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たとえ世界が嘘をついたとしても

作者: 野田莉帆

 最初に変だと思ったのは、いつのことだっただろう。気がついた時には、この世界から大半の人がいなくなっていた。


 いったい何を言っているのだろうか。わからないと思うが、私にも全然わからない。異世界に転移したとしか思えないくらい! 本当に次々と、人々は姿を消してしまったのである。


 今となっては。都心部であっても受ける印象は、まるで田舎町の様相だ。わずらわしい満員電車も渋滞も存在しない。人々は歩道を行き交わない。ぶらぶらと散歩に出かけたとしても、誰とも顔を合わせずに帰ってこられる可能性は高い。


 全て。そう、本当に全ての場所が。寂れた商店街のような風体になってしまった。かの有名な駅、かの有名なショッピングモール、かの有名なデートスポット、かの有名なテーマパークでさえも……。


 ——いなくなる、とは不思議なもので。


 存在の欠片も見当たらなくなると、本当に最初から存在していなかったような感じがする。薄情者と非難されたとしても、何ひとつ文句は言えないのかもしれないが。


 しかし今は、自分に友達や家族が存在していたのかさえ思い出せない。もちろん私は、ひとりで大きくなったわけではないはずだ。私には子どもだった頃が、なかった。いや、あり得ないだろう。


 だから、絶対にいたはずなのだが……。本当に思い出せない。親不孝者めっ! とツッコまれてしまいそうである。非常に体裁が悪いので、私は記憶操作をされているということにしておこう。


 ——記憶操作、記憶操作か。


 自分で言っておきながら否定するのも変な話だが、どうにもこうにも非現実的な響きだ。しかし、記憶操作でなければ何だ? 記憶喪失? びょーき? まぁ、記憶操作で良いのではないか? 誰が何のために? ……という疑問は残るものの、すでに世の中が現実的ではないのだし。


 ——どうしてこうなった?


 大好きな布団の中でゴロゴロと転がりながら、私は思いを巡らせる。しかし本当に、嘘でも夢でもない。嘘にしてはバカげているし、夢にしてはユメがなさすぎる。


 実のところ。もうすぐ貯金が底をついてしまうのだ。じきに食べるものもなくなる。無い無い尽くしの先に、残念ながら私の未来はない。はっきり言って、餓死するのを待つだけだ。きっと想像を絶するほどの痛みを伴うのだろう。じわりじわりと内臓が溶けていく苦しみを数日間も味わいつくして、死に至るのだから。


 もちろん生き続けるために、やれるだけのことはやる。お気に入りの服だって売るし、パソコンだって本だって売る。売れるものは本当に全部、売る。極端な話、私の生活には布団しかいらない!


 幸いにもアパートの家賃は2年先の分まで支払い済みで、おかげさまでガスや電気や水道を使い放題のオプションがついている。だから、お金は全部を食費に回す!


 正攻法では通用しなくなってきたら。大きな声では言えないが、真っ昼間から万引きだってしよう。たぶん消えてしまったと思われる隣の人の部屋にだって侵入を試みる。背に腹はかえられない!


 しかし怖いのは、私と似たような考えを持つ人が近くにいるかもしれないということだ。どのような人が住んでいるのかもわからないまま、いきなり食べ物を奪いに侵入してこようとする人はいないと信じたいが……。思わず玄関の方を見てしまうくらい。本当に、怖い。


 万が一、誰かに侵入されてしまったら。寝具をこよなく愛するだけの日々を過ごしている怠惰な私のことだ。本当に、何もかもを奪われる側に回ってしまうのだろう。


「あーあ。しかし、本当に早く私も消えないかなぁ」


 29歳の女。未婚で元会社員の現無職(自称)。「しかし」と「本当に」が口癖の私の本気の独り言は、殺風景な7畳半の部屋に空しく響いた。


 ——人が消え始めて間もなかった頃は。


 いつ自分自身も消えてしまうのか、と。真夜中に布団の中でガタガタ震えながら、恐れていたのに。身勝手なものである。しかし一方で、仕方がないのだとも思う。消えたらどうなってしまうのか。行く先々に関する有用な情報は、一切ないのだから。


 もしかしたら消えるとは、死を意味するのかもしれない。もしかしたら消える時には、痛みや苦しみがあるのかもしれない。もしかしたら異世界転……。やっぱり考えるのは止めよう。


 想像できる範囲が広いにも関わらず、あまりにも私の視野が狭い。だから正解にたどり着けるとは到底、思えない。まぁ別に、無駄なことを考える時間だけはあるのだが。


 ——どのみち、餓死するよりは楽そうなんだよなぁ。


 いじけてしまいたくなる状況下。励ましてくれる人も慰めてくれる人もいない。SNSなどで連絡を取るのは情報が漏れることを危惧して、ずいぶん前に止めてしまった(そもそも途中から私は仕事をサボるために、私が消えたかのように振る舞っていた)。


 ……この世には、すでに知り合いがいない可能性すらある。私が外に出るのは1週間に1回。目の前にあるスーパーへと足を運ぶだけだ。しかし、店員や他の客とは目も合わせない。本当に、人は怖い。何かトラブルがあったとしても、その瞬間に街の警察官が消えているかもしれない今は特に。


 消えるのが犯罪者やスーパーの店員なら大歓迎なのだが。人生は上手くいくものではない。もはや現実が物語っている! 消えてはいけない場面で、消えたでは済まされない人から消える! 絶対に! だから、私を癒してくれるものは肌ざわりの良い布団だけなのである!


