64・転移者は砂狐を躾ける
サイモンをそろそろ解放しないとな。
「アラシと遊んでおいで」
砂狐用の皮ボールを持たせてやる。
「おにいちゃん、いこ」
砂族の小さな女の子がサイモンの服を引っ張り、アラシもボールを見てミャンミャンと急かす。
「う、うん。 じゃ、ちょっとだけ」
扉を開けると砂漠の町は今日も空が青い。
「王子、どう思う?」
『魔法陣を壊すってこと?』
「ああ」
魔法陣好きの王子にすれば、あれは残したいだろうな。
『いや、魔法陣は描き写してしまえばいい。
これから何度か通って正確に描き写すつもりだ』
すでに資料として残す予定だったとは、さすが王子だ。
俺はカラカラになった口の中をお茶で湿らす。
王子はいつもの魔法陣帳から適当に一枚を取り出した。
『壊す。 ふむ。 ただ文字を消せばいいのかな?』
魔法インクで魔法紙に描かれた魔法陣。
これをどうやって消せばいいんだろう。
紙なら破けばいい。 地面に描かれたものならそこを削ればいい。
「うーん、そんな単純なことだろうか」
俺たちは二人で頭を悩ませる。
今まで俺たちは魔法陣を作り出すことはしても、消すというのはやったことがない。
あの魔法陣はあまりにも巨大だ。 それを止めるとなると影響もそれなりに大きいかも知れない。
「それがこの世界にどんな影響を及ぼすのか」
それが分からない。
「消しゴムなんて無いしな」
『なんだ?、それは」
「あー、一回書いたものを消すことが出来るものだよ。
こう、描いた線の上をこすって、その線を消すんだ」
ゴシゴシとこする仕草を見せる。
これは紙の上のインクを剥がすという行為だ。
確かインク自体に熱で消えるものがあって、それを摩擦熱で消すのもあったなあ。
『ほお』
俺は自分の記憶にある消しゴムのイメージを王子に伝える。
『ふむ、これを魔法陣にすればいいのか』
王子がブツブツと呟きながら引っ込んだ。
こうなるとこっちの声は届かない。
俺はがんばってくれと祈るしかなかった。
それから数日間、俺は日中は作業員たちと新しい魔法柵を作っていた。
サーヴの町に一番近い森を切り開いて牧場を作ることになったのだ。
ウザスへ出稼ぎに出ていた樵たちも戻って来ていたので、森はかなり拓かれた。
そうして、その牧場を囲うように新たに魔法柵を張り巡らせる作業をしている。
家畜が増えているので、いくつかのエリアに分けることになった。
「かなり大規模ですねえ」
「ああ。 もう新地区と旧地区の区別もなくなったからな」
「そうですねえ」
俺は魔法柵作りにはコセルートをこき使っている。
稼働し始めた鉱山の影響もあって住民も増えた。
俺一人ではもう管理しきれない。
手伝ってくれる作業員たちは斡旋所でサーヴ領主の依頼を受けた亜人たちだ。
食事さえきちんと出してやれば、彼らは非常に真面目に働いてくれる。
普通の人族よりも身体能力が高いし、魔獣の気配にも敏感で自分たちで処理してしまう。
何とも頼もしい。
「ハアハア。 そろそろ休憩にしましょうよ」
魔術師でもあるコセルートは、まだ若いのにあまり体力がない。
「もう少し鍛えたほうがいいですよ」
警護についていたトニーにまで言われている。
そのトニーの傍に黒い毛並みに手足と尾の先が白い砂狐がいた。
「名前はクロにしました」
見たまんまか。
【ふ、ふん。 クロという名前はユキに近いからな】
若い砂狐はその名が気に入っているようで何よりだ。
すぐに座り込んでしまうコセルートを鼻で突いて働かせている。
【まったく、人というのはひ弱だな】
「あはは。 弱い者ばかりではないんだけどね」
俺が砂狐たちと会話をしていると、トニーはうらやましそうにしていた。
「大丈夫だよ、トニー。
砂狐たちはこちらの言葉が分かるから、ちゃんと言葉で話してやればいいんだ」
「う、うん」
そして俺は砂狐たちには簡単な身体の動きで意思を伝えるように教えている。
例えば、首を上下に振ったり、横に振ったり。
「お手」
つい言ってしまった。
【なあに?】
不思議そうに首を傾げるユキはかわいい。
【て、あげるの?】
俺が出した手にちょこんと前足を乗せる。
おおおおお、かわえええええ。
【ふん。 こうか?】
クロまで俺の手に乗せてきた。 お前はいらん!。
【わあああい】
