第二十二章 勇者と仲間の証
「ん……」
ゆっくりと、目を開ける。瞬いた榛色に映るのは綺麗な白い天井などではない。風で微かに揺れる、布天井だ。ぼんやりとそれを暫し見つめて、思い出す。嗚呼、自分は旅に出たのだったな、と。
オズワルドはふっと表情を緩める。硬い地面や狭いテントで眠ることは決して快適とは言えないはずなのに、あの寝心地の良いベッドや清潔な自分の部屋を恋しいとは思わない。寧ろ、この狭いテントで仲間と共に眠るここ数日の方が眠りが深いとさえ思えるのだから不思議だ。
あの日……炎の中から救い出され、勇者達と共に旅立って、数日。中央都市アレキシアからは大分離れた森の中で、彼らは現在野営中。次の街まではまだ少し距離があり、暫くは野宿だなぁ、とリオニスがやや憂鬱そうに言っていた。オズワルドも、野営をするのは随分と久しぶりで、楽しみなような、僅かに緊張するような感覚を抱いていた。
あの街を抜け出して、初めのうちはやはり多少の恐怖感はあったのか炎の夢に魘されることもあったが、その度に仲間の誰かが起こして声をかけてくれた。望んだ訳でもないというのに最強の魔法使いとして名を馳せていた自分をそうして気遣ってくれる存在はアレキシアには居なかった。そのため少しだけ照れ臭くはあったが……それがとても心地よいと感じたのも事実で、すぐに夢に魘されることもなくなった。
―― あんな風に、自分を扱ってくれる誰かが居るのは"久しぶり"だな。
そんなことを考えながら、オズワルドは同じテントの中で眠っている他の仲間を起こさないように静かに体を起こす。中を見渡せば、まだ寝入っているのは剣士と格闘家のみ。残りの二人はもう起きているのか、と目を細めたとき、丁度外から微かな音が聞こえてきた。柔らかな竪琴の音。それを聞いてオズワルドはゆっくりと、テントの外に出る。
テントの傍の焚火に当たりながら、楽士は静かに音楽を奏でていた。少しずつ魔力の制御にも慣れてきたらしい彼は自分の魔力が外に流出するのを防ぎつつ、周囲に張った防壁を強化しているようだった。恐らく、魔法の練習も兼ねた朝の日課なのだろう。そう思いながら、オズワルドは曲の切れ目で声をかけた。
「ロレンス、早いな」
声をかけられた楽士……ロレンスは顔を上げると、オズワルドを見て二色の瞳を細めた。
「おはよう、オズ。早くに目が覚めてしまってね」
そう言うときはいつもこうして音楽を奏でているのだとロレンスは言う。それを聞いたオズワルドはそうか、と頷いた後、気遣うように眉を下げた。
「夜、ちゃんと眠れているか?」
少し心配になったのは彼の睡眠の状態だった。ロレンスはいつも眠りにつくのも遅い。朝起きるのも早いのは、流石に少し心配だ。
しかしオズワルドの問いかけにロレンスはきょとんとした顔をした。緩く首を傾げ、答える。
「寝てるよ?」
オズワルドはじっとその顔を見つめる。目の下に隈も見えないし、無理を隠しているという風でもない。純粋に、あまり長く寝なくても大丈夫なのだろう。そう結論付けたオズワルドは小さく頷いた。
「そうか、それなら良いのだが」
「うん。心配してくれて、ありがとう」
大丈夫だよ、といいながら、ロレンスはそっと自分の魔道具である竪琴を撫でる。"あぁでも"と口を開いた彼は、ふっと目を伏せて、言った。
「眠れないことはないけれど……まだ少し、落ち着かないかな」
そんな彼の言葉に今度はオズワルドがきょとんとする番だった。
「どうしてだ」
寝心地は確かに良いとは言い難いかも知れないが、集団行動が苦手なタイプではないはずのロレンス。彼が落ち着かない、と言うのは少し意外で。怪訝そうな顔をしているオズワルドを見て、ロレンスは少し困ったように眉を下げて、答えた。
