第20話 船の番人、アンヘル
「道を開けろ!!!」
体内を駆け巡る魔力の奔流を両腕に溜め、立ち塞がる全ての敵を粉砕しながら俺は吼える!
視界の隅々まで、至る所で繰り広げられる激闘。“クリーチャー・エンジン”は俺の自信作、エルフとの相性を第一に考えた配合だ。その強烈な効能は、たとえ手足をもがれても強引に魔力で再接合させることすら可能にする。
圧倒的な“物量”に対してこっちは圧倒的な“質”で応戦だ。
「グレン! そろそろだよ!!」
「分かってる! ヴァルハラ上空に辿り着いたらすぐにこの場から離脱しろ!」
「アンタはどうするの!?」
「俺はヴァルハラに飛び降りて、中で俺を待っている奴と話をつけてくる」
ペリルが飛ぶ。もうすぐ辿り着く。最後の戦いの舞台へ。
「必ず生きて、帰ってくるよね!?」
「当たり前だろ! 俺はもう二度と、お前を悲しませたりはしないよ!」
大気を切り裂く轟音の中で、俺とエリナは声を張り上げて語り合う。俺がヴァルハラへ降り立ったらもう、どうなるか分からない。自分の力を信じているが、敵は俺と同じシャイア族の人間だ。実力も同程度かそれ以上と考えられる。勝てるのか、俺は。
「信じてるから! 絶対に戻ってくるって!」
「あぁ、約束だ!」
握り締めた拳を、小さなエリナの拳とぶつける。俺の顔にもエリナの顔にも浮かぶのは、笑顔。不安な気持ちなど少しも見せない。それはきっと、エリナも同じだろう。
俺を引き留めたいに違いない。本当は、俺に行って欲しくないと思ってるんだろう。でも、俺達はもう対等の仲間なんだ。お互いを信頼し、互いの無事を祈り、胸を張って送り出すことが出来る関係だ。
勝てるのか、なんてダサいな俺は。勝つに決まってるだろう。相手がたとえ格上だろうが、俺は勝たなければならない。エリナとの約束を守る為に。この想いに報いる為に。
「待ってろよ。俺はきっと帰る。お前とこれから過ごす、未来の為だ!」
ペリルが宙でその身を反転させる。逆さになった俺の眼下に、まるで一個の巨岩のような“船”の威容。剥き出しの岩肌にも似たその表面から、草木が芽生えてくるようにして無数の黒き翼の天使が生み出されている。
「じゃ、行ってくる」
俺は言った。
「いってらっしゃい」
エリナが言った。
最後の言葉を交わした後、俺の体はペリルの鞍から離れた。
ワイバーンは旋回して飛び去って行く。その寸前まで絡まっていた視線を引き剥がし、俺は睨む。無数の敵意を。“船”へ落下する寸前、俺の両腕が宙に閃いた。
「邪魔だ、どけえぇぇ!!!」
手が大地に触れた瞬間、そこに膨大な魔力が流された。ヴァルハラの表面を波のように伝わった俺の魔力が、生まれる途中だった仔らを揺さぶり魔素分解の要領でバラバラに粉砕する!
一帯の敵を消し飛ばし、地震を起こして俺は遂に降り立った。最終決戦の地、超古代兵器ヴァルハラへと。
ここは荒れ果てた大地だ。まるで兵器という感じではない。内部への入り口がどこかも不明。それに今し方、俺が最大出力で打ち込んだ魔素分解に対しても、軽微な地震が発生した程度。薬で強化した俺の全力でも壊せない程の魔法耐性か、流石だな。やはり内側から破壊するしかないか。
と、俺の視界の先に何者かの影。
「……お前か」
俺は直感した。コイツが天使達を操っている術師に違いない。
ボロ布のような黒いローブを纏った土気色の顔をした男だった。禍々しい気配。赤く充血した瞳は俺に向けられていた。
「よくぞ参られましたな、獅子心王を継ぐ御方よ」
「あぁ、このくだらねぇオモチャをぶっ壊す為に、来てやったぜ」
「はて、ぶっ壊す? この船を、あなたが?」
「そうだ」
「御冗談を。この船を建造されたのはあなた自身ではありませんか、獅子心王様」
「どうやら、そうらしいな。俺の中に刻み込まれた記憶が教えてくれたよ。確かに俺は獅子心王だ。だが同時にグレン・レオンハートという存在でもある。二つの人格が俺の中にあって、どっちも本当の俺だ」
「では、その二つの人格によって統合された答えが、この船の破壊である、と?」
「そうだ。俺は二度と同じ過ちを繰り返さない」
瞼を閉じれば、そこに浮かぶのは太古の大破壊の映像だ。消滅する都市。消え失せる命。不毛の砂漠地帯。死の光が招く、最悪の結末。
「過ち、で御座いますか。だったら今もなお、人間どもは相も変わらず戦争行為を繰り返しているではありませんか。人を殺す為の武器を作り、人を殺す為に魔法を研究し、己が野心を満たす為に同種族間で殺戮行為に勤しんでおられるでしょう? かつてあなたは仰った。愚かな人間どもを野放しにすれば、いずれこの世界全体が滅びてしまうだろうと。神はこの野蛮な種族に過ぎたる力を与えるべきでは無かったと。だから抹殺したのでしょう? 気高きその御意志で、あらゆる誹りを御身に受ける覚悟をもって」