遊びだと思ったらしいアラシが突っ込んできて、俺は転がされる。
はあ、前途多難だな。
夜はだいたいオアシスの遺跡の地下にいる。
<復元>の魔法陣だけでは脆かったらしく、出入り口は埋もれてしまっていた。
俺たちには転移魔法があるので、直接あの魔法陣のある部屋へ行く。
毎夜、王子は熱心に描き写していた。
連れて来ないとうるさいのでユキも一緒だが、階段の一段でまあるくなっているだけだ。
【ねすがまいごになると、かわいそうなの】
いやいや、転移魔法で直接移動するから迷子にはならないよ。
まあ、王子は一晩中描いているから、息抜きは必要だと思う。
「王子、ほら、休憩だよ」
『う、んー?』
強制的に休ませないといけない。 そのため思いがけずユキは大活躍している。
【ねーすー。 おやつにするのー】
『あ、こらっ、ユキ』
ユキは俺の合図で王子の服を引っ張ったり、描きかけの紙に足を乗せたりして邪魔をする。
王子はユキをかわいがっているので、あまり怒れなくて困り顔になるのが面白い。
「だいぶ出来上がってるね」
『ああ、もう少しだ』
王子はこれを持ち帰って完璧に近づけるように修正していく。
二、三日後には写し終えたが、今度はこれを解読し、どこをどうすればこの魔法が停止するのかを考える。
王子の研究はまだしばらくは続く。
ある真夜中、教会裏の通信魔法陣のある小さな扉を開く。
「返事が来てるといいね」
『うむ。 パルシーさんも忙しいだろうがな』
以前、王子がこの魔法陣を見つけたときに送った魔法紙で、王都の古い教会と繋がっていることが分かった。
お陰で王子に心酔している眼鏡のパルシーさんと連絡を取り合うことになったのである。
月に一度は確認に来ないと、手紙が溜まっていたりする。
どんだけ王子が好きなんだよ、眼鏡さん。
「こっちも助かってるけどね」
どうせなら、とこっちからも必要なものや知りたいことをお願いするようになった。
「例の本だ」
砂族に関して詳しい資料を頼んでいた。
「手紙付きだね。 ああ、詳しい人を派遣してくれるって」
ちょうど故郷に帰りたがっている砂族と教会で知り合ったそうだ。
王都では普通の人族として過ごしているが、砂族だと知れると扱いが亜人のようになる。
いつか正体がバレるのではとビクビクしながら暮らしているそうだ。
「サーヴの町で仕事があるなら行きたいって言ってるらしい」
『そうだな。 ミランも住民が増えるなら文句は言わないだろう』
俺たちは了承の手紙を魔法陣に乗せた。
十日も経たないうちにパルシーさんの紹介状をもった三十代の夫婦がやって来た。
俺が念話鳥を出して事情を説明すると、夫婦は物珍しそうに鳥を見ている。
「懐かしいです。 でも少し変わりましたか」
男性は目を細めて町を見ている。
女性のほうは落ち着きなく辺りを見回して、ずっと何かを探しているようだった。
二人とも砂色の髪と目をしていた。
「パルシーさんに砂族の研究者を探していると声をかけていただきまして」
別々の場所で働いていたが、夫婦は一緒に戻る決心をした。
「サーヴの町の噂は王都にも届いています。
鉱山が発見され、亜人や獣人でも受け入れていると」
そのあたりはおそらくチャラ男たちが故意に流しているのだろう。
「あなた方には私の研究の手伝いをしていただくことになります。
家を無料で支給しますので、そこに住んでもらってこちらに用事があるときは呼びますので」
地主屋敷にはオアシスで拾った砂族の母娘もいるので差別などはないと説明する。
夫婦を連れて地主屋敷を訪ねた。
「こんにちは、ロイドさん。 こちらのお二人になります。 よろしくお願いします」
「おや、あなた方はー」
どうやら見覚えがあるらしい。
「はい。 三年ほど前までこの町に住んでおりました」
「ええ、存じております。 でも、確かお子様がいらっしゃいましたね」
夫婦は顔を見合わせる。
「お恥ずかしい話ですが、私たちは子供を残して出稼ぎに出まして。
その時に新地区の教会にあるだけのお金を渡して預けたのですが、今はどうしているのか」
彼らも教会では五歳で放り出されることを知っていた。
「集団の中の女の子に頼みましたので」
この町のたくましい浮浪児たちの仲間になっているだろうと思っていたらしい。
俺は大きくため息を吐いた。




