第四十章 勇者の迎える結末は
金属同士がぶつかり合う音が響き渡る。時折、二人の炎が散った。
よく似た振り方。よく似た魔法。それをぶつけ合いながら、魔王と勇者は睨み合う。
よく似た顔で向き合うが、表情は異なる。笑みを浮かべたままの魔王と、覚悟で表情を引き締めたままの勇者と。その様はまるで、絵本に描かれる冒険譚の結末のようで。
けれどこれは現実だ。勇者が勝つ保証はどこにもない。リオニスはそれを良く知っている。だからこそ、一瞬たりとも油断せず、レナードに向き合っているのだ。
今は、眼前の敵を倒すことしか考えない。その先のことは……考えてはいけない。ふと気を抜けば脳裏を過ぎる仲間達の骸の残像を消し去りながら、彼は剣を振るい続けた。
「俺に復讐したいだけなら、呑気に俺が来るのを待たずに殺しに来ればよかったのに」
剣を交えながら、リオニスはレナードに言う。少し驚いたように金緑の瞳を瞬かせるレナードに、リオニスは言葉を続けた。
「まどろっこしいだろ、わざわざ予言だのなんだのって」
予言の子、と呼ばれ、自分が旅立つまでそれなりに時間があった。何なら、予言なんて寄こさなければ、自分がこうしてレナードを倒しに来ることなどなかっただろう。何をまどろっこしいことをと、自分を睨め付けつつ言うリオニスを見て、レナードは小さく笑った。
「何者でもないリオニスを倒したところで何の意味もない。勇者として旅をしたお前を倒さなければ、意味がない」
鼻を鳴らすレナードを見て、リオニスは小さく笑った。
「……まぁ、それはそうか」
確かに彼の言う通りだ。自分は元々、"ただのリオニス・ラズフィールド"だった。特別な力を持つ訳ではない、ごくごく普通の剣士だ。そんな自分を魔王が出向いて殺したところで、何ら意味はない。レナードの目的が"世界の支配"ではないことは、此処まで彼と会話をしていて十分に理解できた。
「その方が、お前は認めるだろう。強さがあればよかった、と」
やはりな、とリオニスは思う。彼の目的はあくまでも、勇者を倒すこと。強さを否定し、レナードを切り捨てた自分に復讐することなのだ。
「そのためだけに世界を巻き込んだのは、我ながら頭の痛い思想だな……」
自分への復讐のために、世界を巻き込んだ魔王。それで犠牲になった人間はきっと多く居たはずだ。魔王に世界が支配されると怯えている人間もたくさん見てきた。洒落にならないことをしやがって、と思いながら溜息を吐き出すリオニス。
そんな彼の反応を見て、レナードが冷たく目を細めた。
「そのためだけ? そんなはずはないだろう」
吐き捨てるようにレナードは言う。リオニスが眉を上げるのを見て、笑みを浮かべながら、レナードは言葉を続けた。
「お前への復讐が一番の目的であるのは違いない。だが……おかしいのは、この世界でもあるのだから壊さなくては」
彼の言葉にリオニスは大きく目を見開く。
「強いものが認められない。あれほど世界を思っても、人を思っても、報われなかった。それは可笑しいと、お前も思っただろう? だから、俺もやり直そうとしたんだ」
そう言って、彼は冷たく笑った。その言葉にリオニスはゆっくりと瞬いて……
「……あぁ、なるほど、なぁ」
理解した。結局、眼前にいる彼は、自分なのだ。こんなはずではなかったとやり直しを選んだ自分と、同じなのだ、と。やり直し方もその規模も、自分とは桁外れだっただけで。
そう思いながら、リオニスは一度目を伏せた。
「やっぱり、お前は間違ってる」
リオニスはそう言いながら、一度レナードの剣を強く払った。先刻よりずっと強い力で。ほんの一歩後ずさるレナードを見据え、リオニスは言った。
「強くなければ、大切なものは守れない。それは事実だ。俺も痛感してる」
もし自分がもっと強かったならば、仲間をきちんと守ることが出来ただろう。その言葉にレナードは一瞬目を丸くして、笑みを浮かべる。満足気な表情。それを見据えながら、リオニスはゆっくりと首を振った。そして、強い口調で言い放つ。
「でも、強ければ全てが正しいなんて、それは絶対に間違ってる」
それは、レナードの思想全てを否定する言葉だった。その言葉に彼は一瞬言葉を失う。リオニスはふ、と笑みを浮かべながら、そんな彼に言った。
「そんな思想の俺が人々に恐れられ、避けられたのは当然のことだ」
リオニスの顔に浮かぶのは、まるで駄々をこねる子供を諭そうとしているかのような表情。仕方ないな、と言わんばかりの。
