第1話 血濡れの夢
ゆらめく淡い紫色の炎が見える。
またか。
またあの夢なのか。
俺は巨大な燭台の並ぶ通路を、一人で歩いている。
やがて重厚な門扉が現れて、それに俺は両手をつき、力の限り押して開ける。
とても厭な気分で。
その先には広大な石室。
中央に巨大な魔法陣が描かれている。
赤黒い、獣の血で作られた魔法陣の周囲に、闇に溶けるようにして幾人もの魔導師達が腰を下ろしている。その手は印を結び、その口からは低く朗々とした呪文詠唱の声が漏れていた。
あぁ、俺はこの先に何が待っているのかを知っている。
最近は何度となく、この夢を見る。
やがて魔法陣が煌々と輝きを放ち、俺はその中に、歩いていくのだ。
隣に誰かがいる。いつの間にか俺は手を握られていた。
「大丈夫、すぐに済むから」
少女の声。
「嫌だよ」
俺はとても心細くなって、不安に苛まれて、駄々をこねる。
「嫌だ、嫌だ」
両側から魔導師達が俺の腕を取り、頭を押さえつけて無理やり座らせる。
大人の力には抵抗が出来ない。
「グレンよ、今からお前の……」
貫禄があってよく響く声が、俺に何かを告げる。
魔法陣はより激しく輝きだし、俺は眩い光の中に包まれてゆく。
その白々とした光は冷たく、俺は思わず自身の体を掻き抱いて、叫んだ。
視界が、暗転する。
あぁ、またなのか。
俺は真っ赤に染まっていた。
見渡す限り、血塗れの世界に、かつて人間だったもののカケラが散らばっている。
頭や腕や、足や、胴体や……。
「大丈夫、あなたは……」
柔らかな手が、肩に触れる。
見上げればそこに、漆黒の長髪を振り乱し、紅い瞳で俺を見下ろす少女の姿。
「おやすみなさい、グレン」
瞼が、下ろされる。
完全なる暗闇の世界。
そして俺は、いつもそこで目覚めるのだ。
今日も……。
目を開けると、いつものように藁葺きの屋根が見えた。
ベッドの上で上半身を起こし、両手で顔をこする。
「くそっ……何なんだよ、これは」
日に日に、この夢を見る頻度が上がっていた。
アルフヘイムへやってきてから、しばらくはこんなことは無かった。
ある日を境に、突然だ。訳が分からない。
「変だ。何か、おかしいぞ」
あの夢の中の石室を、そこへ至る幽玄な雰囲気を持った通路を、俺はおぼろげに覚えている。いつか、あそこへ行ったことがあるような気がしてならない。だが記憶をどう遡っても、そんな出来事には思い至らない。
「疲れてるのかな……」
休息はちゃんと取っているんだけどなぁ……。新しい生活にストレス感じてるんだろうか。いやぁ、そんな事はないと思うが。
隣で寝ていたヴァレリアが、俺の起き上がる気配を察知して目を覚ました。
「グレン、どうしたの?」
澄んだ藍色の瞳は夜露に濡れたかのように光り、俺を見詰めていた。
「いや、何でもない。悪いな、起こしちゃったか」
「いいの、気にしないで」
ひんやりとした手が、俺の腕を握ってきた。
「眠れないの?」
「あぁ、最近妙な夢をよく見るんだ」
「夢?」
「俺は多分、夢の中の場所に行ったことがあるんだ。だけど、それを思い出せない」
薄い絹の寝間着一枚だけを纏ったヴァレリアは、体を起こして俺の肩にもたれかかってきた。
「あなたから不安や焦りを感じる。それと、怯え」
「そうか」
そっとヴァレリアの体を離して、俺はベッドから降りた。
「どこへ行くの?」
「夢占いの本があったな。あれを見せてほしい」
「夢占い? ロマンチックなのね」
「気を紛らわせたいだけだよ。それに君と二人で寝るのは何というか……落ち着かない」
「……ごめんなさい。あなたのこと」
ヴァレリアが顔を伏せる。
「君を嫌いになったわけじゃない。ただ……」
ふいにエリナの顔が、頭を過った。アイツもこのところ、様子がおかしい。
「昔のような関係じゃない」
「知ってるわ。でも、一晩だけでもいい。あなたと、こうしていたかったの」
「書庫の場所を教えてくれ」
これ以上、ヴァレリアと話し続けてはいけない。彼女の想いに、俺は引っ張られてしまうだろうから。
「分かったわ、グレン。でも、一つだけ約束して」
「……」
「もう二度と、黙って遠くに行ってしまうのは」
「行かないよ」
きっぱりと、俺は言う。
「俺はもう、この国の人間だから」
ヴァレリアの頬に触れ、彼女の温もりを感じる。
そう、これからはこの国が、俺の住む場所なのだ。