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006 下校、帰り道

「私に案がある」

 そう言い残しと明智は早々と屋上を後にした。

 一人残された俺は明智を追いかけることも、教室に戻ることもせず、仕方なく日の当たらない影になった場所を探して一人で昼食をとることにする。

「――う……」

 昼食は数分足らずで終わった。食欲がないわけではなかったが、今はあまり食べようとは思わなかった。それにこの炎天下で痛んでいる可能性が高いのでほとんど手を付けずに終わったのだ。

「しかし、暑いな……」

 日差しは焼けるようにじりじりと照りつけてくる。自分が屋上にいることを考えると、まるで焼けた石の上にいるような感覚すら覚えてくる。

 折角の人がいない屋上。見渡しても見えてくるのは柵とその先に広がる山と海ぐらいなものだ。自然と落ち着いた気分になる。横になってゆっくり休みたいところではあったが、横になれば本当に焼かれているような気分になるのでやめた。

「――――戻るか」

 渋々教室へ戻ることにする。ゆっくりできるのはいいが、暑くてそれどころじゃない。出入り口付近に日陰は出来ていたが、そこはそこでカビが生えているようであまり清潔には思えなかったので諦めた。

 ガラリ、と教室のドアを開ける。俺の隣の席で繰り広げられている喧騒は未だ続いているようで、俺が教室を出た時とほとんど状況は変わっていなかった。秋月と春風は昼飯食えたのか?

 そんなことを考えつつふと視線をずらすと、明智は秋月の二つ後ろの席で静かに本を読んでいた。明智自身が言っていたように、本来の席は秋月の後ろが正しいのだろうが、予想通りと言うかなんというか、人の壁によってそこには近づくことすらできない状態だった。もちろん、言うまでもなく俺の席は原型をとどめていなかった。

 まぁいいさ。何もかも予想通りの範疇だ。

 加えて小さくため息を吐くと、見慣れた馬鹿へと向かうことにした。とりあえず、あの馬鹿で時間潰すとすっか。


 それからしばらく馬鹿と馬鹿話をしながら、件の『いい案』を待っていたのだが、明智が動く様子はなかった。ただ、黙って本を読んでいるだけ。それは昼休みだけではなく、それ以降の休憩時間においても、授業終了の合図とともに鞄の中から一冊の文庫本を取り出しては同級生の波が押し寄せる前に避難し、開いた後ろの春風の席へと移動をしていた。その光景を俺は黙って見ているだけだった。あいつの『いい案』というのが気になりはするのだが、俺から催促するのもまた違う気がするのだ。なんにせよあいつが行動するまで待とう。

 しかし、ふと思えば、俺が斜め後ろのあいつに気付かなかったのも我ながら納得するものがある。明智のその一連の行動は、必要以上に自然で、気に留めようとしなければ誰も記憶に残さないと思えるほどだったからだ。事実、俺もあいつに注意を向けていなければその一連の行動に気が付くことは無かっただろう。

 結局、明智が帰りのホームルーム終了時まで特別動くことはなく終わった。

 ――つまり。言い換えれば動いたのはホームルームが終わり、放課後に入ってからだった。

 動き出せばあの女は必要以上に早い。ぜんまい仕掛け。まるでチョロQのような奴だ。

 そう分かってはいたのだが、分かっていただけだった。あの女は考えるよりも早かった。無論、ここで考えてたのは俺で、動いたのは明智なのだが。


 その手段は、決してスマートとは言えず、むしろ強引なものだった。

「さあ、鈴。帰ろう」

 それまで黙っていた明智は、教壇に立つ真田先生がホームルーム終了の挨拶をすると同時にそう言った。宣言した。

 そして、宣言すると机の横に掛かっている鞄をひったくる様に取り、つかつかと前に進むと、秋月の手を取って教室の外へと出て行った。

「…………へ?」

 呆気に取られたのはクラス全員だった。心構えをしていた俺ですらその行動の前には全く動くことが出来ず、同様に鈴のボディーガードを自称している春風でさえも唖然として見ているだけだった。当の連れ去られた秋月に至っては何が起きているのか理解が出来ていなかったようで、目をぱちくりとさせるだけで、口は半開きのまま明智に引きずられているだけだった。ずるずる、という擬音があそこまで似合う光景はさすがに初めてだった。

