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彼氏の店を手伝っていた私に「客の前で彼女面するな」と言われたので、客としても行くのをやめました

作者: 黒咲かぐら
掲載日:2026/10/25

「この写真、あなたが撮ったの?」


 常連の女性が、卓上のメニューを指した。

 焼きたてのホットサンドを、窓際で撮った写真だった。切り口から出る湯気が写るまで、何枚も撮り直したのを覚えている。


「はい。実物がおいしそうに見えるようにしたくて」

「おいしそうよ。これを見て頼んだもの」


 嬉しくて、ありがとうございます、と答えた。

 女性は食器を下げに来た将吾へ顔を向けた。


「お二人、付き合ってるんですか?」

「いや、手伝いに来てるだけですよ」


 将吾は笑い、皿を重ねた。

 私の手には、拭き終わった隣のテーブルの布巾があった。


 否定する前に、女性が「あら、そうなの」と言った。

 奥の席で客が手を上げたので、私はそちらへ向かった。


     *


 閉店後、椅子をテーブルへ戻してから、私は将吾に聞いた。


「さっき、どうして付き合ってないみたいに言ったの?」


 彼はレジの金額を確かめていた。


「ああ。店ではそういうの、出さなくていいだろ」

「聞かれただけだよ」

「客の前で彼女面するなよ。内輪の店みたいに見えるから」


 私は、椅子の背から手を離した。


「私、今日、何をした?」

「何って」

「写真を褒めてもらって、お礼を言った。それだけだよね」


 将吾はレジを閉めた。


「そうやって、一つ一つ言われてもさ」


 新堂将吾、二十九歳。

 私が三年間付き合ってきた人は、困ったように頭をかいた。


 私は浜岡穂乃香、二十七歳。平日は会社で働いている。

 土曜日は、将吾のカフェに来ていた。


 店を開けてから、もうすぐ一年になる。

 開業前に物件を見に行ったとき、彼は窓の前で立ち止まった。


「ここ、いいな。午前中は光が入るんだ」


 私も隣へ立った。

 まだ何もない部屋に、四角い光が落ちていた。


「料理の写真、ここで撮れそう」

「撮ってくれる?」

「うん。何作る?」


 その夜、彼の部屋でホットサンドを食べた。

 味付けを迷っていた彼に、私は少し塩が強いと答えた。将吾は一口食べ、やっぱりか、と笑った。

 二回目は、二人ともおいしいと言った。


 写真を選ぶときも、一緒だった。

 私のカメラの画面をのぞき込み、彼は皿の端まで写っている一枚を指した。


「これがいい。ちゃんと一食分って感じがする」

「じゃあ、これ」


 店を持つ夢のために貯めたお金も、借りた物件も、彼のものだった。

 私は会社を辞めるつもりはなく、開業して三か月だけ、土曜の昼を手伝うことにした。

 給料をもらう仕事ではなく、開業直後だけ、恋人として手を貸すつもりだった。

 その後は、必要なら人を探す。そう話していた。


 最初の土曜日、一組目の客が帰ったあと、将吾は私と目を合わせた。


「来たな。本当に」

「来たね」


 笑った私に、彼も笑った。

 閉店後には残った材料でご飯を作ってくれた。帰り道に手をつないで、落ち着いたらどこへ遊びに行くか話した。


 だから、三か月が過ぎて、もう少しだけと言われたときも引き受けた。

 料理の写真を撮り直し、彼が営業中に見られない予約の問い合わせを、私がまとめるようになった。

 平日の昼休みに返信文を作ることもあった。


 五か月目に、土曜は月二回までにしたいと伝えた。

 以前から参加していた写真サークルへ行きたかったし、家のことも溜まっていた。


「分かった。俺も、ずっと頼むつもりじゃないから」


 将吾はそう答えた。

 けれど、団体の予約が入ったから、今週だけ頼むと言われた。

 次は連休で、その次は新しいメニューを始める日だった。


 私が断った週は、一人で営業していた。

 平日も、もともと彼一人で回している。

