第19話 一番弟子の誘惑
「やはり、薬法師の基礎研究部門は廃止か」
予想していた事とは言え、嘆息が漏れる。即座に国家に利益をもたらさない部門は切り捨てていく方針か。
「ええ、代わりに軍事予算が大きく計上されることになりました」
ユナは機械的な報告を続けていく。感情を表に出すことは元から少ないタイプだったが、彼女の薬法師という職業に対する誇りや信念、情熱を知っている俺からすれば、ことさらに感情を押し殺しているようにも見える。きっと、ユナも辛かろう。
「俺の既存の研究成果については、引継ぎは完了したのか?」
「いえ、グレン様の筆跡を判読できる者がいなかったもので、ごく一部の効果の弱いものしか」
「ははっ、やっぱりね」
「こうなる事を予想していましたね?」
「まぁ、ね」
「悪い人……」
「ユナだって、俺が教えた薬法の技術を宮廷の連中に教えてないだろ?」
「聞かれもしないものをこちらからわざわざ教える道理はありません。それに私にとって、あなたのいない宮廷には何の価値もありません」
相変わらず、はっきりと言うタイプだ。ユナは何故か俺を詰るように凝視してくる。彼女や他の教え子達を置き去りにして黙って去った事は悪いと思っている。
「私以外の、あなたの直属の薬法師達ももうほとんど王都を去りました」
「そうなのか」
「ですからヤンク王国の優秀な薬法師はほぼ、皆無になったと言っていいかと」
「なら軍備を拡張したところで、兵士の安全は保障されないじゃないか」
「そうです。ヤンク王国は今後、近隣諸国との戦争でたくさんの犠牲者を出すことでしょう。我々薬法師を重用していれば未然に防げたはずなのに」
「ま、それがムノーの判断なら俺は何も言うまいよ」
「あぁ、あの方ならもう解雇されましたよ」
「ええっ!? そうなのか」
「薬法師の逃亡、王都内で飼育されていた魔物達の暴走、そして一部兵士の反乱。これら全ての責任を取らされてね。勝手に自滅したような形ですね」
展開早いな……。あぁそうか。魔チュールの在庫、あんまり無かったもんな。ごめんよ、ティマー達。あと兵士のみんなも、薬をもっとたくさん置いていったらよかったね、すまん。
「大変そうだな、国内情勢」
「正直、崩壊までの秒読みに入った気はします」
「そんな時に、正規軍の総督たるイーノがこんな辺境の地にいて平気なのか?」
「あぁ、彼はただのお飾りなんで。何の成果も期待されていませんよ。もし運良くエルフの国を落とせたらラッキー、間違って戦死しても軍の損失は無し」
「ひ、酷ぇ……そんな扱いなのかアイツ」
ちょっとかわいそうになってきたな、いじめるの。
だが手は抜かない。事情はどうあれアイツがエルフの国へ侵略戦争を仕掛けようとしているのは確かなのだから。
「彼がもう少しマシな教育を受けていたら、とは思いますね」
「同感だ」
ムノーが親父だもんな。しかもかなりの親バカでイーノの事をとにかく甘やかして育ててたから。
「だがお前はどうしてイーノなんかに同行を?」
「あなたがアルフヘイムを目指していることくらい、私には見通しです」
「……知ってたのか」
いや、待てよ。それはおかしい。俺は誰にも、旅の目的地は伝えていない。っていうか旅に出ることも言わず、王都を後にしたんだがな。
「あなたの事は何でも知ってますよ。ずっとあなたのことを、見てきましたから」
「それで、この町まで来れば俺の情報が得られるかもって推理したと?」
「はい、その通りです。グレン様、私を置いて消えてしまうなんて酷いじゃないですか。この私がどれだけあなたの事をお慕い申し上げていたか……」
ぐいっと距離を詰められ、潤んだ瞳が俺を見詰めてくる。うーん、困った。泣くなよ、ユナ。
「今から二人でイーノを埋めて、それからどこか遠くの町に駆け落ちしませんか?」
「何故そうなる!?」
「……ダメですか? 宮廷ではあんなに私のテクニックを褒めてくださったのに。私の事が一番好きだって、何度もおっしゃってくださったでしょうに!」
チラチラと横目で何かを確認しながら、他人が聞いたら絶対勘違いされそうなこと言ってくるユナ。
「おい、待て、やめろ! テクニックって、薬法のだろ! あとお前の魔法のやり方が一番俺好みだって話だろうよ!」
街角から、恐ろしい殺気を感じる。振り返るとそこに鬼の形相をした幼馴染の姿が。
「グレン様、どうされましたか?」
「お、お前……エリナがいるのを知ってて言いやがったな、おい、ユナ」
「えっ、何の事でしょう?」
惚けた顔しやがってー!
「……へぇ、そんな仲の女の子がいたんだ。グレン、モテるんだねぇ……」
エリナがゆらり、ゆらりと近づいてきた。声のトーンが低い。てか冷たい!
「いや、待てよ! エリナ! 勘違い! 勘違いだからっ!」
ボカッ!