「こんなに広いところで、誰かと一緒に眠ることが、前まではなかったから」
その言葉にオズワルドは榛の瞳を丸くする。それから少し、複雑そうに目を伏せた。
ロレンスの生い立ちや、リオニス達と旅に出るに至った過程は聞いている。着替えているときや共に水浴びや湯汲をしたときに彼の足についた枷の痕も見ている。酷い扱いを受けていたのだ、とリオニスが痛ましげに語っていた。
雪華劇団はオズワルドも良く知っていた。中央都市でも良く公演をしていた、大きな劇団だ。その警備の仕事に就いたこともある。劇のレベルは確かに高く、客も大勢入っていたのを記憶している。しかし、その裏側でこんな酷い目に遭っている団員が居たとは……そう考えると、少し胸が悪くなる。尤も、その原因であった劇団は既に壊滅してしまい、文句を言う先もない訳なのだけれど。
ロレンスは"酷いことをされていた"と言う自覚がない様子だった。辛くなかったのか、とリオニスやシュライクが問うても、"ボクにとってはあそこが居場所だったから"と微笑むばかり。そんな顔をされてしまっては、それ以上自分たちが何か言うのもおかしな気がして、彼らも深く追求は出来なかった、と仲間達はそう言っていた。その言葉の意味を、オズワルドも今理解する。
彼に向けるべきはきっと、同情ではないのだろう。そう思いながらオズワルドは暫し言葉に迷う。それから、ふっと微笑みを向けて、言った。
「少しずつ、慣れるだろう」
もう此処は、あの劇団ではないのだから。そうオズワルドが言うと、ロレンスは少し嬉しそうな顔をした。
「そうだね。みんなと旅をするのは、とても楽しいから」
きっと、すぐになれると思う。そう言って微笑むロレンスを見て、オズワルドは頷く。この優しい楽士がどうかもう辛い想いをしなくても良いように、と願いながら。
と、丁度テントの入り口が小さく揺れた。のそりとそこから出てきたのは小さな格闘家。
「ふぁ……おはよ、オズ、ロレンス」
大きな欠伸をしながら伸びをする彼を見て、ロレンスはくすくすと笑った。
「おはよう、シュライク。髪が鳥の巣みたいになっているよ」
竪琴を置いて、傍に来たシュライクの頭をロレンスはそっと撫でつける。彼の言葉の通り、シュライクの髪はまるで鳥の巣のようにぼさぼさになっていた。それを撫でつけるロレンスの手を嬉しそうに受けながら、シュライクはくぁ、と欠伸をする。
「んぁ……うん、後で直す……」
そう応じつつ、シュライクはその場にぺたりと座る。そのままロレンスに凭れ掛かった。その様子を見てオズワルドは小さく笑う。
「二度寝しそうだな……」
「シュライクは案外寝起きが悪いからね。二度寝はしょっちゅうだよ」
ロレンスはそう言いながら小さく笑って、自分に凭れ掛かっているシュライクの頭を撫でている。普段は育ちと話し方のためにか幼く見えるロレンスだが、そうして振舞っている様子は大人らしく見える。事実、シュライクはまだまだ幼さの残る子供だ。頭を撫でられて嬉しそうにしているのは、誰かに甘えたいという想いの表れなのかもしれない。そう思いながら、オズワルドはそっと目を細めた。
かさり、と下草を踏む音が響いて、ロレンスとオズワルドは顔をあげた。そこに居たのは、長いプラチナブロンドを揺らした星読みの魔法使いが居て。彼は仲間達の姿を見ると緩く微笑んで、頭を下げた。
「おはようございます、オズワルド、ロレンス、シュライク」
「ユスティニア、おはよう」
「起きてたんだね」
ロレンスの言葉にユスティニアは小さく頷いた。そしてそっと首にかけたロザリオを握りながら、言う。
