから、開拓者ギルドに行った後に紹介するわ」
こんな状況だからこそ、彼女の親切な申し出はありがたかった。しかし同時に、ある事実を確信せざるを得なかった。――彼女は、オレのことを覚えていない。
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