サークル
太陽の輝きを祝うかのように向日葵達が咲いている。人間の子供ぐらい簡単に抜かすほどの堂々とした面構えで静かに入道雲を眺めていた。
あたり一面の向日葵畑。そこに取り残されてしまった駅小屋がある。
いや、駅小屋と言えるのだろうか。レールがある限り、最低限の駅としての役割は果たしているが、如何せん、小屋というにはあまりにも小さく、そして風化していた。時刻表は既にかすれ、文字なんて到底読めやしない。かすかに残った『時刻』の文字から、ようやく見る人はそれが時刻表なのだと理解する。木製のベンチはあるが、ささくれだって座ると実に不快に感じることだろう。
故に、青年はベンチに座らず、かろうじて存在する駅の日陰に座り込んでいた。だらだらと滝のように汗をかきながらも、もっと良い避暑地へ移動することを考えたが、あたり一面向日葵が広がり、この日陰以上に涼しい場所なんてまったく見当たらない。さらには日陰といったところで、太陽のすべてをさえぎることはできなく、漏れ出てくる熱気がコンクリートに染みをつくりだす。下を向いていた青年はつい太陽を睨んだが、睨み返され、すぐに目を逸らした。
「あちぃ」
ふと漏れ出た愚痴は、風に掃き捨てられ、静寂が訪れる。
短く切りそろえられた髪が風に流され、なおすのが面倒くさくなったとき、あたりに滑車が回るような、何かが駆動する音が響き渡る。
廃線だと思っていた青年は、驚いたように表情を張り付かせて、音のするレールの先を見る。
向かってきたのは塗装がところどころ剥がれた列車だ。列車に詳しければそれが既に廃てられた列車だとわかるだろうが、残念なことに青年は鉄道に明るくない。
ゆえに向日葵を揺らしながらやってくる列車を、青年はボーと見ていた。何故スピードが落ちてきているのか不思議に思ったが、青年はここが駅だとすぐに思い出す。
列車は体を震わしながら止まり、扉を開けた。ぎいぎいと鳴る列車を前にして青年は、いまだにへたりこんでいた。
――へたりこんだままそれを眺める。
「あ、もしかして入れって事か」
そうして、まるで吸い込まれるかのように乗り込んだ。
※
暗闇は好きだ。何も見えないから何も無い。闇にいるとおれ自身が無へ溶けていくような気がするのだ。煩わしいことや良いこと。それらをひっくるめて記憶の彼方に置き去りにできる。だけど、永遠とこの暗闇にいるわけにはいかない。気がするだけで、無にはなれない。脳が今のように働き続けてしまう。そんなのはごめんだ。
だからこそ手に握った小さなライターで、火を点さなければならない。騒がしいのは嫌いだが炭の静かな明かりは、一時的にしろ思考を麻痺させてくれる。
願わくは死後の世界なんてありませんように。そんなことを考えながら、おれは自殺をした。
※
最前車両に車掌の姿をした若い少女が一人、横がけの座席に座っていた。
空調が効いているのかどうかはわからないが、外の熱気はお呼びではないとばかりに適度な温度を保っている。そのおかげか青年の汗はそこにつくまでに乾いていた。
「座ったら? 立ったままだと危ないよ」
そうやって指し示された少女の対面に青年は腰を下ろす。
「ようこそ、あの世へ向かう特急列車へ」
「はぁ……。どうも」
運転席に人はいない。しかし列車は走り出した。青年はその奇怪な事実に目を向けるわけでもなく、ましてや美しいと形容できる少女の姿に見蕩れるわけでもない。ただ、車窓を流れるどこか懐かしい向日葵を眺めていた。
「綺麗よね。一応貴方が見たことのある景色なんだけど」
「いいや……、こんな景色は一度も見たこと無いよ」
「へぇ。じゃあ貴方が物心つく前に見た景色なのかもね」
そうかもしれない。と煩わしいそうに返した。
「まったく……、人の話は聞きなさいって教わらなかったの? まあ、貴方が聞こうが聞かまいが構わずに話させてもらうんだけどね」
「見ての通り私はこの列車の車掌を勤めている……、まあ、死神でも閻魔様でもなんでもいいわ。とりあえずあの世への水先案内人とでも思っておいて」
