第10話 運命の歯車は静かに回り始める
あまりにも衝撃的な指摘だった。いてもたってもいられずヴァレリアの持つノートの筆跡と石板の筆跡を比べてみる。そして改めて愕然とした。
「本当だ……」
間違いない。自分の書き方の癖は自分が一番よく分かっているもの。この石板には見事に、俺の字と同じものが書かれていた。そんな……有り得ない!
「私にも何がどうなっているのか。グレン、あなたは何者なの?」
「に、人間だよ! たぶん、な……」
「ねぇグレン、聞かせて。あなた、幼少期の記憶が曖昧だっていつか私に言ってくれたわね?」
「あぁ……けど、みんなそんなもんだろ!? 子供の時の記憶なんてそんな……」
俺には、エリナと出会う前の記憶が無い。今、必死に思い返してみても一切何も出てこない。戦火の中、まだ幼かった俺は同じように戦争孤児であったエリナと出会い、それからずっと一緒に生きてきた。けれどそれ以前の俺はどこで何をしていたんだろう?
この石板に文字を刻んだ者は……俺なのか!?
「いや、だったら俺は今何歳なんだよ!? 5000歳とかか!? 有り得ないよ、そんなに人間が生きられるはずがない。どんなに高名な魔導師にだって不可能だ。人間という種は、そんな風には作られていない!」
たまたまだ。偶然に、筆跡が似通っていただけだ。そうに違いない。必死に、自分を納得させようとするも理性が邪魔する。あまりにも、この二つの文字は似過ぎていた。
「よく考えろ……慎重に考えて、答えを探すんだ。合理的な答えを」
胸に手を当て、呼吸を整えて、思考する。
この古代文字が俺の筆跡と同一のものだと仮定する。ならば俺が今まで書いてきたものは、ただの乱雑な文字ではなく今は途絶えてしまった古代の文字だったことになる。これを真実だとしよう。そして俺が普通の人間であり寿命もあくまで普通の範囲に収まるとする。
この前提条件の中で最も合理的な解答は何か。
「俺は誰かに、古代文字を習ったのか?」
この可能性だ。幼少期の記憶が無いのもそのせいかもしれない。俺に古代文字を教えた人物がかつていた。そしてその人物は俺が古代文字を使用しているという事実を伏せておきたかった。その為に俺の記憶を消し去り、単なる下手な字を書く人間として世に放った。こうは考えられないだろうか。
「習うって……太古の時代に途絶えた文字を誰が覚えているというの?」
「消滅したはずの文明が実はどこかで生き永らえていたとしたら?」
「じゃあ何故、その人物はあなたに古代文字を教える必要があったの? こっそりと暮らしているのならわざわざそんな事をする必要はないでしょう」
ヴァレリアの言う通りだ。俺に古代文字を教える理由が無い。そんな事をしても何の得にもならない。
「あーダメだ。恐らく推論を組み立てるだけの情報が不足している。何か、何か無いのか?」
意を決し、俺は右手に魔力を流して石板へと近付ける。
「グレン、何を!?」
石板を一部分解してその組成を調べれば、これがどの時代に作られたものか分かるかもしれない。もしかしたら石板自体が捏造されたものであり、太古の文明とは無関係かも。そうなると誰かがこの地で俺をハメようとしている事になるのだが、そういう細かい事はとりあえず置いておく。
指先が石板の端へ触れる。途端に、
バチィン!
火花が散った。
「チッ!」
手が、弾かれた!? 信じられないほど強固な魔法耐性だ。俺はそれなりに本気で挑んだのだが、見事に跳ね返されてしまった。
が、その時石板にある変化が生じた。
「グレン、これは!?」
「文字が……」
薄ぼんやりと、石板の古代文字が輝きを放ち始めた。と同時に石室全体に軽微な揺れが発生する。細かい砂の粒子が天井から降ってきた。
「遺跡が、反応しています」
アラドが言う。彼は後ずさり、
「危険です。一旦外へ!」
現場の責任者として冷静な判断の下、俺達にそう言った。
そこへ大慌てで別のエルフが駆け込んできた。息を切らし、彼は俺に向かって叫ぶ。
「グレン様、大変です! エリナ様が、ワイバーンの訓練飛行中に墜落して大怪我を!」
「何だと!?」
冷たい汗が俺の背を伝わった。あってはならない事が、起こった。