 というわけで、まだ日の明るいうちから今日も。例外なく寝転がっていた。平素から私は仕事や家事をせずに毎日ゴロゴロ遊んで暮らせたら、どれほど幸せだろうかと考えていたような奴である。


 世間のことなど、知ったこっちゃない! いつ私が消えるとも限らないのだし、これを機に私は心ゆくまで毎日ゴロゴロするという長年の夢を叶えるのだ! 本当に毎日が日曜日! バンザイ! と。途中から開き直り、勇んでゴロゴロしている時期もあった。


 しかし最近は、ちっとも楽しくない。長年の夢は叶ったはずなのに……。実は悲しくて、寂しくて、虚しい、と。伝える相手を失っていたのだ。もし、きちんと仕事を続けていたら状況は違っていたのだろうか?


 ——しかし、なぁ。


 あまり昔のことは覚えていないが、穏やかな日々が続いていた頃。こっそりと心のうちに秘めていた幼い私の夢は、誰かのお嫁さんになることだったような気がする。しかし、どういうわけか。それは叶う兆しもなかった。


 歳を重ねていけばエスカレーター式で、自然に叶うと思っていたはずの小さな夢は儚く散った。そして、どういうわけか。私は鉄道会社に勤務していたのである。何のこっちゃ。


 駅員の仕事は、決して楽ではない。他の路線に比べたら運行本数は少ない駅で勤務していたが、週1回のペースで電車が遅延したことをお客様に怒鳴られた。月1回のペースで酔っ払いのおじさんに絡まれる。年1回のペースで人身事故の死体処理を行わなければならない。


 他にも嫌なことは山のようにあった。しょっちゅう吐瀉物にまみれるホームの床やトイレを、清掃するだけでも一苦労。加えて夏場は、ほぼ毎日アブラムシを見かけて駆除に追われる。業務に関しても人員不足の中でシフトを組むのが大変すぎる。何かと休むことの多いアルバイトさんには常に悩まされていた。


 何人も何人も退職して、ほとんど同期は残っていなかった。大して給与も高くない。良いところを挙げろと言われても、ひとつも出てこない。それでも、私は仕事を嫌いになれなかった。家に帰って玄関で寝てしまうくらい疲れている時は、もう辞めてやる! と心の中でよく叫んだものだが。本当の意味で辞めたいと思ったことはなかった。


 やりがいがあったからかもしれない。辞めたら生活をしていくお金がなかったからかもしれない。あの時に辞めたいと思わなかった明確な理由は、自分でもわからない。しかし何年間と続けられるだけの理由くらいは、きっとあったのだろう。


 私の中で心境の変化があったのは、やはり人が減り始めた頃。業務内容に変更が出てきてからだ。お客様が減っても駅員は常に、駅の構内にいなければならない。しかし従業員は無断欠勤という形で減っていく。最初は残業や休日出勤による駅での寝泊まりでカバーしていたのだが。それでも。いよいよ本当に無人の駅は増えてきた。


 無人の駅が当たり前になった段階で、残っていた駅員は乗務員へと格上げされた。苦肉の策である。車内で全ての切符の確認をしつつ、安全確認や車内アナウンスも行った。しかし、乗務員も減り続けていく。交替するはずの駅で、交替するはずの人が来ないことが増えてきた。


 体感として、24時間駅の構内にいるよりも12時間ぶっ続けで車内にいる方がキツい。ご飯もトイレもままならなくなってきた。もし漏らしたら、もう明日から自分は絶対に出勤しない! と。固く決めた結果、今に至る。


 さて。必死の形相で働いていて疑問に思う時間もなかったのだが、この時の社会はどうなっていたのだろうか? 仕事に行かなくなってから、やっと暇ができたのでテレビをつけた。


 ……まず、総理大臣が消えたのだろうか? 総理大臣が変わっていた。ニュースキャスターも、たぶん消えたのだろう。カメラを固定した状態で、ガランとした駅前を背景に滑舌の悪いカメラマンが何やら喋っている。


 いったい、何を言っているのか。全然わからないので、チャンネルを変えた。バラエティ番組が放送されていたが、知っている芸能人は出ていなかった——。


 しかし世の中には、最後まで責務を全うしようとする人間がいるらしい。そもそも電気やガスや水道が使える時点で。どこかの誰かが血反吐を吐きながら、仕事をしていることは間違いない。凄まじい努力である。


 それに比べて私は。家に引きこもって消えたふりごっこをしているのかと思うと、何とも言えない気分になる。しかし今さらなので、テレビを消して再び寝ることにしよう。おやすみなさい。

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― 新着の感想 ―
[一言] はじめの頃消えた人たちの理由は違いそうですが、それに追従した人たちは主人公と同じ様な気持ちでドロップアウトしていったのでしょうね。 皆が役割を放棄すればするほどさらに放棄する人は加速的に増え…
[良い点] 退廃的な世界の中と軽妙な語り口が上手くマッチしていますね。客観的に見たら結構絶望的な状況なのに、読後感がそこまで不快ではないのは驚きです。 [一言] 他の方の感想と若干被りますが、自分は世…
[良い点]  世界から人が消えるのか、それとも自分が人の居ない世界に行ってしまったのか、ですね。もっとも、主人公的には大きな差はないのかもしれませんが。儚い話です。芸能人だろうが総理大臣だろうが、いな…
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