第6話 余り物で賄いを作ったら騎士団が押しかけてきた
異世界生活四日目の朝、三枝宗一郎は剣も盾も持たず、騎士団副団長のガレスと二人の兵士を連れて、アルヴェイン城の西門へ向かっていた。
城の西側は、宗一郎がこれまで歩いた厨房や倉庫の周辺とはずいぶん雰囲気が違った。石壁には蔦が這い、使われなくなった通路には枯れ葉が吹き込んでいる。かつては城外へ続く門として使われていたらしいが、二年前に山側の街道が崩落してから閉鎖され、人の出入りはほとんどないという。
「ガレスさん、本当に二年間使ってないんですよね」
「少なくとも、正式には使われておりません。城外へ出る門そのものは封鎖されていますし、警備もありません」
「その『正式には』って言い方が、すごく嫌なんですけど」
「私も今になって嫌になってきました」
「じゃあ気が合いますね」
「できれば別のことで気が合いたかったですな」
二人でそんな話をしながら、古い詰所の前に立つ。
木製の扉には錆びた鉄の取っ手がついていた。鍵はかかっていない。
「不用心ですね」
「使っていない場所ですから」
「使ってないはずなのに塩二樽が運ばれてるんですよね?」
「……不用心ですな」
「さっきと意見変わりましたね」
ガレスが苦い顔をした。
宗一郎は扉を開ける前に周囲を確認した。
昨日の倉庫では「絶対に動かすな」と書かれた箱から巨大蜥蜴の卵が出てきた。異世界では、古い扉を何も考えずに開けると、会社の物置から壊れたコピー機が出てくる程度では済まないらしい。
「中に魔物とかいませんよね」
「可能性は低いかと」
「ゼロじゃないんです?」
「この地方では、小型の牙鼠などが空き建物へ入り込むことはあります」
「牙鼠って名前の時点で入りたくないんですけど」
ガレスが笑いながら扉を押した。
宗一郎は少し離れて待った。
「三枝さん」
「何です?」
「私を先に行かせましたな」
「専門家を尊重しただけです」
「昨日まで普通の会社員だった方とは思えない判断の早さです」
「四十二歳になると、危なそうな仕事を自分から引き受けない知恵くらいつきますよ」
幸い、飛び出してくる魔物はいなかった。
ただし、中には予想外のものがあった。
「……肉?」
古びた詰所の壁際に、木箱が十数個積まれている。
そのうちいくつかは蓋が開いており、中には塩漬けにされた肉がぎっしり詰められていた。
さらに奥には、探していた塩樽が二つある。
「ありましたね」
「ありましたな」
「盗まれてなかったのは良かったですけど……」
宗一郎は樽へ近づいた。
封は切られている。
周囲には肉を切った痕跡があり、壁際の机には包丁と木の器まで置かれていた。
最近誰かが使ったのは間違いない。
「ガレスさん、これ何の肉です?」
「猪角獣でしょう。騎士団でもよく保存食にします」
「じゃあ、誰かがここで保存食を作ってた?」
「そのようですな」
問題は、なぜ使われていない詰所で密かに作る必要があるのかということだった。
宗一郎が床を見ると、乾いた泥の上に新しい足跡が残っている。
一人ではない。
そこで外にいた兵士の一人が「あ」と声を上げた。
「どうした?」
ガレスが振り返る。
若い兵士は気まずそうに仲間を見た。
「副団長、その……もしかすると、知っているかもしれません」
「話せ」
「昨冬、城下の西側にある村で食料が不足したことがありました。雪が長く続き、商隊が入れなくなりまして」
「それは知っている」
「そのとき、厨房の者と何人かの兵士が余った肉を保存して、村へ回していたという話を聞いたことがあります」
ガレスの眉が寄った。
「正式な救援物資なら記録があるはずだ」
「正式ではなかったのかと」
「なぜだ」
兵士は困った顔をした。
「申請すると時間がかかるから、と……」
宗一郎は思わず額を押さえた。
「出たよ」
「何がです?」
「現場が勝手に何とかするやつです」
日本でも何度となく見た。
正式な手続きを踏むと時間がかかる。
けれど目の前では問題が起きている。
だから誰かが「とりあえずやっておこう」と善意で動く。
その場は助かる。
そして数か月後、帳簿だけがおかしくなる。
「これ、悪い人が盗んだわけじゃなさそうですね」
「だからといって無断で物資を動かしてよいことにはなりません」
ガレスの声は厳しかった。
宗一郎も、それには同意する。
「もちろんです。ただ、事情を聞く前から犯人扱いするのも違うでしょう。誰がやったのか確認しましょう」
「分かりました」
調べると、話は思ったより早く判明した。
保存食を作った中心人物は、厨房の下働きをしている四十代の男、ハンスだった。
宗一郎が城へ来てから何度か顔を合わせている。体格は大きいが口数が少なく、いつも黙って薪を運んでいる男だ。