 店が開けられないわけではない。それでも土曜日の昼は忙しいと、帰るころには疲れ切っていた。


 今週だけ。

 私も、その言葉を自分に使った。


 二人で出かけるはずだった店の定休日には、彼が寝過ごした。

 次の約束も、買い出しを済ませたら一日が終わった。

 先月、私が「手伝う日を減らす話、どうなった?」と聞くと、将吾はもう少し売上が安定してからだと言った。


「今、店が大事な時期なんだよ」


 目の前の将吾が、同じことを言った。

 私は、腰につけていた店のエプロンを外した。


「店が大事なのは分かる。でも、私を大事にしなくていい理由にはならないよ」

「大事にしてないなんて言ってないだろ」

「じゃあ、今日、あの人に聞かれたとき、どうして否定したの」


 彼は口を閉じた。

 私は答えを待った。


「彼女に手伝ってもらってる店って見られたくないんだよ。俺が一人で始めた店なのに」

「始めたのは将吾だよ。でも、私が手伝ってるのも本当でしょう」

「仕事と恋愛を分けたいって言ってるんだよ」


 私は、畳んだエプロンをカウンターに置いた。


「分かった。私も分ける」


 将吾が顔を上げた。


「付き合うの、やめよう。店の手伝いも、もうしない」

「そこまで言ってないだろ」

「私は言ってる」


 彼はカウンターのこちら側へ回ってきた。


「そんなことで、今までのことを全部捨てるのかよ」


 その言い方が、悲しかった。

 私は、一緒に試作した夜を捨てたくなかった。

 楽しかった時間があったから、今日までここに来ていた。


「もう何か月も、同じ話してるよ。手伝う日も減らないし、二人で出かける約束もなくなる。今日は、付き合ってることまで否定された」


 私は一度、息をついた。


「これ以上、何を待てばいいのか分からない」


 将吾は、私が畳んだエプロンを見た。


「手伝いが嫌なら、客として来ればいいじゃん」

「あなたに会いに来てたんだよ」


 言ってから、喉が詰まった。

 私はバッグを取り、店の奥の棚からカメラケースを出した。


「今受けてる予約と、返信が必要なものは、明日まとめて送る。使ってる記録の場所も。一緒に確認してほしいなら、その時間は取る」

「頭冷やしてから、もう一回話そう」

「明日送るのは、引き継ぎの話だけだから」


 彼の手元へ店の鍵を置いた。

 帰り際、窓のそばのテーブルが目に入った。

 カメラケースの持ち手を握り直し、私は店を出た。


     *


 翌日、予約の一覧と、返事を待っている問い合わせを将吾へ送った。

 店のアカウントには彼のスマホからも入れる。これまで使っていた写真は、そのまま使っていいと伝えた。

 夜に電話で記録の場所を確認し、私の端末からは店のアカウントをログアウトした。


「来週、土曜だけでも無理?」


 最後に彼が聞いた。


「行かない」

「予約、入ってるんだけど」

「昨日話したよ。今後の分は、あなたが決めて」


 電話を切ってから、私はしばらくソファに座っていた。

 何もしたくなかった。

 カメラを出す気にもなれず、夕飯には冷凍してあったご飯を温めた。


 食べながらスマホを開くと、写真サークルのグループに次の撮影会の案内が来ていた。

 駅の東側にある古い商店街を歩く。土曜の十時集合。雨なら延期。


 今までは、行けそうならあとで返そうと思って、そのままになっていた。

 私は予定表を開いた。

 店の手伝いと入れていた欄を消した。


『参加します』


 送ると、主催の人から久しぶりですねと返ってきた。

 私は、よろしくお願いしますと答えた。


 その日は早めに寝た。

 翌朝、会社へ持っていく弁当を作りながら、土曜の天気を確かめた。


     *


「浜岡さん、お久しぶりです」


 集合場所で声をかけてきたのは、笠原征司さんだった。

 二十八歳の会社員。サークルでは前に三回ほど一緒になった。

 階段や建物の壁を撮ることが多く、私には同じ色に見える灰色の違いを、面白そうに話す人だった。


