第25話 戦いの終わりと、新たな人生の始まり
その日、人間とエルフの間に新しい絆が生まれた。
国境線は、あっという間に無くなった。両者を固く隔てていたはずの壁など、実際には存在しなかったのだ。心理的障壁が取り払われた時、二つの種族はすぐに和解と共存への道を模索し始めた。
まずは盛大な酒宴。それから踊り。
種族の垣根を超えたお祭り騒ぎは夜通し続いた。誰の顔にもとびきりの笑顔が溢れていた。それはきっと、俺達だけじゃなくてみんなで勝ち取ったもの。
そして夜明けと共に俺達は宴席を辞して支度を整え、宿を発った。
「そんなに急がなくてもいいんじゃないの?」
エリナが言う。まぁ問題は解決したのだからちょっとゆっくりしてもいいんだけど。
「そろそろ研究がしたくて体が疼いてきたんでね」
宮廷では毎日のように新薬の研究に明け暮れていた。開発が中断している新作のポーションも、さっさと形にしてしまいたい。この旅はとても楽しいものだったけれど、俺にはやっぱり薬法師として部屋に引きこもっての研究生活が性に合っているようだ。
エルフの国になら、ヤンク王国以上の設備が備わっている。エルフの魔法に関する知見は人間を凌駕する。だからアルフヘイムという国は俺にとっては、とても刺激的な場所だ。
「それにもう、ライネ市とアルフヘイムとの通行はフリーパスだよ。戻ってきたくなったらいつでも戻れる」
ワイルド区の国境線付近に接近した時、俺はそこで兵士とエルフが酒を酌み交わしている場面に遭遇した。槍と弓を地面に捨て去り、肩を組んでバカ話に興じている。
「こんなにあっさりと、和解できるものなんですね」
ホーリィは驚いている様子だ。
「腹を割って話せば、ね」
腹を割るどころの話ではなかった。二日前の晩、いがみ合っていた両者は俺の策略によっていきなり肌を重ねるにまで至ったのだ。荒療治だったけど、効果はあったな。
そういえば昨日の選挙、ワイルド区とローズ区では8割以上の兵士達がゼンノ市長に投票をしていたらしい。こちらの選挙区では不正は未然に防がれたのだ。兵士達はイーノから派遣された選挙運営の者達を自主的に監視し、不正を行えないようにしたのだった。
ちなみに俺は最初の大エロフ祭りの晩、ワイルド区とローズ区を回って、とある確認作業を行っていた。イーノが中央から一体何人の兵士を連れてきたのか、の確認である。ここに駐在する兵士には特例で選挙権が与えられている。だからイーノがその気になれば中央から何千人も兵士を連れてきて、票の水増しを簡単に行うことが出来たのだ。
最悪の場合、この二区の得票数がアイオミ区を上回ってしまう懸念があった。なので俺はどうしても追加された兵士のおおよその人数を把握しておく必要があったのだ。あくまでアイオミ区での策だけで事が済むように。
結局、イーノが連れてきたのは600人程度だった。ならば両区合わせて最大で1200人。これにリンチ区とヘイレン区もあわせてちょうど2000人。アイオミ区が全体で2000人なので、他の全ての区を押さえられたとしても、アイオミ区だけで活動すればイーブンまでは持っていけることが判明した。
では俺がアイオミ区以外の場所で色々とやっていた策は結局何の為だったのか。
簡単な事だ。選挙のその後を見越して、少しでも早く人間とエルフの関係性が良好なものになるように、だ。
エリナとホーリィの街頭演説も、ローリエの力を借りて兵士達にエロフをあてがったのも、全ては今日という日に最高のスタートを切る為。
俺は始めから勝つつもりでいた。
「そういえばアンタ、最初は投票用紙を偽造するって言ってたわよね?」
「お、よく覚えているなエリナ」
「私、記憶力いいからね。で、アイオミ区のあれはやっぱり投票用紙偽造をやったってことなの? そろそろ教えてくれてもいいでしょう」
そうか、そういやまだ言ってなかったな。昨日、俺がどんな手を使ったのか。
「投票用紙の偽造は、すり替える余裕が無さそうだったから止めておいたよ。俺の魔素分解と再構築のスキルがあればその辺の土からでも投票用紙を偽造出来るが、あれだけベッタリと監視がついてる中でそれをやるのは目立ちすぎるし、そもそも投票箱に近づくのは困難だったからね」
「じゃあ、どうしたのよ? 兵士が投票する人達を脅してたんでしょ? じゃあゼンノさんの名前なんて書いてもらえるわけないじゃない」
「ふっふっふ、甘いな。そういう事もあるだろうと思って、わざわざ早朝から出張って握手なんてしてたんじゃないか」
「えっ、どういう意味?」
俺は右手を魔力で赤く光らせ、宙に小さな魔法陣を生み出した。
「握手しながら、住民の肉体へ直接魔力を送り込んだんだよ。途中まで組み上げた術式を仕掛けてね」
