第四話 簡単な仕事-2
錯乱……起きたら次の駅。
その森からゴブリンは来るのだった。
その森というのはつまり、いまムライたちが入ろうとしている森である。
ゴブリンとかコボルトが村を襲うと聞いて、それなら人、もっというなら村娘のことも襲うのだろうと妄想をたくましくしたのなら間違いだ。ゴブリンにとっての人間など、人間にとってのゴブリンのようなものである。
<ニューロンの森>は森と呼ばれるだけあって、たくさんの木が生えていた。それぞれが数十の枝と、数百の葉をつけて、根本にはキノコもある。地衣類の茂りは彼ら(ムライ、マリア、ハームフル)の足を滑らせ、あわよくば頭を打って死んでほしいと願っていた。というのも、この森の地衣類は肉食性なのである。
「こけにしやがってこのコケどもおれがそんなこけおどしでコケるとでも……」
コケるのだった。
「あははひひゃ! バカじゃないの!」
例にもれず、ムライを笑ったハームフルも転んだ。
転ばなかったのはマリアだけだった。
「おれは全身すりむいて血だるまになるためにやって来たんじゃないぞ」
ムライはハームフルに、
「草はどこだよ草は」
「黄色い樹皮の木の根本にあるんだって」
ハームフルが答える。
「あるんだって……っておい、お前知らねえのか?」
「だって初めて探すんだもの」
「黄色い木っていってもなあ」
ムライがまわりを見渡す。
「全部黄色いぞ……?」
見渡す限りの黄色い木々。
「じゃ、どこにでも生えてるんでしょ」
とハームフル。
「ほら、探してよ」
「おれのまわりにはこんなやつしかいないのか?」
ムライがうめいた。
それってわたしも含まれてるのかな、と一瞬マリアは思うも、まだ知り合ってたった数日、その短期間で“こんなやつ”なんて烙印を押されてしまうほどの失態の覚えはなかった。だからいま彼がいったのは、わたしがまだ知らない、彼の知り合いのことなんだ、とほっとするも、まだハームフルみたいな人がいるのかと考えると恐ろしくもあるのだった。
あまり彼女は、そういう人種との関わりをもたずにいままで生きてきたのである。何度も繰り返すように、彼女の両親はまともであったのだ。そしてこの世界では――べつにこの世界に限ったことでもないが――まともな人間ほど早死にするのである。
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空は快晴風は西向き。
まったくもって平々凡々たる平穏な日和。なにか脅威が迫りくるような雰囲気ではまったくない。が、往々にして、そんなときにこそ危機は訪れるのである。
そういうわけで、いま三人の背後に一匹近づく影があった。
初めに気がついたのはムライだった。
「あれ?」
ムライはハームフルに声をかけ、影に向かって指を指す。
「あいつ知り合いか?」
それは一匹のゴブリンであった。
いまさら説明する必要もないかもしれないが、一応いっておくと、ゴブリンというのは子豚くらいの大きさで、子豚のような顔を持ち、子豚並の知能を備えたクリーチャーである。とはいっても、見くびることなかれ、ゴブリンは子豚と違い、自分の尻を拭く程度の文化性は持っているのだ――それが紙ではなく、極めて乾燥した葉っぱであるとしても。
「やっとあんたの出番!」
ハームフルはそういってドンとムライの肩を押す。
「さ、いつものようにやっちゃって!」
「でもあいつ、とくに襲いかかってくるふうでもないぞ」
襲いかかってきた。
「襲いかかってきましたよ」
とマリア。
「そうだな」
ムライはうなずき、仕方ないかといわんばかり――じっさい小声で口に出していたが――伸びをして、人差し指を突きつけ、
「<閃光>」
マリアははっとした。これは彼女があのドラゴンに襲われたとき、ムライがしかけたことではなかったか。あのときはよくわからなかったがなるほど、こういうふうに自分は救われたのか……へえー。
しかしなにもかもあのときと同じというわけでもなく、それはもちろん相手が強大なドラゴンではなくひ弱なゴブリンだということもあるが、もうひとつには、マリアの目をくらませたあの閃光が、今回はそれほどでもなかった。
どうしてですか? とマリアがムライに訊ねる。
「そっちのほうが楽だから」
とのことである。
あまり答えになっていないような気もしたが、それはこれから聞けばいいと思い、マリアはかがんでキイン草採取の作業に戻った。
なんといっても彼女が連れて来られたのは、ハームフルの一言によるものだったのだ。
「ふたりより三人のほうが多く持てるでしょ?」
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「……だいたいなあ」
とムライがぼやく。
「この草なにに使うんだよ?」
「精神の錯乱に顕著な効能を示すの」
博識ぶってハームフルが答えたが、じつのところこれは図鑑の引用だった。
「すりつぶしてよく煮詰めた汁を飲ませれば、発情したベヒーモスだって鎮静するんだよ」
「じゃあお前はいっぱい飲んだほうがいいな」
「あんたもね」
「わっ、クモだ!」
マリアがしりもちをついた。
「お前はモグラか? 雲なんて毎日見れるだろ」
ムライが呆れたようにいった。
「虫のほうのクモでしょ?」
マリアに手を貸すハームフル。
「えっマジ? おれ虫が苦手なんだよ……これいったっけ?」
とムライが訊ねると、マリアは首をふり、ハームフルはうなずいた。
「足が五本以上あるやつとは仲良くなれん」
マリアが見つけたクモを目で追いながら、ムライは身震いした。
「わたしの足は二本だけど?」
とハームフル。
「例外はどんなものにでもあるさ……さあ、もう十分だろ? 早く帰ろうぜ」
残念ながらその願いは叶わないのであった。ちなみに彼がそのことを知るのは、いまいる地点から十歩歩いたところで道に飛び出た低木の枝につまずき転び坂を落ち頭を打って悪態をつき首を振ってからようやく前方を見たときである。
誤字報告ありがとうございます。