最終話 「今更戻ってこいと言われてももう遅いです。俺はエルフの国でスローライフを満喫しますんで」
真っ白に染まった視界に、少しずつ色が戻ってきた。空の青。森の緑、そして大地の茶色。俺は軽やかにステップを踏んで、輝きを纏ってエリナの前に降り立った。
本当に危ない綱渡りだった。獅子心王の力の残滓を借り、たった一度だけ出来るかどうかというギリギリの所で操った魔法だった。
魔素分解により俺の肉体はヴァルハラと共に消滅した。だが完全に俺という存在が消え去る寸前、俺は自分自身に対して再構築を施したのである。自分の体と記憶を、もう一度作り出したのだ。
薬法師の基本は魔素分解と、成分の再構築だ。分解したものから別の何かを生み出す。その薬法師お得意の過程を俺は自分に対して遂行した。残された時間はほとんど無かった。残された力もわずかだった。
今、この場所に俺が立っている事がもう奇跡と言って差し支えないだろう。
案の定、エリナは泣き腫らした目をしていた。対してモーラはいつも通り、俺が帰ってくるのが分かっていたかのように平然と佇んでいる。
「グレン、なの……?」
目の前で起こった事が信じられないのだろう。エリナは恐る恐る、俺に訊ねてきた。
まぁ、非常識な現象だろうな。光になって消えた奴が、光を集めて帰ってくるなんて。
よくやれたものだと思う。わずかでもミスをしたら俺は、自分の姿を取り戻すことは出来なかった。そして体は作れたとしても記憶の再構築を失敗したら、俺は何もかも忘れて空っぽの頭でここに立っていることになったはずだ。それもまた、嫌な結末だ。
「あぁ、俺だよ」
足を動かして、土の感触を楽しむ。って、俺、裸足じゃん。さすがに靴の事は忘れてたな。服は着てるけど。
「本当に、グレンなのね!?」
「疑り深い奴だな!? 俺だよ。グレン・レオンハート!」
「グレン……」
膝立ちの状態から、ふらつきつつエリナは立ち上がった。そして俺に近付いてきて、そっと頬に触れてきた。
幼馴染の指の感触も、しっかりと分かる。という事は五感も正常に機能している。
あと、記憶の方は完全なんだろうか。
エリナと出会った日の事……覚えてる。
宮廷での生活……覚えてる。あー嫌な上司の顔も覚えてた。ムノー宰相。あと元老院の連中もウザかったなぁ。
この旅の事……全部覚えてる。エリナを誘って、質屋で金と馬を確保して、途中でローリエを助けて、バンカラでダンジョンに潜ってアラクネの目玉で荒稼ぎして、ライネではイーノと不正選挙対決だ。あれは面白かったな。アイツ、エロフの淑女達と楽しく暮らしてるんだろうか。
そして最後の戦いも、覚えていた。
凄いな、俺。こんな繊細な作業をあの極限の状況下で完璧にこなしちゃったのか。改めて、天才だな俺って。自惚れておこう。
「バカ!」
エリナの指が俺の頬を、抓った。
「痛っ! 何でそうなる!?」
痛覚が鋭敏になってる気がする。あ、違うか。エリナが本気で抓ってるだけだな、きっと。顔がマジだもん。
「あんな無茶して!」
「悪かったよ。ああする以外に方法が思い付かなかった。でもさ」
ひょいっと後退してエリナの苛烈な攻撃をかわし、たぶん赤くなっているであろう頬をさする。体温、ちゃんと感じる。
「約束は守ったろ?」
エリナはその言葉に、顔をぐしゃぐしゃに歪めた。一瞬俺は彼女が泣き出すかもと思った。でも泣かなかった。
「うるさい! グレンの、バカぁ!!!」
謎の罵倒が飛んできた。
「え、ちょっと酷くない!? 俺、こんなに頑張ったのにー!」