それを見たレナードの金緑の瞳に、炎が燃える。強い強い、怒りの炎が。
「煩い、煩い!!」
鋭い叫び声と同時、炎が迸る。その圧に吹き飛ばされたリオニスは小さく呻いた。
「っ、なんつー魔力だよ……」
まともに浴びていたら骨の欠片すら残らなさそうだ。そう思いながら、リオニスは頭を振る。
幸い、大きな傷は負っていない。まだ戦える。剣を握り直し、ふらふらと立ち上がるリオニスの眼前には先刻までの笑みを消したレナードが立っていた。
「間違っているのは、お前の方だ。思い知らせてやる、勇者!」
そう言い放つ彼の威圧感は先刻までの比ではない。
―― さぁ、此処が正念場だ。
リオニスはそう思いながら一つ、深い息をした。
***
そこからのレナードの猛攻は恐ろしいものだった。鋭く斬りつける剣。舞い散る炎。容赦なくリオニスを狙い撃つ攻撃は、全てが彼を殺すという強い強い想いに満ち溢れていて。
燃える金緑の瞳は、リオニスを捕らえて離さない。絶対に彼を倒す。少しも舐めたところなどない。本気で、リオニスを殺そうとしていた。
……それなのに。
「何故だ。お前は弱いはずなのに!」
荒く息を吐きながら、レナードは苛立ったように言う。
何度も、魔法をぶつけている。何度も、剣で斬りつけている。躱している攻撃もあるが、大半は当たっているはずだ。それなのに、何故彼は倒れない?
事実、リオニスは既にぼろぼろだ。斬りつけられた傷からは血が絶えず滴り落ち、火傷の痕も嫌と言う程できている。何度も何度も魔法の圧で吹き飛ばされ、地面に叩きつけられて……
それでも、彼は倒れない。吹き飛ばされても、傷を負っても、すぐに立ち上がり、レナードに向き直るのだ。
「は……はぁ……ッ」
もう息も絶え絶えだというのに、何故倒れない。何故諦めない。……もう彼が倒れても、咎める人間などいないのに。彼は、弱いのに。
「……一体、何故」
何故、とレナードは言う。自分を切り捨てたリオニスは、弱いはずなのに、と。困惑した表情を、隠そうともせずに。
それを聞いたリオニスは、小さく笑った。
「そうだよ、俺は弱い」
あっさりと、彼は認める。自分は弱い、と。それは事実だ。否定しようのない、事実。
本気の魔王の攻撃はどれだけ防ごうとしても完璧には防げない。剣も重く、完全に無力化できる訳ではない。攻撃を加えようにもそんな隙は見当たらず、攻撃をいなすついでに一太刀浴びせるのが精一杯だ。
自分は弱い。けれど……――
そう言いながら、リオニスは顔を上げた。
「でも、俺には仲間がいる」
そう言いながら、リオニスはそっと、自分の胸元に手をやった。そこには、ユスティニアに渡されたペンダントがさがっている。
ロレンスの力に支えられ。
ユスティニアの力に護られ。
オズワルドに教えられた魔法で戦い。
シュライクに仕込まれた体術で攻撃を躱した。
―― ……嗚呼、そうだ。
俺は、一人では絶対に、勝てないのだ。
リオニスはそう思いながら、強く強く、剣を握った。
「なぁ、お前には、仲間は居ないんだろう」
剣を振るいながら、リオニスはレナードに言う。
彼にも、部下らしきものは居た。ユスティニアの居たあの教団で戦った悪魔も、レナードのことを"あの方"と呼んでいた。これまでに倒してきた魔族の中にも、魔王を慕っていると思しきものは居た。
けれど……レナードを個として扱う者は、いなかった。この城にも、そう言った存在はなく、リオニス達を迎え撃ったのも、レナードただ一人だ。今こうして戦っているのも、レナードだけ。
嫌でもわかった。彼は、今もずっと……独りなのだと。
「お前に仲間が居たなら、俺はきっとあっという間に殺されていただろうな」
ユスティニアと出会ったあの街で出会った悪魔。あれがレナードの臣下としてついていたならば、きっと勝負にすらならなかっただろう。そう、皮肉でもなく本気で、リオニスは言う。
それを聞いたレナードは不快そうに眉を寄せ、言った。
「仲間など不要だ。何かと群れるのは、弱いモノだけだ」
お前のようにな、と吐き捨てるようにそう言いながら、レナードは魔法を放つ。至近距離で放たれたそれは躱し切れそうになく、リオニスは思わず目を閉じた。
―― 刹那。
光ったのは、リオニスの胸元のペンダント。美しいラピスラズリのペンダントトップは、強く強く光を放ち、リオニスの身体を包み込んだ。
「っ、くそ、何だというんだ……!」
