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Heart  作者: 星蘭
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第二十一章 勇者と炎色の祝福




信じがたい文言。それを目にしたリオニスが真っ先にしたことは、今にも罵声を吐いて魔法調査局に突撃しそうな勢いのシュライクを押さえることだった。彼の気持ちは嫌と言う程わかるし、自分も同じ行動をとりたい気持ちでいっぱいであったが、そうしてしまえば魔法調査局あちらの思う壺であることも同時にわかり切っていた。


―― 見せしめ。


 そんな言葉が、脳内に浮かんだ。


「っ、馬鹿なこと言うな!」


 シュライクを半ば引きずるようにオズワルドの家にまで戻ったリオニスは漸く彼を解放する。それと同時、彼は甲高い声を上げた。ネモフィラの瞳に色濃い怒りを灯し、彼は椅子を蹴り飛ばす。


「国に従わない異端の魔法使い? 魔王の手先の疑い? ハッ! 好き勝手なことを言うもんだな! ずっと、ずっと彼奴の魔法で守ってもらっておきながら……!」


 拳を震わせ、シュライクは唇を噛む。ぶつりと切れたそこから、赤い血が滴り落ちた。


 街中に貼り出された魔法管理局からの通告。それを見た街の人々から聞こえたのはそんな心無い言葉たちだった。

 どうしてこんなことになっているのかは、火を見るよりも明らかだ。オズワルドが逆らおうとしたから。この街を守ることを放棄し、勇者たちとの旅を望んだからだ。そしてそれを拒否されてもなお、オズワルドが、そして勇者たちが諦めていないことを魔法管理局の者も理解していたのだろう。


―― そんなにも彼を手放したくないのか。


 そう思わずにはいられない。従わないのならば要らないと、処分を下そうとする程に。一度手に入れたものを手放すのは惜しいし、恐ろしいだろう……そんなロレンスの言葉を思い出す。


 実際、そうだろう。オズワルド程の魔法使いは、そうそういないはずだ。炎属性魔法の威力も、その制御能力も、並の人間で真似出来るものではない。国の要であるこの街を守るために必要不可欠であると言われれば、そうなのかもしれない。

 しかし……この街だけを守るためだけに、と言うのはおかしな話だ。事実、被害が大きいのはこの街ではない。地方の街や、村。それこそ魔法使いや勇者のような守護者も居ないような場所では、今でも魔獣の被害が絶えないはず。その報告だってこの街には入ってきているはずなのに、そちらへその街を、村を守るための人間が派遣されることは稀なのだ。オズワルドは悔し気にそう語っていた。自分が、自分たちが其方の守護へ向かえるならば、と。そうすれば、より多くの人々を救えるのに、そうさせてもらえないことが歯痒く、悔しいのだと、彼は言っていた。自身の行動を、言動を戒める指輪の痛みに耐えながら。


「オズワルドは誰よりこの国を、世界を思っているのに、どうしてこんな……!」


 ユスティニアは悲痛な声を上げる。


 この国を本当の意味で守りたいと、オズワルドはそう思っていた。だからこそ、自分たちと共に行きたいと望んでくれたのだ。全ての元凶である魔王の討伐。その力になれるのなら、と。

 それなのに、その意思を尊重するどころか、まるで踏みにじるかのような仕打ち。そんなことがあって良いはずがない、と聖職者である少年は呟いた。


「怒っても仕方ないよ」


 冷静にそう呟くロレンスだが、その二色の瞳には悲しみが灯っていた。強すぎる力を恐れる気持ちはわかる。しかし、これはあんまりだ、と彼も思っているようだった。


 そんなロレンスの言葉に、リオニスは一度深呼吸をする。ふ、と息を吐いた彼は自分自身にも言い聞かせるように、言葉を紡いだ。


「とにかく、助け出さないと」


 このまま放っておく訳にはいかない。その言葉に仲間達も表情を引き締め、頷いた。


 しかし……どうやって?


