第12話 モーラ・レオンハート、来たる
悄然としながら夜風を浴びて、巨大な広葉樹林の間に渡された板間の廊下を行く。あちらこちらの枝に吊るされたランタンの淡い光はとても幻想的で、この世のものとは思えない美を放っていた。確か、遥か東方のアイヤ王国という国にこういう言葉があった。幽玄、だったか。とても趣があって奥深い芸術性を感じるという意味の言葉。あれにふさわしいと、俺は思った。
ぼんやりとした光源に照らされ、俺は理解不能の悩みを抱えながら当て所無く歩いている。思索の泥沼に肩まで浸かり、万能の生産スキルを持つ薬法師だったはずの俺は自分の弱さや脆さを痛感していた。
エリナの涙の意味を、俺は理解出来なかった。俺の想いが届かなかったのか。あるいは届いた上で彼女に拒絶されたのか。何かがズレていた。俺とエリナの、何があっても揺るがぬはずの絆がここへ来て、齟齬をきたし始めていた。
「ごめんね、か……」
エリナはきっと、あれだけの怪我を負っても飛竜乗りを止めないのだろう。俺の想いを突っ撥ねてまでワイバーンを駆り続ける。そういう意志があるからこそ、「ごめん」とアイツは言ったのだ。
「本当の“友”って何なんだよ、ヴァレリア……」
俺の万能の手から全てが零れ落ちてゆく。そんな気すら、する。
「どうしてこうなっちゃんだろうな」
夜霧が出ている。露に濡れた木々。静寂。俺の言葉は風に流されいずこかへと消える。
遺跡の事も、あの石板の文字の事も、考えいたいのに頭が働かない。エリナの事を想うだけで、もう胸が苦しくなって冷静な思考が出来ない。
アルフヘイムへやってきたら、楽しいスローライフが待っているもんだと思っていた。俺は自由気ままに研究をし、エリナや他のみんなものんびりとこの地でエルフ達と暮らす。そんな何気ない幸せを、獲得できるんだと信じて疑わなかった。
それが、この有様だ。
悪夢にうなされ、エリナとは心が離れ、謎の遺跡に俺と同じ筆跡の古代文字、過去の記憶も思い出せない。問題は増えてゆくばかり。
「どうする、俺よ。乗り越えられるのか、グレン」
自分自身に問うてみる。答えは無い。人の心は分解も定量的な解析も出来ない。
「でも、やるしかないよな」
風が流れてゆく。音が聞こえてくる。夜霧の向こうから足音。
「誰だ?」
またローリエが夜中にイモでも食ってるんじゃないか。そう勘繰ったものの、どうやら足音は複数人のもののようだ。
しかも、その全てがこちらへ向かって駆けてくる。
夜霧を裂いて、長い黒髪の女が俺の方へ走ってくる。それを追う、3人のエルフ。女の手には大鎌。刃が赤黒く光っている。ただならぬ魔力を感じる。
「グレン様、お気をつけください!」
エルフが俺に警告を。ならばこの女は、彼らにとっての“敵”か。
両手を素早く開いて板間に叩き付ける。魔素分解によって廊下を柔らかくし、女の足元へ波打つように魔力を放った。
が、女は高く跳躍し木の幹を蹴って更に上へ。俺の頭上を遥かに越えて背後に着地を決める。恐ろしく身軽な相手だ。俺は魔力を全身に滾らせ、臨戦態勢を取ろうとした。その矢先に、
「ようやく見つけたよ、グレン」
女は俺の名前を呼び、手にしていた大鎌を霧散させた。
魔力を凝らせて作り上げた鎌だったのか。いやいや、そんな事より何故俺の名前を?
「お前は、誰だ!?」
「グレン様、お怪我は?」
俺の横にエルフの警備兵が並び立ち、短剣を構える。
「俺は大丈夫だ。だがコイツは一体……」
「正体不明です。既に何人かの仲間がやられています」
「そうか。だったら手加減はいらないか」
俺はエルフ達を手で制し、一歩前へ。
「お前が何者かは知らないが、どうして俺の名前を知っているのかには興味がある。おとなしく捕まるか、荒っぽいのがいいか、選べ」
「ふふっ、ちょっと見ない間に随分男前になったねぇ、グレン」
女は乱れた長い髪をかき上げ、顔を晒した。鋭い美貌を持つ女だった。切れ長の目、高い鼻梁、厚ぼったい唇はとても官能的だ。だがその身に纏う気配は、人間よりも野生の獣に近い。獰猛な笑みを浮かべ、俺を見詰めていた。
「は?」
「あんなにガキだったアンタがねぇ……。時の流れは本当に早いね」
「ちょっと待て、何を言ってるんだ?」
「覚えてないのかい、アタシの事を」
初対面では無いのか。わからない。だがこの長い髪は、紅い瞳は……俺がいつも夢に見る少女と同じ。
「だったら自己紹介だ。モーラ・レオンハート、それがアタシの名だ。アンタの実のお姉ちゃんだよ、グレン」
「何だって……?」
それじゃああの夢は……。
「まだ記憶を取り戻していないんだね。なら、ゆっくり話をしようじゃないか。アンタとアタシの事を、そしてこれから起こるであろう事も、ね」