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016 体育祭、

 あっという間に体育祭の日はやって来た。

 頭上には九月らしい、秋の雰囲気と夏の暑さを合わせたような青々とした空が広がっている。

 ぎらぎらと照りつける日差しの下、校長の話が右から左へと流れていく。びっしりとグラウンドに整列しているせいか、余計に暑く思えてくる。とてもじゃないが校長の話なんて頭に入らない。

 ふと考えるのはここ数日のことだった。

 結局、俺たちはずっと練習を繰り返していた。日が昇る前に明智に起こされ、練習が終わると学校へ行き、昼休みには明智の持ってきた手作り弁当をみんなでつつくと、放課後もひたすら練習をするという変わらない日々を過ごすことになった。

 前日――土曜になれば少し変わって、体育祭前日設営とのことで、休みにもかかわらず俺たちは学校に駆り出され体育祭の準備をすることになった。主にやったことと言えば、自分たちのクラス用のテントを組み立てることと、地面にビニールシートを敷くことぐらいで、後はテントにクラス団旗を付ける準備をすることだった。

 その秋月の作るクラス団旗もこの頃にはかなり形になっていたらしい。秋月が後少しで完成と言っていたので、設営も早々と終った俺や春風が「手伝おうか」と申し出たのだが、秋月は「最後まで自分でやりたい」との一点張りで、結局俺たちはリレーの練習をすることになった。

 その出来事を切っ掛けに、秋月に関して分かったことがいくつかあった。

 まず、絵に対してプライドがものすごく高いこと。

 先に言ったように、秋月はその途中で自分以外の誰かの手が加わることをとても拒んだ。後で聞いた話によると、秋月の作業を手伝おうと申し出たのは男女を問わず、俺達以外にもいたらしいのだが、それも俺たちと同じように断ったらしい。だから本当にクラス団旗は秋月一人で作っていた。

 そしてもう一つが、それなのにやはり内気だということだった。

 秋月は、先日作業していたところを俺と明智が見ていたと知るや、そのすぐ後からは教室を締め切って誰にも見られないようにして作業をするようになった。だから実際のところ、「形になってきた」だとか「後少しで完成」などというのも、全て秋月本人が言った言葉を元にしたものだった。作業状況を見せない秋月に、クラスメイト達も次第に不安になっていたようだが、そこは明智や春風のフォローでどうにか納得してもらえていたようでもあった。



 そんなこんなで体育祭当日。

「えー……本日は晴天に恵まれ……えー、絶好の体育祭日和と……」

 そう、校長が言うように空は青々としており、残暑どころか八月の暑さが戻ってきたのではないかと思わされるほどに暑かった。

「えー……でわぁ……体育祭も学業の一つとしてですね……頑張ってください」

 校長も日光直下で長い話をするのは堪えると思ったのか早々に話を切り上げ、選手宣誓へと移った。

『校長先生、ありがとうございました。それでは、選手代表より、選手宣誓です』

 放送部の少し拙いアナウンスがグラウンドに響く。

 どうしてか、イヤな予感が頭をよぎる。

「…………おい」

 これまた予想通りというかなんというか。当たらないでいい予感はことごとく当たってくれる。

 ざっざっと、生徒の列を抜け、壇上に立ったのは見たことのある姿。同年代の中で飛びぬけたスタイルと整った顔立ち。まるでモデルか何かと見間違えそうなほどの存在。春風が立っていた。

『代表、二年四組より、七ツ家春風さんお願いします』

 そんなアナウンスが行われ、春風は一礼した。てか、あいつ、いつの間に実選手の代表なんぞになってやがったんだ。一言もそんなの聞いてねぇぞ。まぁ、誰の仕業かは予想が付くんだが。

 そんな俺の考えもよそに、春風はマイクを前に、右手を挙げる。

「宣誓。我々、選手一同、全九百七十七名。滝嶋西校の生徒として全力で競技に臨み、精一杯戦い抜くことを誓います!」

 よく通る、大きく澄んだ声だった。マイクはあってもなくてもよかったのではないかとさえ思う。

 春風が宣誓を終えると、すぐさま準備運動へと移る。そして、それも終わると、生徒はすぐに行われる最初の競技である百メートル走の選手だけを残して、グラウンドを退場した。



