第十六章 勇者と強さを求める仲間達
緑髪の青年はふう、と一つ息を吐く。自分を落ち着かせるように、集中力を高めるように。そんな彼の手元の竪琴に魔力が集まっていくのを感じ取りながら、"指導役"の少年……リオニスは小さく頷いて、言った。
「そうそう、自分の魔力で対象を包み込むイメージで……」
そう言われて、ロレンスは顔を上げる。そしてリオニスを見つめると、指先で竪琴を弾きながら、呪文を紡いだ。
「ウィディア・ノーツ」
ポロロン、と言う軽やかな音と同時、リオニスの体を温かな魔力が包む。リオニスはすぅっと息を吸い込むと、指先に魔力を集中させた。
「レグルス・リティング!」
呪文を紡ぐと同時、彼の指先から放たれた魔力は、狙いを過たずその指の先にあった切株を打ち抜いた。ごうっと派手な音を立てて、切株が燃え上がる。水分を多く含む木を一瞬で焼き払う程の魔力をリオニスは持っていないはずだった。しかし、今目の前にあるのは黒焦げになった切株である。
ロレンスが持つ能力は、他者の強化。魔力や身体力を強化する魔法を使える彼は、珍しい容貌もあって彼を"買った"劇団に幽閉されていた形だ。劇団の人間がそうした理由も理解したくはないが、出来てしまった。リオニスのような攻撃魔法を使える人間は珍しくないが、他者を強化する魔法を使える人間は、中央でも決して多くないはずだ。こうして仲間になってくれて頼もしい。そう思いながらリオニスは一つ、息を吐き出した。
切株が完全に燃え尽きたところで、ふうっと息を吐いたロレンスはリオニスの方を見て、首を傾げた。
「こんな感じで、大丈夫だった?」
彼の問いかけにリオニスは小さく頷く。そして笑顔を浮かべると、軽くロレンスの頭を撫でて、言った。
「大丈夫だ、上手くなってきたな、ロレンス」
その言葉にロレンスは安堵したように笑みを浮かべた。
「良かった。ありがとう、リオ。今までは何処かに向けて魔法を使う、って言うことがなかったから」
そう言うロレンスは嬉しそうに微笑んでいる。彼は今までこうした魔法の訓練をしたことはなかったという。彼を"買った"と言う劇団の人間は彼が無意識に放っている魔力の恩恵を受けていたにすぎないため、彼を訓練する、と言う発想はなかったのだろう。寧ろ、魔法に関して無知である方が御しやすい、と思っていたのかもしれない。そんな彼も少しずつではあるが、魔力のコントロールが上手くなってきた。無暗に周囲へ魔力をまき散らし、うっかり敵まで強化してしまう、と言う事故を防ぐための訓練はなかなかに順調だった。
一方。掴みかかってくるシュライクを躱し、蹴りを入れようと足を振り上げているのはユスティニア。此方は教団で暴力を禁じられていたために今まで戦ったことがないという彼を鍛える訓練である。繰り出された蹴りはあっさりとシュライクに躱されている。顔を歪めたユスティニアは少しふらつきながらも体勢を立て直し、今度は拳を突き出す。しかしそれはあっさりと受け止められ、そのまま地面に組み伏せられた。
「っは、はぁ、は……」
地面に倒れたまま、ユスティニアは荒く息を吐く。なかなか呼吸は整わず、体を起こすこともできずにいる彼は悔しそうな表情を浮かべた。
「大丈夫か、ユスティ」
そう問いかけるシュライクは余裕の表情だ。それも至極当然のこと。昔から拳一つで戦ってきた彼が本気を出せばユスティニアを無力化するのに10秒もかからないだろう。実際、ユスティニアにうっかり怪我をさせないように注意する方が大変だと先日苦笑い混じりに言っていたくらいである。
それを知っているから、だろう。"今日はこの辺にするか"と問うシュライクにぶんぶんと首を振って見せて、ユスティニアはよろりと立ち上がった。
「平気っ、ですっ!」
