大根役者の怪
やっぱりダメか。
伸也から電話が掛かってきたから、もしかしたらと思ったけど、これで完全に望みは絶たれた。巻き込まれたこととはいえ、交通事故の処理は時間が掛かるらしい。
「いや、無理はしないでくれ。なんなら、そのまま病院へ向かい精密検査を受けてきたらいい。後から不調になられても困るからな」
「それはそうかもしれませんけど……すみません」
「お前のせいじゃないだろう? 謝るなよ」
言葉短く挨拶を交わし、電話を切った。
聞き耳を立てている団員に予定の変更は無し、と告げる。肩をすくめる者は居たが、みんなが嘆くでも落胆するでもなく、『大岡越前名裁き・柳の国の隠れ郷』の舞台準備を進めていた。
みんなの姿勢に頼もしさを覚え、そして、座長として予定外の舞台を引っ張っていく緊張感に、久しぶりに手が震えていた。
そう、公演の計画は1時間前に急遽変えざるを得なくなったのだ。私が、亡くなった先代の座長から『大宝劇団』を引き継いで、初めての経験だった。
事の起こりは、1時間よりも少し前。
県内を主に公演活動をしている私たち大宝劇団は、この日、県北の小学校へ公演に赴いていた。地域活性化の名目で各学校に配分された給付金を使い、芸術に触れる機会を増やそうという企画なのだそう。
もちろん、子供達にとっては、大きな舞台を見に行く方が良いのだろうが、そこは小学生。大人しく鑑賞していてくれるのか、先生方のなかでも意見が割れたそうだ。そこで考えだされたのが、経費の安い小規模演劇団を招いて、体育館で公演をしてもらうというもの。
私たちからすれば、願ったり叶ったりの話。二つ返事で請け負った。
私たちが小学校で大道具の準備をしている頃、劇団の看板役者である伸也は、写真映えのする神社で地方紙の取材を受けていた。この神社と小学校は車で30分ほどの距離にあり、取材を受けてから小学校で合流し、子供たちに定評のある演目「ウルトラヒーローパンダマン」の公演をする予定を立てていた。
そう、当初の予定では、大岡越前という、時代がかった演目ではなかったのだ。
その予定が大きく狂ってしまったのは、一本の電話から。ちょうど1時間前に伸也から連絡が入ったのは、車で移動中に事故に巻き込まれたというものだった。
追突事故の弾みで流れてきた車が、伸也の運転する車に接触。複数台が関係する事故と言うことで、事情聴取なども大がかりになり、到底抜け出せるものではなくなった。
小規模の劇団では、一人一人の役割が大きい。そして、持っている演目も限られる。しかし、せっかく授業を潰して空けてもらった時間を、こちらの都合でドタキャンする、なんて言うことは出来ない。
看板役者が不在で今から準備できる演目は『大岡越前名裁き』だけだったのだ。
「大岡越前……ですか。それはまた……渋い演目ですね」
やむを得ず演目が変わることの許可をもらいに伺った時、校長が思わずといった感じで漏らしたのが、上の台詞だった。
評価が下がることよりも、演じる機会が減ることの方が怖い小規模劇団の私たちは、先んじて食い下がった。
「もちろん、子供達にいくらかでも伝わりやすいよう、大げさな身振り手振りを交え、言葉遣いを工夫しながら演じたいと考えています。アドリブにはなりますが、きっと記憶に残る舞台になることでしょう」
風呂敷を大きめに広げはしたが、格式張った正統派劇団よりも、アドリブに強いのが小規模劇団の特徴だ。
ご当地ネタを盛り込めば、観客も笑ってくれるもの。やってやろうぜ! と勢い込んでいた劇団員の顔を思い浮かべながら唾を飛ばした。
「まあ、教員方がもちろん喜びますが……小学生ではあまり喜んでくれないかもしれませんよ?」
「そこは私どもの腕の見せ所です。費用を3分の2にさせていただきますので、なんとか……」
「……そうですか、わかりました。今わからなくても、大人になってから思い返すこともあるでしょう。そのときに、糧となるのなら無駄にはならないでしょうし。許可します」
校長権限で変更案が通った。
「あと、20分です」
大道具やら荷物持ちやらの、細々した雑務を担当している新人の佐々木が、控えとなっている体育館のステージ舞台袖に顔を出した。
「舞台はどうだ?」
「問題ありません。むしろ、途中の舞台変化に手を焼くかもしれませんけど」
そう、パンダマンと違い、大岡越前は途中で舞台の大きな切り替わりがあるのだ。そういった諸々をどう上手くこなせるか、チームワークが試される。
「そのときは、手空きが手伝うから安心してくれ。スポットライト、頼むぞ?」
「はい」
観客席の脇からステージに向かってスポットライトを照射するのも佐々木の役割だった。舞台に立たずとも、彼の担っているものは大きい。いや、誰が一人欠けても困ってしまうのだ。大宝劇団は。
「こんな時こそ、噂の大根役者の出番なんでしょうけどね~」
町人 兼 被害者 兼 最初のナレーション 兼 笹竹の音響 役が、冗談を言う口調でぽつりとつぶやいた。
「大根役者?」
役立たずの代名詞である『大根役者』に居てもらっても嬉しくないのだが?
