35・転移者は天国に浸る
新地区の魔法柵の側に人が集まっている。
「大丈夫ですか?」
まだすぐ近くで獣と争っている気配がしていた。
「全員すぐに魔法柵の外に出て!」
俺は魔道具であるバンダナを震わせて、出来るだけ大声を出す。
トニーたちに言いつけて、ケガ人や疲れて弱っている者たちをなるべく一ヶ所に集める。
<結界>
俺の足元に黄色い魔法陣が浮かび上がり、驚いた兵士や猟師たちが怯えて逃げようとする。
逃げたいなら逃げればいい。
俺は気にせず、すぐに治療を始めた。
コセルートも後から来て手伝ってくれた。
「ほら、薬だ。 あるだけ持って来たから遠慮なく使え」
何やら大きな荷物を持っていると思ったら、領主館から埃をかぶっていた治療薬を持って来たらしい。
「いいのか?」
と訊いたら、
「へっ、あの人たちは私兵や護衛には使う気がないんだ。
これは自分たちがケガした時用だなんて言ってさ。
自分たちは滅多に危ない場所なんかに行かないくせに」
彼はきっともう覚悟を決めているんだろう。
「ありがとう、助かる」
俺はそう言って、トニーに彼の手伝いを頼んだ。
ケガ人の中にリーダーの少年を見つけて<治療>を発動する。
「どうした?、お前たちは魔法柵の中には入っていないはずだろう」
獣人親子と少年たちには見回りは頼んだが、山狩りの間は柵から溢れた獣だけの対処を頼んでいた。
「それが、いっぱい来て。 兵士たちも手に負えないくらい」
彼もまだ成人手前の子供だ。
初めて大量の獣を見て腰が引けてしまったのだろう。
父親が狩猟で亡くなっているので、それを思い出してしまったのかも知れない。
俺は震えている少年の肩をぐっと掴み、静かに顔を見る。
「怖いだろう?。 これが本当の狩りだ。 人間と獣の争いなんだ」
そうして俺はケガ人の治療を続けていく。
粗方終わると、今度は森の中の気配を探る。
『あっちだ』
王子が先に教えてくれた。
俺が走り出すと、治療を終えた者たちやコセルートが後を追って来た。
嫌な気配が新地区から旧地区のほうへと移動する。
「くそっ」
この辺りは先日樵のお爺さんと作業をしたので、移動がし易くなっていた。
グガアアアア
大きな雄叫びが聞こえ、一部の者が怯えて動けなくなる。
「いた!」
<投擲・鉄杭>
「はあああああ」
出ないはずの俺の喉から声のように息が漏れる。
身体のバネを目いっぱい使って魔力を振るう。
俺の手から放たれた魔力は鉄杭となって一体の魔獣の頭に吸い込まれた。
ギャアアアアア
暴れて転げまわる魔獣に、王子がさらに強化された魔法を放つ。
<拘束・大鎖>
ドスン、と大きな音がして地面が揺れる。
「全員退避ー!」
聞き覚えのある男性の声がした。
目の前に巨大な灰色狼の魔獣の死体があった。
おそらく普通の灰色狼の二、三十頭分くらいの大きさがありそうだ。
<浮遊>の魔術をかけて、ようやく魔法柵の近くまで運んで来た。
「何故こんなものが」
コセルートが呆然と立ち尽くしている。
「そんなこと知りませんよ」
俺はため息を吐き、ただケガ人を治していく。
そんな俺の側に狼獣人のエランが近寄って来た。
周りを窺い、そっと耳元に「見てきました」と報告する。
「やっぱり他にもあったのか?」「ええ」
小鬼が巣くっていた洞穴の奥にあった魔力溜まり。
それと似たようなものが灰色狼たちの巣穴にもあったそうだ。
結界を張りにいかなければいけないな。
「兵士たちと協力して巣穴を包囲、殲滅作戦をやってたんだ」
山狩りの連中は灰色狼の巣穴を発見した。
「最初は順調だったんだけど、奥から物凄い音がして、気が付いたら目の前にあれがいて」
よく生き残ったもんだとケガ人たちを労りながら話を聞く。
「すまん」
隊長のケガはかなり重傷だったが、魔力チートの王子のお蔭で命は取り留めた。
「お大事に」
そう言って俺は立ち上がり、エランを呼んで案内を頼んだ。
「どこに行くんです?」
移動を始めた俺たちの後をコセルートが追って来た。
「危ないですから戻ってください」と言っても通用しない相手だ。
エランは嫌な顔をしたが仕方なく連れて行った。
かなり森の奥深い場所。
ようやく山肌が見え、低木の陰になった洞穴が見えて来た。
周辺は剣や弓が散乱し、大規模な戦闘があったことが分かる。