そう言って構えを取るユスティニア。それを見てシュライクはにっと勝気に笑う。好戦的とは言い難い(実際他者を傷つけるためでなく自身や仲間を守るためにと戦う手段を覚えようとしている)彼が諦めることなく構える姿と言うのは見ていて頼もしく、好意を持てる。そして決して覚えが良いとは言い難い中でもやる気はよく見えるため、教え甲斐があるのだろう。
「あんまり無理すんなよー、まずは体力付けるのが大事だからな!」
「はい!」
力強く頷いたユスティニアにシュライクは再び組み付きにかかる。ユスティニアはそれを躱し、今度こそ、と蹴りを放つ。足元を狙う、と言うのはシュライクの教えだ。ユスティニアは決して体格が良い方ではない。こうした戦闘になった場合十中八九体格では不利になるだろう。そんな状況でも相手の隙を突き、足元を狙えば体勢を崩すことが出来るはずだ。それでできた大きな隙で反撃することも逃げることも可能なはずだ、と言うのがこれまた体格が良いとは言い難いシュライクの持論である。尤も、シュライクはユスティニアと異なり、見た目にそぐわない怪力を持っているため、そちらで何とでも出来てしまうのだが。
「今日はこれで終わりにしよう」
一頻りそんな二人の訓練の様子を見ていたリオニスはそう声をかけた。そろそろ日が暮れる。今夜の野宿の支度もしなければならない。そんな彼の言葉にシュライクはユスティニアの攻撃を防ぎながら頷いた。
「そうだな。という訳で、終わりだ、ユスティ」
そう言って、シュライクはユスティニアの手を離す。ユスティニアは深々と息を吐くと、その場に座り込んだ。ロレンスは座り込みこそしないものの、ふうっと息を吐いている。身体の訓練と魔法の訓練、形は違えど、二人とも疲れたのだろう。
そんな二人の様子を見てリオニスは苦笑しつつ、首を傾げた。
「大丈夫か二人とも」
大分疲れただろう、と気遣うリオニスに二人は顔を上げ、頷いて見せる。
「平気です。……でも、お水は、飲みたいです」
「ボクも」
流石に、大分ダメージはあったらしい。そう思いながらリオニスはカップ二つに水を注いで二人に差し出したのだった。
***
夢を、見た。故郷……ルビアで、幼い仲間達に訓練を付けてやっていた頃の夢を。
体も小さく戦うことが得意とは言い難い二人の幼い仲間……スラッシュとロビン。何度も何度も諦めず、自分に飛び掛かってくる二人をいなして、何度も地面に転がした。生傷が絶えず、"家"に帰る度、スワローに怒られたけれど、シュライクはやや厳しめの訓練方針を変えなかった。戦えないことが命を落とすことにつながる可能性もあったあの街で、あの生活環境だ。強くなることが必要だと、シュライクは彼らに稽古をつけていたのだった。
ユスティニアに稽古をつけていることで、あの頃のことを思い出したのだろうな、と夢の中でぼんやりと思う。ユスティニアは他人を傷つける術ではなく自分や仲間を守るため、仲間の足手纏いにならないために身の守り方を覚えたい、と言っていたから、あの時とは少し状況が違うかもしれないけれど。
***
目を覚まして、シュライクはそっと息を吐く。静かに体を起こしながら軽く髪を掻き揚げた彼は同じテントで眠っているリオニスとユスティニアの姿を見てあれ、と思う。もう一人いるはずの仲間の姿がない。その代わりに、テントの外から微かに音が聞こえてきた。優しい、音楽。微かなそれはまるで子守唄のようにも聞こえた。
テントを出て、その音の出所を探す。テントのすぐ傍に火を焚いて、彼……ロレンスは座っていた。その手には彼の魔道具であり宝物だという竪琴が抱えられていて、その華奢な指先が弦を弾いて音楽を奏でていた。
「ロレンス」
名を呼べば、その音は止まる。彼はシュライクの姿を見ると、ゆったりと首を傾げた。
「シュライク。眠れないの?」
「いや、目が覚めて……ロレンスは?」
緩く首を振ったシュライクがそう問えば、ロレンスはもう一度抱えた竪琴をそっと鳴らして、答えた。
