お姉さんはゲーマー(悪)
ゲーム好きのお姉さんが近所に欲しかった
――超人気スマホゲーム『ウォッチャーズ』。
5対5のチームで競い合うシューティングゲームで、そのプレイヤー数は世界で一億人を超えると言われている。
僕の通う中学校でもずいぶんと流行っていて、クラスはおろか、学年の男子は全員プレイしてるんじゃないかと思うほどだ。
当然のようにこの僕――佐藤一も『ウォッチャーズ』のプレイヤーなのだけど、僕の場合は純粋に娯楽を求めているわけじゃなくて、少し別の理由がある。
はっきり言えば、僕は隣の家に住むお姉さんと仲良くなりたいから、このゲームをプレイしている。
隣に住むお姉さんの名前はハルナさんといって、都内の大学に通うオトナの女性である。短く切った茶色の髪を自由に遊ばせ、いつも素敵な笑顔を絶やさない明るいお方だ。
彼女もこのゲームのプレイヤーであるというのは母さんからの情報で、しかも大学が休みの時は、ほとんど一日中ゲームをやっているという。まったく人は見かけによらない。母さんから話を聞くまで、お姉さんには、休み中は青空の下でサイクリングでもしているようなイメージがあった。
僕は昔からお姉さんのことが好きだった。でも、せいぜいすれ違った時に挨拶をするくらいで、仲がいいとは口が裂けても言えない関係だ。
だから、このゲームが仲良くなるきっかけになればいい。少しでも話すきっかけになればいい。
……そう思った。そう思っただけなのに――。
「おぉーい! 退くこと覚えろよカスぅ! 何度言ったら覚えてくれるんですかー? チンパンジーでもできると思うけどぉー?」
お姉さんの罵声がイヤホンを通じて僕の鼓膜へ突き刺さる。
「……どうしてこうなったんだよ」
僕は死んだ目でゲームをプレイしながら回想する。
きっかけはつい三十分前。家の前で大学から帰ってきたお姉さんとたまたま鉢合わせて、『ウォッチャーズ』の話になって、それで――。
「へぇ、ハジメくんも『ウォッチャーズ』やってるんだ。あ、じゃあちょうどいいかも。実は最近、クランからメンバーがひとり抜けちゃってさ。ウチのクラン、初心者大歓迎だし、よかったら入る?」
「入ります! ご迷惑でなければ、ぜひ!」
――それから、お互いフレンド登録して、早速、一緒にプレイして――。
「もしもぉーし、ハジメくぅーん?! 生きてるよねぇー?! 生きてるなら聞こえるよねぇー? なんでぇー、あんな風にぃー、敵が固まってるところにぃー、突っ込んだのかなぁー? ひょっとしてぇー、脳味噌が潰れたヒキガエルのミートソースでできてるのかなぁー?」
……ヤバイ人の罵倒の仕方だよ、コレ。どんな生き方したら脳味噌が潰れたヒキガエルのミートソースなんて発想が出てくるんだよ。
「……すいません、その、頭が真っ白になっちゃって」
「ハァー、頭に消しゴム常備ですかー。モノ消しゴムですかー。うらやましい限りですわぁー。わたしも欲しいなぁー消しゴム。都合の悪いことを頭から消し去りたいなぁーっ!! てかこの世から役立たずを消し去りたいなぁー!!!」
……ヤバイなんてもんじゃないよ、この人。悪のゲーマーだよ。
いや、でも待てよ。ひょっとしたら、これはお姉さんじゃないのかもしれない。これはたまたま彼女と声が似ている人で、知らず知らずのうちにマッチングしてしまって――。
「まったくハジメくんさぁ……。プレイの前にウィキも読んできてないわけ? 中学生だよね。授業中にスマホ弄るスキくらいあるよね?」
あ、駄目です。この人、僕の知ってるお姉さんです。僕の個人情報知ってます。ハイ、長年の憧れ、一瞬で風前の灯火です。
「……もう埒あかないわ。集合。来なさい、わたしの家に」
「い、家にですか?」
「今そう言ったばっかりなんですけどぉー? あ、そっか。脳味噌ヒキガエルのミートソースだもんねぇー。仕方ないかぁー」