「久しぶりです。今日、何撮ります?」

「まだ決めてないです。前に来たとき、建物しか見てなくて、店が一つも開いてなかった」

「何時に来たんですか」

「朝六時」


「それは開いてないですよ」

「なので、今日は何か食べて帰ろうと思ってます」


 参加者は六人だった。

 主催の人が昼の再集合の時間と場所を伝え、それまでは好きなところを歩くことになった。

 私と征司さん、それにもう一人が、駅とは反対側の路地へ向かった。


 細い道に面した窓へ、向かいの店の赤いひさしが映っていた。

 私が足を止めると、征司さんも振り返った。


「何かあります?」

「窓。この角度だと、赤いところだけ入るんです」


 私はカメラを構えた。

 窓の端に植木鉢が置かれていて、赤い反射に葉の影が重なっている。

 一枚撮って、少ししゃがんだ。


「あ、本当だ」


 隣で征司さんもカメラを上げた。

 私は立ち上がり、自分の画面を見せる。


「こっちは、植木鉢も入ります」

「俺、赤いのは看板だと思った」


 彼の写真では、窓の枠まで写っていた。

 ゆがんだガラスの中で、ひさしの線が少し曲がっている。


「これ、いいですね。真っすぐじゃなくなってる」

「そっちの葉っぱの影も好きです」


 あとから追いついた参加者も、二人の画面をのぞいた。

 みんなで少し位置を変えて撮り、次の道へ進んだ。


 昼は六人でそば屋に入った。

 私は温かいそばを頼み、注文を終えてからもメニューを見ていた。


「追加します?」


 隣の征司さんが聞いた。


「天ぷら、迷ってて」

「単品、ありますよ」


 彼が端の欄を指した。

 私は店員を呼び、かき揚げを追加した。

 征司さんも少し迷ってから、なすを頼んだ。


「朝、何か食べました?」

「食べました。でも、歩いたらお腹すいて」

「俺もです。今日は店が開いててよかった」


 そばが来るまでのあいだ、みんなで撮ったものを見せ合った。


 食事のあと、征司さんと駅まで歩いた。


「今日は、お店のほうは休みなんですか」


 彼は私に恋人がいて、そのカフェを手伝っていたことを知っていた。

 前に撮影会の途中で帰るとき、私が話したのだ。


「手伝い、やめたんです。付き合うのも」


 征司さんの足が少し遅くなった。


「そうだったんですね」

「はい。今日は、来たかったので」

「窓の写真、撮れてよかったです」


 私は頷いた。

 彼は何があったのかとは聞かず、駅の手前で、次の撮影会はどこだろうと話した。


 帰宅してから、グループへ今日の写真を三枚送った。

 赤い窓と、店先の自転車と、そば屋の暖簾。

 ほかの人の写真も届き、征司さんは窓の一枚にコメントをくれた。


『帰って見直したけど、あの葉っぱの影、俺のは写ってなかったです』


 私も彼の写真を開いた。

 路地の奥にある階段が、思っていたより明るく写っていた。


『この階段、どこにあったんですか? 気づきませんでした』


 彼が道順を返してくれた。

 何度かやり取りしたあと、地図を送りますねと、個別のメッセージが来た。

 私はお礼を返し、見つけられなかったのが惜しいと書いた。


『商店街の隣の通りにも、似た階段があります。前に撮ったの、送ってもいいですか』

『見たいです』


 届いた写真の一枚には、階段の手前で曲がる細い道があった。

 低い建物の上に、空が細長く見えている。


 私は写真を拡大した。

 この道を、実際に歩いてみたかった。


     *


 翌週の日曜、私は征司さんと駅で待ち合わせた。

 誘ったのは私だった。

 写真を見てから、あの道を撮りに行きたいと送ると、彼ももう一度行きたいと答えてくれた。


 私たちは商店街を抜け、写真の路地へ入った。

 同じ階段でも、光の当たり方が違う。征司さんは上から撮りたいと言い、私は道の曲がるところに立った。

 先に撮り終えたほうが待ち、あとで写真を見せ合った。


「この上、何があるんでしょう」