そう思ったのだが、どうやら私の認識とみんなの認識には食い違いがあったらしい。
「あの都市伝説の? ほんとに居るのかしら」
紅一点のヒロイン役が台詞を受ける。
「いるらしいよ? ねえ、八吉郎さん。会ったことがあるって言ってませんでしたっけ?」
「昔はなぁ。出没したって話を、よう聞く機会があったんだけんど、最近はさっぱりじゃって」
再来年には引退すると公言している一番年かさの八吉郎さんが、いかにも悪者然とした、イヤらしい男の顔でつぶやいた。
さすがに化粧にも年季が見える。特に今回は、小学生向けと言うことで、誰が見ても悪者だというのが見て取れる濃い目の化粧を施していた。こういった機微を目にするたび、自分の未熟さを痛感する。肩書きが座長になっても学ぶことは多い。
それはともかく、みんなが言う大根役者がわからない。
台本にアドリブを書き起こしながら、会話に加わる。
「大根役者って?」
「あれ? 知りません? 都市伝説ですよ。演者が欠けたりした時に舞台のピンチに駆けつける、正体不明の男です。いきなり舞台に上がり込んで、稽古を一切していないにもかかわらず、どんな役柄も見事に演じてみせる、妖怪のような扱いをされている人物ですよ。まあ、人物なのか何なのか」
「あれ? それは“妖怪白塗り丸”じゃないのか?」
「おお、昔はそんな名前で呼ばれておったな」
白塗り丸、今は大根役者か。
度々聞く名前だったが、実際に見たことが無いので信じようがないのだ。不思議なことに、その者を映した映像が一切存在しない。
「ビデオに撮っていても、ソフトが故障するらしいんですよね」
だから、噂話だけが残っている。
「名前だけなら、江戸時代からいるっつうねぇ、その男はぁ」
八吉郎さんが言う。
「会ったことがあるんですか?」
「おう、まぁなぁ。ただ、証拠がない分、誰に話そうとも信じてもらえんのよ」
「なるほど。そうなると、だいぶ昔の話ですよね」
私が知らないと言うことは、少なくとも、この劇団に入ってからのことではないだろう。
「大昔じゃあな。わしが下積みをしておった頃じゃけん」
下積みというと、まだ駆け出しで、東京の有名な歌劇団に所属していた頃の話だろう。八吉郎さんは今でこそ、地方の劇団員として活動しているが、歌劇団が毎年行っている芸術学校卒業生からのスカウト、その選考の中に入ったという経歴の持ち主だ。
本来であれば、こんな小さな劇団に所属しているような人ではないのだが、大きな組織のドロドロに嫌気が差して、早くに抜けてしまったという。
「あの時はなぁ。女優が会場入りの際に足をくじいてしまって。活発な動きを求められる役じゃったから、代役を立てようという話になった。しかし、これが上手く決まらなくてな。そのときじゃった。警備の厳しい会場にもかかわらず、どこからともなく三味線を担いで現れたのが大根役者よ」
うん? 話の流れ的に大根役者がその女優の代役を務めたのだろうが……。
「男性ですよね?」
「そう、男性じゃあな。しかしな、鳥肌が立つほど演技が上手かった。男性ながら、女性の仕草や表情、声の震え、思いの表し方。そのどれもが、見事の一言。皆で話しておったよ、本当の役の女優には見せられないと。こんな演技を見せられたなら、自信を失ってしまうぞと」
