第21話 王が招く絶望
うねる漆黒の魔力は巨大な化け物の顎と化して俺に迫った。アンヘル、さすがは番人と呼ばれるだけの事はある。これは魔物を召喚しているのではない。魔力そのものを生のまま、形を変えて使役している。体内に途方もない魔力の蓄えが無ければ不可能な芸当だ。
けど残念。今の俺には届かない。
掲げた右手に魔力を宿し、化け物が触れる直前で展開する。魔素分解の術式。途端に黒い波濤は打ち砕かれて霧散した。
「むっ!?」
が、これは目晦ましか。黒いヴェールの向こうから仔らの突撃。ふぅーん、相手もなかなか。
槍の刺突をかわし、天使の胸に掌を叩き付ける。溢れる魔力が風穴を生じて衝撃波で周辺の敵をまとめて一気に破壊。砕いた破片に魔力を宿し散弾として遠方の連中も粉々にする。
アンヘルの足元から複数の影が立ち上がってくる。そして周囲の地形から生まれ続ける黒き翼の天使。これだけ魔力を浪費して、疲れないのかなコイツは。
まぁいい。いくらでも受けてやろう。
「こんなもんか、番人の力ってのは!?」
「舐めてもらっては困りますな、この私の本気はまだまだこんなものでは!」
シナーを生み出す速度と、漆黒の波の威力が増してきた。俺は全てを跳ね返し、粉砕し、じわりじわりと進む。恐ろしい相手ではある。古代の魔法とはこれ程荒々しく力強いものだったのか。今ではこんな魔力の扱い方はしない。力の無駄遣いだと怒られてしまうだろう。もっとスマートに、最小の魔力で最大の効率を得られる方法を取るはずだ。
なるほど、無尽蔵の魔力があるなら魔法の細かい取り扱い方法なんかいらないって事か。魔力を素の魔力のまま、エネルギーの効率なんてのは度外視して放ち続けるのが正解か。
こういうやり方も面白いものだな。でも、まぁこう言っちゃ何だけど足元がお留守過ぎるんじゃないのかな。
「私はヴァルハラの番人。この船を駆け巡る膨大な魔力は全て私のもの! いかがですかなこの慄然たる威力! 何人たりともこの私に敵う者などは!」
アンヘルはまるで気付かなかった事だろう。攻撃に夢中になるあまりに。彼の肩に、ポンと手が置かれた。
「なっ!?」
驚愕してももう遅い。俺との派手な魔法の撃ち合いに気を取られすぎて、アンヘルはもう一人の存在を失念していた。モーラが、音もなく接近していた事を悟れなかった。
「悪いね、グレン。アタシの引き立て役を買ってくれて」
モーラは空中でくるりと大鎌を回した。そしていつもの獰猛な笑み。
「姉ちゃんの方が俺より足が速いからね」
「かはっ」
アンヘルが、喀血した。
「雑魚が調子に乗ってんじゃないよ。7回だ」
彼の体に突如、幾筋もの閃光が走る。その数、7本。
「じゃあね、今度は永遠に眠りに就いとけ」
「お……おのれぇ!」
いかにもな絶叫と共に番人の体は爆発し、消滅した。モーラは彼の気付かぬうちに、一瞬で7発もの斬撃を叩き込んでいたのだった。
灰塵と化しアンヘルが消え失せると同時に、エルフ達と死闘を展開していた仔らも次々と崩れ去って大気に交わり溶けていった。
「前座の相手はこれにて終了。さぁグレン、いよいよだよ」
「あぁ、アルトゥーラに挨拶に行こう」
タイミングよく俺達の目の前に、大地を割って光のゲートが出現する。やはり見ていたか、アルトゥーラ。俺達を誘っているってわけだ。
「何から何まで親切なこった」
「話が早くていいね」
迷いなく、俺とモーラは光のゲートへ。転移魔法により二人の体は一瞬でヴァルハラの内部へと移動させられた。
真っ白い光が収まるとそこに、会いたかった存在が待ち構えていた。
「アルトラ王……」
普段と何ら変わりない柔和な表情を湛えながら、全ての黒幕は玉座に腰掛け、頬杖をついていた。
「グレン、モーラ……待っていたぞ」
豊かな白髭。深い皺。支配者としての貫禄と慈愛を感じさせる瞳。それらは俺が知っているヤンク王国の国王時代そのままだった。
「アルトゥーラ、まさかアンタがどこぞの国の王様をやってるなんてねぇ」
「モーラよ、お前が暴れたことで私は余計なひと手間をせざるを得なくなった。猛省せよ」
余計なひと手間、か。
俺の記憶を封じる儀式の際、モーラはアルトゥーラの意志に反して魔導師達を殺害、俺をつれて逃走している。現王自身はモーラによって殺される事なく逃げ延び、密かにヤンク王国に潜伏していたって事か。
そして俺が偶然その手の内に飛び込んでしまった。王は長年に渡り俺の良き理解者として振る舞いながら、俺の器が満ちるのを待っていたんだ。
「そうだね、反省してるよ。あの時キッチリ、アンタを殺しておけば良かったってね」
「減らず口は相変わらずだな」
現王アルトゥーラは言う。
この部屋の有様は、異常だった。
壁一面を覆いつくす、触手のようにヌラヌラと濡れている配管の数々。未知の装置が至るところに取り付けられ、王は玉座にて、配管が接続された冠を被っていた。
ヴァルハラの心臓部、そこは俺の理解を遥かに超えた場所だった。現代の技術ではない。ここにある装置はまるで、遥か未来の世界からやってきたかのようだ。しかし違う。数千年もの昔、これを建造した者が確かにいたんだ。獅子心王、俺の中にあるもう一つの俺だ。