「前は上がってないです」

「行ってみません?」


 私が言うと、彼はカメラを肩へかけ直した。


「行きましょう」


 上がった先には、小さな公園があった。

 特に何があるわけでもなかったけれど、坂の下の屋根が並んで見えた。

 征司さんは、屋根よりその端に立つ電柱を撮っていた。


「そこなんだ」

「浜岡さんは?」

「洗濯物。あの黄色いタオル」


 彼が、私の見ているほうへ目を向けた。


「黄色、好きですか」

「少し。服だとあまり着ないけど、見ると撮りたくなります」

「俺は錆びたところが気になるんですよね」

「だから、階段」

「そう。全部きれいに塗られたら、ちょっと残念かも」


 私は笑い、黄色いタオルの写真を撮った。


 公園を出るころ、雨が落ちてきた。

 予報では夕方からだったのに、空の半分が灰色になっている。

 二人でカメラをしまい、近くの喫茶店へ入った。


「まだ昼にもなってないですね」


 注文した飲み物を待ちながら、征司さんが窓を見た。

 雨はすぐに強くなり、歩いている人が傘を開いている。


「今日はもう、撮れないかもしれない」

「ですね。さっきの屋根、見られてよかったです」


 彼は鞄からカメラを出しかけ、手を止めた。


「電池、残り少なかった」

「予備は?」

「充電器に置いてきました」


「そこに置いておけば、なくしませんね」

「持ってこられないけどね。人には忘れないようにって言ってたのに」

「私、先週、レンズの蓋を探してました。ポケットに入ってました」

「それは俺もやります」


 カメラをしまい、仕事の話になった。

 征司さんは、平日は物流会社で配送の手配をしているという。

 私は、会社では商品ではなく書類の写真ばかり撮っていると話した。


「記録用?」

「そう。内容が読めればいいんですけど、たまに影が入って。窓際に移したら、今度は光って読めなくなって」

「料理より難しいかもしれない」


 飲み物が来た。

 彼のコーヒーから湯気が上がり、私は思わず目で追った。


「撮ります?」

「今日は飲みます」


 私は自分のカップを持った。

 ミルクティーは熱かった。

 少しずつ飲みながら、好きな映画や、買ったまま読めていない本の話をした。

 映画はたいてい一人で見る、と征司さんが言ったので、私は少し迷ってから聞いた。


「笠原さん、付き合ってる人はいるんですか」

「今はいません。映画も、撮りに出かけるのも、一人のことが多いです」


 私はカップへ目を落とした。

 ミルクティーは、もうすっかり飲みやすい温度になっていた。


 雨が弱まったころには、昼を過ぎていた。

 二人ともお腹がすいて、その店でサンドイッチを頼んだ。


「今日、ずいぶん喋りましたね」


 駅へ向かう道で、征司さんが言った。


「撮ってると、話が途中になるから」

「たしかに。このあと何て言おうとしたんだっけって、忘れることあります」


 信号の前で止まった。

 彼が、私を見た。


「また、一緒に行きませんか」

「行きたいです」


 答えてから、私は次の週末に予定がないか思い返した。大丈夫だった。


「次は、予備の電池持ってきます」

「雨も、もう少し待ってくれるといいですね」


 家に着いてから、私はカメラの電池を充電器へ入れた。

 スマホを見ると、征司さんから、今日は楽しかったと届いていた。

 私も同じ言葉を返し、昼のサンドイッチの話を続けた。


 撮れた写真は少なかった。

 それでも、来週も会えたらと思った。


     *


 それから、一緒に川沿いを歩き、古い駅舎を撮りに行った。

 サークルの撮影会でも会い、解散したあと二人で食事をした。


 征司さんは、食べる店を決めるときに迷った。

 私は候補を二つ送るようになったけれど、彼が別の店を見つけてくる日もあった。


「今日は、こっちの麺が気になってて」

「いいですね。私、前に送った店は、また今度でも」

「じゃあ、次はそっち」