あれだけ憧れていたお姉さんからのお誘いは、ちっとも喜ばしくないものであったが、しかし行かなければ後が怖い。本当に脳味噌を潰れたヒキガエルのミートソースにされる恐れがある。いや、行ったところでミートソースにされることは変わらない。
――詰んだ。
スムーズに死を覚悟した僕はペンを取って数学のノートに遺書を残し、流されるまま自宅を出て、流されるままお姉さんの家のチャイムを押した。「開いてるよ」という声がすぐに返ってきて、扉を開けて玄関で靴を脱ぎ、恐る恐るリビングまで行くと、笑顔のお姉さんが「いらっしゃい」と僕を出迎えた。
そうか。人はあんな笑顔で他人を殺せるのか。
お姉さんは「こっちに座って」とソファーへ僕を案内し、冷たい紅茶(恐らくは毒入り)を出してくれた。「これを飲んだら死ぬんだな」という予感をひしひしと覚えつつ液面をじっと見ていると、お姉さんが僕の隣に腰掛けた。ああ、飲まなくても死ぬんだ。
「さっきはゴメンねー、熱くなっちゃって。わたし、結構ゲームに熱中するタイプでさ」
脇腹を鋭利なガラス片で刺されるのかと思っていたから、この言葉は意外であった。しかし、油断はならない。
「熱中していたら誰だってああなりますよ」と無難に返し、僕は彼女の殺意の有無を伺う。
「そう言ってくれると助かるよ。あと、はい、コレどうぞ」
お姉さんは僕へ紙束を手渡した。
「わたしがお世話になってる『ウォッチャーズ』の攻略サイト。印刷して、大事なところに赤線引いておいたから参考にして」
「あ、ありがとうございます」
「それとコレ。わたしが前に使ってた、スマホ用のゲームパッド。まだ全然使えるから、ちゃんとしたの買うまでのツナギにどーぞ」
「……至れり尽くせりでスイマセン。……あの、もう怒ってないんですか?」
「ぜーんぜん怒ってないって! 失敗は誰にでもあるしさ! ドンマイってことで! 次に切り替えていこっ!」
――ああ、そうだ。やっぱりこの人は僕が知っているお姉さんだ! こんなステキな人が殺意なんて持ち合わせてるはずがないんだ!
憧れのお姉さんの帰還に嬉しくなった僕は、つい大きな声で「はい!」と返事をした。
「よぉーし! 元気出たとこで第二戦だ! じゃ、ハジメくんはリビングでプレイしてね! わたしはプレイ中の顔を見られるの恥ずかしいから、自分の部屋でやってくる!」
「喜んで!」
二階にある自分の部屋へ向かっていくお姉さんを見送った僕は、心躍るままスマホを構えてイヤホンを装着し、ゲームを起動する。やがてお姉さんがログインしてきて、「もしもーし?」という明るい声が聞こえてきた。
「わかってるよねぇー、ハジメくぅん。次また同じミスしたら、指の爪全部剥がして氷風呂にぶち込むからねぇー?」
……クレイジーすぎんだろ、この人。二面性がエグいよ。怖いよ。ただただ怖いよ。悪のゲーマーどころじゃないよ。純粋悪だよ。
一瞬にして天国から地獄へ叩き落された僕がまともなプレイをできるわけがなく、凡ミスに次ぐ凡ミスで二戦目も敗北。
『losers』の文字が画面に表示された途端、お姉さんの舌打ちが響いた。
「まぁたテメェが無暗に突っ込んだせいで負けたじゃねーかよこのタコがよぉ! ちょっとそこで待ってろ! 爪剥がしたるわ! ボケ!」
間もなくどたどたと階段を駆け下りてくる音が聞こえてきて、ああ、バール的ななにかで爪を剥がされるんだな、死より辛い痛みが僕を待っているんだなとぬるい覚悟を決めていると、リビングへ入ってきたお姉さんは耳まで真っ赤にしながら何度も頭を下げた。
「ハジメくんっ、ほんとーゴメン! わたし、言葉遣いちょっと荒かったよね?」
「…………あの、申し訳ないんですが、ゲームプレイ中だけ闇の人格が出てくる系のペンダントとか身に着けてません?」
