第二話:超ハードラックボディ
商人……剣士の先祖。
ドラゴンは逃げたので、村にはまた平穏が――一般的な定義よりはかなりうるさいが――戻った。
しかし、まだやかましくしているところがあった。
ムライが住んでいる教会である。
「だからイヤだっての!」
ムライがいった。
「そこをなんとか!」
マリアも負けじと声を張る。
「そりゃ、きみがもう両親も死んで親戚もいないってんで天涯孤独な感じになったのには同情するよ」
内容のわりにとげとげしい声でムライはいった。
「でもさ、なんでキミをおれの教会に住まわせなきゃならないわけ? 言っとくけどこの教会……」
ムライは指をふる。
「お一人様専用なんだぜ?」
「ええ、ええ、ご迷惑なのは承知です。でも、どうか!」
マリアは引き下がらない。
「なにか事情があんの?」
ムライは首をひねった。
「実は……」
マリアはゆっくりと語り始めた。
……わたしは小さいときからこの村に住んでいました。
「えっ、そこから話すの?」
マリアが語り始めて二秒足らずでムライが口を挟んだ。
――すぐ終わりますから
「ああそう」
ムライはぶすっとしていった。
「手短にね」
……昔はお父さんもお母さんも元気で、よく一緒に野原へ行って遊びました。
「外向的な幼少期だね」
けれど三年前、急にお父さんが死んでしまったのです……
「あら、急展開」
なんでも死因は腎虚だとか……
「それは……えーと、どんな顔をしたらいいか決めるからちょっと待ってくれ」
お父さんが死んで、お母さんはすごく落ち込みました。
「死因が死因だからね」
あんまり落ち込んだもんで、体調を崩して、ずっと寝たきりになってしまいました。最近は食欲もなくなって……
「いままではあったの?」
わたし、お母さんに少しでも元気を出してもらおうと、三日前、花を摘みにいったんです。ほら、近くの森に花畑があるでしょう? あの木々のあいだ、あそこだけ日が射し込んだ場所の……
「ごめん、外出ないからわかんないや」
そこでさらわれそうになって……
「え?」
どうも奴隷商人のようでした。
「奴隷?」
ムライはげんなりとしたふうにいった。
「ありがちだな」
……それでなんとか家まで逃げたんですけれど、あー、花、花は、摘めなくて、お母さん、核酸の片割れ、形質の使者、ああ……最後にひと目。
「なんか聞いたことある気がする」
「……それで、またいつあの男――奴隷商人が襲ってくるかわからなくて、不安で」
マリアは身を震わせた。
「だからおれのとこにいようっての? その商人とやらが諦めるまで?」
「はい」
「そうか」
ムライは考えこんだ。同居人……同居人か。数年前に父親が死んだということで、どうにも経済状況は芳しくなさそうだし、じっさいこのマリアのかっこうはいかにも貧しい村娘のそれだった。もう腐るほどいろんな悲劇に出演してきたって感じの。
自分の教会を見てみる。うん、いまにも崩落しそう。この教会も教会で、「教会」ってよりかは「廃屋」に分類されそうな外見。お一人様専用とマリアに彼がいったのはあながち間違いでもなく、かなりなかも狭かった。
……まあ、しかたないか。
「しかたないか」
ムライは諦めたようにいった。
「! それじゃあ……」
「ああ」
ムライは拭い去れないいまいましさを声ににじませながらも、確かにいった。
「この家に置いてやってもよい」
「ありがとうございます!」
「ただし!」
ムライははしゃぐマリアを落ち着かせるようにいった。いまや彼女の目は輝き、転んでほこりまみれの外見のうちその部分だけが光っていたので、まるで砂金のようだと彼は思った。
「……文句はいうなよ?」
それだけいうとムライは教会のなかへ戻った。マリアは彼への感謝の気持ちでいっぱいだったが、ムライは眠りたいという気持ちでいっぱいだったのだ。
そろそろ正午だった。
□ □ □ □ □ □ □
