第4話 すれ違う二人
飛竜乗り達の練習場はエルフの生活圏から少し離れた、眼下に森林を望む小高い丘の上にある。
「グレン様、ようこそ」
ベテラン飛竜乗りであるエルフのリンドウは俺の突然の訪問にも快く対応してくれた。もうかれこれ200年以上を飛竜乗りとして過ごしてきた彼だが、線の細い者の多いエルフの中では例外的に屈強な肉体をしている。シャツの袖から覗く腕の太さ、体中に刻まれた古傷の数々。ゴツい印象のある顔にも、斜めに走った切創が目立つ。
エルフは魔法に長けた種族だ。魔法は傷の治療にも使われ、中でも高位のエルフが用いるそれは、強度によっては欠損した体の部位を再生させることすら可能なほどだ。体の傷をきれいさっぱり消し去ることも容易い。では何故リンドウが傷だらけの体をそのまま放置しているのかというと、飛竜乗りとしての彼なりのこだわりがあるらしい。
曰く、「この傷の一つ一つが自分とワイバーンとの絆の証なのです」ということらしい。
飛竜は鋭い牙や爪を持っている。皮膚を覆う鱗も固く尖った箇所が多い。そして種類によっては火を吐いたり毒を持っていたりもする。馬よりもずっと大きく、気性も荒く、危険度の高い生物だ。ドラゴン種の中ではまだ扱いやすいとはいえ、油断すれば乗り手を簡単に引き裂くことも、彼らには可能だ。総じて、素人が迂闊に手を出すべき“乗り物”ではないと言えるだろう。
「おはようございます、リンドウさん」
「良い朝です。風がいい。空もよく晴れている。このところ曇り模様の日が多かったので、気分がいい」
リンドウは手近な岩場にワイバーン用の鞍を置いて、その各部を調整しているところだった。作業の手を止めさせてしまったかな。
「気にしなくていいです。こんな朝っぱらから、やる必要もない作業だ」
俺の心のうちを見透かしたかのように、リンドウさんは言う。そして屈託ない笑みを浮かべた。
「すみません、そんなに長居するつもりは無いので」
「あの娘さんの事が気掛かりで?」
「ええ」
「大した娘です。たったひと月で飛竜を操るとは。あれは天性の才能です。よくお気付きになられました。さすがはグレン様です」
「いえ、俺は特に何も……」
バンカラからライネに旅立ったあの日、ワイバーン乗り場で俺はエリナに「乗馬が得意なら飛竜もうまく乗りこなせるかも」みたいなことは言った。でもまさか、ここまでエリナに飛竜乗りの適正があったとは驚きだ。並の人間なら乗るだけでも精一杯、まずまともに飛行訓練まで進むのに一年はかかるところだ。
大空を高速で飛翔するワイバーンだが、乗り手にかかる風圧や振り落とされることに対する恐怖も相当なはずだ。度胸が要る。その資質も、エリナは持ち合わせていた。
「ご謙遜なさらず。あの娘の口から直接聞いております。グレン様が勧めてくれたと。自分は、多くの飛竜乗りを育てて参りましたが、乗り手の才能を見定めるのも自分ら、監督者の努めです。無駄に死人を出さないためにも」
「よく分かります」
薬法師も同じだ。薬は作ったら実際に服用してみなければならない。最初の実験台は、やはり自分自身だ。中途半端な力量では自分の作った薬で自分が死ぬ事もあり得る。そうならないよう、俺も教え子達のことはよくよく観察してきたつもりだ。
リンドウさんとは、立場が似ているな。
「あの娘は誰よりも早く起きて、その日に使う装備の点検をして、相棒にエサをやり、一番乗りでここへやってきます」
「そうなんですか」
「熱心です。若いエルフの中には既に、あの娘の事を“師匠”などと言って慕っている者もいます。ただ……」
ふいにリンドウさんの顔に陰が落ちる。慎重に言葉を吟味するように一拍を置いて、
「あのひた向きさは時に、危うい」