怒りに満ちたレナードの声が上がる。リオニスは少し驚いたように目を見開いた後、ほっと息を吐いて、表情を綻ばせた。
「……ありがとう、ユスティ」
ちょっとしたお守りだ、と彼は言っていた。強い力は込めていない、と。けれど……いざと言うところで、彼は確かに守ってくれた。それがありがたくて、何より嬉しくて。リオニスの瞳が、微かに潤んだ。
「っ、また、仲間、仲間と……! 弱いモノ同士が馴れ合った所で変わりはしないだろうに……!」
憎々しげに、レナードは唸る。彼の瞳に灯るのは、先刻から消えることのない怒りと……嫉妬の炎だ。
それを見て、リオニスはそっと、息を吐く。そして振り下ろされた剣を弾き、呟くように言った。
「……あぁ、今わかった」
ぽたりと、リオニスの手から流れた血が地面に落ちる。
もう剣を握っていることすらやっとのはずの彼の瞳は、変わらず強い光を灯して、自分を鋭く睨みつける魔王を見据えたままだ。それに圧倒されたかのように、レナードの攻撃の手が緩む。
「お前は俺の強さじゃあない。俺の、弱さだ。俺が見て見ぬフリをした、俺の弱さだ」
リオニスは強く地面を蹴って、自身の剣を振るう。一瞬反応が遅れたレナードだったが、辛うじて彼の剣を自身の剣で受け止める。
「強い魔力がなければ俺は認められると思っていた。俺が普通ならば寄り添ってもらえると思っていた。馬鹿だよな、それだけで良いはずがなかったのに」
ぐっと、レナードに振り下ろした剣に力を込める。ぎりっと、鋼が擦れる音が響いた。顔を歪めるレナードを見据えたまま、リオニスは言葉を紡いだ。
「お前は仲間を作らなかったんじゃない。どうせ作れないと諦めたんだ。手に入らないものを嘆いて、恨んで、道を間違えた」
それは、魔王が自分自身であると自覚しているからこそ辿り着いた答え。レナードが頑なに仲間との絆を否定するのは、彼がそれに手が届かないと思って諦めたから。そしてそれを羨み、それを手にした弱い自分を恨んだのだろう、とリオニスは彼に告げた。
「過去だって、そうだったんだ。誰か傍に居てくれって願うだけじゃあなくて、自分から、歩み寄らなければいけなかった」
それがお前はわかっていなかったんだろう。リオニスは静かな声でそういう。レナードはそれを聞いて、ぐっと唇を噛みしめた。
「っ、それすら、させてもらえなかった!」
そう言いながら、彼はリオニスの剣を強く払う。リオニスはよろめき、後ろに数歩下がった。荒く荒く息をしながら、レナードはリオニスに向かって叫ぶ。
「皆、皆、俺を避けただろう! 必要だと、助けてくれと縋りながら、俺を愛そうとしなかった!」
あの夢の光景を思い出す。手を伸ばしても、誰もそれを取ってはくれなかった。ただ、傍に居てほしかった。一人にしないでほしいと願っただけだった。其れなのに、人々は"異端"であった自分を恐れ、畏れ、隔離したのだ。
―― 助けてほしいと、救ってほしいと縋りながらも、誰も自分を愛そうとはしてくれなかったではないか!
……そう叫ぶレナードの声はまるで、泣き叫ぶようで。
リオニスはその言葉に眉を寄せる。負ける訳にはいかないが、打ちのめしたい訳ではない。けれど……告げるしかない。それが真実なのだから。そう思いながら顔を上げ、リオニスはレナードに言った。
「俺は一度でも、誰かを愛そうとしたか? 寄り添おうとしたのか?」
ひゅ、とレナードが息を呑む。微かに、彼の視線が揺らいだ。
これではどちらが敵かわかったものではないな。否、元々自分が彼であり、彼は自分なのだから間違ってはいないか。そう思いながら、リオニスはレナードを見据えたまま、口を開いた。
「俺は、英雄になりたかっただけだ。自分の持った特別な力で、ただ他人に認められようとしただけだ。それじゃあ、当然誰も振り向いてなんかくれない。……俺は方法を間違えた」
今ならば、わかる。何故人々が自分を恐れたのか。何故人々が自分を理解しようとしてくれなかったのか。……何故、人が自分を愛してくれなかったのか。
特別な力を振るい、人の上に立とうとした。ただそれだけだった自分を、強大な力を持つ自分を無条件に慕い、愛してくれる人間など、そうそう居るはずがないに決まっている。
今は、わかった。全てが、わかった。だから、とリオニスは前を向く。
「俺はもう、間違わないよ」
そう言って、リオニスは笑う。……レナードはその背に、確かに彼の仲間の姿を見た。
何故、何故、何故! 同一の存在なのに。自分が"正しい"はずなのに。一体、何故!