「忍び込む、のは現実的ではありませんか?」


 ユスティニアの言葉にリオニスは緩く首を振った。


「難しい、だろうな。此処は中央都市アレキシアだ。魔法使いが力を持つ街……挙句、多分彼が居るのは魔法調査局の中だ。生半な魔法じゃオズを助けるどころか入り込んだだけで捕まって終わりだろう」


 魔法の扱いと言う点で自分たちはまだまだ未熟だ。そんな自分たちが真っ向から管理局に飛び込んだところで早々に捕まってしまうことだろう。助け出すどころかオズワルドの立場を更に悪くすることも考えられる以上、現実的な策とは言えない。そんなリオニスの言葉に、ユスティニアは顔を歪める。


「そんな……」

「オズが自分で逃げる可能性は?!」


 彼奴だってこの街から逃げたがっていた。自分で逃げるかもしれない。オズワルドの魔法は最強と言われるレベルだ。そんな彼が本気で逃げ出そうとすれば逃げられるのではないか。そんなシュライクの言葉に首を振ったのはロレンスだった。


「それも無理だ。あの指輪で動きを封じられて終わりだよ」


 彼が嵌められているあの指輪は、相当強力な魔道具だ。逆らう意思を見せた、些細な言動をしただけであの苦しみようだったのだ、本気で逃げ出そうとしたら……そのまま、命を奪われかねない。その言葉にシュライクは悔し気に唇を噛む。


 しん、と静まり返る室内。八方塞がりのその状況に、彼らは絶望しかけていた。


 オズワルドは大切な友人だ。彼が見せしめのように殺されるのはあってはならないこと。しかし、その状況を打開できる手段が、何一つとして思い浮かばない。

 無理矢理の方法ならば、ないこともない。しかしそれで万が一この仲間達の誰かが命を落とすようなことがあれば……一番気にするのがオズワルドであることも、彼らは理解していた。表情の変化こそ乏しくとも、彼が優しい魔法使いであることは皆、わかり切っていたから。


「……よし」


 沈黙を裂いたのは、勇者の声。覚悟を決めた、凛とした声で彼は言った。


「処刑される寸前に、オズを助け出そう。真向から」


 その言葉に、仲間達は目を見開いた。


「は?! 攫うってことか? 流石に目立ちすぎるだろ」


 正気か? と声を上げるシュライク。ユスティニアもロレンスも不安げな顔をしている。そんな彼らを見つめたリオニスは小さく頷いて見せる。


「うまく行くかはわからないけど……ひとつだけ、良い方法を思いついたんだ」


 きっと、これしかない。そう言い切るライラックの瞳には、強い光が灯っていた。




***




 ゆっくりと、目を開ける。眼前にあるのは自分を見上げる数多の人々の顔、顔、顔……彼らの顔に浮かぶのは恐れ、畏れ、そして……憐れみ。


 街の中央広場の中に作られた処刑台。そこに繋がれたまま、濃紺の髪の魔法使いは冷静に自分の状況を観察する。異端の魔法使いを処するために足元に積み上げられた薪。そこにばしゃりと油がかけられる。

 何事か叫ぶ魔法管理局の人間の言葉は、ぼんやりした意識の中では理解できない。凡そ自分の罪状でも読み上げているのだろうな、とオズワルドは思った。


「っ……は、末路は、こんなものか」


 浅く息を吐き、苦笑を漏らす。


 そもそも、あっさりと魔法管理局の呼び出しに従ってしまった自分が軽率だった。あの場所であんな言動をした自分を彼らがあっさりと赦すはずがないことは、長くあの場所に身を置いていた自分が誰よりも良く理解していたはずなのに。そんな優しい組織であったなら、今頃自分はとっくにリオニス達と共に旅立つことが出来ていただろうに、とオズワルドは自嘲の笑みを浮かべた。


 管理局に辿りつき、いつものように中に入ると同時、魔法を抑制する器具を付けられ、拘束された。驚き、困惑するオズワルドに突き付けられたのは、"反逆罪"と言う言葉。命に従わなかった自分への罰なのだということは、厭でも理解できた。

 

 最強の魔法使いとして、この国に招かれた。この国を守るためにその力を貸してほしいと、そう乞われて従った。その在り方がこんなものだと知っていたならば、絶対にその言葉には従わなかっただろうに。そう思っても今となっては後の祭りだ。


 この国を守るため、と言うのは名目だ。実際は、豊かなこの街を守るためでしかない。本当に必要とされている場所はいとも簡単に見捨てられる。国にとって要地でなければ、救援を送ることすらしないのだ。救援を送ることでこの街の守護が薄くなっては困るから、と。


 それはおかしいと声を上げた同胞は、他にも居た。しかしその悉くが忌々しい指輪によって戒められた。ある者はその苦痛とジレンマに精神を病み、ある者は抵抗を諦め街の従順な下僕イヌとなった。

自分も、もし彼らに……リオニス達に出会わなかったなら、こうしてこの街の、管理局の在り方に抗うことはしなかっただろう。致し方ないと諦めて、素直に従い続けていただろう。日々街に届く悲鳴に、救援を求める声に耳を塞ぎながら。握り潰される助けを求める手紙に見て見ぬふりを続けながら。