 ――そうして、体育祭が幕を開けた。




 クラスのテントへと戻り、置いておいたペットボトルを取って軽く飲むと、俺はテント前を駆けていく百メートル走をクラスメイトたちと一緒に応援することもなく、すぐさま入場門へと向かった。

 俺の出場する予定の競技で一番最初に行われるものは借り人競争だ。そしてその借り人競争百メートル走の次の次。つまり、全体で三番目に行われる。また、出場する選手は二つ前の競技終了までに所定の場所に集まらないといけないのだ。そういうわけで、俺は百メートル走をじっくりと見る余裕もなく、横目に見る程度しかできなかった。

 入場門付近の借り人競争の集合場所へ行くと、そこには既に多くの生徒が集まっていた。おそらく、開会式が終わって直接来たのだろう。今思えば俺もそうしていればよかったと思う。

 そうして、しばらく周囲を眺めていると、見知った顔を見つけた。明智だ。

 明智はここ数日で見慣れてしまった、頭の高い位置で結ぶポニーテールだった。そこに俺たちのクラスの証である赤い色の鉢巻が異様に似合っていた。

 俺が見つけたのとほぼ同時に、明智も俺のことを見つけたようで、右手を掲げて合図をすると俺の元へやってきた。

「やぁ、しばらくぶりだな」

「二時間ぶりってところか?」

 明智は体育祭実行委員なんて役職についているため、今日は朝練に参加することなく体育祭の直前準備で早々と登校していた。顔を合わせたのは登校して、クラスでホームルームが行われる直前だけだ。その後も準備があるとかでホームルームは特別欠席していたのだ。

「こんなところで氏は何をしているんだ?」

「見て分かんねぇか。用も無いのにこんな所には来ねぇよ」

「ああ、なるほど。私の応援に来てくれたんだな」

「違う! 俺も出るんだよ!」

 さらっとボケをかましてくれる。おかげで俺も突っ込みがいがある。

「はは。冗談だ」

「知ってるよ。てか、お前だったら俺が出ることぐらい把握してると思ったんだけどな」

「ふむ。氏がどうしてそう思ったのかは私には知る由も無いことだが、私はそう何でも知っているわけではないぞ。それに、どこかの格言のように『知っていることだけ知っている』などとも言うつもりも無いさ。結局、私が知っていることは私が知りたいと思うことぐらいだ」

 よくもまぁ、そんなに口が回るものだ。その上、よく意味が分からん。

「よく分からんが、その理屈から言うと、俺の出場なんてどうでもよかったってことか」

「む? 私はそうは言っていないぞ」

 明智は首をかしげて言った。

「言っただろう。冗談だと。氏が出ることもちゃんと知っていたさ」

「お前の言い回しは分かりにくいんだよ」

 そう言われてみれば俺が出ることを知らないとは言ってないような気がした。あーもう、わけわかんねぇ。

「まぁいい。ここにいるってことはお前も出るんだろ。借り人競争だなんて何か似合わねぇな」

 カードを手にあたふたとする明智を想像すると少しだけ面白かった。どうして少しだけかといえば、実際にやってみたら明智はいつもと変わらない調子でそつなく自然にこなすんじゃないかと思ったからだ。多分間違いは無い。

「私は体育祭実行委員だからな。手本となるように率先してやらないといけないんだ」

 明智はあっさりとそう答えた。それは俺の予想していた答えと違っていたので、少し拍子抜けしてしまう。てっきり「私だって借り人競争ぐらいはするさ」とか「それを言うなら氏も似合っていないぞ」と帰ってくるとばかり思っていた。

「それに、私が提案した競技でもあるからな」

 虚を付かれていた俺に、明智はそう付け加えた。

「そうなのか?」

「ああ。この競技は追加競技で、そもそも追加競技を決める際に提案されたのが、元々の滝嶋西高校の生徒と、陵星学院の生徒との交流になるような競技を加えようとのことだったのだ。それで考えたのがこの借り人競争だ。物ではなく、人なのは、その相手の特徴を大勢に知らせることに繋がる。手っ取り早い自己紹介のようなものだ。競技としても楽しみがあるから一石二鳥というわけだ」

「成程な。お前らしい考えだ」

 そこまで聞けば、いかにも明智らしく思えてくる。生真面目なように見えて、どこかに必ず遊びを入れてくる。硬いように見えてどこか柔らかい。なんつーか、メロンパンみたいなやつだな。外はサクサク、中はふわふわ、みたいな。

