第18話 エリナの願い、繋がる想い
「リンドウさん、ちょっと待ってもらえますか」
ワイバーンの飛行場へと向かう前に、俺は足を止め少し寄り道をすることにした。
「おや、どうしました? 忘れ物ですか?」
「いえ、エリナの顔を見ていこうかと」
「ははぁ、なるほど。それなら自分もご一緒させてもらいたいです。あの娘はもう飛竜乗りの一員、自分の子供みたいなもんです」
「是非、一緒に行きましょう」
幸い、エリナの寝かされている部屋はすぐ近くだ。板間を駆け、そこへ向かう。
自分の子供みたいなもの、か。エリナめ、可愛がられているようだな。この前もリンドウさん、しきりに褒めていたしな。
俺が戦いに向かうと知ったら、エリナはどんな顔をするんだろう。ふと、アイツの泣き顔が頭を過る。「ごめんね」と俺に謝り続けていたあの顔が。
やはり会うのは止めておこうかと、弱気が首をもたげそうになる。しかしいつまでもギクシャクしてるわけにもいかないよな。
それに……この戦いはこれまでとはスケールが違う。俺ですら、生きて帰ってこられるかどうか分からない。
もしこれがエリナと話す最後の機会になったとしたら……。
様々な思いが去来する中、俺は病室の前までやってきた。そしてある異変に気付く。
「ドアが開いてる……」
薄く開いた扉が風に揺れている。
「妙です」
リンドウさんは俺と顔を見合わせ、意を決して扉に歩み寄り、勢いよく開け放った。
「あの娘がいない!」
「そんな、まさか!」
俺も中を覗き込んでみるが、ベッドは空。普段着はハンガーに掛けられたままだ。しかし……。
「グレン様」
「えぇ……」
俺が察した事実に、リンドウさんもまた気付いたようだった。
「飛竜乗り用のボディスーツが、無い」
自分で発した言葉に、俺は血の気が引いていくのを感じた。
「あんな怪我で、まさかアイツ!」
足が、勝手に動いていた。床を強く踏み締め、俺は足元へ魔力を集めて宙へ跳んだ。更に虚空を踏み、宙を滑るように走る。飛竜乗り場へ。
「グレン様!」
リンドウさんのその声も遠くに聞こえる。
エリナはワイバーンに乗る気だ。何の為? 決まっている! 敵を迎え撃つ為に!
アイツは、あれがどれ程恐ろしい敵かも知らず、単騎で突撃するつもりなのか。確実に殺される!
「あの……バカ!」
一体どうしたっていうんだ、エリナ。お前は何故そんなに死に急いでるんだ!?
宙を踏み、飛行場までの最短距離を行く。正直、こんな所で無駄な魔力を消費したくない。空中浮遊は結構な魔力と技術を要する。だが、やるしかない。あの無謀な幼馴染を引っ叩いてでも止めなくてはならない。
視界の先、小高い丘の上から飛翔する大きな影。あれだ。リンドウさんが管理する中でも最大級のサイズ、性格は極めて狂暴、そして火炎魔法を用いて口から強力な火球を打ち出す高い攻撃性能……ベテランの飛竜乗りですら忌避するほどの扱い辛さを持つワイバーン、ペリルだ。
「エリナ!」
声を張り上げ、空を蹴り、更に蹴り、一気に接近する。
ペリルの背に鞍を乗せ跨るのはエリナ。彼女は俺の声に反応し振り向いた。その真剣な眼差しが、俺を苛立たせる。
何なんだよ、その顔は。どうしてそんな、これから死地に赴く覚悟は出来てます、みたいな表情をしてるんだよ。お前は……そうじゃないだろ!
どうして、俺の気持ちをわかってくれないんだ!