「うるさいうるさいうるさい!」
俺の胸に頭突きして、頭を押し付けたまま拳の乱れ撃ち。その一発一発に、結構力が込められている。
嫌じゃないな、こういうの。
「心配したんだから! 本当にグレンが……死んじゃったんじゃないかって!」
「俺が死ぬもんかよ。お前を置いて」
俺はエリナを、抱き締めた。
「うぐ……」
声を詰まらせたエリナは、俺の腕の中で暴れるのを止めた。
「最後の瞬間にさ、お前の顔を思い浮かべたよ」
「どうして?」
「帰りたいって思ったから。だって帰らないとエリナはきっと、カンカンに怒るだろうし」
「当たり前でしょ」
「だから必死で魔法を使ったんだよ。俺が生還出来たのはエリナ、お前のおかげだ」
本当に。嘘偽り一切無しの本心だった。
エリナが俺の顔を見上げてくる。
「私、あなたの役に立てた?」
「もちろんだ」
「良かった」
エリナの右手が、俺の後頭部に回された。左手は背中を強く抱き寄せていた。
二人の顔が、ぐっと近付いた。
「これからはずっと一緒だね」
「いいのか? 俺なんかと一緒じゃ退屈しない?」
「そうならないように、楽しませてね」
「あー、オッケー。努力します」
エリナは瞼を閉じて、顔を傾けた。
俺は抱き締める両腕に想いを載せて、最愛の幼馴染の唇に自分の唇を重ね……
「ダメーッ!」
と思ったら背中に強烈な衝撃! 誰かがタックルしてきたがった!
ふいを突かれてエリナと一緒にバランスを崩す。何とか踏み止まり倒れるのだけは免れた。
「おい、誰だよ!?」
振り返ると、鼻息荒くしたユナが両手を腰に当てて憤怒の表情で立っていた。
「グレン様! 私という女があろう御方が、他の女性に手を出そうなどとは! いけませんよ浮気者!」
ポカーンとして、俺はエリナと顔を見合わせた。急に可笑しくなってきて、俺達は笑った。
「えへへっ、ユナちゃんも遂にフラれちゃったね! 残念でした!」
ホーリィにからかわれ口を尖らせるユナ。
「いいえ、私はまだ諦めてはおりません!」
「じゃあもう私達で付き合っちゃえば良くない?」
「“じゃあ”って何ですかホーリィさん! ってもう、抱き着くなー!」
この二人、何だか楽しそうだな。気が合うのはいい事だ。
「グレン」
この涼やかな声はヴァレリア。彼女もいつの間にか近くにやって来ていた。
「生きていたのね」
「まさか君まで、俺の生存を疑ってたの?」
「今度ばかりはさすがのあなたでも無理かと、思ってしまいました。ごめんなさい」
「で、その手に持ってるのは何?」
「え?」
「おイモですよー!」
ヴァレリアの背後に潜んでいたローリエが飛び出してきた。ニヤニヤしながら俺の周囲を行き来し、意味深な視線を飛ばしてくる。
「いいムードでしたね! 私達、お邪魔でしたか!? 今晩エリナさんと盛り上がっちゃいますか!?」
「おい、デリカシーはどこへ行った!?」
「性的な質問をついついしちゃうのはエロフの種族的特徴ですから」
「いらね~!」
騒がしくてウザい奴だ。でも、パーティのムードメーカーはいつもコイツだったっけ。同時にトラブルメイカーでもあったけど。
「いい仲間に恵まれたね、グレン」
モーラは遠巻きに俺達の様子を眺めている。珍しく穏やかな顔してるな、姉ちゃん。
「お姉ちゃんは嬉しいよ」
穏やかっていうか、どことなく寂しげ?
「いつの間にか大きくなって。もうお姉ちゃんお姉ちゃんって言って甘えてはくれないんだね……シクシク」
そこかよ!
いつまで子ども扱いだよ!?
「っていう冗談は置いといて」
いや絶対本気だったよな、今!