「おっと。移動が始まったみたいだぞ」

 明智がそう言ったので、振り返ると確かに列の移動が始まっていた。話しているうちに百メートル走は終わっていたようだ。

「さて、私たちも行こう。本番ではないからと言って、手を抜かないようにな」

「まさか、俺が手を抜くと思ってるのか?」

 俺がそう返すと、明智は面白そうに笑って、

「いいや。全く」

 と、当たり前のように答えた。

「では、一位を取るように期待しているぞ」

 そして、明智はそう言い残すと、待機列の中へと消えて行った。

 そう言われたら更に頑張らないといけないじゃないか。全く、余計なプレッシャーをかけてくれるものだ。



 列に並びしばらくするとすぐに借り人競争は開始された。

 百メートル走などとは一転違った予測のつかない競技に場が次第に盛り上がっている。競技が競技なだけに『俺が呼ばれるに違いない!』『いや私よ!』と生徒たちはテントから身を乗り出してどこかそわそわと待機している。

「……なんつーか、もうちょっとさぁ」

 そして視線の先、前列の男子を見る。そこは応援する生徒以上の異様なやる気と熱気に包まれているように見える。

 まぁ、気持ちは分かる。男子生徒にとっては女子と合法的に手をつなげるかもしれないイベントなのだ。これを逃せば後夜祭のフォークダンスぐらいしかない。それに、それも転入生で女子が大幅に増えたといえ、下手すれば男子同士になる可能性もあるのだ。

「それにしてもさぁ……」

 それでも、俺の前の走者たちはそんな下心が露骨どころか剥き出し過ぎていた。いいカードを引こうと全力で駆ける者、どんなカードを引いても目当ての女子を捕まえれるように頭の中で考えを巡らす者、はたまた仲のいい友人同士なのだろう、共謀してカードを拾い、そのあとで交換するなど無駄に熱い戦いが繰り広げられていた。

「(はぁ、少なからず平和であって欲しいよ……)」

 そんな呟きを心の中でしたところ、俺の番がやってきた。

 一緒に走るのは同じ学年の男子たち。顔は見たことがあるが、名前までは覚えてない、といったラインナップだ。それぞれが前の走者と変わらず、必要以上のやる気に満ちていた。

「(これ、勝てないかも)」

『位置について、よーい……』

 アナウンスが響く。

 ライン一列に並び、右足を前に、左足を後ろにして構える。

『パァン!』

 銃の音が鳴り響き、俺たちはスタートした。

 足の速さはほぼ変わらないようで、スタートしてから封筒の置かれた場所まではほぼ一直線、いや、俺が少しだけ前に出ているような気がする。練習の成果が出たかもしれない。

「……ッしゃ!」

 封筒を滑らせるように取り上げる!

「――っし!」

 俺に続けて他の奴らが次々と封筒を拾っていく。のんびりはしていられない。

 中から紙を取り出す!

「…………おい」

『隣のあの子』

 バッと真後ろを振り返った。列の中の明智と目が合った。まさかあいつ、ここまで仕組んでんじゃねえだろうな。そう思った瞬間、明智はにやりと口元を吊り上げた。うわ、否定できねえ。

「……って、どうすりゃいいんだよ!」

 思わず叫んだ。紙を叩きつけたくなったがそれを抑えて踏みとどまる。おそらく五割の確率で明智の仕業だ。根拠はないがそう思う。残り五割は俺の運がいいのか悪いのか分からないが特別な結果を引いたのだろう。

 『隣のあの子』が何を指すのか、俺は必至で考える。

 そりゃ、真っ先に答えは出ている。

 隣の机。秋月だ。

 だが、秋月をどう連れ出せばいい。手を引いて連れて行く? そんなの想像するまでもなく無理だ。不可能だ。ミッションインポッシブルだ。

 くそ。どうすればいい。

 他の奴は目星がついたのか、クラスメイトの待つテントや教師陣のテントへと向かっている。まずい。このままでは負けてしまう。


 どうする。


 秋月を連れ出すか?

 無理だ。


 他に思い当たるのは?

 誰だよ!


