第24話 降り注ぐ、命の輝き
巨大な拳が振り下ろされる寸前、ユナは身を投げ出してその攻撃を回避した。砕け散って散乱するガラス瓶。苦労して作った薬が全て、床に撒き散らかされて蒸発した。
三体の巨人は研究室を破壊し、ユナとホーリィを包囲した。
「クッ、こんな事になるのなら、さっさと逃げておくべきでしたね!」
「そんなの今更言っても遅いよユナちゃん! それにどうせ、逃げるつもり無かったくせに!」
ユナと背中合わせになったホーリィが言う。このユナが、グレンから託された仕事を放棄して逃げ出すはずがない。ホーリィには分かっていた。そして彼女もまた、この場から逃げなかった。ユナと同じ想いを、ホーリィも抱いていたのだ。
「せめてあなただけでも逃げなさい、ホーリィさん!」
「嫌だよ、ユナちゃんを置いてはいけない!」
「平気です。自分の身くらい自分で守れますから私は!」
「ううん、こういう時の経験値は私の方が上だもんね!」
ホーリィは自分とユナを覆い隠すように対魔障壁を展開した。
「無詠唱!? あなた、いつの間に!」
「ずっと練習してたんだから! ユナちゃんやエリナさんの熱さに、影響受けたのかもね!」
「ホーリィさん……」
「ユナちゃんの事は私が守る! だって私達、友達でしょ!」
巨人が振り下ろす拳が、障壁を叩く。その一発で、深く亀裂が入った。
「ってあなた、強度が全然ダメじゃない! んもぅ……」
「あははっ、無詠唱だと頑丈さが足りないなぁ……反省反省」
三体が同時に、腕を振り上げる。ユナは薬法特化の魔導師、戦闘用の魔法に秀でてはいない。ホーリィも対魔障壁を維持するのでやっとだ。しかし、この攻撃に耐えることは出来ないと直感していた。
「ごめん私やっぱり、頼りないね」
「いいえ、ホーリィさん。最後にあなたの勇気を見せてもらって私は満足です」
二人は手を繋いだ。そして微笑み合った。
「いいよね、友達って」
「ええ」
覚悟を決める。
が。
巨人の拳は……宙で静止したままいつまで経っても、振り下ろされることは無かった。
「……え?」
異変に先にユナが気付いた。
「ホーリィさん、あれを!」
散々破壊されズタズタになった窓枠の向こう、空に浮かぶヴァルハラが不規則に揺れていた。光が至る所から溢れ出し、徐々に全体へと拡がってゆく。
「“船”が!」
やがて特大の光の柱が天を貫いた。黒雲が、千々に千切れて霧散する。
ヴァルハラが、“悲鳴”を上げた。
次の瞬間、太古のシャイア族の天才が建造せし災厄は、大爆発を起こした!
「あぁ……グレン様が、グレン様が遂にやってくれたのですね!!」
「凄い……あんな巨大な兵器を破壊しちゃうなんて!」
ヴァルハラが砕け散ったその破片が、輝きに変ってゆく。虹色の光に。
「何だか、懐かしい」
ホーリィは思い出していた。バンカラのダンジョンで、グレンに助けられた時の事を。
あの時、グレンは鋼糸蜘蛛に包囲され死を待つのみだったホーリィの元へ単身やってきて、強力な蜘蛛糸を全て七色の光へと変換してみせた。真っ暗な洞窟を彩った光の乱舞をホーリィは一生忘れることは無いだろう。
「見て、ホーリィさん!」
最終兵器とその操縦者を失い、巨人達は呆気なく土の塊と化し崩れ去っていった。
「私達、助かったんだね! ユナちゃん!」
「ええ……本当にギリギリでしたが。って、もう抱き着かないで下さらない?」
ホーリィはその豊満な胸にユナの頭を押し付けるようにして、ぎゅーっと力いっぱい抱き締めた。
「ふふっ、私達勝ったんだよ! 喜びを分かち合おう!」
「まぁそれはいいんですけど。いえ、その前に……」
何とかホーリィの胸から顔を逸らして、ユナはヴァルハラが砕け散った空を注視する。そこに誰も姿も無いことに気付き、怪訝な表情をした。
「グレン様は、どこへ?」
胸がざわつく。あれだけの規模の爆発だ。万が一、巻き込まれたのだとしたら……。
「ホーリィさん、私達もあそこへ参りましょう」
「え?」
「グレン様を、迎えに行くのです」
ユナは言った。
巨人に蹂躙されズタズタになったエルフの里。薙ぎ倒された木の幹に腰かけてローリエは空を見上げていた。
「綺麗だね。魔法って本当に凄い!」
彼女の隣に立つアルフヘイム第一王妃ヴァレリアは、降り注ぐその輝きにグレンの気配を強く感じていた。いつも飄々としていて、捉えどころが無い男。でもその内に熱い想いを秘めてもいる。あの天才薬法師の気配が、漂っていた。
