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015 夜、自室

 周囲は完全に暗く、人通りも少なくなっている。空を見上げれば星すらも見えている。

 先程までの騒がしく思えた状況。その反動だろうか、一人になれば必要以上に周囲が静かに思えてくる。

 そんな中、歩きながらふと思う。

 ついさっき聞いた、明智の話。

 そして、それからの秋月の様子。

 秋月の中学やそれ以前のことは聞いた限りでしか知らないし、知る由もない。だから比較ができるわけではない。結論として言ってしまえるものでもないだろう。


『氏も鈴を変えているのだ』


 明智はそう言った。だが、そんな実感は俺にはない。

 それでも、秋月は俺と一緒に帰ってくれるほどには、俺に気を許してくれている。それはあやふやなことではない。それだけは、確かなことだ。

 些細なことかもしれないが、秋月が俺を拒絶しないでいてくれるようになったという事実は、とても心地よく、とても嬉しかった。

 足取りもそれに伴い、少しだけ弾む。暗い道でもどこか明るく見えてくる。

 そうして考えているうちに、いつしか家の前まで来ていた。いつもは二十分ほどかかる道のりではあるものの、あっという間だった。

 見れば、玄関とリビングからは明かりが漏れている。どうやら妹は帰ってきているようだ。遅い帰りになったので、夕飯が遅れたと怒るんだろうな。

「ただいま」

 靴を脱ぎながらリビングに向けて言う。

 返事はない。

 あいつ、またヘッドフォンつけてドラマ見てやがんな。まぁ、都合がいいと言えば都合がいい。さっさと部屋に入ってしまおう。

 そそくさと階段を上がり、自分の部屋に入る。鞄を投げる様に置き、ベッドに腰を下ろす。ようやく一息つける。

 そう思ったところで、まだ休めないことを思い出す。春風の忘れ物を預かってるんだった。ウチに入る前に寄ろうと思っていたのに、完璧に忘れ去っていた。あーめんどくせえな。

 カーテンを開けて、窓の向こうを見た。明かりはついている。春風は帰っては来ているようだ。

「……窓越しでいいか」

 机の引き出しからBB弾のケースとパチンコを取出し、窓を開ける。小学生の頃、窓越しに春風を呼ぶために用意したのだが結局ほとんど使う機会のないままに仕舞い込んでいた。折角だし使ってみよう。

 ゴムを軽く引いて、狙いを定め、手を放す。するとBB弾は見事にまっすぐ飛んでいき、春風の部屋の窓に『パシッ』といい音を立てて当たった。

「お、いい感じじゃないか」

 これは手軽に便利だな。BB弾だって安いものだ。庭に落ちるのが懸念材料ではあるが、後で拾っておけば再利用だってできる。

 そんなことを考えながら、『パシッ』『パシッ』と俺はBB弾を打ち続けた。なんだか打つことが楽しくなってきたぞ。結構狙えば精度よく飛んでいくし、これは今まで使わなかったのがもったいなく思えてくる。

「あー、うるさ――ったっ!?」

「あ……」

 そうして調子よく打っていたところで、突然窓が開き、顔を出した春風のおデコにBB弾が直撃した。ナイスショット、俺。

「……」

 しばらく当たったおデコを抑えていた春風だったが、何も言わずに俺を睨むとくるりと部屋の中へ姿を消した。

「ん……?」

 そうして待っていると、すぐに春風が姿を現した。が、様子が違っていた。

 まず、ガラリ、と春風は窓を大きく開けた。次にカーテンを完全に開く。おかげで春風の部屋が綺麗に見通せるようになった。

 春風は、窓から少し離れた場所から俺を睨んだ。

 そして、大きく振りかぶると、

「――へ?」

 手に持っていた何かを思いっきり投げてきた。

 予想外の出来事に、俺は動くことが出来なかった。耳の横を何かが通り過ぎていく音がする。そして、遅れて『ドスッ』と|何かが突き刺さる音がした《・・・・・・・・・・・・》。

 背筋が冷たくなった。恐る恐る振り返る。すると、俺のほぼ真後ろ。壁にダーツの矢が突き刺さっていた。

「……ッチ」

 窓の向こうから聞こえた舌打ちに背筋が震えた。やべえ。こいつ、俺を殺す気だ。

「あ……危ねぇ……だろ!」

 ようやく振り返り、春風に言う。声は震えていた。

「だ、だだだ、ダーツなんて、当たったらどうするんだよ!」

「大丈夫よ」

 春風は短く答える。

「当たらないように狙ったもの」

 こええええええ、こいつこええよ!

