017 体育祭、昼食
テントまで戻ると、ほどなくして昼休憩の時間となった。
昼休憩となれば昼食であり、詰まる所、俺たちはここ数日と変わらず明智の弁当を囲むことになった。
「さて、広げてもらえるか」
テントから離れグラウンドの隅にレジャーシートを敷き陣取ると明智はそう言って、相変わらずの、ここ数日で見慣れてしまった重箱を取り出した。
「お、今日は五段か。この前が七段だったから、今日は何段かと思ってたんだけどな」
そう言いながら重箱を俺は一段ずつレジャーシートの上に並べていく。一段、二段、三段、四段、五段……あれ、前は空っぽだった五段目までおかずがぎっしり詰まっている。というか、おかず類ばかりで米が全く入ってないぞ。
「ああ。流石氏は勘が鋭いな。期待に沿えるよう、今日は特に力を入れてきてな。そっちはおかず類のみだ。ご飯はこちらに入れている」
そう言って明智が取りだしたのは、今さっき広げた重箱と瓜二つの五段の重箱だった。見慣れた、なんて言ったのは撤回だ。どっちが昨日まで使ってた重箱か分かりゃしねえ。
「はは。流石明智だな……。それでも俺の予想を遥かに超えてるぜ……!」
圧巻どころの話ではない。レジャーシートの上に所狭しと並べられた重箱の数は合計で十。何だよ。今から宴会でも始まるのかと思わされる分量だぞ。
だが明智はそんな俺をよそに淡々と取り皿や割り箸、お茶を配り、全員に行き渡ったところであっけらかんと言った。
「さあ、遠慮しないで食べてくれ」
遠慮なんかできる量じゃねえっつうの。
俺は心の中でそう突っ込みながら、重箱へと箸を伸ばす。これだけあるとどれから食おうか悩むな……。とりあえずは無難に唐揚げから、と。
そうして口に運べばこれまた困る程に美味い。一口食えば止まらない。止まらない止められない、と某スナック菓子のフレーズが頭の中に浮かぶほどだ。
結局、圧倒的なまでに並んでいた重箱とその中身は、時間の経過とともにあっさりと消えていき、昼休憩が三分の二を過ぎた頃には綺麗さっぱり無くなってしまっていた。
「うぅ……食った食った……」
皿を置き、そう言った俺だったが、頭の中では『食いすぎた』と文字が躍っている。というか、こんなに食って午後から大丈夫なのか?
「安心してくれ。今日のは消化吸収に良いものを選りすぐり調理してきている。少なくとも、当初の目的であるリレーまでは時間がある。そこまでにはエネルギーに変わっているだろう」
「マジかよ……」
本当にこいつは栄養士にでもなろうとしているんじゃないだろうか。きっとカロリー計算や栄養素の割合なんかも全部計算しているに違いない。
「まぁ、それでも結構どころか相当食ったことには変わりねえ。当分は動きたくねぇ……」
俺はそう言って先日よろしくレジャーシートに横になろうとした。すると、秋月が何かを言いたげにしていることに気が付いた。
「ん、どうしたんだ?」
「……え、ぁ……え、と」
秋月にとっては唐突だったのだろう。すぐには返事が出来ず、俺の言葉にどう返そうかとあたふたとした。
「あ、あの、ね……クラス団旗を、運ぼうと、思って」
秋月は言葉を一つ一つ選んでいるかのように時間をかけて言った。
「それで……手伝って、欲しいな……って」
そして続けて、そう言った。聞こえるか聞こえないか分からないほどに小さな声だった。
「うん。じゃあ、鈴。行こっか」
そう答えたのは春風だった。
「ああ、そうだな。そろそろ準備が必要だ」
明智もそれに続く。
二人は秋月の返事を聞くよりも早く立ち上がって、行く準備を整えていた。四人中三人が動いてしまいそうな流れに、休むつもりだった身体を起こして俺も立ち上がろうとした。
「あ、えと……手伝って欲しいのは、中ッ原、君、だけ、なの」
途切れ途切れに、一語一語明智や春風の様子をうかがう様に秋月は言った。
「俺?」
「えと、あの……」
俺が聞き返すと秋月は困ったように俯いた。なんでまた俺なんだ?
