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012

 ぶっ倒れた。

 教室に入るなり、隣でどんな騒ぎが怒ろうがもう知ったことではなく、鞄を机の横に放り投げるように置くと椅子にどさりと腰を下ろしてそのまま机に突っ伏した。

「……」

 もう駄目だ。昨日に引き続き、早朝から練習するなんて寿命を縮めているとしか思えない。死ぬ。このままだと俺は間違いなく死んでしまう。体育祭まで持つわけがない。

「よ、青の字。どうした、元気ないじゃないか」

「……」

 うるさいのが来た。俺は沈黙を貫くことを決めた。

「おいおい、無視するなよ。それとも返事も出来ないぐらいアレなのか。どうした? 大丈夫か? おい、どうした? 腹が痛いのか? どうしたよ?」

「…………」

「くそ! 俺が心配してやってるのに無視かよ! お前ってやつは!」

「…………」

「……なぁ、どうしたんだよぉ。無視しないでくれよ! お前に無視されると、俺どうすればいいか……」

「あーくそ! うっせえ! 俺に無視されたら何なんだよ! お前は俺以外に友達がいないのか!」

 我慢の限界だった。そして分かったことがある。怒りってのは疲れを超越してるんだな。

「ふ、そんなわけないだろ。俺には友達は百人単位でいるさ。だがな、青の字。親友はお前だけだぜ!」

 笑顔でサムズアップ。うわ、うぜえ。今がクラスメイトの多数いる教室であることを考えてない辺りとてつもなくうぜえ。

「……親友なら」

「おお。青の字よ。親友だと認めてくれるか」

「ああ。認めてやる。だからな……」

 認めないといけない。こいつがここまで馬鹿だったと。

「疲れてるんだから、休ませろ!」

 俺はそう叫ぶと再び机に突っ伏した。正直、もうこれっぽっちも動きたくないのだ。朝からのハードな練習を考えれば、椅子に座れただけでも十分休めてるぐらいだ。

 結局、あれからひたすら走った。だが、昨日のようにむやみやたらに走るのではなく、決められた距離をダッシュし、次にまた決められた距離を歩き、再びダッシュするというインターバルな走り方だった。

 始めは走り続けるわけじゃないから楽勝だろ、なんて思っていたが、十分も経たないうちに撤回しないといけないほどにふらふらになっていた。インターバル走法は一見楽に思えるが、そんなものは全くの誤解だ。あくまでも練習しないといけないのは短距離。走り続けるだけのらジョギング程度では意味がない。その上、ダッシュの後に足を止めようものなら「こら! 足を止めるな! 筋肉が固まるから歩け!」と、春風の鬼教官張りの怒声が飛んでくる始末だ。