「ええ。早起きの癖は抜けなくて。どうせならば、と身を清めて祈りを」
そう言ってユスティニアは微笑んだ。身を清めて、と言う言葉の通り、水浴びをしてきたのだろう。彼の艶やかなプラチナブロンドはまだ少し濡れているようだった。
星読みの魔法使い、星読みの信徒として育ったという彼。その教団の真実は哀しいものであったようだが、そう簡単に染み付いた習慣は抜けない。祈りを捧げることは決して悪いことではないし、強い魔の力に対処できる聖なる魔力を持つユスティニアにとって心を落ち着けるために静かに祈りを捧げる時間と言うのは有効だろう。オズワルドはそう思いながら頷いて見せる。
「綺麗な泉が傍にあって良かった。身を清めるにも困らないだろう」
「はい。とても落ち着く場所ですね。危険な獣や魔物も近くには居ないようですし」
そう言ってユスティニアは橄欖石色の瞳を細めた。
彼の防御の魔法は相当な強度を誇る。故にこういう野営の時は彼が防護の結界を張ることが多かった。それに干渉するものがあれば彼がすぐに気づき、戦闘が出来るリオニスやシュライクを起こすことになっているのだと初めて野営した時にオズワルドも彼らから聞いたのだった。幸いなことに今まで魔獣や魔物の襲撃に遭ったことはないが、用心するのに越したことはない。オズワルドもいざと言うときには戦闘に加われるようにと眠る時も魔道具である杖を傍に置くようにしていた。
とはいえ、ユスティニアも言う通り、この辺りは比較的平和なようだ。魔獣は勿論、危険な獣の類は居ないようだし、危険な気配も感じない。それは幸いだな、とオズワルドも思っていた。だからこそ、こうして仲間達とのんびりと言葉を交わすことが出来るのだから。
「おはよう、みんな」
軽く伸びをしながらリオニスがテントから出てくる。その声を聞いて眠たげに目を開けたシュライクはへらりと笑って、言う。
「お前が最後だぞー……」
「半分寝てるシュライクに言われたくないな……」
リオニスはそう言って苦笑する。相変わらずロレンスに凭れたままのシュライクのぼさぼさ頭を撫でる彼を見て、ユスティニアはくすりと笑った。
「リオニスは寝起きが良いですね」
「ある程度ちゃんと目が覚めてから出てきてるからな」
誰かさんと違って、と揶揄うように言ってリオニスはライラックの瞳を細める。それを聞いて拗ねたように唇を尖らせたシュライクは呟くように言った。
「むぅ……俺だってちゃんと、起きてる……」
「それは起きているとは言わないな」
ふ、とオズワルドは笑う。起きている、と言い切る格闘家の目はまだとろりと蕩けたままだ。それで起きていると言い張るのは無理があるだろう。むくれた顔をするシュライクを見て、他の仲間達も笑う。賑やかで幸福なひと時だった。
一頻り笑った後、ユスティニアがさて、と声を上げた。
「朝食にしましょうか。今日は僕が担当ですね」
そう言って、ユスティニアは微笑む。そうだったな、とリオニスは笑いながら頷いた。
街や村に滞在しているときは各々食事を取ったり、買いに行ったりすることが多かったが、野営の時の食事の支度は交代で担当することになっていた。
料理をする機会も教わる機会もなかったロレンスはともかく、他の面々は多少の技術の差はあれど料理が出来るということでそういう決まりになったようだった。ロレンスはいつも申し訳なさそうな顔をしていたが、彼も座って待つだけではなく、ちょっとした手伝いをしたり食器の準備をしたりしているために不平不満を言う仲間は当然居ない。それに彼が料理をすることが出来ないのは彼の所為ではないのだ。少しずつ覚えていけば良いですよ、とユスティニアが彼に笑いかけていたのは記憶に新しい。