「ひ、ヒドいよハジメくん! キミのお母さんに言いつけるよ!」
たとえ言いつけられたところで僕に負ける要素は無いが、さておき、いよいよお姉さんが心配である。
笑顔の裏に孕んだ狂気の正体を探るべく、僕は「どうして言葉遣いがあれだけ荒くなるんですかね」と訊ねてみた。
「うぅーん……わたし、昔からゲームで熱くなるとこうなんだよね。周りだけじゃなくて、自分まで見えなくなっちゃうっていうか。だから人とゲームするのは控えてたんだけど、どうしてもこの『ウォッチャーズ』だけはやりたくて。それで、ハジメくんもやってるって聞いて、つい嬉しくなっちゃって……」
恥ずかしそうに、申し訳なさそうに、それでいて哀しそうに語るお姉さんの姿に、僕はある種の痛ましさすら感じて、本心からこの人を「なんとかしてあげたい」と思った。これからも僕にとって憧れのお姉さんでいて欲しいと、そう願った。
「……待っていてください。すぐに戻ります」
ソファーから立ちあがった僕は駆け足でお姉さんの家を出て、自分の家に戻り、秘密道具を準備してから再び彼女の家に戻った。
僕が家から持ってきたのは、最新のゲーム機とそのソフトである。僕はお姉さんへコントローラーを渡し、それからゲームのパッケージを見せた。
「お姉さん、これをプレイしましょう」
「……これ、マ〇カー? しかも、一番新しいヤツ?」
「はい。マリ〇ーです。これを離れたところではなく、ふたりで並んで一緒にプレイして、それで、熱くなっても言葉遣いが悪くならないように我慢する練習をするんです」
「……でも、自信ないよ、わたし。今度はきっと、顔の見えるところから、ハジメくんに『バカ』とか、そういうひどいこと言っちゃうよ……!」
「さっき掛けられた言葉はバカ程度じゃありませんが……それはさておき、だから練習するんですよ。大丈夫です。僕ならいくらなにを言われたところで平気ですから!」
「……わかった、やってみるよ。ハジメくんって、結構ドMなんだね!」
チクショウ。なんなんだこの人。
それからテレビへゲーム機を繋げ、コントローラーを持てば準備完了。
「なんか、〇リカーって久々かも! 誰かと一緒にやるのなんてはじめてだし!」
などとお姉さんはかなりはしゃいだご様子であったが、キャラクターセレクト、コースセレクトまで終えた途端、
「……まあ、たとえ久しぶりでも、ハジメくんには負ける気しないけどねぇ……」
などと舌なめずりをはじめたのは、さすがに衝撃的であった。スイッチが入るというのは、このことを言うのだろう。
スタートの時が迫るごとに、お姉さんの顔は邪悪になっていく。
3カウントのシグナルが青に変わったその瞬間――サタンと形容するにふさわしい顔つきになった彼女は高らかに叫んだ。
「ロケットスタートじゃオラぁーっ! このボケがよぉ!」
すでにヤバイけど大丈夫だ! あくまで熱くなってるだけ! こちらの人格を否定するようなことは言ってきていない!
「ほらほらほらぁ! すっトロいんじゃないのハジメくぅん! 幼稚園児の三輪車の方がまだ速度出てるぞーっ!」
――露骨に煽ってきやがる!
「ほぉーんとに遅いっ! 地球上のわたしたちの視点から観測するオリオン座の動きくらい遅ッ!」
――露骨に煽ってきてるけどたとえの意味が不明だ!
「でも宇宙ってほんと不思議だよねっ! 日本列島ひとつ分も離れてない空にあるのに、ほとんど何もわかってないんだもん! それに、果てしなく広がってるって言うけど、わたしたちがそれを実感することはないしさ! というか、本当に宇宙ってそんな広いわけ? わたしたちが住む銀河系の外は実のところただのハリボテで、概念的生命体がわたしたちをヒト型有機生命体のモデルケースとして――」
――とうとう哲学的なことまで語りだしやがった!