「ふむ、分かった」
明智はそう言って、あっさりと納得したようにレジャーシートの上に座りなおした。
「では、団旗は氏に任せよう」
「まぁ……鈴がそう言うんなら、仕方ないわね」
春風もしぶしぶと明智に続いて座った。
「……ごめんね」
「いや、いい。鈴には鈴の考えがあるんだな。私と春風は食後のお茶でも嗜んでいることにするよ」
そう言って明智はにやっと口元を吊り上げた。自分で説明下手だなんて言っていたがこいつは本当に口が上手いな。女にしておくのがもったいないぐらいだ。男だったらモテて仕方なかっただろうに。
「よし。じゃあ行くか」
俺がそう言うと、秋月はこくりと頷いて答えた。
「団旗はこの前の教室にあるのか?」
再び秋月はこくりと頷いた。俺はそれを確かめると、後ろについてくる秋月を引き離さないように距離を保ちつつ、秋月の作業していた一階の教室へと向かった。
校舎に近づくにつれ、人の量は減っていき、すぐ近くまで来てみればほとんど人はいなくなっていた。おかげで校舎の中はがらんとしており、昼間なのに人がいないというどこか不思議な感覚を覚えることになった。
「ここだな」
そう言って、教室の場所を確かめる。確かに先日見た教室だ。秋月もこくりと頷いて肯定する。
「中にあるんだな。じゃあさっさと持っていこうぜ」
そう言って、ドアを開けようとしたが、ドアが開かない。
「ん……?」
少し力を入れてみるが、ドアはピクリともしなかった。何だこれ、鍵が締まってるのか?
「なぁ、秋月。鍵……」
秋月に鍵の有無を聞こうと振り返る。そこには誰もいなかった。え、本当になんだこ……れ?
疑問はあっさりと解決した。視線をドアへと戻したところで、視界の隅に小さな手が入っていた。辿ってみればそこに秋月がいる。
「――なぁ、秋月。一応聞こう。何してるんだ」
秋月はドアをがっちりと抑えていた。勿論、逆側から。道理でドアが開かないわけだ。抑えられてるんだもんなぁ。
「だ、ダメっ!」
一方、秋月の解答は予想を大きく外れるものだった。
「あ、秋月。何がダメなんだ?」
「だ、だって……恥ずかしい……」
秋月はドアに全体重を乗せる様にして抑え込んでいた。まるで『ここは私に任せて!』みたいな状況だ。おかげでドアは開かない。少し強く引いてみると、秋月はそれ以上の力で顔を真っ赤にしながらも抑え込む。もっと強く力を入れてしまえば開けることはできただろうが、秋月がそうしている以上何らかの意図があってのものだと分かるので、無理に開けようとするのは諦めることにした。
「なぁ、秋月……恥ずかしいのは分かるが、持っていかないといけないんだぞ。というか、お前が言い出したんだろ」
秋月を見れば、ぷるぷると首を振っている。その顔はほんのりと赤みを帯びている。なんか不味いことでもあるのか?
