平穏の、ほころび
佳月紗那のターンです。
リンの魔女としての美しさを、どう表現するかが、とても楽しいです。笑
お楽しみ頂ければ、幸いです。
寝不足。
リンの様子は明らかにその一言が似合っていた。
目の下に薄っらとできている隈、少しやつれた顔。疲労が滲んでいる。
「...大丈夫か」
心配そうな声音に、リンはゆるりと口角を上げた。
「大丈夫ですよ。ちょっと使えそうな薬草があったので、つい夢中になってしまって」
「相変わらずおかしな趣味だな」
口ではリンを嘲りながらも、レイモンドの手には白いティーポットが握られている。
お茶にしようとしたリンがふらついたところで、彼がリンから奪うようにしてそれを取り上げたのだ。
素直じゃない人だ、とリンは思う。
「レイモンドも物好きでしょう?『緑の魔女』と一緒にお茶を飲むのが習慣になっているじゃないですか」
「...」
苦い顔をしたレイモンドに、リンは軽やかな笑い声をたてる。
それがレイモンドの耳にはひどく心地良く、頬が微かに緩んでしまっていることに彼自身は気付いていない。レイモンドの注いだお茶に口を付けていたリンも、それに気付くことはなく。
「...美味しいです」
ぽつりと空気に溶かすように呟いたリンは、不意に泣き出したい衝動に駆られた。
ーーこの脆い幸せが、いつまで続くのだろうか。一体、いつまで。
唇を噛みしめて、さざ波立った気持ちを押さえつけていると、レイモンドの溜め息が聞こえてきた。
俯けていた顔を反射的に上げる、するとこちらを見つめるレイモンドと目が合った。
「黙り込むくらい不味かったなら、ちゃんと言え。そんなに強く口を噛んだら、跡がつくだろうが」
「...美味しかったですよ、お世辞ではなく」
「ならいい。...?」
レイモンドの言葉の途中で、リンが僅かにその身体を揺らした。
ふと彼女の視線が窓へ向かう。
そしてレイモンドに視線を戻したリンが浮かべた笑みは、どこかぎこちなく強ばっていた。
不安をおぼえたレイモンドは咄嗟に彼女に声を掛けていた。
「リン?」
「...レイモンド、頼まれ事をしてもらえませんか」
焦りのみえる彼女の瞳に、いつかと同じくレイモンドの胸が騒めく。
「あの、飾り石を。今すぐ持ってきて下さい。...どうやら渡す方を間違えてしまったらしくて」
「別に間違っていても、」
「お願いします。...魔法の効き目が、可笑しくなってしまうかもしれないので」
彼女の言う理由が本当かどうかは分からない。
ただ、リンの言葉を重ねる必死さに、レイモンドは頷くことしか出来なかった。
レイモンドを半ば強引に追いだしたリンは、静かに表情を消し去った。
冷たく凍てついた空気があたりに漂う。
《隠せ 隠せ 深い森 何もかも 見えぬよう》
彼女が口遊むのは、今は誰も知らないだろう古い詞。
森に入るものを惑わせる呪文。例外はない、もちろんレイモンドすらも、彼女の元へはたどり着けない。
「これでいくらか、時間稼ぎになるでしょう」
間違いをおこしてくれた過去の自分に感謝したい、と何時になく皮肉めいた思いがリンの頭に浮かんだ。
己の魔法に満足げに笑う彼女の顔はーー『緑の魔女』と畏れられるに相応しく、ぞくりとする程、美しかった。
...美しかったのだ。
肩にかかる髪を優雅に後ろへはらい、部屋の隅にある杖を呼んだ(・・・)。
「私の大切な時間の邪魔をしたこと、後悔させてあげるわ」
にぃ、と妖しく唇を歪めて長い裾をひるがえす彼女の目には、苛烈な炎。
目にするもの全てを焼き尽くす、熱い火。
ーー私を殺せるものなら、やってみなさい。
「...リン」
レイモンドが森に迷いつづけ、やっとリンの家に着いた時。
リンはテーブルに突っ伏して眠っていた。
部屋には、静かすぎる沈黙が、横たわっていた。
ありがとうございました。
written by 紗那