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019 体育祭、ひととき

 明智はすぐに戻ってきて、俺たちは練習を始めた。

 とは言っても、本番をすぐ後に控えている以上、全力でやるわけにもいかず、ほとんど確認をする程度で終わった。

「――そろそろだな。行こう」

 スウェーデンリレーの二つ前の種目になる、部活動対抗リレーが始まると明智はそう言った。

「そうだな。じゃあ、春風とあの馬鹿を呼んでくるか」

「呼んだか!」

 テントを振り向いた瞬間にその馬鹿がいた。

「まだ呼んでない。今から呼ぼうとしたところだ」

 というかこいつは自分が馬鹿だという自覚があるんだろうか。

「ふーん。じゃあいいや」

 何がいいのか、そう言って馬鹿、もとい駿介はテントへと戻ろうとする。俺は慌ててその腕を引っ掴んだ。

「何すんだよ!」

「そりゃこっちの台詞だ! どこ行こうとしてんだよ!」

「お前、そんなことも説明しないとわかんねぇのか? リレーの応援に決まってるじゃないか」

 そして駿介は満面のしたり顔を浮かべる。これ以上ないほどのドヤ顔だった。

「……まさかとは思うが」

 俺の嫌な予感は往々にして当たる。だから間違いはないだろう。でも当たってて欲しくねー。

「お前、リレーに出ること忘れてるだろ」

 駿介は、俺が何を言っているのか一瞬では理解できなかったようで、考える様に右を見て、左を見て、上を見て、下を見て、そして俺を見た。

「何のリレーだ?」

 考えても分からなかったようだ。

「スウェーデンリレーだよ! お前が自分で出るって言ってきたんじゃねーか!」

「……? 俺が?」

「そうだお前がだ」

「いつ?」

「つい三日ほど前だ」

「……あー」

「…………」

「で、何だっけ?」

 すぱーん、といい音が響いた。

「いって! 何だよ、叩くことないじゃんかよう!」

「うるせえ馬鹿!」

「もー、冗談に決まってるだろ。青の字はホント冗談が通じねぇ奴だぜ」

 俺が引っ叩いた頭をさすりながらなぜかしてやったりといった調子でいう駿介。やばいウゼえ。

 こいつがここまで馬鹿だったとは思ってもいなかった。今まではこいつに馬鹿だと冗談半分で言っていたが、それも考え直さないといけないかもしれない。勿論本来の意味で使うかどうかをだ。

「……何、バカなことやってんのよ。置いてくわよ」

 そんな俺たちの横を通り過ぎつつ春風が冷たい声で言った。

「ほら、チカも黙って見てないで止めなさいよ。あいつら、放っておくとずっとあんな感じよ」

「はは。いやはや、見てて面白かったものでな。まるで全国地上波放送に初めて出演できた新人芸人を見ているような気分だったぞ」

「無茶苦茶微妙な評価だな……」

「ともかく、これで揃ったな」

 明智は俺と駿介、そして春風を確認するとそう言った。

「そういえば……」

 と、ふと思った。

「明智、一応聞いておくぞ。四人目は誰だ」

 第一走者は春風。第四走者は俺。おそらく女子、男子という順になるだろうから、第二走者は駿介だ。しかし、俺は第三走者の情報を聞いてない。いや、分かるんだけどな。

「ああ、私だ」

 そして、それを示すように明智はあっさりと言った。

「――――」

「む、驚かないのか?」

「お前が本気でそれを言っているのなら、お前は俺を過大評価しすぎだ。今更過ぎて驚くことも出来ねぇぞ」

「ふむ、そうか。折角驚かせようと直前まで隠していたのだがな」

「隠せてねーよ。第一一緒に練習してたじゃねえか」

 アレが単なる付き合い――というのもこの明智だから考えられなくもないが、流石にあれだけ毎日一緒に練習していたら同じ選手だと考えるのが妥当だ。

「ま、それもそうよね」

 春風も納得するように言う。

「ふむ。そう思わせれたのなら……ふふ」

 しかし、明智は不敵に笑った。

「なんだよ、気持ち悪いな」

「ふふ、実は私は出場者ではないのだ」

「――は? さっき自分だって言ったじゃねえか。それに、ここに一緒に並んでるし」

 話しているうちに俺たちは待機列まで来ていた。周りには俺たちと同じようにリレーに出ると思われる四人組が多く並んでいる。

「二年四組ですね? 出場者の確認よろしいですか?」

 列に並ぶと、係の生徒が俺たちの元へやって来た。

「ええと、七ツ家さん、鹿毛馬さん、秋月さん、中ッ原さん、でよろしかったですか?」

「ああ……ってちょっと待て!」

「秋月って、なんで鈴が入ってんのよ!」

 明智を見る。ニヤリと口元が吊り上った。こいつ、なんてことをしてくれてるんだ!