「そんなに!?」
大きな歌劇団で、そんなに凄い評を受ける者が居るなどとは信じられなかった。
「台本は流し読みで、全てを把握しておった」
そう言った後に、八吉郎さんは悪そうに笑った。
「ありゃあ狸か狐じゃと、儂はにらんでおるよ。人では、ああはできん」
「なるほど」
狸狐に化かされた。そんな話なのだろうな。
どうでもいい話をしていると、佐々木がまた顔を出して、そろそろ5分前です、と告げていった。
立ち上がり最後の発破を掛ける。
「よし、じゃあ、我々も大根役者に負けないよう、小学生の心に残る名演技をしようじゃないか」
『はい!』
5分前。
私は緞帳の下りたステージの前に立ち、スポットライトの真ん中で観客に頭を下げた。
大きな拍手を頂いたのが、申し訳ない。
「皆様、お待たせ致しました。本日、晴天に恵まれた舞台の下に、皆様方にお目に掛かる機会を得られたこと、誠に嬉しく思います。
ですが私ども、真っ先に謝らなければいけません」
言葉を切って、小さな顔、顔、顔を見渡す。
大人よりも、むしろ子供の方が緊張する。なあなあで演技することを許してくれないのだ、子供達は。面白かったか、面白くなかったか。理屈を一切求めず、純粋に、それだけを基準として判断されるからだ。
面白くなければ、場は一気に白けていく。飽きがすぐに顔に出る。あの容赦のない恐怖は、いつになっても慣れなかった。
身が引き締まる思い。
本音を言えばパンダマンを演じたかった。だが、これから先、こんな試練を幾たびも越えていかなければいけないだろう。座長が怖じ気づいていては、成るものも成らない。
「今日の演劇はウルトラヒーローパンダマンを予定していましたが、劇団員が思わぬトラブルに巻き込まれてしまい、急遽変更せざるを得なくなり……まし……」
ん? 誰だ?
観客席の一番後ろに誰かが立っている。
男性だろうか? 今時、着流しの和服に草履の姿、そして目を引く三味線。大きな籠を背負っているのが見て取れた。
どう見ても不審者。小学校に入り込んで良い者には見えないのだが。
しかし、どうやって入り込んだのだろう? 体育館は演劇のため、窓にはカーテンが引かれ、ドアも閉められている。誰かが入ってくれば、すぐに気が付きそうなものだった。
万が一、学校関係者でなかったら、一大事だ。
唐突に台詞が切れたことで、みんなが私の視線を追い、奥を見やった。突如、先生方がざわつく。
と、正体不明の男が三味線を打ち始めた。
ベンベンベン
ベンべべベン
ベンベンベン
ベンべべベン
大きな音に真っ先に反応を示したのは、ステージ袖に居た八吉郎さんだった。
「ありゃあ……まさか……」
ベンベンベン
ベンべべベン
ベンベンベン
ベンべべベン
「間違いねぇ、奴だ! 大根役者が出たぞ!」
なんだって!? 彼が、その?
驚く私をよそに、八吉郎さんがスポットライトを担当している佐々木へ、手で合図を送る。
『あの男にライトを当てろ』
パァッと強い光に写し出されたのは、見るからに特徴のない中肉中背の男の姿。中年だろうか? 何十年前に会ったとする話が本当だとすると、年齢が合わない。
「おお、全く姿が変わっとらん。歳を取らんのか、奴は」
考えてみれば、江戸時代から居るとの話だったか?