獅子心王の苦悩を、俺はもう知っている。ヴァルハラから見下ろす死んだ世界の光景も、俺には見える。王は最後の最後まで、自分の決断は正しかったのだろうかと煩悶したはずだ。俺だったらそうする。たくさんの命を文明もろとも消し去り、自分だけが生き延びる。どれほど孤独だったのだろう。慙愧の念に苛まれたりしただろうか。
結局、獅子心王はシャイア族を終わらせることは出来なかった。そのほとんどを死の光で殺し尽くしたものの、少数の一族は生き延びて、王の体内から術式を取り出し、連綿と子孫へ受け渡してきたのだ。
そして今は俺が、獅子心王を継ぐ者だ。
「あぁ、全くお前の言うとおりだよ、番人さん。って、名前合ってる?」
「いかにも」
「良かった。じゃあ話を続けよう。俺は獅子心王だし、過去には文明を滅びしちゃったりも、したかもな。でも過去の事さ。大切なのは今、俺がどうしたいかだ」
人間は愚かだ、なんてのは今更誰かに言われなくたって分かってるんだよ。その愚かさは何度となく、俺も経験してきたから。俺を宮廷から追い出した連中だってそうさ。目先の戦争に予算を割く為、俺を解任した。その結果、国内は散々な状態らしいじゃないか。
何より、俺だって……俺だって愚かだったんだよ。何も分かって無かった。エリナに言われるまで、俺はとても傲慢な人間だった。全てを意のままに操ることなんて出来ない。たった一人の人間の事すら満足に理解出来ない人間に、国家だの人類だのとスケールの大きな問題は解決できないんだよ。
ならどうするんだ。どうするべきなんだ。
俺は一人の人間として、何をすべきなんだ。
簡単だ。とっても簡単な答えさ。
「俺はお前を倒し、この船を墜とし、現王アルトゥーラの野望を砕く」
「何故です? アルトゥーラ様とあなたの御力があればこの世界も人間も、正しく導くことが出来るはず。新たな秩序を、生み出せるのですよ?」
「秩序? こんな物騒な破壊兵器でか?」
「ええ。大きな目的を達成する為には相応の力が要ります。かつての獅子心王は深すぎる絶望の為に早計なご判断をなされた。しかしあなたは、もっと上手な方法を示すことが出来ますでしょう?」
「当然だ。俺は結構頭がいいからな」
「で、あれば」
「力じゃない。この世界が滅びへ向かうというなら、それを止める為に必要なものは決して、こんな御大層な兵器ではない」
「では何であると?」
「ちょっと言うのが、照れくさいよ」
「は?」
「……愛、かな」
ボソッと小声で、俺は言った。愛って! そのまんま過ぎるだろ!
アンヘルが面食らって返答に窮しているタイミングで、モーラが空中から俺の隣でふわりと降り立った。
「あ、姉ちゃん! 遅かったじゃないか、どこで遊んでたんだよ?」
「はっ! 遊ぶだって!? こっちは真剣にヴァルハラを墜とそうと頑張ってたんだよ。でも外側からじゃアタシでも無理だね。傷つけるのがやっとさ。飛び回って色んな所から斬り付けてみたけどビクともしないよ」
何と、この姉は力ずくでヴァルハラを壊そうとしていたのか。無茶するなぁ……。天使達が大量に湧いてる中でよくそんなことやろうと思ったな。
「って訳だ、アンヘル、素直に道を譲りな。アルトゥーラの爺いをぶん殴ってくるからさ!」
「モーラ様、あなたまでそのような戯言を」
「アタシは可愛い弟の望むことなら何だってやるんだよ。それがお姉ちゃんってもんだろ?」
「では……どうあってもご助力は頂けないと?」
「無い無い」
「無理だね」
俺とモーラの声が重なる。
「ならばこのような場合に備えてアルトゥーラ様より言伝は頂いておりますので、忠実に、遂行する事と致しましょう」
どす黒い魔力がアンヘルの足元から溢れ出る。船の番人がいよいよ、本気で勝負を挑んでくるつもりか。
「協力するつもりが無いなら殺して良いと、現王は仰っておりました」
「物騒だねぇ。怖い怖い」
モーラの手には既に深紅の大鎌が握られている。
俺も、戦う覚悟はとっくに済んでいる。
「このような結果になってしまい非常に残念です、獅子心王を継ぐ者達よ。しかしご安心あれ。あなた方を殺した後で、きっちりと太古の王の術式は取り出しておきますので」
「って、言っちゃってるけどどうする姉ちゃん?」
「何であんなに自信満々なんだろうねぇ」
「身の程ってのを弁えてもらいたいね」
「数千年も惰眠を貪ってたから、頭がバカになってんだろ。叩き起こしてやろうじゃないか、アタシらで」
「そりゃあ、いい」
アンヘルの黒い魔力がするすると伸び、形を成してゆく。黒き翼の天使ではない。もっと別種の何かだ。
「さようなら、アルトゥーラ様に逆らう愚かな姉弟よ!」
黒いうねりは次の瞬間、巨大な顎と化して俺達を噛み砕かんと迫ってきた。
「興味深い魔法だ」
俺は破顔し、漆黒の化け物と対峙する。