「それより、セイジ」

 声が冷たい。氷点下。むしろ絶対零度。

「……な、何だよ」

「あたし、当たったんだけど」

「あ、ああ……」

「ああ、じゃないでしょ。ねぇ? それとも、あんた、人に当てておいて何もないの? ああ、わざとなんだ。だから、」

「ごめんなさい!」

 窓の縁より深く頭を下げた。これ以上は耐えれなかった。リアルに身の危険を感じる。

「……はぁ。ま、分かればいいのよ」

「はい……」

「で、何? 何の用よ」

 春風の声は不機嫌極まりなかった。何だろう。このまま「いいえ何もありませんごめんなさい」と言って窓を閉めたくなる。でもそうしてしまったら、携帯をどうして返さなかったのかと後から言われること間違いなしなのだ。何だこの状況。

「あ、ええと。お前、携帯とタオル、忘れてた……だろ?」

 どうしてか、最後は探る様に言ってしまっていた。もはや完全に威圧されている。

「ん…………あ…………あー!」

 しかし、当の春風は今になってそれに気付いたようで、威圧感をあっさりと脱ぎ捨て、慌てる様子を見せ始めた。

「とりあえず持ってきたから、ほら投げるぞ」

「え、ちょ、ちょっと待ってよ!」

 振りかぶる。春風はそれを見て慌てて窓から乗り出すと、こちらへと両手を広げた。

「じゃ、行くぞ」

 それを了承の合図と取って、俺は携帯をタオルで包んで放る様に投げた。丸い円筒状のタオルは放物線を描いて春風の腕に収まる。春風は受け取るとすぐにタオルを開いて自分の携帯かどうかを確かめた。そして、自分の携帯だと分かったと思うとすぐにホッと肩を撫で下ろした。