「私も手伝おう。リオニスとシュライクは身支度をしてくると良い」
オズワルドはそう言いながらまだ寝起きの二人に声をかける。漸くロレンスに凭れ掛かった体勢から体を起こしたシュライクは思い切り伸びをする。
「ふぁい」
「ほら、行くぞシュライク」
まだ半分寝ぼけているシュライクを連れて、リオニスは泉の方へ歩いて行く。その姿を見送ってから、ユスティニアとオズワルド、ロレンスは朝食の支度にとりかかったのだった。
***
「そんで、これからどうするか、って話だよな」
顔を洗い、朝食を食べて漸くしっかり目覚めた様子のシュライクはわくわくした表情で言う。その言葉にリオニスは小さく頷いた。
本当ならばアレキシアを発つ前に次の目的地を定めるつもりだったのだが、事情が事情だった。逃げるように街を出ることになったのは致し方のない話であったし、その行動に後悔は誰一人として抱いていない。しかし、行き当たりばったりに進み続ける訳にもいかない。そんな訳で、彼らは比較的平穏なこの場所で次の目的地を定める話し合いをすることとしたのだった。
「アレキシアに行こうって話だったのは、そもそもの予言の詳細を確かめるため、だったよな?」
「あぁ、そうだな」
シュライクの問いかけにリオニスは頷く。中央都市に向かったのは、予言の詳細を確かめるためだった。
「アレキシアでの目的はちゃんと果たせましたね。……これと言った答えは、見つかりませんでしたが」
ユスティニアはそう言って、少し困ったように眉を下げる。確かに予言の詳細を聞くことは出来たが、何か新しいことを知ることが出来たかと問われれば、そういう訳ではない。予言者……フロストは、"目的地に辿りつくための道は自分たちで見つけるものだ"と告げて、詳細を語ることはしなかったのだ。運命に従え、と。それは言うならば、目指すべき指標などは相変わらずないという訳で。どうすれば魔王を倒すことが出来るのかも、いつまでにその目的を果たさなければならないかも、彼らにはわからないままなのだ。
少し不安げなユスティニアを見て、リオニスは笑った。
「まぁ、予言が本物だってわかっただけで充分だよ。頼もしい仲間にも出会えたしな」
な、と笑って、リオニスはオズワルドの方を見る。頼もしい仲間、と言う言葉にオズワルドが少し動揺して視線を揺らす。照れた様子の彼を見てシュライクはからからと笑い、ロレンスは穏やかに目を細めた。ユスティニアもリオニスの言葉に幾度か瞬くとふわりと笑って、頷く。
「……ふふ、そうですね」
リオニスの言葉は、頼もしい。ユスティニアはそう思いながら眩しそうに目を細めた。
嗚呼、自分を助け出してくれた時もそうだった。彼は、いつでも前を向く力をくれる。彼自身は自分を"勇者らしくない"と自嘲していたが、そんなことはないとユスティニアは思っている。確かに飛び抜けて優秀な力がある訳ではないだろう。しかし皆が俯きそうになった時、諦めそうになった時、前を向く力を与えてくれるのは、道を示そうとしてくれるのは他でもない勇者なのだ。勇者たる優しさと頼もしさは確かに彼の中にあるということをユスティニアは勿論、他の仲間達も理解しているだろう。だからこそ、彼と共にこうして旅をしているのだろう。ユスティニアはそう思う。
「それに、ゴールはわかり切ってる。俺たちがやるべきことは、何も変わらない。だから……」
そこで一度言葉を切ったリオニスはほんの少しだけ迷うように視線を揺らす。しかし一度深呼吸をした後、仲間達一人一人と目を合わせて、言った。
「オニキスに向かおうと思ってる」
オニキス。その土地の名を聞いた仲間達は表情を引き締めた。
「オニキス……禁足の地、ですね」