 おかげで足は棒だ。比喩や形容じゃない。本当に筋肉が張って棒と化している。前に出て黒板に答えを書け、と言われても今は断れる自信がある。

「なぁ、青の字」

「どうした馬鹿。いいから疲れてるんだ。休ませてくれ」

 俺は突っ伏したまま、駿介の顔を見ることもなく答える。足の疲れは仕方ないが、早起きした分の眠気ぐらいならこのわずかな間でも取れるんだ。

「いやな、俺もお前を休ませたいのはやまやまなんだ」

「だったら休ませろ馬鹿。頼むから言動と行動を一致しろ……よ」

 駿介を睨もうと顔を上げたところで、目が合った。

 いると思っていた場所に駿介はいなかった。少し離れ、黒板によりかかる様にして立っていた。

「…………」

 目が合ったまま外せなかった。きっと、彼女は違った意味で目を外せなかっただけだろうが、それほどに俺は驚いていた。

 俺の机の前、手を伸ばせば届きそうな距離に、秋月が立っていた。

 顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに、我慢するようにして立っていた。

「あ……秋月」

 声が出ない。不意打ちだ。なんて言えばいい。

 秋月の隣に春風の姿はない。どこに行ったんだあいつは。なんで秋月を一人にしてるんだ。

「ちーちゃんが、ね……」

 秋月はおずおずと口を開いた。

「中ッ原……君が、がんばってる、って……」

 一つ言葉を口にする度にその顔は更に真っ赤に染まっていく。今じゃ熟れ過ぎたトマトほどに赤々と染まり切っている。突けば破裂してしまいそうだ。

「あ、明智が……?」

「……うん」

 秋月は小さく頷いた。明智の奴、余計な気を回しやがったな……。

「え、と……ね。……あの」

「ん?」

 秋月は顔を上げず俯いたままもじもじと体をくねらせた。

「これ……」

 後ろに回していた両手を俺の前まで持ってくる。その手にはペットボトルが握られていた。

「……さ、さしい……」

 秋月の言葉は次第に小さくなっていき、最後は聞き取ることが出来なかった。それでも、秋月の言いたいことは何となく理解できる。

「これ、貰っていいのか?」

 秋月は頭を下げたまま、更に深く頭を下げて肯定の意を示す。

「……さんきゅ」

「頑張って、ね」

 俺が受け取ると秋月はそう言って逃げる様に自分の席へと走った。椅子に座ると更に、窓に引っ付くように座りなおす。悪気はないんだろうけど、ここまで避けられるのはやっぱり慣れないものだな……。

「おいおい、どうしたんだよ。叫んで逃げられてた奴だとは思えないぞ」

 離れていた駿介がそう言いながら戻ってくる。やっぱりウザいなこいつ。

「別にどうもこうもねえよ」

「んなわけねーだろーがよー。いい感じじゃねーか! こいつっ!」

「ウゼえ」

 思わず口に出た。まぁ、いいか。本当のことだし。

「そう言うなって! な、本当のところ、何があったんだよー。教えてくれよー。親友だろ」

「あ、別にそんな仲じゃないんで」

「さっき親友だって言ってくれたじゃねーか!」

「そんなの社交辞令に決まってるじゃないか」

 本当のことを言えばあまりにめんどくさかったのでつい口から出ただけだ。

「ひ、ひでー!」

 大袈裟に駿介は叫ぶ。ウザい。ウザくて仕方ない。

「くっそ、お前なんかもう知らねーからな。折角、お前がリレーに出るっていうから来てやったのによ」

「はぁ? なんでお前がそれを知ってんだ。てか、何で俺が出るからってお前が来るんだ」

「風の噂に聞いたのさ」

 フッと、長くもない髪を流して馬鹿が言った。ふと何気なく横を見ると、教室の入り口のあたりで明智が立っていた。ああ、あいつが言ったのか。

「それと、俺もリレーに出るからな! 同じチームメイトってわけだ!」

「はぁ!? なんでお前が!」

「そりゃ、決まってるだろ。この二年四組、俺が出ないで誰が出るってんだ。何せ俺は馬並みの速さを持ってる男だぜ」

 馬並みの意味が違っている気がするが突っ込む気が起きなかった。まぁ、何を言いたいかは分かる。

「そういや、お前。足早かったな」

「はっはっは。俺の唯一の取り柄だからな!」

「言ってて悲しくないのかよ……」

 確かにこいつは足が速かった。駿介という名前は伊達じゃない。百メートルのタイムは知らんが、五十メートルは六秒台前半じゃなかったか。

「ま、そういうわけだ。頑張れよ、アンカー」

「……分かってるよ。言われなくても頑張るさ」

 初めからそのつもりだ。そうじゃなければ引き受けたりなんかしない。それに、秋月からも「頑張って」と言われたんだ。これで頑張らない奴がいるわけがない。こいつなんかに言われるのとはレベル、いや次元が違うのだ。

「ふーん。カッコつけやがって。じゃ、本番では頼んだぜ」

 そう言い残し、駿介は自分の席へと戻って行った。それとほぼ同時にホームルーム開始のチャイムが鳴る。それを合図にクラスメイト達もバタバタと席へと戻る。教室の入り口に立っていた明智もその例に漏れず、俺の前を通って自分の席へと向かう。その後ろを春風と大勢の男子が続くように教室に入ってきていた。成程、な。

「さんきゅ」

 明智が俺の前を通った瞬間、俺は明智に向かってそう言った。こいつには世話になりっぱなしだ。頭が上がらないかもしれないな。

 明智は何も言わず、俺の前を通り過ぎた。でも一瞬だけ、通り過ぎた時の明智の顔は笑っていたような気がした。

 全く。策士だよ。

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