 そうならなくて良かったかもしれない、とオズワルドは思う。必死に抗って、おかしいと訴え続けて、その結末がこれだというのなら……それも致し方ないのかもしれないな、とさえ思った。


―― 嗚呼、けれど。


 唯一、心残りなのは。自分を連れて行きたいと望んでくれた勇者たちの仲間となれなかったこと。彼らに要らぬ疵を与えてしまうことになったこと。

 無事に、旅立ってくれるだろうか。魔法管理局の面々がリオニス達のことまで咎めないことをただ願う。


「勇者の旅路に幸あれ……」


 それを望むくらいは、赦されるだろうか。


 そう思い、目を閉じる。静かにゆっくりと、息をする。炎の扱いには慣れているつもりだが……火と煙とに巻かれて死ぬのはきっと苦しいのだろうな。そう考えていた、その時。

 足元に、炎が広がった。勢いよく燃え上がるそれは、オズワルドの体を包み込んでいく。遠くでどよめきが起こる。


「うわっ!?」

「なんだ、火の粉が……っ」


 舞い上がる火の粉。それは踊るように、処刑台の周囲にも降り注ぐ。炎の加減でも間違えたのか、これでは巻き込まれる。そう誰かが叫ぶのが聞こえた。


「逃げろ!」


 誰かの叫びを皮切りに、蜘蛛の子を散らすように、群衆は逃げていく。その様をオズワルドは冷静に……否、少なからず驚きながら、見つめていた。


 体を焼き尽くすはずの炎は確かに体を包み込んでいるのに、その熱さは全く感じない。感覚阻害の魔法を使った記憶はないし、厭と言う程抑制機を付けられた今の自分では到底できないはずなのに。


 強い、強い風が吹く。炎を巻き上げ、火の粉を散らし、風は吹き荒れる。その様に僅かに残っていた人間も逃げていく。

 そんな炎と煙の中。ばきっと、何かが壊れる音が響き、両腕が、両足が自由になった。倒れ込みそうになる体を支えたのは、小さな体。強い力で腕を引かれて、オズワルドは大きく目を見開いた。


「な……!」


 燃え盛る炎の中。自分の手を握っているのは、茶の髪の少年だった。

 見開かれた榛の瞳に映る、真剣そのものの表情。そのまま、強くオズワルドの手を握りしめ、勇者は言った。


「諸々は後で説明する! 俺たちと一緒に来てくれるなら、このまま一緒に走ってくれ!」


 強く強く、手を引かれる。舞い上がる炎が爆ぜる音だけが静まり返った街の中央広場に響いていた。



***



「はぁっ……無事に、逃げられたか……」

 

 大騒ぎの街の裏路地を駆け抜け、街外れまで抜けたところで、漸くリオニスは足を止めた。


 空はすっかり夕焼けの色に染まっている。先刻まで自分を包み込んでいた炎のような夕焼けに照らされ、すっかり上がってしまった息を整えながら、オズワルドはじっと自分の手を引いていた勇者を見つめた。


「あー……緊張した」


 そう声を上げてへなへなとその場に座り込むリオニス。先刻の勇ましさは何処へやら、すっかり脱力した様子の彼に、オズワルドはそっと手を伸ばす。


「オズワルド! 怪我、怪我はありませんか!?」


 彼が口を開くより先。飛びついてきたのは、長いプラチナブロンドを揺らした青年。焦った表情の彼は背伸びをしてオズワルドの額に、頬に、体に触れた。怪我がないかを確かめるように。その手は微かに震えている。

 優しくひんやりとした彼の手をそっと握り、オズワルドは首を振った。


「大丈夫だ……あれはやはり、ユスティニアの魔法か」


 先刻の状況を思い出しながら、オズワルドは言う。

 炎に包まれても熱さや痛みを感じなかった。それは偏に、"守られていた"からだ。あの時は動揺で理解できなかったが、落ち着いて考えてみれば簡単なことだ。

 優しく穏やかな、聖なる魔力。それが体を包んでいたのだ。身を焼き尽くす劫火から守るために。


「そう。ユスティの魔法をボクが強化していたんだ」


 オズワルドに怪我がないと理解して安堵したように息を吐くユスティニアの肩をぽんと叩きながら、ロレンスが微笑む。そしてそんな彼の頭をぐしゃりと撫でながら、シュライクが言った。