 もし、途中で誰かが突っ込みを入れていたとすれば、あの投げられた球であれば全部投げた相手に打ち返す明智のことである、ちゃんとリアクションを返していただろうとは予想がつくのだが、それすらも誰も出来なかった。何しろ、明智の行動は予想外のものではあったとはいえ、決しておかしなことではない。単に、知り合いのクラスメイトと一緒に帰ろうと言って、出て行っただけの話なのだ。

 それでもクラスはそれだけの行動で完全に沈黙してしまった。鶏の目を塞いでひっくり返すとそのまま固まってしまう、というがきっと似たようなものだろう。誰も想像の外からのパンチには脳が付いてこないのだ。

「えーっと……俺も帰ろうかな!」

 中身が入っているか分からない鞄を引っ掴んで俺は立ち上がりつつそう宣言する。心の準備があっただけ動くことはできたのだろう。もし明智が事前に何かすると言っていなければ俺も今も沈黙をしているクラスメイトの一員となっていただろう。そんなクラスメイトの視線は俺に注がれていた。なんだよこれ、冗談じゃねえぞ。

「……は、はは」

 半端な苦笑いをどうにか浮かべ、俺は走る様に教室を後にした。よく見れば真田先生もまだ教壇の上に残っていた。先生、後は任せます。

 ピシャリ、と教室のドアを閉めると大きく息を吐く。なんつーか、胸が痛い。

 廊下の先を見る。明智と秋月の姿はない。あいつ、本気で早々と帰るつもりか。まさか「いい案」ってのは、他の奴を近づけない作戦ってことじゃないだろうな。

 嫌な予想を胸に、急いで廊下を走る。何にせよ、明智を捕まえないことには始まらない。今すぐ追いかければ下駄箱で追いつくことぐらいはできるはずだ。幸いなことに、同学年の中ではうちのクラスが一番終わるのが早かったようで、同級生の姿も、廊下を走る俺を注意する他のクラスの担任もいなかった。

 階段を下りて、下駄箱に着く。明智と秋月は姿を探すまでもなかった。

 そこには昼休みと同じ、仁王立ちをした明智が待っていた。

 走って来たので喉が痛い。肩で息をするのが精いっぱいだ。それでもどうにか声を出す。

「……はぁはぁ。お前、早――」

 そのまま明智に詰め寄ろうとしたところで、遮られた。

「丁度いいところに。中ッ原氏、だったか。珍しい名前だから憶えていたぞ。手伝って欲しいことがあるのだがいいだろうか」

「……は?」

 白々しいほどにわざとらしい台詞だったが、それ以上に明智の言葉は自然だった。

「確か、氏は鈴の隣の席だったな。それに春風の幼馴染だとも言っていたはずだ。丁度いい」

 何が丁度いいんだ。そう突っ込みたいが声は出ない。息を整えたいところだが、それすらもさせてくれる様子はない。

「立ち話もなんだ。帰りながらでいいか?」

 そして明智はわざとらしくそう締めた。振り返り、後ろの秋月にもその同意を求める。

 秋月は分かってか、分からずか頷いている。あくまでも俺の予想なのだが、秋月は分かってない。間違いなく何も。

 明智は秋月の肯定を受け取ると、俺に視線を戻した。そして、小さな声で「早くしないと春風が来る」と呟くように言った。その声は、まるで秋月の自己紹介の時のように小さく、ギリギリ聞き取ることが出来るほどだった。