 そうやって、次の約束ができた。

 彼は私が食べたいものを覚えていて、私は彼が階段の途中で振り返るのを覚えた。

 隣へ並ぶと、下から見ていたときとは違うものが見えた。


 夜、会社から帰って、彼の写真を見ることが楽しみになった。

 同じ日に撮ったものでも、私の写真にはないものがあった。

 返信を考えながら、次に会ったら聞こうと思うことが増えた。


     *


 将吾から電話が来たのは、別れて二か月近くたった金曜の夜だった。

 帰宅して洗濯物を畳んでいた私は、画面の名前を見て手を止めた。

 引き継ぎのあと、彼から短いメッセージは来ていた。考え直してほしいと送られたときには、戻るつもりはないと返した。


 何の用か確かめるため、電話に出た。


「穂乃香。少し話せる?」

「うん」


 彼は、久しぶりだと言った。

 私も、そうだねと答えた。


「店、最近どうなの」


 沈黙が続いたので、私から聞いた。


「土曜、昼だけにした。席も全部は使ってない」

「そう」

「一人だと、注文と片づけが追いつかなくてさ。あと、予約の返事が遅れて」


 私は、畳みかけていたタオルを膝へ置いた。


「渡した表は?」

「使ってる。でも、営業中に問い合わせが来ても見られないし、閉店したら仕込みがあるだろ」

「手伝う人は、探した?」


 彼は少し黙った。


「自分でできると思ってたから」


 予約希望のメッセージへ数日返事をしなかったら、客から、別の店に決めたと届いたという。

 そのあとも返信が遅れ、前によく予約してくれた人から問い合わせが来なくなった。

 常連に、電話だけにするか、予約を受ける方法を整理したほうがいいと言われた。

 彼は、そのうちやると答えて、変えていなかった。


「この前、店に来て、空いてると思ったのに座れないって言われた。使ってない席、あるからさ」


 私は店の椅子を思い出した。

 二人で運んだ日、将吾は並べてから何度も位置を直していた。


「穂乃香がやってたこと、簡単だと思ってた。ごめん」


 電話の向こうで、彼が息を吐いた。


「あの日も、変なこと言った。一人でやってるって言いたくて。写真も予約も、手伝ってもらってたのにな」


 私は膝のタオルの角を合わせた。


「うん。悲しかったよ」

「やり直せないかな。もう、あんな言い方しない」


 黙っていると、将吾が続けた。


「土曜だけでも、戻ってくれない? 前みたいに全部じゃなくていいから」


 私は手を止めた。

 彼は返事を待たず、私が予約を見てくれるだけでも助かると言った。


「私とやり直したいの? それとも、店を手伝ってほしいの?」


 将吾の声が途切れた。

 少しして、小さく答える。


「両方だよ。穂乃香が戻ってくれたら、俺も余裕ができるし」

「それから、二人の時間を作るの?」

「そうだよ。店が落ち着いたら」


 私は畳み終わったタオルを隣へ置いた。

 前にも、そう聞いた。


「戻らない。店が落ち着くまで待つのも、もうやめたから」

「今度は、ちゃんとする」

「私が今、何してるかも聞かないんだね」


 彼は答えなかった。


「土曜に戻る話しか出てこないんだね」


 将吾が私の名前を呼んだ。

 私は、今後は店のことを頼まれても引き受けないと伝えた。


「写真も、もう撮らない。必要なら、お願いする人を探して」

「客としても来ないの?」

「行かないよ」


 彼は、そうか、と言った。

 電話を切ったあと、私は残りの洗濯物を畳んだ。

 楽だったわけではない。昔の彼の声を思い出すと、まだ少し胸が痛んだ。

 それでも、来週の土曜を空けようとは思わなかった。


 翌日の予定を確かめてから、カメラの電池を鞄へ入れた。


     *


 その翌日は、サークルのみんなで川沿いを歩いた。

 征司さんは新しいレンズを持っていて、撮ったものを何度も確かめていた。

 私は、川の水に映る橋を撮った。


 帰りに二人でそば屋へ入り、私はそば、征司さんはかき揚げ丼を食べた。