ハンスは呼び出されると、言い逃れをしなかった。
「私がやりました」
古い詰所の前で、ハンスは深く頭を下げた。
「昨冬、兄夫婦の住む村で食べ物が足りなくなりまして。子供も何人かいました。厨房で余った肉だけでは足りず、倉庫から塩を持ち出しました」
ガレスが低い声で問う。
「なぜ正式に申請しなかった」
「しました」
「何?」
「ですが、担当が変わったばかりで書類が止まりました。三日、四日と返事がなく、その間にも雪は増えて……待てませんでした」
宗一郎は口を挟まなかった。
ハンスは続ける。
「悪いことをしたとは分かっています。塩の代金は、少しずつ給金から返すつもりでした。ただ、冬が明けて忙しくなり、そのままにしてしまいました」
「なぜ残った塩を戻さなかった」
「戻したら、持ち出したことが分かります」
「だから隠したのか」
「はい」
ガレスの顔は厳しいままだった。
しかし宗一郎には、怒鳴る前に考えているのが分かった。
規則を破った。
それは事実だ。
だが、食料に困った村を助けたかったという理由も嘘には見えない。
「ハンスさん」
宗一郎が声をかける。
「はい」
「村の人は助かったんですか」
男は一瞬だけ顔を上げた。
「はい。少なくとも、あの冬に飢え死にした者は一人も出ませんでした」
「なら、やったこと全部が間違いだったとは俺は思いません」
ガレスが宗一郎を見る。
宗一郎は続けた。
「でも、無断で持ち出したことと、その後に黙っていたことは別です。次に同じことが起きたら、同じ方法でやるのは駄目です」
「……はい」
「それと、三日も申請が止まる仕組みの方も直さないと意味がないでしょう」
今度はガレスが苦い顔をした。
「耳が痛いですな」
「責めてるわけじゃありませんよ。ただ、現場に勝手なことをさせたくないなら、ちゃんと相談したら早く返事が来るようにしないと。人間、お腹を空かせた子供が目の前にいたら、書類が通るまで待てって言われても待てませんから」
宗一郎自身、知らない世界へ来てまだ四日しか経っていない。
それでも、その部分だけは世界が違っても同じだと思えた。
ガレスはしばらく考え、ハンスへ言った。
「処分については閣下へ報告した上で決める。ただし逃げる必要はない。聞かれたことには正直に答えろ」
「はい」
「それと」
ガレスは塩樽を見る。
「残っているものは倉庫へ戻せ。保存肉は状態を確認して、問題なければ正式に救援用物資として登録する」
ハンスの顔に、わずかな安堵が浮かんだ。
「ありがとうございます」
「まだ許したとは言っていない」
「はい」
宗一郎は横から小声で言った。
「副団長って、こういうときちゃんと怖いんですね」
「どういう意味です?」
「普段は公爵様に振り回されて笑ってる人だなと」
「三枝さん」
「すみません」
西門詰所から戻った時には、もう昼をかなり過ぎていた。
厨房へ戻ると、ベルトランが腕を組んでいた。
「遅い」
「俺、料理人じゃないですよね?」
「昼飯の時間を過ぎても戻らない者へ言っているだけです」
「それならごめんなさい」
宗一郎は腹を押さえた。
確かに空腹だった。
ベルトランたちはすでに忙しい時間を終えたらしく、調理台の端には使い切れなかった食材がいくつか残っていた。
昨日の焼いた鶏肉。
少量の根菜。
朝に余ったパン。
茹でた豆。
葉野菜。
「これ、どうするんです?」
「夕食には量が足りませんので、使用人が適当に食べます」
「じゃあ、俺が使っていいです?」
「もちろんです」
宗一郎は腕をまくった。
大した料理を作るつもりはなかった。
残った鶏肉を細かく裂き、根菜と豆を鍋へ入れる。昨日作ったスープの残りを加え、固くなり始めたパンは一口大に切って軽く焼いた。
最後に香草と少しの塩を加える。
「何を作っているんです?」
ニーナが覗き込んできた。
「賄い」
「マカナイ?」
「働いてる人が食べる飯。余り物を使って、適当に作るんだよ」
「適当なのですか?」
「いい意味でね。売り物みたいに見栄えを気にしないで、ある物を美味しく食べる」
出来上がったのは、具だくさんの煮込みだった。
焼いたパンを器の底へ入れ、その上から熱い煮込みをかける。固くなっていたパンが汁を吸い、鶏肉と豆の旨味が染み込む。
「ほら、食べてみて」
ニーナが一口食べた。
その目が丸くなる。
「美味しいです」
「余り物だけどね」
「これが余り物なら、私は毎日余り物でいいです」
「料理人が聞いたら泣くよ」
「もう聞いております」
ベルトランが背後に立っていた。
「じゃあ料理長さんも食べます?」
「もちろんです」
三人で食べ始めて数分後、厨房の入口から顔が覗いた。
騎士だった。
「……何でしょう」
宗一郎が尋ねる。
「いや、その。良い匂いがしたので」