数日たった。
マリアはこの教会のシスターとして働いていた。シスターは教会で忙しく働き、信仰に篤い来客をもてなす役目を担っていた……
いまのところ、彼女は主に掃除をしていた。
だれひとりとして信者は来ないのだ。
「ムライさん、この教会……」
マリアがたずねた。
「ほんとに教会ですか」
「教会だよ。当たり前だろ」
ムライは祭壇の上に寝っ転がりながらいった。日がな一日中彼はそこにいて、眠るか、そうでなかったら本を読むなどしていた。ただし、働くことだけはしていなかった。
「神父もシスターもいるじゃんか。これが教会でなくてなんだというのか」
「肝心かなめの信徒がいませんよ」
「そんなもんいらん。あいつらどうせなにも寄付しないし、礼拝のあともらえるパンが目当てなんだろ」
ムライは手にした本のページをめくった。
「パンに困ってるのはこっちだってんだ」
マリアは床を掃除し終えると、外に出て外壁を磨き始めた。まるで百年もそうされたことがないように、壁は黒ずんで塵芥にまみれている。
彼女はいままでムライがどうやって生活してきたのかがふしぎだった。まだ2、3日しかたっていないが、一度も彼が働いている姿を見たことはない。カビかけのパンやチーズが夕食だった。毎日そんなものを食べているのだろうか。それにしたって、働かないでは手に入れられないものであるはずだが。
そうやって考え込んでいたため、彼女は向こうからやってくる人影に気づきそこねた。
なにげなく目をやって、危うく彼女は心停止しかけた。実りのない壁磨きを中断し、慌てて教会のなかへ逃げ込む。
「どうした、心不全か?」
ムライがのんびりとたずねる。
「い、い、いたっ、いました、あ、あれ」
マリアの声すら汗ににじむよう。
「しょ、しょう、商人……」
「そうか。うちは間に合ってまーすっていっとけ」
「ち、ちが、あの」
そこまで聞いて、やっとムライは彼女の恐怖体験談を思い出した。
「奴隷商人か?」
□ □ □ □ □ □ □
ムライは外へ出た。向こうから男がやって来る。年齢は……おれより年上だな。そりゃそうだと彼は思う。彼より年下の人間なら、もうちょっとマシな志望先を思いつくものだからだ。
「いまここに女の子がいただろう?」
男がムライにたずねた。
「えっ、なんの話? 女の子……? えっ、怖い怖いこわいコワイコワイ恐い……」
ムライはとぼけてみた。
「とぼけるな」
あっさり見破られた。
「あれはおれの連れなんだ。返してもらおう」
「へえ、連れ?」
ムライは男の顔を見上げていった。
「商品じゃなくって?」
男の唇の端がめくれ上がった。笑っているつもりらしい。キモっ。
「そうだ商品だ。痛い目を見たくないのならさっさと出すんだな。このボロ屋のなかにいるのか?」
がしゃん、と教会のなかでなにかが落ちて割れる音がした。
「そのようだな」
「うちにいるのは掃除のヘタクソなシスターだけだ。奴隷なんていやしないぜ。それともなにか? なかに入ろうってのか」
ムライは余裕しゃくしゃくだった。
「やめておけ」
教会のなかの机の下からこっそりうかがっていたマリアにはわからなかったが、そのときムライの視線は一瞬非常に危なかっしいものを帯びた――王城でこういうものをぷんぷんさせていたら、たちまち衛兵に捕まってしまいそうな。
それは男をたじろかせ、悪態をつかせ、もと来た道を帰らせる効用を持っているようで、じっさい男はその通りに動いた。
「お帰りだぞ」
ムライは教会にいるマリアへ声をかけた。
おそるおそるマリアは外へ出て、たしかに男がもう点のごとく遠くへ去ったのを見た。
「また助けられましたね」
マリアが感激するような声でいった。
「もう、なんとお礼をいったらいいか……」
「んなもん、1ランカ(いわゆる通貨単位)にもならないし、いらんよ。それより……」
ムライはマリアにいった。
「壁磨いてくれ」