なのに、彼はこの空のどこにもいない。
ヴァレリアはもう知っている。グレンが何をしたのか。その結果、何を成したのかも。
グレン・レオンハートはその全存在を懸けて最後の魔素分解を行った。己の肉体をも崩壊させる程の魔法によって死の光を打ち消し、ヴァルハラを破壊した。
「グレン、ありがとう」
代償はあまりにも大きかった。もう、彼はいない。ヴァレリアの愛した男は消滅した。肉体を失い、魂は果たしていずこへ飛んで行っただろう。天国に辿り着けたのだろうか。
「あなたの事を、私は決して忘れません」
両手を組み合わせ、祈りを捧げようとした。
「ヴァレリア様」
ローリエが、懐からぬるくなったイモを取り出して半分に割った。
「ごめんなさい。今はそんな気分では……」
「おいしいですよ。食べながらグレンさんを待ちましょう」
「違うの、ローリエ。グレンは……彼はもう」
ローリエは俯いて、ヴァレリアの胸に強引にイモを押し付けた。
「帰ってきますよ。きっと、帰ってくる」
「ローリエ……」
鼻水を啜って、ローリエは顔を上げた。目を赤くして、それでもニッコリと笑う。いつもの彼女であるように。
「冷めちゃいますよ、おイモ」
「もうとっくに冷めてるわ」
ヴァレリアは苦笑した。そしてイモを齧り、
「甘い」
そう言った。
ペリルが森へ降り立つ。翼を収め、体を傾ける。鞍からエリナが降りやすいように。
エリナは地に足をつけるとそのまま膝を折った。そして、泣いた。
「どうして……必ず生きて戻るって言ったのに」
グレンは死の光を押し返し、ヴァルハラもろとも消え去った。ペリルに跨りその一部始終を見ていたエリナには最後の瞬間、グレンの背に天使の羽のようなものが見えた気がした。死後の国からお迎えがやってきたのだろうか。あるいは単なる幻覚だったのか。
いずれにしても、グレンはもうこの世にはいない。
「バカ……約束を破るなんて!」
頭では、必要な犠牲だと理解している。グレンの尊い自己犠牲がこの国を、ひいてはこの世界をも救ったのだ。彼があそこで判断を間違えていれば、今頃アルフヘイムは地図上から消滅していただろう。そして世界に死が蔓延してゆくことになっただろう。
グレンは大勢の命を守ったのだ。誇りに思いたかった。でも、うまく割り切れない。口を衝くのは、恨み言ばかり。
「やっと、あなたに想いが通じたと思ったのに。これから一緒に暮らすんだって、楽しみにしてたのに」
涙が止まらない。エルフの国へやってきてからエリナは泣いてばかりだった。こんなにも自分は弱かったのかと、自信を無くしかけていた。だがグレンの存在が、彼と同じ場所へ辿り着きたいという願いこそが、エリナを奮い立たせ突き動かしていた。ペリルも自在に操れるようになった。その姿をグレンに見せることが出来た。今日、ようやく。
だからこれから始まるはずだった。未来は突然、エリナの目の前から消えた。
「そうでもないよ」
魔力によって生み出した漆黒の翼を霧散させて、エリナの傍に降り立ったモーラ・レオンハートが言う。
「……え?」
「可愛い顔が台無しさ。涙は拭いとけ。アイツが悲しむ」
不敵で好戦的な笑みをモーラは崩さない。視線はエリナでは無く、別の場所を向いている。自然とエリナもそちらへ目をやった。
「アイツがそう易々と死んじまうわけが無いだろ」
「でも、だって!」
「大した弟だよ、ったく。アタシは誇りに思う」
エリナには訳が分からなかった。グレンの生存を確信しているモーラ。だがどこにも、グレンの姿は見当たらない。モーラが見つめているのは単なる虚空。ただ、キラキラとグレンが残した輝きが舞い散る場所を、彼女は睨んでいるだけなのだ。
「まさかこういう手があるとはね」
モーラが差し出した掌に、七色に煌めく光のカケラが触れる。
「本当に、グレンは生きているの!?」
「自分の目で確かめな」
ふっ、とモーラは掌の上の光を吹いて飛ばした。
森の一角に、たくさんの輝きが降ってきた。それらは徐々に渦を成し、回転速度を上げていった。
降り注ぐ命の輝きがやがて、一つの形を取り始める。
「嘘……こんな事が……」
エリナは息を呑んだ。
その輝きは、ある男の姿を形成しようとしていたのであった。