「そろそろみんなに言っとくこと、あるんじゃないのかい?」
モーラは言った。あーやはり、バレてる。
「え、何?」
エリナの顔に不安の影が落ちる。
「あぁ、大した事じゃないよ。ただ、肉体と記憶の再構築に全ての力を使い果たした上に、体内に刻まれていた古代の術式が無くなっちゃったから……」
「まさか」
いち早く気付いたのはユナ。続いてヴァレリアとホーリィが、“それ”を認識したようだ。
「今の俺は、もう薬法も魔法も一切使うことが出来ないんだ」
というわけだ。俺は本当にただの無職になってしまった。魔法を使えなんじゃ、薬法の知識があったとしてもどうにもならねぇ。まぁ、本を書くことくらいは出来るのか。字がアレだけど。
「そんな……」
一番深刻そうな顔をしているのはヴァレリア。俺の感情を慮ってくれているのだろう。
「ヴァレリア、俺は平気だよ。そんなに悲観してはいないから」
「でも」
「無くしたものはまた、手に入れればいい。幸いなことに教師ならここにいる」
と言ってユナを指さす俺。
「わ、私がグレン様に何かを教えるなんて……恐れ多くて出来ません!」
「でも俺、本当になーんにも魔法使えないよ?」
手を翳してみても、魔力が集まってくる気配はまるで無い。そもそも魔力ってどうやって操るもんなんだろう。獅子心王の力を失った俺にはその方法さえわからない。
「辛くは無いの? グレン」
エリナが訊いてくる。思ったよりも、何ともない。心はとても穏やかだった。
「あぁ、自分でも意外だけどな」
「そう」
「肩の荷が下りたからかな。シャイア族として、俺がやるべき事は全て片付いた」
身軽な気分だった。爽快な気分でもあった。何にも出来なくなったはずなのに、今なら何でもできそうな気がしている。生まれ変わったような。あ、てか俺本当に生まれ変わったんだった。人体を再構築したんだから。
俺達の周りに、戦いを終えて生き残ったみんなが集まってきた。
弓使いのヌーク。
飛竜乗りのリンドウさん。
魔導師達も。
屈強なエロフのお姉さま方まで……って何でこの人達がここにいるんだろ?
とにかく、段々と賑やかになってきた。
みんな俺が生きているのが不思議なようだ。半分以上奇跡だからね、ここでこうしていられるのなんて。あの魔法をもう一度やれと言われても、まぁ不可能だろう。恐ろしくてやりたくないし。
「いよいよ、スローライフだね」
俺の肩に寄りかかり、エリナは言った。俺は彼女の腰に手を回して抱き寄せながら、大きく頷く。
「あぁ、やっとだな。随分苦労したが」
アルフヘイムに辿り着いたら旅は終わるものだとばかり考えていた。そしたらいつの間にかこんな厄介な戦いに巻き込まれて、運命に翻弄されて、それでも今、俺は生きている。掴めたんだ、未来を。
「この国で、俺と一緒に暮らしてくれるか?」
「ええ。私も、あなたと離れたくない」
「いやいや、私もグレン様と離れたくないんですけど!?」
「私はユナちゃんと離れたくない派だよー!」
「皆さん、おイモいりませんか?」
ユナにホーリィにローリエ。三人が俺達に向かって飛び込んできた。俺はエリナと苦笑いしつつ、全員を受け止めた。大切な仲間達を。
「あーあ、お姉ちゃんは入る隙が無さそうだよ」
ガックリと肩を落としたフリをするモーラ。
「あなたはこれから、どうなさるのですか?」
ヴァレリアがそう、俺の姉に訊ねた。
「さぁ、どうしようかねぇ。しばらくここで羽を休めてから考えるとするかな。って、アタシが残っちゃ迷惑かい?」
「とんでもない。あなたもこの国の為に戦ってくれた英雄の一人です。大歓迎ですよ」
「いいのかい? アンタの大好きなグレンをアタシが奪っちまうよ?」
「ふふっ、構いません。それじゃあ私は……どうしようかしら。じっと待ちましょうか。グレンが私に戻ってきてくれる日を」
「いじらしい女だねぇ、アンタ」
「エルフの寿命は人間より長いですから。グレンがお爺さんになってからでも私はいいの」
「そん時にゃあアタシを含め他のみんなはくたばってるか! なるほどね」