そう言った。
「と、言うと?」
「急ぎ過ぎです。いくら才能があるとは言え、ワイバーンはそんなに簡単に御せる生物ではない。あの熱意がいつか、大きな怪我に繋がらなければいいのですが」
なるほどな。効果を弱め、ワイバーンの気性を抑制する魔チュールを渡してあるとはいえ、あれで完璧に従順になるわけでもない。やはり、危険な生き物であることに変わりはないのだ。
「無理矢理押し付けたような形になってしまい、その上リンドウさんにこんな事をお願いするのは失礼だとわかってはいますが……どうかエリナを頼みます。俺にとっては大切な仲間なんです」
「承知しています。目を離さぬよう、若手の有能な飛竜乗りには言いつけていますが、あの娘の身の安全を保証出来るほどではありません。自分らも、常に死と隣り合わせにあると自らに言い聞かせ、飛竜を駆っているのです」
「でしょうね。すみません、やはりエリナには飛竜乗りをやめるよう言うことにします」
元はと言えば俺がその場の思い付きで勧めたものだが、まさかここまでのめり込むとは思わなかった。エリナにはあまりに危険だと思う。なまじ適正がある分、自身の力を過信し事故を起こすかもしれない。アイツにもしもの事があったら俺は……。
「グレン様、よろしいですか?」
リンドウさんは何故かおかしそうに薄く笑って言う。
「そこまで過保護になるのは」
ガタン。
リンドウさんの言葉を遮るようにして、背後の岩場にワイバーンの鞍がぞんざいに放り投げられる音がした。
「エリナ、いたのか」
振り向くとそこに幼馴染の姿があった。その顔は曇り、俺を恨めしそうな目で睨んでいた。
「どういう事? 私に飛竜乗りをやめさせるって」
「いや……そりゃあお前、危ないだろう色々と、さ」
うまく応えようとするも、不意打ちの問いに上手な言葉が浮かばない。エリナは、強く首を振った。
「ダメ。私は今、真剣なの。邪魔をするなら帰って」
「おい、何もそんな言い方は。俺はお前の事を思ってだな」
「本当に私の事を思うなら、好きなようにさせてよ。リンドウさん、今日もお願いします。もう少しでペリルと気持ちを一つに出来そうなの」
「ペリル? ペリルだと!? あれに乗ってるのか! 聞いてないぞ、俺は!」
「言ったらあなたは止めるでしょ!? ペリルはあなたが思うようなドラゴンじゃない! 私ならきっと、あの子の心に触れられる!」
「いいや、無理だ。ワイバーンには上級ドラゴンのような知性は無い。人間やエルフとは違うんだぞ! 中でもペリルは」
エリナが俺の言葉を無視して安全具を体に装着し始めた。俺が鋼糸蜘蛛の糸で作った極薄のボディースーツの上に、体の各部分を守るように防具を付け、最後に太い縄を背中側から回して、それをワイバーンの鞍に結び付けるのだ。その準備の動作がとてもスムーズだ。何度も何度も、この手順を踏んできたのが一目でわかる。縄の回し方、その締め具合も手慣れたものだ。あとはワイバーンの背に鞍を乗せ、自分の体を固定するだけだ。
「おい、エリナ!」
「うるさいよ!!!」
エリナが叫んだ。凡そ彼女の口から発されるとは思えないほどのヒステリックな口調で、この俺を完全に拒絶するかのような語気で、怒りと苛立ちと、それから……。燃える瞳は、俺の心根を刺し貫くかのような苛烈さで真っすぐに向けられていた。
「グレン、聞かせてよ。あなたにとって私って一体……何?」
「……」
俺に、返せる言葉は無かった。エリナは誰よりも大切な俺の幼馴染だ。だがこの場で彼女に言うべき答えはそれではないと、俺は理解した。
でもじゃあ、正解は……?
踵を返したエリナが俺から遠ざかってゆく。わけのわからない感情だけを、この俺の胸に刻み付けて。