2話 はてな?
呆然と立ち尽くす俺を他所に、老人はぽつりぽつりと語り始めた。
「……私の名は、伊坂喜一」
その名に、どこかで見覚えがあった。だが、思い出す前に老人の語りが続く。
「私は、な……子どものころからずっと仲良くしていた女の子に、ある日いきなり挨拶を無視された。いや、今思えば……ただの勘違いだったのかもしれない。私は何か悪いことをしたと思い込んで……謝ることもできず……」
老人の目が、遠くを見ていた。
「その後、すぐに私は兵士として戦地に送られた。帰ってきた頃には、彼女はもういなかった。……私は気づいてしまったのだ。挨拶が、私の心を最も傷つける言葉になってしまったんです。」
彼の目は静かに揺れていた。
「この世界では、自分のトラウマの言葉を口にすれば……命を落とす。そんな言葉を抱えていては、人ともまともに話せない。仕事もうまくいかない。居場所もなくなり……こうして、今のような暮らしになってしまったというわけだ」
言葉が重く、胸に沈む。
気づけば、俺はぼーっと立ち尽くしていた。
「おい、大丈夫かい?」
喜一さんが、心配そうに声をかけてくる。
「もしかして、最初私があなたの挨拶を無視したせいであなたのトラウマになってしまったのですか?!?」
「いやいやいや、えーとっ、あのその。大丈夫です。」
必死にキョドリながらも否定しながら、俺の脳裏には、さっき道端で見つけた人探しの紙が浮かんでいた。
──そうだ。あれに書かれていた名前。伊坂喜一。
まさに、目の前のこの老人の名前と一致している。
「……ずっと、誰かがあなたを探してました」
俺は震える手で、紙を差し出した。
その紙には、こう書かれていた。
⸻人を探しています。その人の名前は伊坂喜一です。私の昔の友人です。 と。あと住所も記載されていた。
その家は、街の端にひっそりとあった。玄関を開けたのは、優しい目をした老女だった。
ふわりと微笑みながら、口を開く。
「こんにちは。どうしましたか?」
その瞬間だった。老人の目に、一気に涙が溢れた。
「うめ……お前……お前なのか……!」
「え……?」
うめさんも、老人の顔を見て、息をのんだ。
「……喜一、さん……!」
二人は、言葉よりも早く、強く抱き合った。
幾十年の時を越えて、ようやく交わされた再会の抱擁だった。
老人が、泣きながらぽつりと口にした。
「今さら……Hello」
次の瞬間――その身体が、ふらりと揺れ、音もなく倒れた。
「……え?」
「え、えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええええええええっ!?」
俺は、何が起きたのか理解できず、ただ叫ぶしかなかった。久しぶりに大きな声をだした。大きな声を出した時、そういえば自分のこと、ここはどこなのか色々忘れていたことを思い出した。俺混乱で目の前が真っ暗になった。