それにしても、お姉さんはマリカ〇強者であった。コースの把握、丁寧なドリフト、妨害アイテムの使用方法。すべて僕よりも上だ!
僕の役目はお姉さんの罵倒を誘発させること。そして、彼女に罵倒を我慢させること。しかし、お姉さんに遠く及ばない僕のマ〇カーの腕前では、彼女に宇宙的哲学を語らせるばかり。
……もはや万事休すか――そう思っているところで拾ったアイテムボックス。出てきたのは、自分以外の全レーサーの進行速度を遅くする逆転のアイテム、カミナリ!
――くらえっ!
「おぉーい! 使うんじゃねぇよカミナリぃ! しかも崖からジャンプしてる途中でよぉ! わたしをハメようとはいい度胸だなぁハジメくぅん!」
お姉さん顔コワっ! 目の前で故郷を焼かれた勇者かってレベルでコワっ!
でも負けるなっ……! 押せ……っ!
「お姉さんっ! これは僕とあなたの勝負ではありません! お姉さんと……悪のゲーマーである内なるお姉さんとの勝負なんです! 負けてはいけません!」
僕の言葉で正気を取り戻したのか、サタンから一転、人間の顔つきへと戻ったお姉さんは――コントローラーを投げ出して、自分の右手の甲を爪で抓り上げるッ! まるで、もうひとりの自分を消し去るように……!
……ああ痛い! 見てるだけで……痛いッ!
「……ありがとう、ハジメくん。わたし、がんばるよ」
「お姉さんっ! 手の甲からドクドク血が流れ出てますけど正気に戻ったんですね!」
「……うん。向こう三日は満足にペットボトルも開けられないほど痛いけど、なんとかね」
お姉さんは自らの頬をぴしゃりと叩き、コントローラーを握りなおすッ!
「さあ、勝負だ、わたしっ!」
――頑張ってくださいお姉さん。僕にはもう、あなたを応援することしかできない。
僕の使用したカミナリにより崖から転落したお姉さんは、一旦最下位へと落ちたものの、そこはさすがのゲーマーである。ファイナルラップになるころには順位を二位まで上げてきた。
僕はといえば「お姉さんのために」と思ったことで火事場の馬鹿力が働いているのか、順位は未だに一位を継続中である。
いよいよレースも終盤。ラストのコーナーを曲がり、あとは直線を走り切るだけ。
ここでお姉さんが温存していたダッシュアイテム――キノコを使ったッ!
加速するクッパ。迫る重量級。バックミラーを覗くまでもなく、悪の大王はすでに背後。
「――ハジメくん、ありがと。でも、勝つよ、わたし」
僕に声を掛けたのはゲーマー(純粋悪)ではなくて、憧れのお姉さんだった。
……よかった。でも――だからこそ負けるわけにいかないッ!
これが最後の試練ですと、心を鬼にしてアイテムを発射するッ!
お姉さんの操るクッパがゴールラインを切る1m手前……放たれた緑色の亀の甲羅は悪の大王の背中を捉え、そして――。
「だぁーっ! ミドリコウラ当ててくんじゃねぇよ小癪にヨォーっ!」
負けた―ッ! レースに勝ったのは僕だけど、お姉さん結局、内なる(純粋悪)に負けたーッ!
今にも世界を破壊しそうな顔でテレビ画面を睨んでいたお姉さんだったが、「大丈夫ですか」と僕が声を掛けると、正気を取り戻したのか表情を悲しみに歪め、そして深くうなだれた。彼女の手の甲からは未だにどくどくと血が流れ出ている。
「……わたし、ダメだったよ。結局、自分を抑えられなかった。またハジメくんに変なこと言っちゃった」
「……でも、もうちょっとだったじゃないですか。お姉さんなら大丈夫です。いつか内なる自分(純粋悪)を克服できますよ」
「……ハジメくん」
お姉さんはゆっくりと顔を上げて僕を見る。その表情からは、悲しみの色はすっかり消えていた。
「じゃあ、早速もう一戦やろう! なんだか次はいけそうな気がする!」
「……いや、それはその……とりあえず勘弁して欲しいというか……」
でもこんなお姉さんならちょっと要らないかな