「ちょっと練習。起こしちゃった?」
ごめんね、と詫びる彼はすまなそうに眉を下げている。シュライクはもう一度首を振って見せて、笑った。
「夢見て、目が覚めただけ。大丈夫だ」
「そっか、良かった」
安堵したように息を吐いたロレンスは竪琴を抱え直す。少し座る場所をずらした彼はシュライクに"座る? "と問いかける。シュライクはそれに頷くと、彼の隣に腰かけた。
ぱちぱちと焚火が爆ぜる音だけが響く。ごく静かな、夜だ。暫しの沈黙の後、シュライクは口を開いた。
「ロレンスは、いつからあの劇団に居たんだ?」
魔物に全滅させられた、有名な劇団。多くの人々に夢と希望と華やかな劇を届けてきたであろう劇団でまさかあんな奴隷のような扱いを受けている少年が居るとは思わなかった。あの場所にロレンスはいつから居たのだろうか、とシュライクはずっと考えていたのだ。
少し考え込む顔をしてから、ロレンスは答えた。
「ん、結構前、かな。暫くは"ジンシンバイバイ"してる組織? みたいなところに居たんだけど目の色が珍しい、って買われたんだ、あの劇団にね」
あっさりと語られる、壮絶な過去。記憶にある限り、親の姿は見たことがないらしく、物心ついたときには見世物小屋のようなところに居たのだという。そこで美しい瞳の色を気に入られ、あの劇団に買い取られたらしかった。
「初めは劇を覚えさせようとしたみたいなんだけど、できなくてね。
ボクはあまり物覚えが良い方じゃないし、動きもぎこちないからダメだ、って。
代わりに覚えられたのが音楽だったんだ、昔から好きだったしね」
ロレンスはそう言いながら、そっと竪琴を撫でる。懐かしむように色の違う双眸を細めながら、彼は言った。
「ボクが音楽を奏でるとお客さんからもらえる心付が増えたんだ。
今思えば、リオが言ってた通り、ボクの魔力で皆の心が高揚してパフォーマンスが良くなった、或いはお客さんの心が開いてたってことかも知れないなぁ」
あんな扱いをしていた劇団員たちを"皆"と呼び、今も悼むような表情を浮かべているロレンス。優しい……否、世間知らずな気質の彼がおかれていた境遇を思うと怒りが湧いてくるが、本人が怒っている訳ではないなら自分が怒るのは筋違いか、と緩く首を振ったシュライクはそっと息を吐いた。
と、ロレンスが顔を上げて、シュライクの方を見る。美しい薔薇色と海色の瞳に見据えられ、ほんの少しだけ、緊張する。ロレンスはゆるっと首を傾げて、歌うように問うた。
「シュライクは?」
どんな生活をしていたの? 彼はそう問いかけてくる。それを聞いたシュライクは少し悩む顔をした後、ふっと息を吐き出して、笑った。
「俺も、物心ついたときは一人だったよ。薄暗い路地に居たのが最初の記憶、だな。盗みでも何でもして生き抜いてやる、って思ってて……」
懐かしい記憶。ろくでなしだった、と断言できる幼少期。薄暗い路地裏で生きて、生きるために必死で、盗みをして、スリをして生きていたあの頃。あのまま生き続ければ、遠くないうちに捕まるか、もっと強い者に殺されていたかもしれない。成長した今となっては、そんな未来も推測が付くけれど、あの頃の……生きることで手一杯のシュライクには到底無理な話だった。
「そうだったんだ。子供が一人で生きるのは、大変だよね」
ロレンスは溜息混じりにそう言う。それを聞いたシュライクは小さく頷いた後、ふっと表情を綻ばせた。
「そんな俺……俺たちを拾ってくれた人が居たんだ。同じような境遇の奴らをその人は拾ってくれて……一緒に暮らしてたんだ」
あの屋敷で、"家族"と共に過ごした日々は、確かに幸福だった。シュライクはそう思い返す。
自分を教育してくれた、イーグル。その日まで出会ったことがなかった、頼れる大人。豊かとは言い難い生活ではあったけれど、確かに幸福だった。