エリナもローリエもホーリィも、みんなが首を傾げている。
「説明が難しいな。魔法ってのは術式を組み上げた瞬間に発動する仕組みに、多分なってるんだけど……」
実は魔法はその使用者によってかなりやり方に差異がある。俺も“術式”などと言っているが無意識のうちに勝手に脳内で式を組み立てているタイプなので詳しい説明は出来ないのだ。天性の、センスってやつなのかな。
「その術式の最後のキーワードを“アクラッツ”と設定しておいた。つまりどういう事かというと、住民が投票用紙に彼の名前を記入した瞬間に式は完成し、記名からやや時間差でその文字は変化してしまう、ってわけ。もちろん、変化した後の文字には“ゼンノ”を指定しておく。こうすることでアクラッツと記入された文字は全て投票箱の中でゼンノに変わり、アクラッツ以外の文字が記入されていたら魔法の式は完成しないから文字に変化は現れない」
つまりどう転んでも、投票用紙には“ゼンノ”という文字が残ることになる。両候補者以外の名前でも書かない限りは。
「そんな器用な魔法の使い方、出来るんですか!?」
やはり、一番ビックリしているのは俺と同じ魔導師であるホーリィ。
「魔法の可能性は無限だよ」
「凄い! 勉強になります!」
「いや、君がいなかったらこの式は完成していないから、影の功労者は君だよホーリィ」
「え?」
「きれいな文字の書き方、教えてくれただろ?」
そう、いくら式を器用に書けるとしても、残念ながら魔法の式の筆跡は使用者当人のものと同一だ。だから“アクラッツ”という文字を浮かび上がらせたければ、俺の普段の雑すぎる書き方では意味がない。開票する人間が読めなくなるから。
事前にホーリィにきれいな書き文字を習っていたからこそ、辛うじてこの土壇場で、ギリギリ人間が読める文字を書くことが出来たのだ。一人で研究しているだけだと、字が汚い事とか気にする必要が全く無かったからなぁ。
「あぁ、そういう事ですか!」
「わかってくれた?」
「グレンさん、何というか、本当に心底字が下手でしたもんね……」
「お、おう」
元から細い目を更に細めて、ホーリィは笑った。
「ほらほら皆さん! お迎えの方々が見えてきましたよー!」
はしゃぎながらローリエが森の方を指差した。
煌びやかな衣装を纏う、いかにも高位そうなエルフが俺達の到着を待ってくれていた。
「あぁ、行こう」
馬を近くで乗り捨て、手綱を兵士に託す。
「グレン様!」
エルフ達の脇を擦り抜けて、漆黒のローブ姿の小柄な女性が顔を覗かせた。
「ユナ!?」
「一足先にエルフの偉い方々に会って、話を通しておきました。私、有能ですので」
素早く、俺の傍までやってくる。そして強引に腕を組んできた。
なんか柔らかくてボリュームあるのが当たってるよぉ、ふえぇ!
「どこまでもお供させて頂きますね!」
「あ、あぁ……まぁ、いいけど」
またしても背後から殺気を感じつつ、俺はエルフ達の待つ場所へと歩く。
見知った顔をそこに見つけ、俺は軽くお辞儀をした。
「お待ちしておりました、ヤンク王国宮廷薬法師」
凛とした声。齢300歳を超えているとは思えない若々しくハリのある肌。美しい紅を引いたかのような唇が白磁のような肌に映える。
アルフヘイム第一王妃、ヴァレリア。
「今の俺は無職ですよ。そして、ほとんど散財してしまったので金も持っていません」
少し、顔を合わせるのが気恥ずかしい。ほんの短い間だったけれど、深く心を通わせた相手だった。別れの日に涙を浮かべて俺を引き留めようとしたその姿を、よく覚えている。
「そうでしたね。では改めて。心よりお待ち申し上げておりました。グレン・レオンハート様。私達エルフは、あなた方を歓迎いたします」
「これから、よろしくお願いします。ヴァレリア王妃」
そして、俺はヴァレリアと握手を交わす。相変わらず冷たい手だった。
「冷え性、治ってないな」
「一晩中、あなたのことを待っていたから」
「そう、なのか」
「ええ。本当に会いたかった。私の愛しい人……」
「涙もろいのも、変わってないな」
美しく透明な雫がヴァレリアの眦からこぼれて、俺はそっと指でそれを拭ってやった。
「結局、帰ってきたよ。ここに」
そう、俺は旅の目的地へと遂に到着した。
宮廷を追放され、エルフの国でも目指すかなんて軽い気持ちでここまでやってきた。
道中、色んなトラブルがあったなぁ。その全てが懐かしい。
が、俺の旅は終わったのだ。そしてエルフと人間との戦争も回避された。
あとはもう、のんびりとエルフの国でスローライフをするだけだな。
「おかえりなさい、グレン」
ヴァレリアが言う。
今は無き国境線を超え、俺はその一歩を踏み出した。
こうして、俺の新しい人生は始まったのだった。