「あ、ああ……分か、った……」

 息を整えつつ、不自然にならないように俺も返事をして自分の下駄箱へと向かう。明智の言いたいことは分かった。最優先事項は、この学校から出ることだ。

「ひゃあっ」

 下駄箱に近づいたところで小さな悲鳴が上がる。明智の後ろに隠れる様に立っていた秋月に、俺はつい近づいてしまっていた。俺が視線を向けると、秋月は明智を間に俺とは真逆に移動しようとしている。ここまで露骨に避けられると、いくら男性恐怖症とはいえ少し凹むな……。

「はぁ……」

 本日何度目かのため息がこぼれる。

 全く、前途多難だな。


「で、どこに向かうんだ?」

 校舎を出るとすぐに裏門へと続く坂道へと出た。坂道にはまだほとんどと言っていいほど生徒がいなかった。それほどに俺たちの帰りが早かったのだろう。その坂道を下りながら俺は明智へと小さな声で尋ねた。秋月に隠れて会話をする必要はなかったのだが、明智が何を考えているか分からないのでここは念のために秋月に聞かれないようにしたかった。

「ふむ……そうだな」

 明智は顎に手を当てると考える様子を見せる。その様子はとても様になっている。

「何だよ? まさか行き先が決まってないとか言わないよな」

「いや、それはない。安心してくれ」

「? だったら教えろよ。隠す必要があるのか?」

「ふむ。しかし、私の予想する限りでは、着いてからのお楽しみにしておいた方が身の為だと思うのだ」

「それは脅してるのか……?」

「ひっ――」

 思わず漏れた少し大きめの低い声に秋月が敏感に反応する。男が怖いってのは本当らしいが、この程度で怖がられるのも辛い。一緒に帰らない方がいいんじゃないのか、とさえ思う。

「……分かったよ。着いてからにする」

「ああ、そうしてくれると助かる」

 明智のそれは返事としてズレている気がしたが、これ以上は大きな声を出してしまいそうだと感じたのでそれ以上の追及は諦めることにした。

 そんな違和感を引きづりつつも、俺と秋月は明智の適当な指示に従いながら進んでいった。どうせ、後になればわかることだろう。


 違和感が現実となったのはそれから数分後のことで、確信にランクアップしたのはそのあとすぐのことだった。そして、あの時明智から無理矢理でも聞きださなかったことを後悔することにもなる。

「おい明智」

「どうした? 腹でも痛いのか」

「原因不明の胃痛が発生しそうだが、それはいい。ここはどこだ」

「む。まだ目的地に着いていないからもう少し待って欲しい。確かこのあたりだと思うが」

「いやいい。ここまで来れば分かる(・・・・・・・・・・)

 明らかだった。違和感なんてものじゃない。目の前にあるのは事実だ。

 俺の目の前には、見慣れた景色、更に言うなれば毎朝と毎夕方に必ず見る景色がそこにある。

「なんで俺の家に来てるんだ……?」

「ひっ……」

 俺の声は存外低かったらしい。秋月は冬眠前の熊に出会ってしまった子狸よろしく縮こまっていた。だが、そんなことはどうでもいい。と言うよりはそれ以前の問題だ。どうして、目の前に俺の家がある。

「そうだったのか。氏の家はここだったのか」

「おい。さすがにもう白々しいってレベルじゃなくなってるぞ。お前、俺の家に来て何をするつもりだ」

「心外だな。私は私に誓って嘘は言っていない。私は|ここが氏の家だとは知らなかったぞ《・・・・・・・・・・・・・・・・》」

「じゃあなんでここに来たんだよ!」

「――っ」

 つい怒鳴り声が出る。秋月は完全に固まってしまっている。

「私はこの家が氏の実家だとは知らなかった。それは事実だ」

 しかし明智は変わらない様子で、まるで突然の突風をさらりと受け流すがよろしく軽く返した。

「だが、氏の実家を目的にここまで来たのも事実だ。だから、私は事前に氏に伝えなかったのだ。思春期の男子が自室に女子を招き入れるのを簡単に良しとはしないと思ったからな」