「昼飯、食べたでしょう?」
「食べました」
「じゃあ帰ってください」
「一口だけでも」
「ありません」
騎士は残念そうに消えた。
その二分後。
今度は二人来た。
「何です?」
「匂いを確認しに」
「嘘つけ」
さらに五分後には、四人になった。
「どうして増えてるんですか!」
「先ほど食べた者が美味かったと言いまして」
「誰か食べたの!?」
見ると、ニーナが目を逸らした。
「少しだけ……」
「配ったの?」
「とても欲しそうでしたので」
「餌付けしちゃ駄目だよ!」
騎士たちは犬ではない。
だが、美味しいものの噂に対する拡散速度は犬以上だった。
十分後には、厨房前に十五人ほど並んでいた。
「おかしいでしょう!」
宗一郎は思わず叫んだ。
「皆さん昼飯食べたんですよね?」
「食べました!」
「元気よく答えるところじゃない!」
そこへガレスまで現れた。
「三枝さん、騒ぎになっていますぞ」
「副団長なら解散させてくださいよ!」
「その前に一杯いただけますか」
「あなたまで!?」
結局、残っていた鍋はあっという間に空になった。
食べられなかった騎士たちは本気で悔しがり、明日も作ってくれと要求し始めた。
「作りません」
「なぜです!」
「賄いって余り物で作るんです。毎日十五人分作ったら、それはもう正式な昼食でしょう!」
「では正式に!」
「話を大きくするな!」
厨房が笑いに包まれていると、その中心へレティシアが入ってきた。
「何の騒ぎだ」
騎士たちが一斉に背筋を伸ばす。
宗一郎は助かったと思った。
「公爵様、聞いてください。余り物で賄いを作ったら、この人たちが――」
「それはまだあるのか」
宗一郎は言葉を失った。
「あなたまで食べる側なんです?」
「騒ぎになるほど美味いのなら、私が知らないのはおかしいだろう」
「おかしくないですよ!」
「公爵だからな」
「何でも公爵で通すのやめません?」
レティシアは空になった鍋を覗き込み、明らかに不満そうな顔をした。
「ないのか」
「ありません」
「私の分は?」
「最初から作ってません」
「宗一郎」
「そんな捨てられた犬みたいな顔しても無理です」
「犬ではない」
「分かってます!」
周囲の騎士たちが笑いをこらえている。
レティシアはしばらく空の鍋を見つめた後、宗一郎へ顔を向けた。
「明日も作れ」
「嫌です」
「では命令する」
「賄いを作れって公爵命令を出すんですか?」
「……それは少し格好が悪いな」
「気づいてくれて良かったです」
「なら頼む」
「覚えましたね、その言葉」
「お前が教えた」
宗一郎は困った。
本気で困ったが、同時に少しだけ笑ってしまった。
「余り物があったらですよ」
「約束だな」
「大量に作れとは言ってませんからね」
「分かっている」
「本当に?」
「たぶん」
「そこは断言してくださいよ」
そんな騒ぎの後、宗一郎はレティシアへ西門の件を報告した。
話を聞き終えた彼女は、予想していたより静かだった。
「ハンスの処分は軽いものにする」
「いいんですか」
「規則を破ったことは罰する。しかし、領民を救ったことまで罪にする気はない」
「それなら」
「問題は、救援の申請が三日も止まったことだ」
レティシアの声には、自分自身への苛立ちも混じっているように宗一郎には聞こえた。
「私の城だ。知らなかった、では済まん」
宗一郎は少しだけ迷ってから口を開いた。
「全部自分の責任にしない方がいいですよ」
「領主だぞ」
「だからって全部を一人で見られるわけじゃないでしょう。俺がいた会社だって、社長がコピー用紙の残量まで知らないですよ」
「だが、仕組みを作る責任は私にある」
「それなら同意します」
レティシアが宗一郎を見る。
「慰めないのだな」
「慰めてほしかったんですか?」
「……いや」
「じゃあ、直しましょう。相談したことが途中で止まらないように。誰が受け取って、誰が判断するのか分かるようにすればいい」
「簡単に言うな」
「簡単じゃないですよ」
宗一郎は笑った。
「そういう面倒なことを何とかするのが、総務ですから」
レティシアも少し笑った。
「やはり便利な職だな、ソウム」
「だから便利屋じゃないですって」
「違うのか?」
「……最近、自信なくなってきました」
厨房の外から、騎士たちの笑い声が聞こえた。
異世界生活四日目。
宗一郎は塩二樽の行方を見つけ、城の事務手続きに問題があることを知り、そのついでに余り物の昼食で騎士団の一部を餌付けしてしまった。
本人としては、最後の一件だけは完全に予定外である。
しかし翌日から、昼時になると厨房の近くを「たまたま通りかかる」騎士が急増することになる。
そして、その中には当然のように、北部最強と恐れられる女公爵も混じっていた。