「何をするつもりなんです? アルトラ王」
「グレン、そなたはまだ私をその名で呼ぶのか」
「宮廷ではとても良くして頂きましたから」
「腐った閥族政治だったろう? 出自のみで全てが決まる世界。何の取り柄もない無能どもが幅を利かせる宮廷は、そなたの目にどう映った?」
「とても、正視に耐えないものでした」
「あれが正に人間の姿だ」
王は断言した。さも当然のように。
「そなたはアンヘルに向かって、世界の破滅を止めるものは愛だと、言っていたな?」
「あー、えっと……はい。言いました」
「強ち間違ってはいない。人と人の絆は尊いものぞ。だが、支配者たらんとする者はそのような甘い考えを持ってはならない。愛は個人間の問題になら効果を発揮するやもしれぬ。だが国家間の交渉には何の役にも立たぬ。戦争を愛で止められるか? 領土を荒らす蛮族を、あるいは魔物を、愛を説いて平伏させられるのか?」
「それはちょっと、難しそうですね」
「ならば、最終的には力だ。分かっておるのだろう、そなたも。我々シャイア族の持つこの絶対的な力こそがこの世界を正しく律し、人類を次なるステージへと進化させる」
「あの、すみません」
「……何だ?」
「さっきの番人もアルトラ王も、思い違いをしています」
どうしてみんな、そんなに熱くなるんだろう。そして何故、力を持っているから人々を導かなくてはならないなんて思考に流されていくんだろう。不思議でならない。
「俺は、支配などには興味がありません。ただ、のんびり暮らせたらそれでいいです。あとは程々のペースで研究したり、時には冒険へ出てみたり。何気ない日常を、それなりに楽しく暮らせたら充分なんです。たまたま主任薬法師なんていう役職に就いちゃいましたが、本来は俺はお気楽な自由人なんですよ」
「記憶を取り戻しシャイア族としての圧倒的な力を手に入れたというのにそなたは……気楽な日常、だと?」
「そうです。だって、めんどくさいじゃないですか支配なんて。俺がさっき愛って言ったのも適当ですよ。そんな真剣な解答じゃありませんよ。知ってるでしょ、俺の性格」
「では、どうあってもこの私とは相容れぬと?」
「それもさっき番人さんに言いましたよ。俺はこの最終兵器を破壊する為に来た、とね」
「なんと哀れな男よ……獅子心王も嘆いておるだろう」
「あぁ、あの人なら仰る通りずっと嘆いているようでしたよ。己の犯した罪の重さをね」
後悔してからでは遅いんだ。俺は獅子心王の記憶からそれを学んだ。だから違うアプローチをする。
「力なんて、近くの誰かを守れるだけあれば充分でしょう? それよりも俺はスローライフを楽しみたい。それだけです。自分勝手な理由ですよ、あなたと同じく」
「すっかり、牙を抜かれてしまったようだな。それ程の才能を持ちながら、支配者の責務を放棄するとは。貴様それでもシャイア族の一員か!?」
「人間ですよ、この俺は。そんな一族のことなんかどうでもいいんですよ。ご不満ですか、アルトラ王。じゃあさっさと俺を排除してみればいい。あなたの力でね!」
「良いだろう、よく言った小僧。では見せてやろう。シャイア族の現王、アルトゥーラの全てを!」
王の冠が、振動を始める。配管が蠢き、王の頭部がガクガクと揺れた。壁際の装置がけたたましい音を鳴らし始める。
「グレン、この“船”の基底部に巨大な魔晶石が埋め込まれているのをアタシは見た。あれが死の光の発射口に違いない。アルトゥーラは、まさかあれを!」
「へっ、やってみりゃいいよ。こんな無防備晒して、タダで済むと思ってんのか!」
全身を震わせながら歯を食いしばっているアルトラ王に向かい、俺は右手を向ける。魔法を放つ寸前で、モーラがそれを制した。
「アタシがやろう。アンタの手はまだ、汚れてないんだろ?」
「姉ちゃん」
「心配いらないよ。すぐに済む」
モーラは鎌を振りかぶり、王の首元目掛けて水平に払った。
ガキィン!
が、その一撃は強固な障壁によって阻まれてしまう。
「刃が通らない!?」
何度も斬り付けるが、いずれも不発。モーラの鎌がまるで、意味を成さない。
「どいてくれ、俺がやる」
空中に手を伸ばす。俺の指先が対魔障壁に触れた瞬間、強い反発が手を跳ね上げた。
「強いな」
両手で魔力を練り、叩き付ける。だが、打ち破れない。伸ばした手はあまりにも厚い壁に防がれて王に届かない。まさか、これ程とは!
「無駄な抵抗だ、グレン。今や私はヴァルハラと一体化している。どのような術も、この私を傷つけることは出来ぬ。おとなしく見ているがいい。貴様が守ろうとしたエルフの国が、蹂躙されゆく様を!」
「何っ!?」
ズン、という重い振動が部屋を揺さぶる。俺の足元の床がいきなり発光し、転移魔法が俺とモーラを外へと放り出した。
俺達は自由落下しながら、ヴァルハラの“底”を見た。妖しく光る緑色の巨大な魔晶石。あんなものが、存在しているのか!?
ヴァルハラから岩盤が剥落を始める。それらは隕石のように高速で、次々とアルフヘイムへ降り注ぎ始めた。