「ということは、こんな景色をいつも見ているのか?」
「いいえ。ここはあくまで貴方の過去が映し出してる世界。私はそういう世界に列車で赴いて、あなたみたいな迷い人を地獄なり天国なりへ連れて行くのよ」
へえ。となんとも興味が無いとばかりに青年は返す。もはや外の景色に見飽きたのか、どこに焦点を合わせることなくただ虚空を見ていた。普通なら何時まで経っても変わることの無い景色に疑問を覚えるはずだが、ただ飽きてしまったみたいに視線が宙を泳ぐ。
「さて、高沢弘。たかさわひろし……よね? 貴方にいくつか聞きたいことがあるのだけどいいかしら?」
はて、何だろう? と高沢はその死神を名乗る少女にうつろな視線を向けた。
「貴方が死んだ原因を教えてくれないかしら? 貴方が一酸化炭素中毒で死んだのは知っている。けれど、何故、死んだのかがわからないのよ」
何故、何故死んだ? はて、なんで俺は死んだんだっけ? あ、そうそう――
「自殺したのはわかっているのよ。問題は貴方が自殺した理由よ」
「おれが自殺した理由――?」
青年は列車の天井を仰ぐ。彼の目に映るのは、塗装が所々はげた内装だけ。
「あー……」
列車の駆動音だけが、その空間に響き、少女は答えを静かに待った。
数分して、高沢は口を開く。
「なんというか、時間に絶望したんだ」
「時間に絶望?」
「いや、大したことじゃない。ただ、物事を考えるのに疲れただけだ」
高沢の人生は大きな不幸もなければ、大きな奇跡もない。彼は普通の人生を送るあまり、考えなくてもいいことを考えてしまった。人生の意味、死んでからの末路。つまりは果てが無いことを考え、無限に対して有限である自らの命の価値を見失ってしまった。そして、
「死ねば何もなくなるからさ、無になれる。そしてこれから起こるややこしいことや、面倒なことをほっぽりだせるだろ」
だからこそ――
「死になくなったんだ。終わっていいと思ったんだけどな……」
「残念だけど、死後の世界がこのとおりあるから、無にはなれないね」
「はぁ……、面倒だ」
そうつぶやき、彼は再度視線を自由に泳がせる。
「まあ、とりあえず貴方の言い分はわかったわ」
そうして、死神の少女は最初と変わらず涼しげな目で彼を見た。
「で、おれはどうなるんだ?」
天国か、地獄か。そんなものはどうでもいいとばかりに高沢は虚空を見つめながら尋ねた。
「それじゃ言わせて貰うけど、貴方の逝き先は――」
※
幸せの定義なんてものは、所詮、一個人でしか図ることができないものである。
例えば自殺を図った息子をどうにか救い出し、病院に連れて行った母親は、彼がどうにか生きていることに感謝をしている。不幸なことはあったが、結局としてそれは幸せなことだろう。対して一家の大黒柱である父親は、植物状態となった息子を生かす為の費用のことを考えて、これからの未来に不安を感じ、幸せを感じることはできないのかもしれない。
そして、当の本人は何もできない植物状態となってはいるが、生きているだけ幸せもんだろうというのが世間一般の見方である。しかし、先ほど述べたとおり幸せの定義なんてものは人によって千変万化。植物状態と判断はされているが、その実、意識は存在し、ただ考えるだけの肉塊となった彼は果たして幸せを感じているのだろうか。ただ意識だけが存在し何もできず、何時終わるのかもわからない状態で彼は幸せを見つけているのだろうか。
もはや意思の疎通が不可能な彼にそれを尋ねることは出来ない。しかし死神の少女が彼を連れて行った先が天国ではなく、地獄であるのは間違いないだろう。
文化祭の文芸部誌として上げる予定の原稿です。三人称と一人称が混じってしまった作品というのは個人的に気になる点ではございますが、必要と思い入れさせていただきました。
友人の目に触れさせて、音声ソフトで確認しましたが、誤字脱字の報告もあると嬉しいです。
素直で、きびしめの評価と感想を待っております。
……いまいち作品についてのコメントの書き方がわからない