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ヴァルターに導かれた先は、城の最上階にある広間だった。
壁一面が巨大な窓になっており、外には黒い森と、遥か遠くに霞む白い城塞が見える。
「あれは、王都?」
「ああ。そして、この城の向こう側には魔族の領域が広がっている」
セリーナは息を呑む。
つまり、この城は――。
「ここは人間と魔族の境界にある。千年前の大戦で築かれ、両者の均衡を保つ要塞だ」
ヴァルターは窓越しに遠くを見やり、淡々と告げる。
「均衡を保つために、あなたはここにいるのですか?」
「いいや。俺は均衡など興味はない。必要なのは勝利だ」
その瞳が銀色に光り、空気が一瞬張りつめる。
セリーナは背筋が震えるのを感じた。
「勝利? 誰に対して?」
「人間も、魔族も、同じだ。俺の敵は“未来”そのものだ」
意味がわからない。しかし、ヴァルターの言葉は嘘を吐いているようには思えなかった。
彼が未来を憎む理由。それは、セリーナの“魔眼”と関わっているのだろう。
「セリーナ。おまえの力で、俺の望む未来を選べ」
「選ばなければ?」
「その時は、おまえをここから追い出す。王子と聖女のもとへな」
脅しのようでいて、不思議と恐怖はなかった。
むしろ、王宮に戻る方がよほど恐ろしい。
ヴァルターは背を向け、出口の扉を押し開ける。
「今夜、客人が来る。魔族の使者だ。会わせたい」
その声に、セリーナの心は再び波立った。
この城の均衡を崩す出来事が、間近に迫っている。
その夜、城の大広間には異様な緊張が漂っていた。
長い晩餐卓の片側にヴァルターが座り、その右隣――客人席にはセリーナが招かれていた。
(なぜ私がこんな席に)
やがて、重い扉が開く。
入ってきたのは、人間よりも少し背の高い女だった。
銀白の髪が腰まで流れ、額には黒曜石の角が二本。瞳は夜空のような群青色に輝き、歩くだけで空気が変わる。
「久しいな、ヴァルター」
「相変わらず礼儀を欠くな、リシア」
魔族の使者――リシアは椅子に腰かけ、じっとセリーナを見つめる。
「人間の女? 珍しい。しかも、この席に座らせるとは」
ヴァルターは微かに口元を歪める。
「彼女は俺の妃になる女だ。境界の未来に関わる存在でもある」
その言葉に、セリーナの心臓が跳ねた。
否定しようと口を開きかけたが、ヴァルターの銀の瞳が「黙っていろ」と告げていた。
リシアは興味深そうに身を乗り出す。
「ふふ。人間の令嬢が未来を左右する? ならば、我らが領にも招いてみたいものだ」
「やめておけ。奪えば戦になる」
ヴァルターの声は低く、しかし剣よりも鋭い。
晩餐は続いたが、セリーナは終始、視線と視線のぶつかり合う場の中心に置かれたままだった。
自分の存在が、ただの“元婚約者”から、もっと危険な意味を帯び始めている。それを肌で感じる。
宴の終わり、ヴァルターは耳元で囁いた。
「おまえは今夜、魔族にも印象を刻んだ。これでおまえを手放せば、両陣営が動く」
その声は、束縛の鎖のようでいて、奇妙に安心できる響きだった。