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 俺は係の生徒にそう言うと、テントを見た。秋月はあっちにいるはずだぞ。どうせテントから離れた場所に一人でいるはずだ。

「ど、どうすんだよ」

「なんであたしに振るのよ!」

 春風も慌てていた。落ち着いているのは、何も考えていなさそうな駿介と、張本人であるところの明智ぐらいだ。

 そもそも秋月が出場できるわけがない。運動能力は今日の秋月の活躍を見ていればわかる。障害物競走で網に絡まるわ、大玉転がしではなぜか一人だけ置いていかれるわで、なんというか、予想通り過ぎるほどの運動能力しかない。それに、それを差し置いても男女混合で行われるこのリレーに秋月が出れるとも思わない。バトンを貰う相手も渡す相手も男なのだ。競技自体が行えない可能性の方が高い。

「――ふふ、さて」

 その明智は、可笑しそうに笑うと、係の生徒の前に出る。

「すまない。登録ミスをしていたようだ。なにせ、私たちは転校してきたばかりでな。秋月ではなく、明智、だ」

 あっさりと、あくまでも自然な調子でそう言い、「すまない」と付け加えると、係の生徒へと軽く微笑んだ。こいつ、こんな顔も出来るのか。知らない奴が見たらコロッと騙されるぞ。

 実際、その係の生徒も騙されたようで、顔を少し染めると「は、はい。分かりました」と言って、次のクラスへと向かっていた。一応言っておくが、係の生徒は女子だった。恐るべし、明智。

「――驚いてもらえたか?」

 明智は振り返り、いつも調子でそんなことを言いのけた。

「……! 驚くどころじゃねえよ! 直前まで何してくれてんだ!」

「そうよ。鈴が出るわけないとは思ってたけど、チカならやりかねないし」

 もっともだ。クラス紹介で突然の秋月の登場は誰も予想してなかった。その登場は秋月のためだったので納得できた。このリレーが秋月のためになるのなら明智はどんな手を使ってでも出場させるだろう。

「はは、驚いてもらえて何よりだ」

 明智はそれでもマイペースに「ははは」と笑った。

 こいつといると疲れはするが、退屈はしないな、と思う。こんな直前にまで何かを仕込んでくるのは脱帽ものだ。それに、明智は決して意味のないことはしない。これも考えてみれば、俺たちの緊張を解くための方法だったのかもしれない。

「では、改めて最終確認といこうか」

 明智が言う。

「第一走者を春風」

 春風が頷いて答える。

「リレーは最初が重要だ。百メートルという短い距離で差をつけるのは難しい。だからとにかく一着で渡してくれればいい」

「難しいこと言うわね。でも、まぁ、任せて」

 春風は自信満々に頷いた。俺もこいつならやってくれると確信がある。

「頼んだ。期待してるぞ。では第二走者、ええと、すまない。名前は何だったか」

「……馬鹿だ馬鹿」

 俺は明智に小声で言った。

「ああそうだ。鹿毛馬氏だったな」

「……あ、あの、明智さん。なんで馬鹿で思い出すんすか……」

 珍しく、駿介が困惑したような、それでいて少し落ち込んだ調子で言った。

「すまないな。そういうイメージなんだ」

「ひどい! この青の字ならともかく! 明智さんにまで言われるとヘコむ……」

 一見真面目に見える明智から言われるとそりゃあきついものがあるな。だが、同情はしない。事実じゃあ仕方ないからな。

「ああ、それをリレーにぶつけてくれ。鹿毛馬氏ならやれると信じてる」

 どんな根拠でそれを言ってるのか。というか自分で原因を作っておいて、それを別な所にぶつけろってのも変な話だ。責任転嫁どころの話じゃねえぞ。

「――ああ、明智さんがそう言うのなら!」

 でも、この駿介にはそれが通じたようだ。……まぁ、それならそれでいいんだが。

「そして、第三走者が私だ。あまり足が早いとは言える方ではないのだが、それでも順位を保つぐらいならできるだろう」

 明智の言葉は、一位で来ることが前提だ。それだけ前を走る春風と駿介を信じてる。

「アンカーは氏。最後は言うまでもない、な」

「ああ。勝てばいいんだろ」

「そういうことだ」

 勝つための練習はしてきている。

 これまでの練習を思い出す。練習とは言えるようなものではなかったように思う。ひたすら走って、走って、走るだけ。練習の成果がどれだけあるかなんかわからない。そりゃあ、少なからず体力は付いたような気がするさ。それでも、分かってる。たった三日でそんなに変わるはずはない。俺に出来るようになったことなんて、ある程度バテないで四百メートルを走り切れるようになったぐらいだ。ただ、それでも――

 ここまでやって来たことは無駄だとは思わない。やり残したことなんていくらでも思いつくが、やれることはやったような気がする。ああ、そうだな。明智も言ってた「自分の為に何かをやれた」ってのがなんかわかる気がする。

 ここから何か特別することなんてない。後は、今までのことを出し切るだけだ。それが、その先に繋がる。

「それに、」

 と、明智は視線を体育館の壁へと向けた。そこには各クラスの得点が張り出されている。

「二年四組は現時点で二位だ。得点差は少ない。リレーで一位を取れれば、学年優勝だ」

「おいおい。都合良すぎだろ……」

 これまで全く気にしていなかったので言われて初めて気づく。

 一位のクラスは二年六組。その点数は313点。

 一方の二年四組は307点。

 得点差は十点もない。リレーでの点数配分は大きい。一位を取ることが出来れば、間違いなく優勝は出来る。

「ははは」

 思わず笑いが漏れた。

「ここで勝ったら、ヒーローだな」

「ああ、それは間違いない。氏はヒーローとして語り継がれる」

「大袈裟だよ」

「だが、やるにはこれ以上ないシチュエーションだ」

 そんなの言われるまでもねぇ。最高じゃねぇか。

「――ああ、やってやるさ」

「鈴も頑張ってくれたってことね。あたし達も頑張らないと」

 春風がそう言って、俺たちは頷いた。

「よし。では行こう」

 明智が言うと同時に、銃の音が響いた。前のリレーがゴールした合図。それは、最後の競技が行われる合図でもあり、この一週間のクライマックスを知らせる合図でもあった。

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