そんな記憶を遠くに見るシュライクを見て、ロレンスは興味深げに首を傾げた。
「どんな人だった? その、シュライクを拾ってくれた人は」
その問いかけに、シュライクはどんな……と呟く。そして自身の記憶を手繰った後、小さく笑った。
「変わり者、だった」
イーグルは別に豊かな人間だった訳ではない。シュライクと同じ、持たざる者だった。それでも、彼は自分たちを教育し、育ててくれた。普通の人間ではなかった、と思う。
初めは何か目的があって自分たちを拾ったのだろうと思っていた。言うことを聞く手駒が欲しかったとか、誰かを支配してみたかったとか。しかし、そんな様子は彼には一切なく……強いて言うなら、彼も寂しかったのだろうか、と思ったくらいで。それくらい、彼は本気で自分を、自分たちのことを思ってくれていた、と思う。
「間違ったことをしたときはぶん殴られたし、飯抜かれたこともあったし……それでも、俺も、家族も、皆イーグルが大好きだった。
血は繋がってなかったけど家族ってのが居たらこんな感じなんだろうな、って心から思ってた」
「家族、かぁ」
ロレンスは少し憧れるように目を細める。それからゆるりと首を傾げて、質問を重ねた。
「どんな子たちが居たんだい?」
家族と言う存在がなかったロレンスには、幸せそうに"家族"を語るシュライクがとても眩しく映ったのだろう。幸福な記憶を聴くことで、自身もその過去を享受できる気がするとでも言いたげに穏やかな表情でロレンスはシュライクに話の続きをせがむ。それを聞いたシュライクはいつものように明るく笑って、言った。
「はっ、その話させると長いぞ!」
「良いよ。まだ夜は長いから」
そう言って笑うロレンスに、シュライクは家族の話をした。
勇者と共に旅立つ自分を見送ってくれた、大切な家族たち。無口で頭が切れるクロウ。料理上手で明るかったスワロー。まだ幼く、まるで本当の兄のように自分を慕ってくれていたスラッシュとロビン。
彼らは元気だろうか。そう思いながら、シュライクは目を細める。
リオニス達と共に魔王を打ち倒したら、街に戻ると言ってある。その時には、きっと。
「俺は、イーグルみたいになりたい。
俺や、リオ……ロレンスみたいな孤児が安心して暮らせる場所を、作りたいんだ。ロレンスに出会って、一層そう思ったよ」
シュライクはそう言って、強く拳を握る。強い強い意志の籠った瞳。それを見て、ロレンスは目を細める。
「そっか。きっと、シュライクなら出来るよ」
そう言ったロレンスは竪琴を抱え直す。
「素敵なお話聴かせてくれたお礼に、何か弾こうか。リクエストはある?」
ボクに出来るのはそれくらいだから、とロレンスは言う。シュライクは少し悩む顔をした。音楽や演劇にはあまり明るくない。知っている曲と言えば……そう考えたシュライクはふと思い出した顔をして、ロレンスを見た。
「……曲の名前は、覚えてないんだけど、一曲、好きだった曲があるんだ」
「メロディとか覚えてる?」
そう問われて、シュライクは少したどたどしく、覚えているメロディを口遊んだ。それを目を閉じて聴いていたロレンスはこくりと頷く。
「……あぁ、北の国でよく歌われている曲だね」
良く知ってるよ。そう言ったロレンスは指先で竪琴を弾いた。
軽やかな音が響く。すぅ、と息を吸い込んだロレンスは、静かな声で歌い出した。
籠の中の小鳥 外を知らぬ小鳥
羽ばたき方は知っているはず 羽ばたく勇気が欲しいだけ
大丈夫 君は飛べる 誰よりも高く 誰よりも遠く
その背を私はそっと押そう 君がどこまでも飛べるように
いつか疲れた時は戻れる止まり木となって 私はいつまでも待っていよう
懐かしいメロディ。それに乗る、懐かしい歌詞。それは、自分を励ましてくれるかのような歌で。
シュライクはそれを聴きながらそっと目を閉じたのだった。