「…………ぅ」

「え?」

 春風が何か言ったようだったが、聞き取ることが出来なかった。俺は聞き返す。

「ありがとう、って言ったの!」

 すると、春風が怒鳴るような大声で言ってきた。

「――っせえな! 近所迷惑だろ!」

「別にいいでしょ! どうせウチとあんたんちの間なんだから」

 そう言われるとそうなのだが、それでも周りには多少配慮するべきだろう。まぁ、今更ではあるのかもしれないが。

「……ま、さんきゅ。これでさっきのはチャラにしてあげる」

 勝手な奴だ。ま、でもそれで許してもらえるのならいいか。後でグチグチ言われるよりは遥かにマシだろう。

「んじゃ、そんだけだ。疲れてるから、じゃあな」

 そう言って、俺は窓を閉めようと、手を伸ばした。

「あ、待って!」

 そこで春風は遮る様にそう言った。俺は窓を掴んだところで手を止める。

「ん? 何だよ」

 疲れているのは確かなのだ。それに晩飯だってまだ食ってない。さっきから腹が減ってたまらない状態なのだ。今すぐにでも妹の首根っこを掴んで晩飯を作らせたいのだ。

「え……え、っとね……」

 しかし、春風はどうにも歯切れが悪かった。その様子は言葉を選んでいるように見えた。

「なんで、セイジは頑張ってる、の?」

 一分ほどかけて、春風はたどたどしくそう口にした。

「なんで、って言われてもな……」

 言葉に詰まった。どう答えればいいのかが分からない。自分の中に答えがあるのは分かっている。ただ、それを表現するのは難しい。

「……鈴のため?」

「……いや」

 違う、と思った。確かに秋月のためというのは否定はできない。でも、たぶん、それだけじゃない。

「そっか……」

 春風は小さくそう言った。

 さぁ、と風が吹く。少し冷たい風。秋の到来をどこか感じさせる。

「ねぇ、セイジ」

「……ん」

「あんた、鈴のことどう思ってんの?」

「ぶっ! いきなり何言ってんだよ!」

 唐突に投げられた質問に吹き出す。不意を打たれたのか、咳込んでしまった。

 咳払いして春風を見た。春風と目が合う。真っ直ぐな眼。

「鈴のこと、好きなの?」

 そして、そのまま春風は言った。静かな声だった。目線は俺に向けたまま、外そうとしない。俺のちゃんとした答えを待っている。

「――正直、分からない」

 頭で考えるより早く、俺はそう答えた。

「秋月は、可愛いとは、思うよ。他の女子と違っているようにも、思えるし」

「…………」

 俺は思うままに答えた。春風はそれを黙って聞いている。

「俺、こういう気持ちは初めてだから……正直、分からないってのが本当の所だよ」

 俺はそう言って、春風の目を見据えた。これ以上の答えはない。それを、示すように。

「ふぅん……」

 春風はそれだけ言うと、俺から目を外し、下を向いた。

「……あたし、言ったよね」

 そして、そのままの体勢で春風は言う。

「あの子に不用意に近づくのなら、許さないって」

 覚えてる。忘れようもない。あんなインパクトのある自己紹介は初めてだ。

「でも、口で言っただけ、だろ」

「…………」

 しかし、春風の次の言葉は続かなかった。何か考える様に俯いたままだった。

「……別に、あたしも、本気でどうこうしようっては思ってないわよ」

 春風の言葉は低く、小さい。視線は俺には向けられていない。

「鈴がそれでいい、ってのなら、あたしも止めない」

「春風……」

「……それでいいのなら」

 そう言って、春風はまた口を閉ざした。俺も何も返すことが出来ない。

 沈黙が訪れる。

 俺も春風も窓から身を乗り出したまま黙っていた。

 どれくらい経ったのか、分からなくなってきた頃、ようやく春風が顔を上げた。

「――ま、うん」

 一人、聞こえるか聞こえないかの大きさでそう呟くと、春風は俺を真っ直ぐに見た。

「セイジ」

「……なんだ」

「これだけは言っておくわね。あんた、あたしの友達を泣かせたら、承知しないからね」

 半分はいつもの調子。しかし、もう半分はいつもと違った、どこか気迫の籠った、とでもいうのだろうか、そんな声で春風は言った。

「……ああ」

 俺はそう答えた。そう、答えるしかなかった。それ以外の答えを俺は持ち合わせていない。

「……ん」

 春風は少しだけ満足したかのように、そう頷いた。

「んじゃ、ごめんね。そんだけ。時間取らせちゃった」

 そして、そう、調子を変える様にして言った。

「じゃあね。また明日。朝練で」

「ああ、じゃあな」

 最後にそう交わすと、春風は窓とカーテンを閉めた。俺もそれを確認してから窓を閉める。

 俺はベッドに向かうと、そのまま横になった。

 不思議と空腹は消えている。

 頭の中を埋めるのは、さっきの春風の言葉。続けて、明智の言葉。そして、絵を描いている時の秋月の姿だった。

 次々と変わっていくそれらの情報に、俺が何を考えようとしていたかすら分からなくなってくる。

「……はぁ、分かんね」

 そう言って、目を閉じた。

 すると、疲れいている身体にはすぐ眠気がやってきた。

 そういえば、今日は朝早くに起こされて寝不足なんだった。ずっと練習ずくめだったから体ももう限界だ。

 迫りくる睡魔に、もう何も考えられなくなる。

 俺が誰をどう思っているのか。秋月を、俺はどう思っているのか。

「ふぁぁ……」

 ああ、眠くて何も考えたくない。

 風呂に入ってないけど、それもいいや。

 朝からシャワーを浴びて行こう。

 飯もどうせ妹はすぐに作ってくれないだろう。

 明日も朝から練習があるんだ。

 そうさ。練習を終えて、体育祭を終えれば、きっと全て分かる。

 きっと。全て。

 そう、考えたのを最後に、俺は夢の中に落ちて行った。

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