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 熱に浮かされ、アンジーは娘の名前を呼ぼうとした。が名前を知らないことを思い出して口を噤んだ。呼んだところで娘は返事などできないだろう。重い瞼を開けてみたが、視界はぼやけてよく見えない。諦めて眠ろうと目を閉じるが、痛みと熱がそれを邪魔する。

 まったくだ。

 慣れないことをするものではない。

 あの場にいた人間で一番驚いていたのはアンジーだったに違いない。気づけば体が勝手に動いていた。あんなことをする人間ではなかったはずだ。それはアンジー自身がよく知っている。

 なぜ、娘を庇ったのだろう。自分に何の得があったのだろう。

 もうろうとする意識の中、そんなことを悶々と考えていると、どこからか声が聞こえてくる。

 女の声だ。

 透き通るような声だった。

 歌うような、囁くような、どこの言葉かまるで分らなかったが、それはアンジーを心地よい眠りに誘った。

 その日の晩。

 マロウが消えたと、あとになってから聞いた。


 気が付くと朝だった。

 目を開けると、娘がアンジーの手を握ったまま眠り込んでいる姿が映った。窓からは暖かい光が漏れ、娘の顔を静かに照らしていた。

 ――愛おしい。

 そう思った。虚ろが一瞬にして埋まったようだった。娘が傍にいるだけでいい。断末魔も、生暖かい血も、絶望した顔も、憎しみの涙も、何もいらないと思えた。これほどに満ち足りた気分にさせるものが、この地上にまだあったことを思い出したのだ。

 娘の髪を撫でようと手を伸ばして、止めた。

 触れてはいけないような気がしたのだ。結局、娘には触れず寝顔を眺めることにした。最初に出会った時と同じ穏やかな寝顔だ。

 しばらくすると航海士が来て、消えた乗組員の名を告げた。


 状況は悪化するばかりだった。マロウが消えた後も、次々と人が消えていった。乗組員たちは考えることを諦めた。何が起こっているか、皆目見当もつかなかったからだ。彼らはこの異常な状況に慣れていった。もう船が動かせる人数ではなくなった。船の帆を張って、風が港に運んでくれることをひたすら待った。


「船長は僕が犯人だと思いますか?」

 空になった酒瓶を持った航海士は、夕日で赤く染まった海を見つめたままそう言った。

「それはないな」

「じゃあ、あの娘がそうですか」

「さぁな」

「船長が犯人だなんて思えません。だったらもう、彼女しかいないじゃないですか」

 航海士はふり返えると、自虐的に笑った。

「もう、僕らしかいないんですよ?」

 船に残ったのは航海士、アンジー、そして娘の三人だけだった。

「それとも何ですか。シレーヌが海に引きずり込んだって言うんですか?ハルピーが夜な夜な飛んできては仲間を取って喰ったって言うんですか?マロウの言っていたことは本当だったんですよ。僕は今ならマロウのことを信じますよ!」

 苦悶に満ちた表情を浮かべた航海士は叫ぶように言った。

「落ち着け。あともう少しで港に着く。それまで部屋に隠れていればいい。朝になるまでそこで待つんだ。いいな?」

 アンジーは真剣な顔つきでそう言うと、航海士に鍵を手渡した。航海士は顔を上げると弱々しく尋ねた。

「船長はどうするんですか?」

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