 じゃあやっぱり秋月だ。

 無理だって! そんなことをしようものなら――


「――そうか!」

 思いついた。その手があったじゃないか。

 俺は自分のクラスのテントへと駆ける。クラスメイト達も俺が向かってくると声を上げて迎える。

「おい、中ッ原。誰だ!」「なんて書いてあったんだ?」「まさか俺か!」「いいや俺だ!」

「ええい、やかましい! どけろ!」

 そんな声が次々と上がるなか、クラスメイトをかき分け俺は目的の人物を探す。

 人だかりの向こう。テントから少し離れた場所。そこに他のクラスメイトと離れるようにして、座っている。

 俺はそこに向かって走った。グラウンドから出ることになるが別にいいだろう。

 そこまでして向こうも俺に気付いたようで、驚いた表情を見せる。

「な、中ッ原……君……」

 そこに座る秋月がおずおずと言った。

 テントから離れていても、今が何の競技をしているのかは知っているのだろう。俺の手に握られている紙と、俺の顔を交互に見ては困った表情を浮かべる。

「秋月……」

 その声に、秋月はびくりと肩を震わせる。俺はそれを見て、分かった上で手を伸ばした。近づいてくる手を見て、秋月はギュッと目を閉じる。

 そして、俺は手を取った。

「悪い。借りてくぞ!」

 そう言って、俺は踵を返し、走り出した。

「え、え、ええっ」

 聞こえてくるのは、聞き慣れた声。秋月の声ではない。そう、|秋月以上に聞き慣れた声だ《・・・・・・・・・・・・》。

「ちょ、ちょっと! セイジ!」

「お前でどうにかなりそうなんだよ! いいから来てくれ!」

 そう。手を取ったのは、秋月ではなく、その隣に座っていた春風だった。

 『隣のあの子』が本来どのような意図で書かれたものかは分からないが、俺の解釈が正しければ、春風でも間違いにはならないはずだ。『隣の家のあの子』でも問題はないはずなのだ。

 見つけるのが早かったのか、他の奴らより先にグラウンドに戻ってくることが出来ていた。他の奴らはまだ自分たちのクラスやそのほかのテントの前でバタバタとしている。そんな状況を確かめると、一気に安心してくるもので、俺は全力で走っていたのを止めてゆっくりと走るとそのまま一着でゴールを決めた。

 ゴールテープを切るとすぐさま現れた係りに拾った紙と封筒を渡す。

 すると係りは紙に書かれた内容と俺の隣に立つ春風を交互に見た。その視線はニヤニヤとしている。

「ああ。こいつ、家が俺んちの隣なんだ」

 勘違いされても困るのでそう説明をした。すると係りも納得したようで「OKです」とだけ言って、テントの中へと消えて行った。去り際に「ああ、分かりましたそう言うことですね」みたいな笑みを浮かべてたのが気になるがもうどうでもいい。

「……もうっ。連れてくるのはいいけど、ちゃんと説明してよね」

 一連の作業が終わったのを確認したのか、春風がそう言って俺の手を払った。

「悪い悪い。急いでたからな。ま、いいじゃねーか。一位とれたんだし」

「ま、いいけど。ところでなんて書かれてあったのよ?」

 そう言えば、すぐ横で係員に説明をしたものの、春風には言ってもないし紙を見せてみないんだった。俺が説明しようと、口を開いた時、

『一着は二年四組、中ッ原君です。お題は『隣のあの子』。連れてきたのは七ツ家春風さん。どうやら二人は幼馴染とのことでしたー』

 とアナウンスが流れた。

「……ってことだ」

 そう言った瞬間、目の前が真っ暗になった。

「いってぇ!」

 目を開くと目の前に春風の正拳があった。

「……バカ!」

 そう言い残して春風はずかずかと去って行った。どうやら俺は春風の右ストレートを受けたようだ。

 あいつ、そこまで怒らなくてもいいじゃないか。どうせクラスメイトは俺と春風が幼馴染だってことは知ってるんだ。というか春風本人が言ったことじゃないか。それが全校生徒に知られたからって大したことじゃないだろ。