「ちなみに炎はリオの魔法な。火刑のために使われる炎より早く放った。んで、煙やら火の粉やらを俺の魔法で煽って散らして、目晦ましにした」


 そう言ったシュライクは得意げに笑って、言う。


「全部、オズに教わったことだぜ!」


 その言葉にオズワルドは大きく目を見開いた。


 シュライクは援護の方が向いている。ユスティニアの防御魔法は強力だからロレンスが強化すれば破れる者はそういない。そしてリオニスの炎魔法のコントロール。

 確かにそれらは全て、オズワルドが彼らに教えたこと。例え共に行くことが出来ずとも彼らの助けになるように、と。


「リオが提案したんだ。これしか、オズを助ける手段はないから、って」


 ね、と言ってロレンスは微笑む。柔らかな二色の瞳が、穏やかに細められている。


「失敗したらとんでもないことになったでしょうけれど……良かった、皆無事で」


 ユスティニアは鮮やかな緑の瞳を涙に潤ませて、声を震わせる。


 それを聞いたオズワルドは一度目を伏せて、そっと息を吐き出した。そして未だへたり込んでいるリオニスに手を差し伸べて、言った。


「……無茶をする」

「これくらいしか、お前を助け出せる方法が思いつかなかったからな」


 へらりと笑いながら、リオニスはその手を取って、立ち上がった。

 オズワルドよりずっと低い身長。体躯もまだ発達しきっているとは言い難い。しかし、その手は確かに頼もしく、暖かかった。


「良かったよオズ。これで、お前は自由だ」


 リオニスはそう言って、笑う。オズワルドも釣られたように表情を綻ばせかけて……ふ、と息を吐いた。


「しかし、指輪が……」


 自分を戒める指輪。その問題はまだ解決していない。


 そう言いながら視線を自身の指に落としたオズワルドははっと息を呑んだ。

 いつでもその指で煌めいていた紅色は、既にその姿を消していた。細い指に残るのは薄い指輪リングの痕のみ。


「そんな、何故……」


 今まで、どれほど強く望んでも外せなかったそれ。国の、この街の本意でない言動を、行動を取れば自分を戒めてきた枷。それは、一体何処に行ってしまったというのか。


「術者がオズが死んだと思ったから、じゃあないかな。魔法は術者の認識でかけるものだから。まぁ、後で君が生きていると気が付いたところでもう手遅れだよ」


 困惑するオズワルドの鼓膜を震わせたのは静かな声。はっと息を呑み、その声の主の方へオズワルドは顔を向ける。


 穏やかに微笑む予言者は勇者とその仲間達を見て、目を細める。それからオズワルドの方を見て、緩く首を傾げた。


「ね、言っただろう? 予言に行きつく道筋は幾らでもあるんだ、って」


 何処か得意げな子供のように、フロストは言う。幾度も瞬くオズワルドの榛の瞳を見つめた彼は、まるで我が子を愛おしむように目を細めると、言った。


「さっき勇者様リオニスが言っただろう? 君はもう自由だ」


 もう何処にでも行ける。その力を使いたいもののために使うことが出来る。歌うように紡がれる言の葉は、きっとオズワルドへの祝福だ。


 オズワルドはゆっくりと瞬くと、偉大なる予言者の足元に跪いた。そして、その手を取りながら、言う。


「ありがとうございます、フロスト様」


 そんな彼の言葉にフロストはくすっと笑う。そしてぽんとオズワルドの肩を叩くと、揶揄うような声音で言う。


「お礼を言うべき相手が間違っているんじゃあないかな」


 僕は何もしていない。そんなフロストの言葉に、オズワルドはふっと笑う。そして立ち上がると、自分を救うために奔走してくれた"仲間"たちを見つめ、腰を折った。


「……ありがとうリオニス、皆。私も、君たちの旅に同行させてはくれないだろうか」


 そう言って微笑むオズワルドのマントを柔らかい風が揺らす。躊躇いがちに差し出された手を、勇者は明るく笑って、その手をしっかりと握った。


「此方こそ。嬉しいよ、オズ」


 共に旅立てて嬉しい。そう言って笑うリオニス。


「オズワルド、共に世界を守りましょう」

「宜しくね、オズ」


 ユスティニアとロレンスは穏やかに微笑んで、彼を見つめる。


「よっしゃー! 行くぞ!!」


 シュライクは明るく笑って、オズワルドの背に飛びついた。


 優しく穏やかで、無邪気な仲間達。そんな彼らのきらきらした瞳を見つめ、オズワルドは榛の瞳を細めた。


「あぁ、宜しく頼む」


 笑い合い、歩き出す勇者たち。夕焼けの向こう側に溶けていく後姿を見つめながら、予言者は目を細めた。


「行っておいで」


―― 君たちの旅路が幸福に満ちたものであることを願うよ。


 そんな祝福を贈りながら、フロストはそっとその姿を晦ましたのだった。





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