ぺリルは巨大な翼をはためかせて高く上昇しようとする。エリナは俺から目を逸らし、立ち向かうべき相手を、黒き翼の天使達を睨みつける。
「止まれ! エリナ!」
最高速度まで加速されたらワイバーンに俺は追いつけない。その前に、エリナの元へ辿り着く。
空中で両の手を打ち合わせて魔力を練り上げ、風の魔法を放つ。大気に渦を生じ、ぺリルの翼の真下へ。これで気流を乱して浮力を打ち消す。ペリルが突然の横風に煽られバランスを崩した。その動きが止まる。
「おおおっ!!!」
一気に跳び、俺は大きく手を伸ばした。ぺリルの尾を掴む。嫌がって尻尾を振る動きに逆らわず空中で体を制御し、宙返りの要領で鞍の上に着地。エリナの背後に跨った。
「何を考えてるんだ、お前!」
もう、優しい言葉なんて掛けている場合じゃない。放っておけばコイツは、自死にも等しい無茶をしに行くだろう。数百、あるいはそれ以上の数の敵の只中へ、単騎で特攻するなんて。
「何しに来たの!?」
「わからないのか? 身の程知らずのバカを、助けに来たんだよ!」
「バカって私の事を言ってるわけ!?」
「他に誰がいるんだよ!」
エリナの肩に手を掛けようとした瞬間、彼女は体を揺すって俺に触れられるのを拒絶した。
「グレン、私、前にあなたに訊いたよね?」
「何を?」
「私はあなたにとって、どういう存在なの!?」
射抜くような瞳が、煮えたぎる意志が、俺を正面に捉える。
「今、答えなくちゃいけないのか!? そんな場合じゃないだろうが!」
「私は今、教えて欲しいの!」
「何度も言ってるだろ、どうして分かってくれないんだ! お前が大切なんだ、失いたくない。こんな……こんな無意味な特攻をして死ぬなんてバカげてる!」
「だったら私に、余計なことは何もするなって言うの!? ただ、あなたの指示に従って、あなたの手の中で、あなたに与えられた事を、あなたの望む通りにしていればいいの!?」
「誰もそんな事は」
「そういう事でしょ! あなたはそりゃあ天才かもしれない。一人で何でも出来る人かもしれない。何をしたって誰からも称賛されて、どこに行っても英雄扱い。私なんかとは比べ物にならない凄い薬法師様だよ。でも……」
エリナの頬を、雫が伝う。声が震えて、俺の幼馴染は俯いた。
「私だって……何か一つくらい、あなたの役に立ちたかったの。私は、ただの足手まといなんかじゃない!!!」
感情が、爆発した。ぺリルの鞍の上、至近距離にある彼女の顔は俺が思っていたよりもずっと幼くて儚く崩れ去ってしまいそうで。エリナは涙を止め処なく溢れさせて、声を荒げていた。
「あなたが宮廷薬法師をクビになって私を訪ねてきてくれた時、ホント言うとね、凄く嬉しかったの。あぁ、グレンはやっぱり最初に私を頼ってきてくれたってね。だから一緒に旅に出ようって言われた時も、もちろん嬉しかったよ。エルフの国に来るまでの旅路も……。でも、あなたはどうして私を誘ったの? ただ、昔からの顔馴染みだったから?」
「そんな程度じゃないよ。俺は、ずっと一緒に旅を続けるならお前とじゃないと嫌だなって、思ったから」
エリナとは何年も会っていなかった。俺の仕事はあまりにも忙しくて、会えない日々を重ねるうちに、益々仕事は増えていって。あっという間に数年間が過ぎていた。
急に身軽になった時、すぐにコイツの顔が頭に浮かんだっけ。とても懐かしくて。とても会いたくなって。
「バンカラのワイバーン飛行場で、あなたは私に言ってくれたんだよ。エルフの国に着いたらワイバーン乗りを教えてもらえば? ってね」