「煩い、黙れ!!」
そう叫び、レナードは手にした剣に魔力を集中させる。自分に向き合うリオニスを本気で焼き払うための、容赦のない魔力。
これをもろに喰らったら流石に死ぬな、と考えながらも、リオニスは冷静だった。剣をしっかり構え直すと同時、一つ、深い息を吐いた。
―― 大丈夫。僕たちがついています。
大丈夫ですよ、とユスティニアが微笑んだ気がした。
―― キミをこれ以上傷つけさせはしないよ。
援護は任せて、とロレンスが二色の瞳を細めた気がした。
―― 集中して、きちんと敵を見ろ。
君なら出来るから、とオズワルドが頷いた気がした。
―― 行け、リオ!
脳内に響いたシュライクの声と同時。リオニスは強く強く、地面を蹴った。
振り下ろされる剣。纏う炎が身を包んでも、怯まない。ユスティニアの護りが、それを強化するロレンスの魔法が守ってくれると知っているから。視線はレナードから離さない。きちんと敵を見ろとオズワルドが言ってくれたから。地面を蹴ったその力は今まで何度もシュライクと手合わせをして培ったものだ。
―― 自分は、一人ではない。
その想いを乗せて、剣を振るった。
「ッ……!」
振るわれたレナードの剣を、リオニスのそれが弾く。力でも、魔力でも負けているリオニスの剣が。
「終わりだ、レナード」
呟くように言ったリオニスの剣は狙いを過たず、レナードの胸を貫いていた。
***
終焉と言うのは、酷く静かなものなのだなと他人事のように思う。普通、伝承や御伽噺において、こういう結末の時には、勇者と魔王とが何かとやり取りをするものなのに、そんなことはなくて。
リオニスに胸を貫かれたレナードは大きく目を見開いた。信じられない、と言うように。最期の瞬間まで自分が負けることなど露程も考えていなかったであろう表情だった。
けれど、すぐに自分の運命を悟ったのだろう。困ったような、悔しそうな、……それでいて、少し安堵したような表情を、彼は浮かべた気がした。
魔王、と言っても大本はただの人間だ。自分と同じ、ただの人間だった。……人より強い力を持って生まれてしまっただけの、ただの人間。力ばかり強くて、心が脆かったが故に、道を踏み外してしまっただけの、間違った道を歩み続けてしまっただけの、もう一人の自分。
リオニスはその骸の傍に膝をつくと、そっと自分によく似た顔を撫でてみた。自分と彼とは同じ存在。
自分が倒される魔王だったのかもしれない。彼が勇者として歩む道もあったのかもしれない。そう思うと、魔王を倒したという達成感は然して湧いてこない。
勇者に憧れていたのは事実だ。魔王を倒したのも事実だ。けれど自分は、"勇者"だなんて到底名乗れないな、とリオニスは苦笑する。
「これが、結末……かぁ」
小さく呟くと同時、くらりと視界が歪んだ。
至極当然のことだ。これまで倒れていなかったのが不思議なくらい、リオニスは傷を負っていた。体中切り裂かれて血まみれだし、全身がずきずきと痛む。気が抜けてしまえば、立っていることなど到底できなかった。
レナードの横に倒れ込みながら、リオニスはふーっと息を吐く。
静かな、決着だ。御伽噺のように勇者の健闘を称える者も居ない。……傍で笑い合う仲間もいない、静かで、案外呆気ない結末。
「仲間、か……」
そっと零れた声。落ち着いてしまえば、嫌でも思い出す、自分が一人になったという事実。
もう、そんな仲間達の方へ視線を向けることもできない。指一本動かすことすらできないまま、彼はそっと息を吐いた。
「……ごめんな」
その謝罪の言葉は、何処に向いたものか。リオニス自身も良くわからないまま、彼はそっと目を閉じた。