「っつぅ……」

 顔面がじんじんする。目を開けば視界には星が飛んでいる。うわ、殴られて星が飛ぶなんて初めて見たぞ。漫画だけじゃないんだな。

 春風の後を追ってテントに戻るのも火に油を注ぎそうで怖かったので、俺はそのままテントから離れると、ゴールから少し離れたところの木陰にいることにした。

 そんなことを考えていると、明智が俺の所へ向かってきていた。

 あいつ、もう終わったのか。まだ時間があると思ってたぞ。

「よ、お疲れ」

 向かってきた明智に俺は手を上げてそう言った。

「氏もお疲れだった。中々いい走りだったぞ。まさか春風を連れて行くとはな。流石は氏だ」

「……お前、仕組んだだろ」

「さて、何のことか。もし私が仕組んでいたとしてもそれを氏が取るとは予想つかないではないか。さすがに私も氏に任意の封筒を引かせるなんてできないからな」

「……まぁな」

 確かにそうなのだが、こいつがやることだと仮定すれば、どれを取っても秋月に向かうような内容が書かれていてもおかしくはない。それも、俺にだけわかるような形で、だ。

 だが、そう思っても俺はもう言わなかった。言ってもこいつは知らぬ存ぜぬを通すだろう。第一、明智が本当に仕組んだかどうかも分からない。違っていた場合は濡れ衣だ。

「しかし残念だ。ゴールしてから氏がここに居ると気付いたぞ。もう少し早めにここに居ることが分かっていれば、私は氏を連れて行ったのだがな」

「――なんて書いてあったんだよ」

 俺がそう言うと、明智は「ふふ」と笑った。

「秘密だ。私を疑った罰、ということにしておこう」

 そしてもう一度「ははは」と笑った。

 俺はそれ以上は追及しないことにした。納得したわけではなかったが、明智がこう言っている以上はきっとどう言っても教えてはくれないだろう。それがこいつとここ数日付き合ってきた俺の経験則だ。

「さて、隣いいか?」

 明智はひとしきり笑うとそう言った。

 俺は短く「ああ」とだけ答えると、明智も「失礼」とだけ返し俺のすぐ隣へと腰を下ろした。座ってしまえばグラウンドは人垣に隠れてしまって見えなくなる。それでも、度々おこる歓声や、ラフな感じのアナウンスで場が盛り上がっていることは知ることが出来た。

「そういえば、さ」

 ふと。つい。自然に、口が動いていた。

「ん」

 明智は短く、返事する。

「そういえば、秋月のクラス団旗って完成したのか?」

「ああ、そのことか」

「ちょっと、気になってな」

 クラス団旗の発表は昼食明けに行われるので、まだどこにも掲げられてはいないのだが、周りを見ればどのクラスも自分たちのテントの前にいつでも掲げられるように折りたたんで準備をしたクラス団旗が置かれてあった。

「間に合ってない、とは思わないが、どうにも不安でな」

 別に、出来上がった団旗をテント前に置いていないといけないという決まりがあるわけではないのだが、それでもどのクラスもやっていて、やっていないのがうちのクラスぐらいのものだとすれば多少なりとも不安になってくる。

「ふふふ」

 そんな俺の心配をよそに明智は笑った。

「安心していい。団旗はできている」

 そして続けてそう言った。

「そりゃ良かった。安心だ。それで、出来はどうなんだ?」

「いや。私もまだ見てはいないのだ。完成したというのは鈴が言ったことだ。鈴が嘘をつくとは思えないからな」

 もっともだ。秋月がそんな嘘をつくとは思えない。

 第一、あれだけ絵に真剣に取り組んでいた秋月が完成を偽る理由はどこにもない。完成しているのに出来ていないと言っていたとすれば、秋月の性格上考えられなくもないが、その逆はまずありえないだろう。

「昼が楽しみだな」

 俺はそう言った。昼過ぎには各クラスの団旗発表がある。今は見れなくてもその時には見ることが出来るだろう。

 そう考えつつ、頭の中には、教室の中、一人で絵に向かっていた秋月の姿が浮かんでいた。根拠も、理由も特にあるわけではない。だけど、きっと秋月ならいいものを作ってくるだろう。

「――秋月って強いよな」

 ふと、そんな言葉が口をついて出た。

「どうしてそう思った?」

 明智が聞き返してくる。

「なんとなく……いや」

 曖昧に答えようとして止める。

「上手くは言えないけどさ、あれだけの絵を一人で作るってのは、俺には想像できない。俺だったら、やるかどうかの前に放り投げてるかもしれない。それを最後までやり切ってるってのは、なんとなく、な」