「魔王がいる、ってされてるところだよな」
ユスティニアとシュライクの言葉に、リオニスは小さく頷く。
「そうだ」
国の外れにある、禁じられた土地オニキス。元から淀んだ魔力がたまる場所として禁足地とされていたその場所だが、今は魔王が目覚めた土地として更に危険視されている。禁じられた土地、と言われているだけあり、情報も少ない。様々な情報が集まる中央都市でもオニキスに関する情報は大して存在しなかったとオズワルドは記憶している。
「アレキシアで集めた情報によると、少しずつだけど、魔王の影響と見られる現象が国内各地で起きているらしい。その影響がより大きいのは当然、オニキスに近い土地だ。……そうだよな?」
リオニスはそう言って、オズワルドに視線を向ける。一番この国の情報が集まる場所にいたオズワルドに。
その視線の意図を理解して、オズワルドは頷く。
「私が目にした依頼書の大半がオニキスの近くの街や村からの救援要請だった」
そう言いながらオズワルドは憂いを湛えた瞳を伏せた。ずっと見続けていた救援要請。見て見ぬふりをする他なかった幾つもの依頼。あの街の、村の人々は、今どうなっていることだろう。持ちこたえていてくれれば……そう思わずにはいられない。
尤も、今更そんなことを気にしても致し方ない。今自分に出来ることをしなくては。そう自信を鼓舞して、オズワルドは顔を上げた。
「どうせいずれは向かうところだ。近づいてみて現実を見てから、対策を考えても遅くはないだろ? ……どう、かな」
仲間達一人一人を見ながら、リオニスは言う。その言葉に一度顔を見合せた仲間達は笑顔で頷いて見せる。
「そうだな! 困ってる人間がいるなら放っておけねぇよ!」
「ボクもそれが良いと思うよ」
シュライクとロレンスが同意を示す。
「決まりだな」
「距離もだいぶありますし……向かいながら、作戦などを考える時間もあるでしょう」
オズワルドとユスティニアもそう言って頷く。距離がある、と言うユスティニアの言葉にシュライクはぱちぱちと瞬いて、首を傾げる。
「そーなのか?」
きょとんとしている彼を見て、オズワルドは小さく笑った。
「シュライクは地理があまり得意でないのか」
少し考える顔をして、オズワルドは小さく呪文を唱える。その手元に現れるのは掌に収まるサイズの水晶玉。それがぱぁっと光を放ち、地面に何かを映し出した。興味深げに覗き込めば、それはこの国の地図。
「わ、便利だなそれ」
リオニスは感嘆の声を上げる。丸いライラックの瞳をきらきらと輝かせている様は年相応の少年と言う風で、オズワルドはふっと笑みを零した。
―― あぁ、そうだ。
この少年も、"勇者"と言う肩書を与えられてそれに従ってはいるが、まだまだ幼い少年なのだ。必死に前を向いて、自分たちを導こうとしているが、本来ならばまだ誰かに教えを乞うたり、導かれたりする年齢なのだ。そんなことをふと思って、目を細める。そんな彼の力になりたい、と改めて思いながら。
「オズ?」
どうかしたか? と問いかけるのはネモフィラの瞳を瞬かせるシュライクだ。気恥ずかしいことを考えていた自覚があるオズワルドは一瞬たじろぎ、小さく咳ばらいをすると何でもないと首を振った。
「投影機の役割をしているだけだ。続けるぞ」
そう言ったオズワルドは気を取り直したように地面に映された地図を指先で示しながら、位置関係を説明し始める。
「此処がアレキシアだ。今がこの辺りで……オニキスはここだな」
ついでのようにリオニス、シュライク、ユスティニアの住んでいた街も指で示してみる。そうすれば距離の感覚もつかみやすいだろう、と。それはどうやら正解だったようで、一番地理感覚が鈍い様子だったシュライクが大真面目に頷いた。