などとやや物騒な会話が聞こえてくる。
どこかで、誰かが歌を歌い始めた。エルフの吟遊詩人が好んで歌う、太古の英雄の歌だ。他の誰かが手を叩き、踊り始めた。口笛が聞こえてきた。
「今夜は盛大なお祭りかな」
俺は豊かなおっぱい達に圧迫されながら言った。ちょっと酸素足りないな、幸せだけど。
ふいに、馬の嘶きが上がった。エルフ達の間を縫って、誰かが俺のもとへやってきた。
馬を駆る痩せこけた初老の男の顔を見た瞬間、俺はその変貌ぶりに驚かされた。そして名を、呼んだ。
「ムノー宰相!」
やや肥え気味だったはずのかつての上司は、弱弱しく馬から降りてきた。覚束ない足取りをしている。
「大丈夫ですか? お疲れのようですが」
「グ、グレンよ……ワシが悪かった。謝る。だからどうか宮廷へ戻ってきてはくれんか?」
縋るような目で俺を見つめてくるムノー宰相。いや、この人ももう解任されたんだったかな。
「お前さえ戻ればワシも、宰相の座に復帰出来る。そうなればお前をもう一度主任薬法師にする事も可能じゃ。金も地位も、保証してやる。欲しいものは何でもくれてやろう。もう二度と、お前をぞんざいに扱ったりせんと誓おう。だからどうか」
俺の前で地面に膝をつき頭を下げようとするムノーに対し、俺は彼の肩を押さえて謝罪を踏み止まらせた。
「謝らせても、くれんのか」
「いいえ、そうじゃありません。申し訳ありませんが俺はヤンク王国には戻りません」
「何故だ!? 何が不満なんじゃ!?」
「不満とかでは無くて、ですね」
ストレートに言ってしまってもいいものか。みんなの顔を見回しちょっとだけ思案した後で、俺はこう切り出した。
「俺にはもう、薬法師としての力はありません」
俺の手は、空っぽだ。魔力の宿る器では無くなった。
「魔法を、失いました。宰相もどこかでご覧になっていたと思いますが、俺はさっきあのデカい“船”を破壊する際に全ての力を使い果たしてしまってね」
「な……そんな……」
何か不憫だな、この人も。俺を追放してから色々と困った事があったんだろうなぁ。心労ですっかり老け込んじまって。
でも今の俺にしてやれることは何もない。残酷な現実を、突き付けるだけだ。
「だから」
エリナを見遣る。真っ直ぐな瞳が俺を捉えている。あぁ、そうだな。この俺の物語はそろそろ終わり、また新たな物語が始まるのだ。言うなればグレン・レオンハートの第二幕だ。
「今更戻ってこいと言われてももう遅いです」
エリナも、ローリエも、ホーリィも、ユナも、ヴァレリアも、モーラも……みんな、いい顔をしている。だったら、鏡はここに無いけれど俺も同じようにいい顔をしているだろう。
希望に満ちた明日へ向かい、胸を張って俺は告げる。ある意味では俺の物語の口火を切ったと言えるこのムノー宰相に対して。万感の想いを込めて。
「俺はエルフの国でスローライフを満喫しますんで」
己の宿命との戦いは終わった。
でも俺の人生はここからだ。
エリナと、みんなと見上げる空は、ヤンク王国から旅に出たあの日と同じように青く澄んでいた。
風が吹いている。アルフヘイムの急峻な山々からやってくる、気持ちのいい風が。
さぁ、始めよう。生まれ変わった俺の物語を。
相棒の顔にも、俺の顔にも、怖れや不安の色は無し。
曇り無き眼は前を向いていた。
どこまでも、風は吹いている。
輝かしい“これから”へと歩き出す、俺達の背中を強く、押すように。
万能生産スキルを駆使して国に尽くしてきた宮廷薬法師、財政赤字の責任を押し付けられてまさかのクビに!?~今更戻ってこいと言われてももう遅いです。俺はエルフの国でスローライフを満喫しますんで~
完
Ⓒ2020.Kei.ThaWest
最後までお読み頂き、誠にありがとうございました!!!
皆様の熱いご声援によりこの物語は無事に完結を迎えることが出来ました。
最後に、読者の皆様へ向けてお願いがあります。
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