「ここは?」
「灰色狼の巣穴のようです」
コセルートの問いにエランが短く答える。
エランが先導して穴に入った。
兵士や猟師たちがどんな殲滅作戦をしたのかは知らない。
ただ巣穴の中には大小、様々な狼たちの死体が転がっていた。
外にも中にも人間の死体がないのは引き上げるときに回収して行ったのだろうか。
「エラン、気分が悪いなら外に出ていてもいいぞ」
俺がそう声をかけると鼻の良い狼獣人は辛そうに首を振った。
「いいえ、大丈夫です」
狼の巣穴にしては広いな。
小鬼に自分たちの巣穴を奪われて、この洞穴に逃げ込んだのかも知れない。
巣穴の奥に狭い道が続いている。
「ここです」
その中に入る前にすでに嫌な魔力が溢れているのが分かる。
「うっ」
コセルートが顔を顰めて蹲る。
<結界>
王子がすぐに穴をふさぐように結界を張る。
原因が分かれば<浄化>や<封印>といった手もある。
だが、今は不明なのでとりあえず被害が出ないように閉じ込めるしかない。
「ふわあああ」
洞穴の外に出ると、コセルートが大きく何度も呼吸を繰り返す。
「一体何なんだ、あれは」
俺は分からないとただ首を振る。
地面に深い穴を堀り、中から運び出した狼たちの死体を埋め、固く土で蓋をする。
前回のように焼いている時間が無い。
あまり俺が姿を見せないと誰かが騒ぎ出しそうな気がして、早く戻ったほうが良いと思う。
エランが周りを警戒しながら、俺たちは無事に皆のいる所に辿り着いた。
陽が落ち始めていたので火を焚き、松明を持った者たちの姿が見えた。
「ネス!。 無事だったか」
トニーが知らせたらしくミランが来ていた。
「ええ、後始末をしていただけです」
「後始末?。 まあいい、さっさと帰るぞ」
俺はリーダーやカシンたちにも声をかける。
トニーは隊長が気になるのだろう。 一番後ろで何度も兵士たちを振り返って見ていた。
旧地区の教会まで戻り、そこで明日は休養してくれと話して解散した。
俺だけがミランの屋敷に連れて行かれる。
「今日は特別だ」
と、ミランは何やら悪だくみの顔をしている。
「あのいけ好かない領主や隊長に感謝されたんだぞ。 今日はもう祝いだ」
いやいや、それはどうなんだ。
町には被害はなかったが、多くの猟師や兵士が大ケガを負ったし死人も出たはずだ。
俺は心底疲れた顔をしていた。
「こちらです、どうぞ」
ロイドさんに案内されて地主屋敷の別棟へ連れて行かれる。
「え?」
「どうだ。 すごいだろう?。 俺がこの町にいる唯一の理由さ」
そこには温泉風呂があった。
「地下?、地下から湧いているんですね?」
「おお、そうだ」
俺が思ったより激しく反応したのでミランが驚いて引いている。
「入ってもいいの?」
まるで子供のように目を輝かせ、承諾されるや否や、俺はさっそく服を脱ぐ。
ドボン!
浴室はノースターの温泉宿から見れば狭いが、一人で入るには十分な広さがあった。
「ふわああ、天国だあ」
喜色満面の俺にミランとロイドさんは顔を見合わせ苦笑する。
「まあ、ごゆっくりどうぞ」
ロイドさんはそう言って扉を閉めた。
しかしこんな近くに天国があったとは。
俺は鼻歌まで出るほどご機嫌になっている。
まあバンダナも念話鳥もないから、音としては出ないんだけどね。
『ノースターの温泉宿とは違うのか?』
「どうだろう?。 でも硫黄の匂いがしないから、効能は違うかもね」
王子はよく分からないらしく、ただ風呂を楽しむことにしたようだ。
「ずいぶんゆっくりだったな」
風呂上がりにお礼に伺うと、ミランの顔が引きつっていた。
何せ今まで見たこともないくらい俺の機嫌が良いからな。
「ええ、ええ、本当に久しぶりに温泉に入りましたよ。
いやだなあ、ミラン様。 なんで今まで隠してたんですかー。 いじわるー」
念話鳥の声まで子供のようにはしゃいでいる。
「そうだ!。 ねえ、ミラン様。
もっと掘って大きな浴場を作りませんか?。
俺が何とかしますから!」
「え、いや、まあ、そのうちにな」
「許可、許可さえ出してくだされば、俺がすぐにでも作りますって!」
王子の魔力でばばーんっと!。
『ケンジ。 もう止めとけ』
「失礼しました。 本日はありがとうございました」
珍しく王子が前面に出てきて俺を抑えつけ、屋敷を辞去した。