「うわ、確かに大分距離があるな」
「だろ? 向かいながら情報を集めるのでも遅くはないかな、と思ってさ」
シュライクの言葉にリオニスはそう言うと仲間達にもう一度視線を移した。彼らはリーダーであるリオニスに頷いて見せる。反対意見がないのを見て安堵の息を吐くと、彼は表情を引き締めて、言った。
「じゃあ、オニキスに向かって進もう」
「おう!」
ぐっと拳を突き上げるシュライク。無邪気に笑う彼を見て、リオニスも表情を緩める。
「あ、そうです、その前に」
ふと思い出したように声を上げたのはユスティニアだった。彼は自身の荷物を探ると、何かを手にロレンスとオズワルドを見る。
「ロレンス、オズワルド、手を出してくださいませんか?」
その言葉に二人は不思議そうに瞬いた。
「え? ボク?」
「構わないが……」
ユスティニアに言われるまま、二人は手を差し出す。それを見て微笑んだユスティニアはそれぞれの手の上に小さなアクセサリーを置いた。ロレンスの手の上にはブローチを、オズワルドの手の上には指輪を。どちらもラピスラズリがはまっていて、淡くユスティニアの魔力を纏っている。それを見て二人は目を丸くした。
「これは……」
「ちょっとした魔道具、です。私が作ったものですから作りも粗雑ですし、守護もおまけ程度にしかかかっていないので、ロレンスもオズワルドも、必要ないかも知れませんが……」
そう言って、ユスティニアは少し困ったように微笑んだ。
オズワルドは勿論、ロレンスも優れた魔法使いだ。自分などの手助けはきっと、必要ないだろう。しかし、それでも渡しておきたいと思ったのは……
「その、仲間としての証、とでも言いましょうか……リオニスとシュライクにも渡したんです」
「あぁ、持ってるぞ!」
にかっと笑って、シュライクは腕を掲げる。そこにはきらきらとユスティニアに貰ったブレスレットが輝いていた。リオニスも微笑んで、自分の胸元に触れる。そこには彼がユスティニアから受け取ったペンダントがさがっている。
ユスティニアが作った、彼の祝福のかかった魔道具。ちょっとしたお守り程度ですが、と彼は言いながら、二人の仲間を見つめた。
「もし、迷惑でなければ受け取ってもらえませんか?」
そう言いながら、ユスティニアは二人の顔を見る。オズワルドは暫し彼の顔と自分の手に乗せられた指輪とを見つめていたが、やがてふっと破顔した。照れたような、はにかんだような笑みを浮かべ、彼は口を開いた。
「ありがとう。大切にする」
そう言いながら、オズワルドはそっと自分の左手の中指に指輪をはめる。今まではめていた指輪よりも随分華奢なリング。煌めく石は澄んだ紅ではなく、深い深い青色で、その中で星のような金色がちらちらと散っている。それを見つめてオズワルドはほう、と息を吐き出す。
「ユスティニアが作ったのか。器用だな」
「ありがとうございます、オズワルド」
彼の賞賛の言葉にユスティニアは安堵したように目を細める。それから、ほんの少し不安げな顔をして、オズワルドを見つめた。
「あの……形も、指輪にしてしまいましたが、問題ありませんでしたか? その……今までつけていた指輪がないことを、気にしているようでしたので」
その言葉にオズワルドは少し驚いて目を見開く。……まさか、気づかれているとは思わなかった。確かに、あの指輪がなくなったことに誰より安堵したのは自分だったはずなのに、自身の中指に何もないのが気にかかってしまっていた。敏いこの青年はそんな自分の様子に気が付いていたのだ。そして、あの指輪の代わりにと、こんなにも素敵な贈り物をくれた。挙句、自分が"あの指輪"を思い出して不快な思いをしてはいないかと気にしてくれたようなのだ。
