ノイズが混じる、幸せの音
前回とは反対にちょっと長めです。
二人は小屋の中へと足を踏み入れた。
出会ってから何度も身を寄せたことのある、こじんまりとした空間。
それが今日は、どこか余所余所しく感じられた。
「すぐにお茶を淹れますね」
昨日の突然の雨で、少々肌寒さが残っていた。
リンは薄手の上着を脱ぎ、ラックにかけた後、すたすたと台所へ向かった。
慣れた手つきでポットや茶葉の用意をし、いつもの活気を取り戻したかのように思えた。
「……ちょっと貸してみろ」
「はい?」
後ろから伸ばされた腕。
その先にある手は大きくて、彼女が持っていたポットを優しく取り上げる。
その際、二人の手は触れ合った。
「お前は休んでろ。今日は俺が茶を淹れてやる」
自分よりいくらか背の高いレイモンドを、リンは何度も瞬きをしながら見た。
「レイモンド、あなた、お茶の淹れ方を知っているのですか?」
「それくらい知ってる。いいから座れ」
二人で使い慣れたテーブルの上には、甘い香りを乗せたティーカップが二つ。
真ん中には、レイモンドが持ってきたお菓子が置かれている。
星を模った、バタークッキーだ。
「……そんなにむくれるなよ、黙ってて悪かった」
リンはまだお茶にもクッキーにも手をつけていない。
その代わりに、両手を足の上でぎゅっと握り、ほんのりピンクの頬を膨らませている。
「それも怒っていますが、それよりどうしていつも手伝ってくれなかったのですか」
レイモンドと交代したとき、リンはその光景から目を放せなかった。
彼のお茶の淹れ方は自分と同等か、それ以上のお手前だったのだ。
茶葉を入れるタイミングとその量、お湯の温度、注ぎ方、全てが丁寧で的確だった。
「どうしてって」
言葉に詰まるレイモンド。
そっぽを向いて、カップを手に取る。
「言っておきますけど、『お前がお茶したいんだろー』、みたいな答えは受け付けませんからね」
どうやら相当怒っているようだ。
レイモンドは冷や汗を掻きながら、自分が淹れた茶を口に含ませた。
ほどよい甘さと苦さが混ざり合い、鼻腔にはその香りが広がる。
カップを口から離すと、レイモンドは目を伏せた。
「……黙ってないで、なんとか仰ってください」
ピンクだった頬が段々赤くなっていき、以前よりも不機嫌さがリンの声から滲み出ていた。
それでも数秒間、レイモンドは黙ったままだ。
ふと、その細い唇を小さく開けて、ボソッと呟いた。
「……お前が淹れたお茶が好きから」
水が蛇口から流れ、白い食器に付いたこぼれものがそれに乗っていく。
リンは、先程の不機嫌さが嘘のように、鼻歌を歌っていた。
いつも以上の微笑みを見せていて、逆に恐ろしいくらいである。
一方のレイモンドはと言うと、テーブルの上で頭を抱えながら、悶々と唸っている。
「そろそろ機嫌を直してくださいよー。そんなに照れることですかー?」
あまりにも上機嫌で、リンの語尾がぐんっと伸びる。
毎回毎回、最後に音符が付いているようだ。
「うるせー……忘れろぉ……」
「忘れませーん」
リンは数分前の出来事を回想した。
唐突の告白に、言葉を失っていた。
口をポカーンと開けて、レイモンドを真っ直ぐと見つめる。
レイモンドはまだぼんやりとした目をしていて、びくともしない。
「……レイ、モンド?」
声をかけると、わずかな反応があった。
彼の口角が、微かに上がったのだ。
今まで見た表情の中で、一番、優しかった。
「……はっ!?え、あ、俺、今何か言ったか??」
レイモンドにしては珍しく、感情が激しく露になっていた。
半分無意識で口にしていたようだ。
リンは未だにポカーンとしている。
すると、それが一気に、笑顔へと変わった。
「ぷっ、あはは!!」
「お、おい!笑ってないで、なんとか言え!おい、リン!!」
片付けが済んで、リンはソファの方へと移動した。
緩く結わいていた髪をほどき、長いため息をついた。
テーブルの方に視線を送る。
例の彼はまだ唸っている。
「いい加減にしてくださいよー。うるさくて仕方ないです」
言われた通り、彼は唸るのは止めた。
だが頭はまだ下げたまま。
「……レイモンド」
「……んん?」
「いらっしゃい」
レイモンドは軽く頭を上げ、リンの声がしたソファの方を見た。
そこには、いつもと変わらないような微笑を向けるリンがいた。
彼の顔は未だに赤く、子供っぽい、ムスッとした表情をしている。
しばらくの沈黙の末、彼は言う通りに近づいた。
「座って」
彼は隣に座った。
「横になって」
「は?」
「いいから」
リンはレイモンドの耳を掴み、半ば強制的に彼を寝かせた。
彼の頭は、リンの膝の上に乗った。
「お前、そんなに俺の無様な姿を見たいのか」
更に顔を赤くさせ、レイモンドはぶつぶつと言い放った。
リンはくすっ、と笑い、彼の頭を優しく撫で始めた。
「……というか普通逆だろう。お前の方が疲れているのに。交代だ、交代」
「だめですー。じっとしててください」
文句を言い続けるレイモンド。
しかし、反抗することは無かった。
「まぁ、そのまま寝てしまいましたか」
撫でているうちに、膝枕をされた彼は寝てしまった。
リンは手をゆるりと振りかざし、彼を浮かせて、ベッドの上に移した。
布団を静かにかけ、手を軽く叩いて、照明を消した。
もう一度、彼の頭を撫でて、頬に手を添える。
愛おしそうに彼の顔を見て、目に少々の涙を浮かべる。
「おやすみなさい、レイモンド。ありがとう。そして、いってきます」
そう囁き、手を離した『魔女』は、ひっそりとどこかへ消えた。
『魔女』の胸の中のノイズは、日に日に大きくなっていた。
しかしそれは今日、新たな『決意』へと変わりつつあった。
『彼との時間を、壊させはしない』
『緑の魔女』は、今夜も杖を手にする。
―透冴翡翠