「……どういうことだ」

「すまないな。私は説明下手なのだ。勘弁してくれ。ここまで来れたことをまず説明しよう。私は氏の自宅を知らない。だが、春風の自宅なら知っている。氏は知らないだろうが実際に私と鈴で訪れたこともある。そして、氏と春風が幼馴染だということも知っている。それもまた、実際に春風から聞いていた情報でもあった。『すぐ近くに幼馴染が住んでいる』、と。はぐらかす様な言い方ではあったが、それが氏である確率は高かった。先日の春風の発言で確信に変わったがね。だから、私は氏の家を目的にはしたが、目印として使ったのは春風の実家だ。その結果、氏の家も判明した。氏自身の発言によってな。私は氏が言い出すまではどこが氏の家かは分からなかった。私自身に誓って本当だ」

 ほぼ一息で明智は言った。長え。理屈は分かったが長い。

「どうだ、信じてくれたか?」

 ダメ押しの一言。ここで俺が分からないと言えばきっともう一度説明が始まるのだろう。おそらくは分かりやすくするためにもっと噛み砕いた説明が。

「分かった。お前の言いたいことは分かった」

 嫌と言うほどに。たった一瞬だったが、もう食傷気味だ。

「そうか。分かってくれたか」

「だが、一つ納得のいかないところがある」

「どうした。何でも言ってくれ」

 明智はあっさりとそう返した。

 俺は秋月を見る。

「ひゃっ――!」

 秋月は俺の視線に敏感に反応すると明智の陰に隠れる様に、更に小さく縮こまる。暑いだろうに、これでもかってぐらいくっついて。

「結局は、俺の家に来るのが目的なんだよな」

「ああ。無論だ」

「それ以外の解答がない、みたいに答えるな。その俺の家だが……えーと、ウチに来て何するんだ?」

 まさかさすがに『一緒に遊びましょー』ってなわけじゃないだろう。いや、その可能性も完全には否定はできないが、それであっては欲しくない。もう少しましな理由が欲しい。第一、ウチに来て遊べる要素なんてない。男友達で遊ぶようなものはあっても、女子を満足させれるだけの遊び道具なんてものは用意されていないのだ。……妹の部屋に行けば何かあるか? いや、そんなことが後でバレたら余計面倒か。

 それを理解したのか、はたまた初めから理解していたのか、明智はあっさりと答える。

「安心してくれ。ただ、遊びに来ただけではない」

「遊びに来たつもりはあったのかよ……」

 俺の突っ込みも物ともせず、明智は続ける。

「遊ぶのはさておき、我々は氏に勉強を教わりに来たのだ」

「……勉強?」

「ああ、勉強だ。新学期が始まったということで、もう明日には実力試験が行われる。よもや忘れていたわけではあるまいな」

「あ」

 俺の言葉は短かった。明智の言うとおりだ。帰りのホームルームでも真田先生がそんなことを言っていたような気がする。あくまでも気がするだけなのは、俺の思考は明智が何をするのか気がかりでそれどころじゃなかったからだ。

「――忘れてた」

「ふむ。そうだったのか。道理でいささか焦燥感が足りないと思っていた。ともかく、私たちは転校してきたばかりで滝嶋西校の進度がどの程度なのかを知らないのだ。滝嶋西校は進学校とも聞いていた。ともすれば、進度が大きくかけ離れている可能性だってある」

「それで、俺に聞こうって思ったのか」

 成程、納得だ。だが、どうして俺に。そう聞きたいところではあったものの、答えは分かっている。それは秋月には言えない答えだ。

「分かってくれたようで何よりだ。さて――」

 明智は件の秋月を見た。秋月はさっきと変わらず、明智に引っ付くようにしがみついていた。その様子を見て明智は「ふ」と小さな笑みを漏らすと、俺に向き直り、

「ここだと暑い。中に入れて貰えないかな?」

 と言った。

「――――はぁ、分かったよ」

 中に招き入れるのにまだ抵抗はあったが、その姿を見ているとこれ以上立ち話をしていたくはなかった。良心が痛むってやつだ。はぁ。妹がいなければいいが。

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