エリナはペリルの首を優しく撫で上げた。信じられないことだが、凶暴なはずのぺリルが微動だにせず空中でじっと、俺達の会話を聞いている。本当にエリナは、この飛竜と心を通わせてしまったのか。
「ワイバーンの方が、空を飛ぶ速度があなたより速いって」
「だから……ワイバーンに乗る練習を?」
「だって、そうでもしないと私、あなたに置いて行かれると思ったから。どうせ、スローライフなんて言っててもそのうち退屈して、フィールドワークで世界中飛び回っちゃうでしょ、あなたは」
「あ、あぁ。そうかもな」
「その時、私が飛竜乗りとして一人前に成長してたら、一緒に連れて行ってもらえるかなって」
「エリナ……」
たった、それだけの理由でエリナは、命を懸けて飛竜乗りの訓練を受けていたっていうのか。俺と、対等である為に。
「そういう事だったのか」
ヴァレリアはあの日、俺にヒントをくれた。その言葉の一つ一つが今、鮮明に蘇ってくる。
「あなたは彼女をどうしたいの? ただペットのように手元に置いて、愛玩したいだけ?」「彼女は今、もがいているんだと思う」「本当の、あなたの“友”になる為に」
その意味が、俺にはようやく理解できた。エリナは本気で俺と向き合おうとしてくれていたんだ。だからあんなに必死に、あんなに無茶をしてまでワイバーンを乗りこなそうとしていた。
「俺はお前に、なんて酷い事を……」
俺は、エリナを守りたかった。その身に降りかかるありとあらゆる危険から、彼女を守ってやりたかった。けどそれはエリナの望んでいた事じゃ無かったんだ。俺は力で、押さえ付けようとしていただけだったのか。
さっき、星見台で弓使いのヌークも姉ちゃんに対して言っていたっけ。一緒に戦わせてくれって。リンドウさんだって、危なくなったら逃げろと言う俺を諫めてくれたっけ。
みんな、自分の仕事に誇りを持っているんだ。エリナもその誇りを手に入れて俺と対等の、真のパーティメンバーになる為に頑張っていたんだ。
何も分かっていなかったのは俺だけだった。
今更、こんなに遅くなってから気付くのか俺は。
「ううん、いいの。私、あなたが優しい人だって知ってるから。でも、お願いグレン。今は、この私を信用して」
「本当に、戦うつもりなんだな?」
この目に、嘘は無かった。既にエリナは涙を流していない。
「ええ。私にはこの頼もしい相棒がいる。そしてグレン、あなたがいる」
「戦いが始まったら、ほんのささいな油断で命を落とすことになるぞ。いいんだな?」
「いいよ。これが私の望んだ事。あなたの翼になるって、自分でそう決めたんだから」
エリナは言った。その誇らしげな顔を、俺は直視出来なかった。眩しくて、逆に自分が酷く卑しく感じられて。こんなに真っ直ぐな強い想いを、エリナは抱いていたんだ。
ペリルが小さく鋭く鳴いた。恐らく警告。奴らが動き出すか。
「だったらもう、俺は止めない。お前の気持ちを、全部受け止めるよ。その代わり俺は絶対にお前を甘やかさないからな? 覚悟は?」
「覚悟なんかいらない。あなたが一言、私に言ってくれさえすれば。力を貸してくれって」
「分かった。じゃあ」
神経を逆撫でするかのような甲高い駆動音が鳴り響く。ヴァルハラが迫る。黒き翼の天使達が一斉に、こちらへ突進を始める。いよいよ、だ。
「お前と、ペリルの力を貸してくれ。俺を運んで欲しい。あの邪魔な雑魚どもを蹴散らして、忌まわしき古代文明の最終兵器の真上まで!」
「うん」
「一緒にやろう、エリナ!!!」
エリナの手がぺリルの首を軽くタップした。それを合図にぺリルは翼を大きく持ち上げ、一気に振り下ろす。途端に生まれる強烈な風圧が、巨体を急激に加速させた。
咆哮と共に、いくつもの火球が放たれる。それが開戦の端緒となった。