そんな優しい仲間にオズワルドは笑みを向ける。自分の薄い表情がそんなつもりがなくとも他人に威圧感を与えてしまうことはよくよく理解していた。
「あぁ、よく見ていたな。私にとって枷でしかなかったというのに、いざなくなると落ち着かなくてな。ありがとう、ユスティニア」
大切にするよ、ともう一度言えば、ユスティニアは今度こそ心から安堵の表情を浮かべた。そして、自分と同じようにアクセサリーを受け取ったはずのもう一人の仲間の方へ視線を向ける。彼はまるで石化の呪文をかけられたかのように固まってしまっている。
「ロレンス?」
どうかしたか、と心配そうにリオニスも問いかける。それを聞いてはっと息を呑んだ彼はゆるゆると首を振った。そしていつも穏やかに微笑んでいる彼にしては珍しく困ったように眉を下げたまま、視線を揺るがせる。
「ううん、こんな風に、誰かに何かを貰う事が、初めてだから少し驚いて」
そう言いながら、彼は大切な壊れ物を包み込むかのように自分の掌の中にブローチを閉じこめる。そしてまるで縋るような視線をユスティニアに向けながら、彼は口を開いた。
「良いの? ボクなんかに、こんな素敵なものを」
ぽつり、と呟くように彼は言う。その声色の弱弱しさと、"ボクなんか"と言う言葉にユスティニアは痛ましげに眉を寄せる。しかしすぐに小さく首を振ると、そっとロレンスの手を握った。ぴくりと跳ねる彼の手を撫でながら、優しい声で彼は言葉を紡いだ。
「ロレンスだから、渡したかったのですよ。大切な仲間のロレンスだから」
彼の考えをすぐに変えてやることは出来ない。無価値だ、無意味だ、何もできない、と自分を卑下する彼をすぐに救うことが出来ないことはユスティニアも理解していた。それでも、諦めるつもりはない。彼が大切な存在なのだと何度でも伝えようと、彼はそう思っていた。だから、告げる。大切な仲間であるからこそ、渡したかったのだと。
その言葉にロレンスは大きく目を見開いた。仲間、と口の中で転がすように言葉を紡ぎながら、ロレンスは顔を上げる。薔薇色と海色がユスティニアの瞳を見つめる。にこり、と微笑むユスティニアを暫し見つめたロレンスはふ、と表情を緩めた。
「……ありがとう、大切にするね」
そう言いながら、彼はそっとブローチを握りしめる。それをそっと自身の衣装の胸元にブローチを留めた。どうかな、とはにかんだように微笑む彼を見て、シュライクはパッと笑った。
「ロレンス、そんな風に笑うと可愛いよな」
そんな無邪気な賞賛の言葉にロレンスはぱちぱちと色の違う双眸を瞬かせる。
「か、可愛いって……ボク、そんなことを言われるような歳でも、顔でもない、のに」
ぽそりと呟いて戸惑うように視線を逃がすロレンス。"実際可愛らしいですよ"と言うユスティニアの援護射撃もあって、シュライクはすっかりはしゃいでいる。
「程々にしておいてやれよ、お前らの褒め殺しはなかなか威力が高い」
リオニスはそう言って苦笑を漏らす。しかし本気で彼らを止めるつもりはなかった。
―― 彼奴に少しでも俺たちの気持ちが伝われば良い。
そんな想いは確かだったから。
「ふ、……賑やかだな」
オズワルドは賑やかな三人の様子を見つめながらそう呟いて、目を細める。そんな彼を見て、リオニスは緩く首を傾げ、問うた。
「嫌いか? こういうの」
その問いかけを受けて、オズワルドは榛色の瞳でじっとリオニスを見つめる。少し緊張したように体を強張らせる彼を見て、オズワルドは可笑しそうに笑った。
「いいや」
とても心地よい。そう言って微笑む魔法使いを見て、勇者は嬉しそうに笑みを浮かべたのだった。