 そう言ったところで、春風の言葉を思い出した。


『なんで、セイジは頑張ってる、の?』


 はっきりとは答えれなかった質問。秋月は、何のために頑張っているのだろう。そして、隣に座るこいつも。

「なぁ。明智」

「どうした?」

「なんで、お前は色々と頑張れてるんだ? 体育祭実行委員とか、リレーの練習だとか」

 弁当を作ってきていることもそうだ。数えだせばきりがないかもしれない。

「なんで、とはこれまた難しいことを聞いてくるな」

「いや……なんとなく、な」

「そうだな。私は別に頑張ろうと思って頑張っているわけではない。私自身がやりたいからやっているだけだ。氏の言いたいことは、百パーセントではないかもしれないが私にも理解できる。ただ、人のやらないことをやっていくことは決して無駄にはならないとも思うのだ」

「……相変わらず、難しい言い回しだな」

「そうだな。もっと簡単に答えてしまえば、自分のため、なんだろう」

 明智はどこか遠くを見る様に視線を人垣の向こうへと投げてそう言った。

「自分のため、か」

「ああ。私は私自身のためにいろんなことをやっているし、やろうと思う。そういった経験は知らないことを知ることにも繋がるし、結果がプラスであれマイナスであれ絶対値は必ずプラスになるしな」

 実に明智らしい、理に適っているようで、どこか人間味のある考えだった。やっぱりこいつはメロンパンみたいなやつだ。

「強いな」

 そんな言葉が口をついて出た。

「強くなんかないさ」

 俺の言葉を明智はあっさりと否定した。

「――私は、強くなんかない」

 そして、噛み砕くように反芻した。

 グラウンドに目を向ければ、借り人競争が終わったのだろうか、多くの生徒が移動を始めていた。次の競技が何だったかは覚えてない。どうせ、俺が出る予定の競技までは時間がある。

「――氏は、どういったものを強いと感じるのだ?」

 明智は、静かに、それでいて探る様に言ってきた。

「私が思うには、自分を貫けることが強さだと思う。どのようなことにもブレることのない、強い芯を持てることが、強さだと思う」

「俺は……」

 明智の言うことは理解できた。ただ、それはどこか俺の考えとは――違う。

「何が正しいか、なんて分かんねぇけど……俺は、自分を理解して、受け入れることが強さだと、思う」

 辺りには体育祭の熱気が満ちている。だからだろう。考えるまでもなく、言葉が自然と出てくる。

「俺は時々、自分が分からなくなるんだ。俺自身が何をしたいのか、どうしたいのか。どうすればいいのか、ってことばかり考えて、どうしたいのかってのがどっか行っちまう。最初はちゃんとあったはずなのに……。その点さ、お前は自分が見えている。出来ること、出来ないことも全部理解したうえで、自分のやりたいことをやってるように俺には見えるんだ。――だから、お前は強いよ」

 俺はそう言い切った。最後だけは、言葉を選んだうえでの発言だったが、俺にとっては本心だった。こいつは、見ていて羨ましいほどに強く見える。

「ふふ。そうか……照れるな」

 明智は言葉だけだったが、そう言って笑った。

「なんだよ。本音トークだぞ」

「はは。分かってるさ」

 俺の言葉に明智はもう一度笑った。そして、小さく、

「そうだな――」

 と呟いた。

 明智の目線は未だグラウンドに向けられていた。俺から見えるのは明智の横顔だけ。その明智の横顔は、考え事をしているようにも、どこか憂いを帯びているようにも見えた。言い換えれば、明智らしくない表情だった。

「さて、と」

 しばらくそうしていた明智だったが、フッと表情を崩すとそう言って俺の方を見た。

「そろそろテントに戻ろうか」

 そしてそう続けた。

「ああ、そうだな」

 俺もそう返して立ち上がる。残暑を感じさせる熱気がむわっと体を覆う。きっと、体育祭の熱気も影響しているに違いない。

 明智も遅れて立ち上がる。

 その時、一瞬だけだったが、明智に見蕩れてしまった。

 明智は、さっきと同じかそれ以上の憂いを帯びた表情をその顔に浮かべていた。いつもと違うその様子は、必要以上に明智を女らしく、それでいて、改めて同級生なんだと理解させてくる。

「ん、どうかしたか?」

 立ち上がれば、明智はいつもと変わらぬ調子でそう言った。

「あ、いや。何でもない」

 俺はそう答えるのが精一杯だった。

 明智は「では、戻ろう」と言うと、すたすたと歩き始める。俺もそれに続いて歩き出した。後姿から、明智の表情を窺い知ることはできなかった。

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