 店を出たところで、彼が立ち止まった。


「浜岡さん。次は、カメラなしでも会いませんか」


 私は彼を見た。


「どこに行きます?」

「ご飯とか。あと、この前話してた映画でも」


 彼は少し迷い、言い直した。


「撮る場所が決まってなくても、会いたくなったんです」


 嬉しかった。

 私はカメラの入った鞄を持ち直した。


「私も。雨の日、喫茶店でずっと話してたでしょう。あの日も、楽しかった」

「俺もです」


 彼が、こちらをまっすぐ見た。


「浜岡さんが好きです。付き合ってもらえませんか」


 私も、好きだった。

 写真を見て返事が来るのを待っていたし、帰り道には、もう少し一緒にいたかった。

 彼が何を面白いと思うのか、これからも聞きたかった。


「はい。私も、笠原さんが好きです」


 彼は一度口を閉じ、それから笑った。


「よかった。ここまで、何て言おうか考えてた」

「だから、ご飯のあと、静かだったんですね」

「気づいてました?」

「ちょっと。おいしくなかったのかと思って」

「おいしかったです。かき揚げ、また食べたい」


「じゃあ、また来ましょう」


 駅へ歩き始めると、さっきより彼が近かった。


「名前で呼んでもいいですか」


 途中で彼が聞いた。


「うん。私も、征司さんって呼びたい」

「じゃあ、穂乃香さん」


 呼ばれて、思っていたより照れた。

 少し黙った私へ、彼も照れた顔を向けた。


 信号で止まったとき、私は空いている彼の手へ、自分の指を伸ばした。

 征司さんが気づき、握ってくれた。

 青に変わってからも、そのまま歩いた。


     *


 翌週は、カメラを持たずに映画を見た。

 気になった台詞について、帰りの電車に乗る直前まで話した。

 次の土曜は、午前中に家のことを済ませ、午後から二人で港の近くへ出かけた。


 古い倉庫の前で、征司さんがカメラをこちらへ向けかけた。


「一枚、撮っていい?」

「私?」

「うん。さっき、すごく楽しそうだったから」


 私は頷き、どう立つか迷った。

 結局カメラを持ったまま、彼を見た。


「変な顔してない?」

「これから撮るから、まだ分からない」


 笑ってしまったところで、シャッターが鳴った。

 征司さんは画面を見てから、私へ差し出した。


 写真の中の私は、口を開けて笑っていた。

 髪が少し風で乱れ、カメラのストラップが斜めになっている。


「すごく笑ってる」

「うん。俺、この写真好き」


 私も、好きだった。

 送ってほしいと頼むと、彼は帰ったら送ると答えた。


「次、征司さんも撮らせて」

「ここで?」

「うん。あの壁、好きでしょう」


 彼が振り返った。

 倉庫の壁には、雨の跡と、塗り直した部分があった。


「好き。よく分かったね」


 私はカメラを上げた。

 彼は壁へ寄ってから、またその模様を見ていた。


「もう少しこっち。壁じゃなくて、私のほう」


 彼が振り向いたところで、一枚撮った。


 帰宅してから、送ってもらった写真を保存した。

 私が送った征司さんの写真には、さっそく気に入ったと返事が来た。


『次の土曜、どうしようか』


 続けて届いたメッセージへ、私は、行ってみたかった展示のページを送った。

 征司さんは昼を食べたい店を教えてくれた。

 地図を見れば、少し遠回りすれば両方に行ける。


『ここでご飯食べて、展示に行く?』

『そうしよう。時間調べるね』


 私は予定表を開き、待ち合わせの時間を入れた。

 保存する前に、今日の写真をもう一度見た。


 カメラを抱えた私が、こちらを見て笑っていた。


~完~


お読みいただき、ありがとうございました。


料理をおいしそうに撮っていた穂乃香が、最後には自分の笑っている写真を気に入る。その一枚まで、見届けていただけて嬉しいです。


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