八吉郎さんが私の背後に立った。
熱に浮かされたような声で、言う。
「座長、やりましょうぞ。パンダマンをやりましょうぞ」
「え?」
「あの男が現れたのなら、伸也の代わりも務まる」
「しかし、そんな見ず知らずの……」
「わしが保証するて。奴の腕前はわしが保証しちゃる」
普段大人しい八吉郎さんが、これほど興奮する相手。大根役者。
「そもそもで、子供らに大岡越前は無理があるわい。多少粗があっても、ヒーローの方がええ。人数さえ揃えば、ヒーローならなんとかなるよって」
そうなのだ。ヒーローは人数さえ居れば、アドリブが、どうとでも効く。大立ち回りが見世物だから、台詞回しはそれほど重要ではないのだ。
ベンベンベン
ベンべべベン
ベンベンベン
ベンべべベン
一層高鳴る三味線の音。
目を向ければ、遠くの男と目が合った。
まるで物理的な圧力を持っているかのような力強い視線に、私の視界から背景が消え失せ、男が目の前に迫るかのように錯覚する。
思わず、ぐらりと体が傾いた。
察して、八吉郎さんが背中を支えてくれる。
「変わらんわい。あの頃から、なんも変わっとらん。のう、座長。責任はわしが引っ被るよって。頼むわい」
「……わかりました」
八吉郎さんの頷く気配。そして、ステージ袖へと隠れていった。
私は三味線に負けないように声を張る。
「みなさん! どうやら私たちの仲間が駆けつけてくれたみたいです! これでスーパーヒーローパンダマンを公演できます。準備を行いますので、今しばらく、今しばらくのご辛抱を」
目を合わせたまま、大根役者に手のひらを広げてみせる。
(5分、5分持たせてくれ。その間に準備を整えるから!)
伝わるだろうか?
伝わったかどうかはわからないが、男は大きく頷いた。
そして、三味線に合わせて歌い出した。
「でんがく でんがく でんでんでん
でんがく でんがく でんでんでん」
声に『腰』が乗っている。
太く響き、自分に注目を集めるのに相応しい歌い方だ。
なるほど。あの男は、出来る。
袖に引っ込むと、すでにみんなはパンダマンの準備に取りかかっていた。
「よし、聞いての通りだ。予定を戻す。あの、大根役者に入ってもらい、パンダヒーローを行う」
『はい!』
舞台準備の佐々木が、スポットライトで大根役者を追っているのため、代わりに手の空いた者から舞台の準備に掛かる必要があった。
時間がない。
「化粧はそのままでええじゃろ。一般人のようになっておればいい。どうせ途中からはパンダの仮面を被るからの」
アドリブに強い八吉郎さんの指示が飛ぶ。
心強い限りだ。
ここに居ても、男の歌声が聞こえてくる。
それはそれは、コミカルで、リズミカル。
良い歌声だった。
「田楽 田楽 でんでんでん
田楽 田楽 でんでんでん
そこ退け そこ退け
主役を空けな
大根役者のお通しだ
話題沸騰 舞台と聞いて
薹も立ってもいられずに
一路 荷馬車で 参じた 次第よ――」
これが大宝劇団の歴史に置いて、意識改革のきっかけとなる、大きな、大きな舞台の始まりだった。
エンディング 『大根役者のテーマ』
♪田楽 田楽 でんでんでん
田楽 田楽 でんでんでん
そこ退け そこ退け 主役を空けな
大根役者のお通しだ
話題沸騰 舞台と聞いて
薹も立っても居られずに
一路 荷馬車で 参じた 次第よ
にょきっと突っ立つその役者
肩から尻まで一本調子
こいつは見事な総太り
枡の席からヤジが飛ぶ
あんたぁ 何ができるんだ?
オレは天下の大根役者
できぬ役などありゃしねぇ
えいや! と自腹を十字に切れば
染み入る声の奥深さ
仕事にあぶれ 軒に干されりゃ
寒い季節も堪え忍ぶ
来るんじゃねえと 撒かれた塩にゃ
浅く漬かるが漢気よ
下ろしのぉ 金をスられた日には
辛味辛みと涙する
これぞ大根うまみ節
煮るなり焼くなり好きにせい
無視もス入りも 御免被る
おタマも杓子も寄っといで
出汁惜しみなんかするんじゃないよ
昆布はもうちょい入れといて?
おでんでんでん 太鼓の合図だ
落とした 蓋をつまみ上げ
お猪口ちょこちょこ 注いでやりゃ
湯気も染みたぁ いい男
さても皆様お待ちかね
大根舞台の
始まり~ 始まり~
最後の歌を書きたかっただけ。