「……は、恥ずかしいから、ダメ」
「え、ええと……」
ならなんで俺を呼んだんだ。俺を呼んだのは連れ出す口実ってだけなのか? いや、秋月がそんな手の込んだことをするとは思えない。むしろ俺を連れ出してどうこうなんてありえない。
どうしたものか、と考え込もうとすると、秋月が続けた。
「中ッ原君は、待ってて……。折りたたんで……くる、から」
そう言うが早いか、秋月はドアを自分の体ほどの隙間だけ開けると、猫のようにしゅるりと中に入って行った。なるほど、ようやく分かってきた。
つまり、秋月の言いたい事を要約するとこうだ。『団旗は完成してるけど、教室の中に広げて置いてある。見せるのは恥ずかしいから、とりあえず折りたたんで見えないようにしてから持っていきたいので、待ってて欲しい』
その予想はどうやら正しかったようで、秋月はそのまましばらく戻ってこず、教室の中からはどたばたと忙しく何かを片付けるような音が聞こえてきた。
そうして五分ばかし待っていると、自動ドアよろしく、俺の目の前のドアがひとりでに開いた。どうして自動ドアに例えたかといえば、勝手に開いたこともあるのだが、正面を見ても開けた本人がいないからだった。
ただ、そこにあったのは折りたたまれた団旗と思われる布だけだった。
「……」
教室を覗き込む。そして右を見た。
「ふぇっ……」
秋月がいた。目が合ったのか、びくりと肩を震わせる。
「も、持って、いって」
そして秋月は一歩後ずさりながらそう言った。
「秋月。まさかとは思うが、俺に持っていかせるだけで、お前はここに残ろうと思ってるんじゃないだろうな」
「……!」
秋月が小さく息を飲む。
「図星かよ……」
「だって……恥ずかしいし……それに……」
「それに?」
「…………」
秋月は俯いて、何も言わなかった。そのため、表情を窺い知ることはできない。ただ分かるのは、どうにもばつが悪そうにしていることだけだった。
ふと、明智と話した内容が脳裏に浮かんだ。
ああ、そうか。こいつは人前で自分の絵だと発表するのが怖いんだ。
『――だが、その男子はその絵を破いた』
自分を否定されるかもしれないことが怖いんだ。
秋月を改めてみる。こうして、怯える様に俯く秋月はとても小さく見える。それは、背格好だけじゃない。秋月の持つ雰囲気、秋月自身が小さく見えるのだ。
止まってるんだ。
その、小学校の時から。
絵を描いて、評価してもらうという行為が。
きっと、その事件以来、秋月は絵を描かなかったのだろう。それか、描いていたとしても誰にも見せることは無かった。破かれるのが怖くて、否定されるのが怖くて、だからそして、信じるのが怖くて。
この部屋は秋月の場所なんだ。自分一人の、作り上げた場所。見ればカーテンも閉め切られている。教室にクーラーなんてついていない。まだ残暑も厳しいのに、そんな中での作業は暑かったに違いない。でも、ここでなら自分を出せた。絵を描くことが出来た。評価も、何もかもを気にしないで済んだ。
でも――
「秋月」
出ないといけない。ここは、止まってる。小学校の時の秋月から進んでない。
「行こう。大丈夫だ。誰も笑ったりなんかしない」
「…………」
秋月はぎゅっと手を握っていた。血が出るのではないかと思うほどに強く握っていた。俯いているため、その顔は長い髪に隠れてしまっている。その表情を窺い知ることは出来ない。だが、想像はつく。
怖いんだ。評価されることが。反応を見ることが。ここから出ることが。
「大丈夫だ」
俺はもう一度言う。確信を持って。
そうさ。だって、秋月は一度、俺に絵を見せてくれようとした。数回しか話したことのない、秋月の苦手な男の俺に。明智は俺が秋月を変えた、なんて言っていたが、それを信じてるわけじゃない。秋月は、自分で変わろうと思ったんだ。進もうと思ったんだ。
「行こうぜ」
そして、もう一度。俺はそう言って、足元に置かれた団旗を抱えた。そのまま回れ右して、下駄箱へと向かう。振り返らない。これ以上は、俺にはどうもできないから。
教室を後ろに、廊下を進む。下駄箱は左だ。そう思って、廊下の突き当たりを曲がる。
「……ま、待って」
振り返った。教室の外に秋月が立っていた。
「ほら、置いてくぞ」
俺はそれだけ言うと、再び下駄箱へと向かって歩いた。もう大丈夫だろう。秋月は前に進んでるんだ。
――振り返らないでも分かる。誰もいない校舎の中。後ろから聞こえてくる、俺以外のもう一つの足音がそれを示している。




